４９回目 また会おう
自分の領地にある食料を、根こそぎ焼き尽くした。
ここに集まった武将たちからすれば、それはもう狂気の沙汰に近い。
「子爵は、気が狂ったのか？」
「い、いえ。申し上げました通り、買い占められたのはあくまで民間の物です」
質問をした将自身も驚いていたが、ヘルメス商会の男は首を横に振り、小さな声で続ける。
「子爵家の蔵には１週間分ほどの備蓄がある、という噂がございますが。……それよりも、その」
「どうした。早く言えッ！」
動揺から語気を強めた将に対し、ヘルメス商会の男は、全てを諦めたように白状した。
「ヨトゥン家に保管してある食料を、大量に買い付けていたようです。ただ今、輸送中だとか」
「何だと！？ その情報は事前に手に入らなかったのか！」
若手の将がそう叫ぶが、しかしそこは完全に、クレインが先手を打っている。
「それが……東へ物資を送るために人員が減り、今回の輸送も、ほとんどがスルーズ商会の担当でして」
ヨトゥン伯爵家とその契約を結んだのは、縁談の話をしに来た南伯の懐刀と、クレインが一対一で話した時だ。
ヘルメス商会を排除して話が進んでいたことで、動きが分かりにくかったというのもある。
だがそれ以上に、彼らは元々アースガルド家の動向の中でも、主に軍事の動きを監視していた。
トレック率いるスルーズ商会など、ほぼノーマークだ。会長であるトレックが砦に詰めていたくらいなので、本当に何の注意も払われていなかった。
しかし彼らは既にヨトゥン伯爵領を出発した頃で、食料を各地に配る体制は構築できている。
それを聞けば、何名かの武官は怒り始めた。
「だから南伯とアースガルド家の接近は厄介だと言ったのだ！」
ヨトゥン伯爵家とアースガルド子爵家の連携が無ければ、特段何の問題もなく攻め落とせただろう。
声を荒らげた武官が言っていることは、その通りなのだが、この発言で軍議は紛糾した。
「ここまで動きが早ければ、どうしようもないだろうが」
「去年の段階で横槍を入れられたと言っている！」
「結果論だよそれは！」
先行きの暗さから、言い争いに発展してしまった。
状況は、彼らが思っていたよりもかなり悪かったからだ。
アースガルド領の本拠地までは馬で１日。確かに手が届くところにはある。
しかしこのまま攻め落としたところで、彼らもアースガルド側も食料に乏しく、略奪しても満足に手に入るとは思えない。
そもそも手持ちの食料が１日半分しか無いので、行軍の途中で飢えるだろう。
食料の消えた子爵領から、半日以内に３万５０００人分の糧を得るなど不可能だった。
「ならば、敵の兵糧を略奪するのはどうだ。軍需物資ならある程度の量が――」
「バカなことを言うな。奴らは蔵を燃やして、数日逃げ回れば勝ちなんだぞ」
民から略奪しても、すぐに食料は底を尽きる。
しかも負けると見れば、アースガルド側は残りの蔵も焼き払うだろう。
「ああ。数日分の飯を持って、逃げられたら終わりだ」
「ぬぅ……」
彼らにはもう、追いかけっこをするような余裕は無い。
仮に本拠地である領都から半日逃げられた場合、その時点で東伯軍の食料はゼロだ。
彼らの後方から食料は届かず、破損した武具も交換できない。
しかし敵は数日も待てば補給が来る。
「輸送中の、商隊を襲うとか」
「領地の反対側まで行く方法が、何かあると？」
ならば補給線を襲うかと言っても、そこはアースガルド領とヨトゥン領の間。
子爵家を踏み越えて行くとして、５日はかかる道のりだ。
途中で攻撃を受けるなら更に時間がかかるし、領内を無理に通れば、どこから攻撃が来るか分かったものではない。
仮に攻め滅ぼしたところで食料が手に入らず、どう足掻いても相討ちになる。
この状況を見たヴァナルガンド伯爵は、数秒考え込み――すぐに決断を下した。
「よし、撤退する」
「八方塞がりですからな。それがよろしいかと」
軍略に長けた伯爵は、今すぐに滅ぼすことは不可能と判断。即座に撤退と決めた。
軍師もその方針に賛同して、上層部では一瞬にして撤退の意向が固まった。
「ま、まだ何か、手はあるはずです」
「結論は、今暫しお待ちを！」
「後方の動きを知らなければ、このまま進んで全滅しているところだ」
しかし武官たちはもちろん反対した。諸戦で火計と伏兵を食らい、散々に負けたからだ。
ここで撤退しては完全な負け戦だと、継戦を訴えたが、しかし東伯の決断に変更はない。
「敵と戦わず、情報を持ち帰ることに専念した、補給部隊の隊長に恩賞を取らせる」
「なっ！？」
「そんな！」
任務に失敗した上に、逃げ帰って来た者が最大の功労者だ。伯爵はそう宣言した。
信じがたい論功行賞に唖然とする諸将の前で、ヴァナルガンド伯爵は堂々と言い放つ。
「負けは負けだ。ここまで見事にしてやられて、食い下がる無様を晒すな」
言葉は強いが、その顔には笑みを浮かべている。
晴れやかな表情のまま、伯爵は席を立った。
「下手に進めば全滅だぞ？ 一度帰り、態勢を整えれば勝てるというのに。そんな危険を冒す理由がどこにある」
衝動的な戦を仕掛けたのに、何を言っているのか。そう食ってかかりそうになった若手もいた。
だが、ここまで襲撃の準備が整っていたところを見ると、前々から戦うつもりではあったのだろう。電撃の如き作戦を防ぎ切り、逆に攻め返してきた子爵家が上手だった。
ベテランの将たちはすぐに、そう諦めをつけて、陣払いの算段に入ろうとしていた。
「話は終わりだ。30分以内に撤退の用意を終わらせろ」
ヴァナルガンド伯爵がそう宣言して、軍議は幕を閉じる。
各将が慌ただしく飛び出していく中で、冷静なのは伯爵と、横に控える二人くらいのものだった。
◇
「さて、作戦に失敗したのであれば……ここからが大変ですな」
「そう言うな。中央では既に、面白いことになっているようだぞ」
軍師と護衛の大男伴って陣を出た伯爵は、愛馬に跨りながら西の空を見上げた。
三ヵ月をかけて築き、一夜にして燃えた砦。そしてその道の先で、今も何らかの策を練っているであろう男がいる。
クレイン・フォン・アースガルドという人物が、どんな男かは知らないまでも、顔を想像して伯爵は笑った。
「はっはっはっは！ 口惜しい！ いや、実に口惜しいぞ！」
確実に攻め滅ぼせる戦力を整えておきながら、結果として、あっさりと撤退に追い込まれた。
いくら歳の差があるとはいえ、ヴァナルガンド伯爵家を差し置いてヨトゥン伯爵家と関係を結んだのだ。
やはり相当な人物だと認めつつ、怒りを燃やしつつ――残念そうに彼は言う。
「子爵家を滅ぼした先に備えすぎて、転んでしまったな」
「格下を相手に十全の準備をして、密偵まで活用してのことです。油断はございませんでしたぞ、閣下」
「うむ。今回ばかりは相手が上手だ」
それでも賞賛に値する人物だと、伯爵も素直に認めた。
であれば兵を退くだけだ。
築いたのは簡易な陣地だったので、彼らは手回り品だけを持って帰ればいい。
そしてよくよく観察すれば、遠くにアースガルド家の斥候も見える。撤退と決めたのだから、即座に撤退しなければ追撃まで待っているだろう。
「迎え撃つ、か？」
「止めておけ。下手に時間を取られると、本領まで帰れるかも怪しいぞ」
「……承知」
１日半の食料で、少なくとも３日は駆けなければならない。
もしも襲撃部隊が完全な死兵なら、騎士爵領の先まで焼かれている可能性もあるのだ。飲まず食わずで走れば、脱落する者も出るだろう。
だから今すぐ、全力で撤退すること。それが生き残る唯一の道だった。
補給部隊の隊長が部下を見捨てて逃げなければ、ヴァナルガンド伯爵軍は本当に全滅するところだ。
その意味でも、今回の戦いで最も活躍した人物は彼になる。
「くははッ。本当に口惜しいぞ、子爵！」
考えてみれば、これ以上の戦闘をする余力など無い。
考えれば考えるほどに、戦略で敗北していた。
彼の人生の中でも、珍しい出来事。清々しいほどの大敗北だ。
「次は負けぬ――また会おうではないか！」
聞こえないとは知りつつも、西の空に宣言をした彼は、そのまま馬首を東へ向ける。
先頭に立つ伯爵は陣羽織を翻しながら去り、それに続く軍勢も、一斉に転進を始めた。
