2回目 夢なら夢で
領地が滅び、自分は死んだ。
クレインは一度、それを現実として考えてみた。
「王国暦500年の4月1日ってことは……ちょうど3年前に戻っているのか」
マリーが持ってきた今日の新聞を見ると、確かに過去の日付で発行されている。
そして一面記事には、王都で起きた大事件の、後始末が終わったと書かれていた。
「そうか、今は初めの粛清が終わった頃だ」
クレインが治めるアースガルド領は、王都から馬車で1週間ほどの距離にある。中央の情報は遅れて伝達されてくるため、実際に事件が起きた日時とは若干のタイムラグがあるのだ。
しかし正確な日付が分からなくとも、何となくの時期と、騒動そのものは覚えていた。
「王家を狙った毒殺事件が起きたのは、今年の年初か」
相変わらず雲の上の人たちが、遠いところで争っているな。
それくらいの感覚で、過去のクレインは気にも留めなかった事件だ。
「第二王子と第一王女、それから王家の傍系に当たる公爵家の人間も、一斉に殺害された……はず」
今となっては引っかかりも憶えるが、王座を巡った争いは10年ほど前から続いており、今に始まったことではない。
血の十日間だの、青い河事件だの、物騒な名を冠する事変は過去にもあった。
だからいつものこととして、クレインは完全に部外者の立場で眺めていた。危ないばかりで得るものがない、中央のドロドロとした政争には全く興味がなかったのだ。
だからクレインが知っているものは、行商人から聞いた噂話が精々だった。
「ともあれ容疑者の粛清で、今回の事件は決着した。……かと思いきや、もう一波乱あるんだよな」
首都が大混乱していても、アースガルド領は平和なものだ。今のクレインもそうだが、特に変わらない日々を過ごしていた。
この事件を知った当時にやったことと言えば、形式的な治安の引き締めを命じたくらいだ。
しかし詳細は分からないとしても、王族の暗殺事件に端を発した、一連の騒動は無視できない。これが後々、アースガルド領の滅亡に関係してくることを、今のクレインは知っているからだ。
「現状が現実だと仮定して、まずは手持ちの材料を有効活用しよう」
未来で知り得た情報を整理するために、クレインは筆を執った。
まずは王国暦500年の初頭に起きた、王家を狙った凶行についてだ。
「晩餐会の食事に毒が仕込まれて、あわや王族が全滅するところだった。……これは派閥間の争いというよりは、無差別テロかな」
幸いにも国王は、所用で難を逃れていた。被害者の全員が致命傷を負った末に、第一王子だけが生還したため、長らく続いた継承権争いも終わりを迎えた。
暗殺に関わった容疑がある家も、軒並み粛清されている。これは当然の結果だ。
しかし、潰れた家が持っていた役職や、利権がどこにいったのかと言えば――
「ラグナ侯爵家が大量にせしめたらしいな」
つまりクレインからすると、今日は不倶戴天の敵が、戦力の増強を完了した日ということだ。
だから、げんなりしながら続ける。
「そのついでに、権力争いに勝った第一王子の派閥が、他派閥の排斥を始めたわけで……」
暗殺に関わっていない家まで、政治的な理由で、地位や利権を奪われた。
これを不服とした人間が多く、最後には内乱まで計画されることになる。
「再来年には政変の計画が発覚して、二度目の粛清が起きる、と」
目下最大の懸念であるラグナ侯爵家は、この粛清でも大幅に勢力を伸ばしている。没落した貴族の領地や、御用商人に与えていた利権を丸ごと呑み込んでいったからだ。
――そして最後には、あの日が訪れる。
とは言えラグナ侯爵家の他にも、粛清や内乱で、明らかに得をしている家がいくつかあった。ここには政治に明るくないクレインでも気づくほどに、分かりやすく謀略の臭いがしていた。
「まあ、そんな陰謀に、敢えて触れることはないよな」
未来を知っているからと、利権争いに首を突っ込んでどうこうする気はない。
クレインにとって大事なことは、あくまで自分の領地に関わることだけだ。
「王都とは一旦、変わらず距離を置こう。基本方針は、そうだな……」
考えを書き出していき、数分して方針が定まる。
やがて箇条書きにされた目標は、当たり前とも言えるシンプルなものだ。
「領地を滅亡させない。領民の皆殺しを防ぐ。俺も死なない。大まかな方針は、この辺りかな」
4つめの目標に、ラグナ侯爵家を倒す――と書き加えようとしたが、それには二重線が引かれた。
現時点でも総兵力に数十倍の差があり、3年後にはその差が更に広がっている。領地の生産力にも同程度の差があるので、仕返しは現実的に難しいという結論だ。
そのため大まかには、誰も死なずに済む幸せな未来を掴もう。という方針を立ててはみたが、彼我の差を改めて思い浮かべたクレインは、渋い顔をした。
「いや、しかしこれは、もう詰んでいるような……?」
何せ、地力の差が大きすぎる。クレインが内政を頑張ったところで、ラグナ侯爵家に勝てる未来はおろか、侵攻を足止めできる未来すら見えなかった。
商業力や農業生産高に、兵力と身分。勝てる項目など、何一つ思い浮かばない有様だ。
「かと言って何もしなければ、滅亡待ったなしの状況ではある。どうしたものか」
数十分ほど思案を続け、机の前でああだこうだと唸ってはみたが、しかし名案など一向に浮かばない。
打開策が見えずに、クレインはひとしきり悩んだ。
「どう考えても、厳しい状況だよな。……ん?」
考えが停滞しているうちに昼時となったが、そこでふと、表から笑い声が届く。
気分転換がてらに窓の外を覗いてみると、表ではマリーの他、数名の使用人が庭で洗濯をしていた。
「ちょ、ちょっとトムさーん! 止めてくださいよー!」
「ははは、マリーは懐かれとるなぁ」
「わ、笑いごとじゃ……あー! やめてぇ!」
行商人のトム爺さんが、メイドの一人と世間話をしている隙に、彼の馬がマリーの頭を鼻でつついて遊び始めたのだ。
小柄なマリーは鼻先で押される度に、身体を大きく揺らして困っている。
「……平和だな」
王都の貴族がこの光景を見れば、使用人のクビを切りそうなものだ。しかし領土の南側を未踏の大森林で囲まれた、田舎の雰囲気に溢れるアースガルド領では日常の光景だった。
歴代の領主からしてのんびり屋が多く、使用人ともフレンドリーで、気安い貴族が治める土地柄だった。
「おお、そういやマリー。またつまみ食いで怒られたらしいなぁ」
「な、なんのことでしょう? つまみ食いなんてしてませんよぉ」
クレインは別に、そんなことも咎めない。洗濯中に世間話をしていても気にしない。
子爵家の中で礼儀にうるさいのは、執事のノルベルトくらいだ。
「はぁ……ほどほどにせんと太るぞ」
「失礼な! あれくらいじゃ太りません!」
聞こえて来る会話も、流れている空気も朴訥そのものだ。
それに釣られて、クレインは思わず笑ってしまった。
「マリーも迂闊だな。自白してるじゃないか」
3年後に領地が滅ぼされるなどとは誰も、夢にも思っていない。
何らかの手を打てるのは、自分だけだ。
それを再確認したクレインは大きく伸びをして、もう一度机に向かう。
「さて、どうするか」
突然の戦争に巻き込まれて、記憶が飛び飛びになるほど凄惨な光景を見てきた。
そんなクレインも庭先のやり取りを見て、ようやく本当の意味で日常に戻ってきている。
「これが夢なら夢でもいいさ。アレが現実なら、夢の中でくらい幸せになってもいいだろ」
多少なり、穏やかな気分になったことで雑念が抜けて、先ほどよりもアイデアが出るようになった。
その後数分して、クレインは名案を思い付いたとばかりに手を打つ。
「……そうだ、結婚しよう」