第百四十七話 領主と剣士
クレインの周囲にいる人物の中で、詳しい素性を未だに知らないのは、ピーターとブリュンヒルデの義兄妹だけとなった。
ここ最近は鉄火場が続いていたが、不穏という意味ではこの件が一番だろう。
さて、何が出てくるかと思いながら、支度を済ませたクレインは玄関に向かう。
「切り出し方は悩みどころだけど……もし失敗の予兆があったら、一旦この瞬間からやり直そう」
何でもない昼下がり。向かう先は武官の訓練所だ。
そこでピーターに、諸々の事情を尋ねるつもりでいた。
「依然として考えが読めないけど、一定の回答を出してくる相手ではある。だから基本的にはいつも通りに、話を聞いて戻ってくるだけだ」
対象が兄であれ、妹であれ、対応を誤った場合は時を遡ればいい。
問題はどこまで聞き出せるかだ。
そんな考えを抱きつつ玄関先に出ると、馬を引いたマリウスが待機していた。
「視察の用意は整っております」
「ありがとう。道中の警護もよろしく」
訓練場に向かう名目は、現場の視察だ。閲兵まではいかないが、武官宿舎などを公式に一通り回ってから、目当ての人物を探すつもりでいる。
その合間に心の準備をしておこうと思いながら、クレインは愛馬に跨がった。
「さて……それじゃあ、行こうか」
今日は秋晴れ。気温が高く、風も穏やかで、薄い雲がゆっくりと流れている。
密談日和というわけではないが、荒天よりはずっといい。
供を連れたクレインは、ゆっくりと街の東に向かっていく。
◇
「おや、クレイン様」
練兵場を訪れると、ピーターは相変わらずの様子だった。領主の視察を前にして、張り切って訓練に励む声を気にすることなく、端に並んだ街路樹の下で寝ころんでいる。
行方不明になった武官たちを勧誘するために、相談を持ちかけたときにも、ここで話をした。
その当時のことを思い浮かべながら、クレインは片手を挙げて声に応える。
「今日も今日とて、相変わらずか」
「ええ。ここ最近では珍しく、いい日よりですので」
近頃では、外で気兼ねなく昼寝をできる日は数えるほどだ。クレインとて、仕事が無ければ気分転換に出かけて、羽を伸ばしたいくらいの陽気だった。
そんな中、紅葉の下で寛いでいたピーターだが、領主が声をかけてきたのだ。
流石に上体は起こして、話を聞く姿勢を取る。
「話があるんだ。人払いを頼む」
「承知しました」
内密の話だと察したマリウスはすぐにその場を離れて、興味本位でクレインの方を向いている同僚たちを睥睨した。
触らぬ神に祟りなしだ。物々しい雰囲気の護衛から目を逸らし、気まずそうに人が散っていった様を見て、クレインは苦笑する。
「そこまで脅かさなくてもいいんだけどな」
「はは、熱心なことで。……して、某に話があるとか」
ピーターは草原に胡坐をかいている。
クレインも木にもたれかかり、その横に腰を下ろした。
「なら早速、本題だけど……」
貴族同士が密談する絵面ではないが、そこは気にせずに切り出す。
まずは義妹ではなく、彼個人についての話だ。
「ピーターは誰の紹介で、うちに来たんだ?」
確かにこの場所で話すのは、武官たちの勧誘をピーターに依頼したとき以来だ。
その段階から既に、クレインは薄々、違和感を覚えていた。
歴史の流れを変えても、仕官者の順番を入れ替えても、公募の時期をずらしても、ピーターだけは一定の時期に現れていたからだ。
「とある筋から――とだけでは、不足のようで」
「そうだな。そろそろ聞いておきたい」
人生をやり直す度に、どこか違う箇所に影響が出ていた。だから場合によっては、訪問の時期が変わるか、声をかけても獲得できないケースがあったはずだ。
しかし彼だけは世情に関係なく、毎回狙ったように、同じ日付でやって来ている。
ピーターの来訪という出来事が、公募終了時期の目安となっていたほどだ。
何度も家臣の収集を繰り返したクレインからすると、ここには何らかの思惑が働いていたとも見える。
「そもそもピーターは伯爵家の人間で、武芸の腕前は、剣聖とまで呼ばれていたんだろ? その肩書があればどこにでも行けたはずだ」
「ふむ、道理ですな」
言ってしまえば仕える家も、働く先も、選り好みできる立場だった。
であれば、勧誘を受けてもいないのに、中小のアースガルド家を自ら選択したのは何故か。
「わざわざ選ぶ目的が無いとしたら、逆に不自然だと思う」
「……なるほど、泳がされておりましたか」
「そこまで深い意図は無いよ。有能そうだから、背後関係を無視して迎え入れただけさ」
彼らは楽な姿勢のまま、秋の空を見上げながら話す。
剣呑な雰囲気にこそなっていないが、これは初手としては、それなりの話だ。
「ピーターの望みは最低限の仕事と、訓練への参加免除だったな」
「ええ。お陰様で今日も、自由に過ごせております」
「それはどちらも、業務内容への希望じゃないか」
開発続きで騒がしいアースガルド領に来て、可能な限りで楽な仕事を求めたのだから、これも今となってはおかしな志望動機だ。
それをさて置くとしても、他の家臣と比べたときに、彼だけは毛色が違う。
たとえばランドルフは己の立身出世と、家族のための高給を求めていた。
グレアムは恩赦を欲した上で、鬱屈した毎日から抜け出すため招聘に応じた。
マリウスは能力に見合った激務を望み、責任がある環境に身を置きたがっていた。
ベルモンドには、侯爵代理の肩書きを捨て、一介の戦士として前線に出たいという夢物語があった。
一時雇用の家臣を見ても、ブリュンヒルデやレスターは主君の命令によって派遣されている。
誰しもが、各々の望みや、役割を抱いてこの地を訪れたのだ。
「だから、改めて聞こう。ピーターは何のために……誰のために、うちに仕官したんだ?」
クレインは一度、答えを聞いている。妹がいたからアースガルド家に来たと。しかし見えている限りでは、彼らが交流を図ったことは一度も無い。
ブリュンヒルデからピーターの話があったのも、任官時のみ。二人が揃って以降、同席させる機会を意識的に増やしてみても、会話らしい会話すら起きなかった。
相互に避けているようにも見えたが、しかし志望動機は義妹の存在だと言うのだ。
だからクレインからすると、不可解な関係に見えていた。
ただし今は、この裏を明かさずとも、無理なく問い質せる状況ではある。
「某の目的、ですか」
「ああ。まさか気まぐれとは言わないだろ?」
しっかりとした立場のあるピーターが、何らの目的なく、ふらっと偶然に、田舎の領地までやって来たというストーリーには無理がある。
身元不詳とも言えるのだから、これは領主として当然の問いだった。
「まあ、いずれは、お気づきになると思っておりましたが……」
当のピーターからしても、疑問を持つのが当然という認識でいた。
むしろ採用時に、もっと深く尋ねてもよかったくらいだ。
――確かに、隠し事はある。しかし昨今の情勢であれば、敢えて隠すこともない。
そう思い、あっけらかんとピーターは続ける。
「某は国王陛下と、宰相閣下のご下命により参りました」
ごくあっさりと白状されたが、それならクレインも納得できる。
背後関係を知り得なかったとしても、ピーターに命令を下せそうな人物を数えていけば、自ずと出てくる答えではありそうだったからだ。
「……なるほどな」
「おや、誰が送り込んだのかまでは、確証が無かったご様子ですな」
つまりは王命によってアースガルド領に派遣された、中央役人たちの後発組。
その、最後の一人がピーター・フォン・シグルーンだった。
「しかして、某に与えられた任は、二つ」
クレインが情報を咀嚼するのを待つかのように、間を置いてピーターは続けた。
「まずは、今後の要人となるであろう、アースガルド子爵の護衛です」
「俺の、護衛?」
「暗殺者を送る輩が、いないとも限りませんでしたので」
隣の領地が急に大金を得れば、周辺の権力者たちは面白くない。たとえば北方の小貴族たちが、暗殺者を送り込んでくる可能性はあった。
そうでなくとも、ヘルメス商会からの毒殺未遂については公表している。
反乱軍の工作員が暴動を扇動したのも、つい先日だ。
こうした状況に対処すべく、万が一の備えとして、王家が腕の立つ増援を送ったということだ。
「報告は受けていないけど、俺が知らないところで……何人斬った?」
「それほど多くはございません。いやはや、マリウス殿が優秀で助かっております」
「……そうか」
基本の警備は衛兵が行い、マリウスが追加の暗殺対策を組み上げた上で、不穏ながらも嫌疑が不十分な輩は、ピーターが能動的に始末しにいっていた。
不穏分子を先手で抹殺し、未然に防ぐことまで含めれば、三段構えの安全策だ。
502年1月の東伯戦を境にして、ほとんど死ななくなったのは、この体制が盤石になったからでもある。
事実としてクレインにも、生活圏内にピーターがいる環境で、不意に殺された覚えはない。
「要するに、某は、王家の剣として動いておりました」
与り知らないところで、脅威が排除されてきたこと。それが王命であり、秘密裏に行われていたこと。
これらが、ピーターの隠していた背後関係だ。
「言わば、王家とアースガルド家の、両属だったということですな」
「その二つでは、天秤にも掛からないだろうに」
「ごもっともで」
自主的に夜勤をしていたとなれば、日中の仕事を減らしたがっていたことも、いつ見ても体力を温存していたことも、任務のために必要なことだった。
裏を返せば、子爵家での仕事に本腰を入れず、王宮からの密命を上位として動いていたのだ。
無論、クレインの指示は忠実に守ってきたが、実質的にはビクトールのような客将という認識だった。
「それならピーターも近衛騎士なのか?」
「似たようなものです。……後ろ暗い任務があることを除けば、ですがね」
「俺が怪しい動きをした場合、それは……報告だけでは終わらないか」
もしもクレインを狙う刺客がいれば、ピーターが人知れず斬り伏せ、処理できる。裏付けが不要なくらいには納得がいく話だった。
しかし一連の言葉から、もう一つの命令を察してクレインは言う。
「たとえば俺が、反乱に加担した場合は?」
「その際には、ご想像の通りになったかと」
寝室に一個小隊の護衛を置いても、瞬く間に全員の命を奪い、悠々と現場を後にできる男だ。
挟所での遭遇戦ならば、彼に対抗できる人材もいない。
武芸に関してはブリュンヒルデの師匠であり、上位互換とも言えるのだから、守るにしても殺すにしても、これほど適した人間はいなかった。
「改めて言われると、確実な人選だな」
「そのようです」
クレインが国を裏切った際には、即座に排除する。その命令を遂行するためには、王宮側の人間という所属を隠して動く必要があった。
ブリュンヒルデも含めた、他の派遣役人との差異と言えば、ピーターが在野の剣士として訪れたことだけだ。
その点を除けば、派遣元が第一王子か、国王かの違いしかなかった。
「そのこと、ブリュンヒルデは?」
「知りません。あの子は、何も」
ブリュンヒルデは主にクレインの執務を手伝い、時折裏方の仕事をする。
ピーターは主に武官として働き、最終的な局面でのみ裏方の仕事をする。
つまり彼らは、似た役割を担っていた。
二君に仕えていることも同じだ。
本当の主人は王族なのだから、王家とアースガルド家の利益が相反すれば、王家側の立場を取るのも当然だった。
だが、立場ならばピーターの方が上だ。情報の量に関しても、裁量に関しても、ピーターの方がより多くを与えられている。
だからブリュンヒルデが知らないこと、知り得ないことも、彼は把握していた。
「……しかし、それを尋ねられるということは、我々の関係もご存じのようですな」
「深いところまでは知らないよ。義理の兄妹ってことまでだ」
「ふむ、左様でございますか」
藪蛇を避けるため、この話題を出したのはアレスに対してのみ。
事実として、クレインが持つ情報はこの程度だ。
「……なあ、ピーター。仮にアレス殿下が命を落としたとしよう」
「随分と過激な想定ですが、それで?」
ある程度の付き合いができるまでは、取り扱いに注意しながら、探らずに置いておいた。
だから、何も知らない上で尋ねる。
「死してなお、ブリュンヒルデが殿下に忠誠を尽くして、望まない人生を歩むとしたら――それは誰のせいだ?」
ピーターが、この言葉を額面通りに受け取るのなら、それは詰問となる。
瞑目。そして間を空けた後、彼は硬い口調で言う。
「彼女を、アレス殿下の旗下に配属したのは、国王陛下です」
「絶対の忠誠を誓うように、仕向けたのも?」
「ええ、まあ、そうなりますか」
自発的に忠誠を誓ったのではなく、権力者からの手出しがあった。
これを前提にして、過去にあったピーターの発言と照らせば、どうなるか。
絶対的で盲目的な忠義を、強制的に刷り込まれたという経緯があれば、「つまらぬ者に洗脳された」という言葉は、国王を指していることになる。
「……その忠義の、対象は?」
「王家には、決して逆らわぬようにと」
個々人ではなく、王家に属している全員が対象だ。その中には当然、アクリュースも含まれる。
ならば離反工作の筋書きについては、十分に成り立つだろう。
クレインはこれを聞けただけでも、尋ねた甲斐があると思った。
しかしピーターは少しの間を置いて、解答を変える。
「いえ、それでも、本を正せば……某のせいでしょうな」
事情を知らないクレインからの、取り留めのない質問。それはピーターにとって裁きの言葉に等しい。
だが、事情を知らないが故に、クレインは重ねて質問する。
「どういうことだ?」
「彼女の心と、人生を歪めてしまった。その責任があります」
「……責任、か」
声こそ平静だが、クレインにはピーターが冷静さを装っているように見えた。
率直に見て取れたのは、悔恨の念だ。
「話してくれないか。――君たちのことを」
いつでも全てを受け流すような、余裕の態度でいた男。それが初めて感情を揺らしたのだから、クレインにも変化は分かりやすかった。
「……なるほど。唐突ではありますが、何かしらのお覚悟は決められたようで」
「分かるか?」
更に踏み込んでくるクレインの様子を、横目でじっと見つめてから、ピーターはまた前を向いて呟く。
「死兵の雰囲気と申しましょうか。どうにも、尋常ではございませんな」
「まあ、それくらいの気持ちではいるよ」
クレインとて話の流れ次第では、殺されるだろうと思いながらやって来た。だが、生き返ることは前提なので、そこまで悲壮な決意はしていない。
しかし死ぬ前提という部分が見透かされていると見て、あっさりとそれを認めた。
さてどうなるかと、待つ。
するとピーターは溜め息を吐いてから、首を横に振った。
「であれば、某も真摯に返答せねばなりませんか」
ピーターが抱える事情を紐解けば、国王の意向も見えてくるだろう。
アレスに関わる問題でもあるし、今も身近にいる、秘書官の問題でもある。
「しかし……長い話になりそうです」
「それでも構わない。始まりから全部、教えてくれ」
ブリュンヒルデは最期の瞬間に、クレインを殺したくないと言って涙を落とした。
その真意はどこにあったのか。どのような経緯で、どういった思考で生まれた発言なのか――
「多分俺は、知っておくべきなんだ」
ともすれば、真相を知らなかった頃の自分を象徴する出来事だ。
だからこそ、クレインには解決できない領分があったとしても、知るべきだと判断してここに来た。
神妙な面持ちのピーターは、改めて空を見上げてから、再び目を閉じる。
「そうですなぁ。そろそろ、誰かに打ち明けてもいい頃ですか」
片膝座りになったピーターは、腰の鞘を軽く摩り、深く長い呼吸を経て――おもむろに口を開く。
「では、お聞きいただけますか? ある男の、愚かな一生を」
そして昔を儚み、思い返して物語る。
彼の悔恨。後悔に塗れた歴史を。
次回の更新は1/4(土)を予定しています。
例年よりも少し早いですが、年内の更新はこれで最後になります。良いお年を。




