第百四十五話 捜査開始
アレスが旅立った翌日の朝。クレインは裏方の指揮官を執務室に呼び、包囲網の構築を始めた。
やるべきことはいつも通りに、情報収集からだ。
執務室に呼び寄せた人員は、マリウス、トレック、ブリュンヒルデ。
今回はそこに加えて、外交部のエメットも招集されていた。
「動かせる人間は、全員動かすつもりでいる。ここが一つの正念場だと思ってくれ」
いつもは見ない顔だと思い、トレックがエメットをちらと見る。
エメットも交流が薄い相手に向けて、曖昧な笑みを返す。
そんな一幕を挟みつつ、話は本題から始まった。
「作戦目標は、反乱を目論む王女の逃亡――いや、亡命を阻止することだ」
王国東部は既に独立国家の様相を呈している。だから表現としては、「国家転覆を目論んだ政治犯の、国外逃亡を阻止する」というニュアンスになった。
標的の居場所を特定して、部隊を向かわせて、拘束するまでがミッションだ。
捕り物に際しては、敵の動きを封じ、余計な事態を防ぐ必要もある。
この点では動き方が従来と変わってくるため、クレインはまずエメットの方を向いて言う。
「まず対外的には、北侯と山岳部の監視網強化で協力したい。南伯にも港の見張りは要請するし、場合によっては傘下の家と個別の交渉も入るはずだ」
これまでの索敵や謀略は、ほぼ独力で完結させてきた。
だが今回は、長期潜伏をしていた貴人が相手であり、いつもとは勝手が変わる。
王宮を含めた諸勢力の思惑が入り交じるため、アースガルド家が単独で捕捉することはもちろん、その先で待っている確保についても難しい案件だ。
アレスが情報を横流しする前提でも、窓口を増やしておくに越したことはない。
そのため政治力や武力まで含めて、使えるものは何でも使う方針だ。
もちろんアクリュースの足取りが掴めた時点で、時間を巻き戻し、他勢力に頼らない単独の捜査に切り替えるつもりではある。
その際には、歴史に残らない尋問を執り行う予定もある。
だが少なくとも、調査の初期段階では外部の力を借りる必要があった。
「うちで捕らえたとしたら、今度は王家との話し合いも必要だからな。少しばかり、外交部が忙しくなると思っていてほしい」
ラグナ侯爵領を経由して東に入る可能性があれば、東伯軍のように、山岳と隣接した領地から抜ける可能性もある。
南方から船で移動する可能性があれば、西部へ逃れる可能性もある。
しかし相手の移動経路が読めない上に、考え方や方針も一切不明のままだ。
もっと言えば、王都から移動しないことまで考慮せねばならない。
だからこそ同盟者の力も使い、効率的に捜査網を組み上げていく。
「ここまでで、何か懸念は?」
アースガルド家はもともと、反乱を防ぐ前提で動いていたが、いよいよ佳境に入るという話だ。そのための枠組みとして同盟があるのだから、参席している誰にとっても納得のいく論理ではある。
――しかしそんな裏向きの詳細は、エメットに伝えてこなかった。
だからクレインは反応を伺ったが、様子も、返事の声色も淡泊なものだ。
「機密保持の方策は考えどころですが、各方面の担当を割り振ってあるので……業務そのものはこなせると思います」
「……驚かないんだな?」
クレインは咀嚼の時間を与えようと思っていたが、アイテール男爵からの密書や、これまでの外交の流れを見れば、エメットの方でも何が起きているのかは察していた。
「……今さらではありませんか?」
「まあ、それもそうか」
推測内容にお墨付きが出ただけなのだから、大きな変化ではないだろう。
さりとて今回の作戦では、どうしても他家との連絡機会が増える。
外交の責任者であるエメットにも、正確な把握が求められるため、クレインは念のため概要を再告知した。
「改めて言うと、東西の大貴族を中心にした反乱の計画があって、その扇動者がアクリュース殿下だ」
今後のやり取りとて、「反乱軍と戦う」という前提で進むため、部署間の情報格差は少ない方がいい。
詳しくは後ほどマリウスから伝えさせる予定だが、方針の通達前に、ある程度は教えておくべきという判断に基づいて、クレインは続けた。
「王家と公爵家を壊滅させた後、長らく潜伏していたが……アレス殿下の暗殺に失敗した今、中央から逃れる可能性が高い。という状態だな」
クレインは話しながら振り返るが、エメットの仕官理由は「安定した就職先が欲しい」という、ただそれだけだった。
立身出世を切望していない人間を昇進させて、権限を拡充させたのが何故かと言えば、彼が有能である以前に、信用調査の結果が完璧だったからだ。
というのも粛清に踏み切った際、エメットからは欠点が出てこなかった。
他勢力と裏で繋がっている様子がなく、情報漏洩を起こした形跡も無く、裏切りにも加担していない。
彼の生活は、降りかかる日々の業務を、粛々と処理することに終始していた。
――これならば、ハンスと同じように働いてくれるかもしれない。
便利に使える人材、もとい、有為の人材を本格的に囲い込むために、後戻りできないところまで開示してしまえ。そんな考えも含めての共有だ。
しかし本人は積極的でないにせよ、それが仕事ならばやりますという姿勢だった。
端正な顔からは若干の諦観も見られるが、圧力に見合うだけの報酬は用意してある。
だからそこは流しつつ、クレインは外交先についても触れた。
「南北のどちらとも、大まかな情報は共有している。……互いに知らないことはあるだろうけど」
「それは、当然ですね」
たとえば、ラグナ侯爵家が王家から得た情報や、寄子から受け取った機密情報などは、全てが伝わってくるわけではない。
クレインも開示する情報を選んでいるのだから、ここはお互い様だ。
「中央に関しては当面、外交部を通さないやり取りが主で、頼むのは事件が収束してからの後始末かな」
王都に関しても、アレスからどんな情報が寄せられるかは未知数だ。だからこそ、虫食い状態になっている部分をどれだけ減らせるかが鍵となる。
それには外交が必要になるし、第一王女の捕縛後は特に、表側でのやり取りも必然的に増えるだろう。
クレインの展望はそんなところだった。
「ということで、各種の連絡を緊密によろしく。もちろん指示は出すからさ」
「承知しました。適宜、判断を仰ぎます」
「ああ、それでいい」
国家レベルの責任は負いたくないし、負いきれない。ならばクレインの指示の下で行動しよう。それが波風を立てない最適解だ。
そう、外交部はあくまで予備交渉役と割り切ったエメットを置き、会議は進む。
続けざま、クレインは裏方の指揮官たちに向けて、大まかな方針を打ち出した。
「まずは足元の監視からだ。領内では検問を始めよう」
過去のアクリュースは、無警戒の領内を素通りして、ヘイムダル男爵領に向かったのだろう。
そう推測したクレインは、監視体制の強化を図った。
しかし政治が絡んだ暗闘に適性がある武官など、アースガルド家では少数派であり、あくまで実務がメインの人材が多い。
たとえばハンスは汎用性が高いが、こういった動きにはあまり向いていないのだ。
この会議にも軍事責任者が出席していないため、代わりにマリウスが手を挙げた。
「そのご下命が、最優先事項でよろしいですか?」
「ああ、そのつもりでいる」
「では軍部と協議の上で、配備を要請します」
関所で検問を張り、監視を強化すること。
これは当然の措置だが、通行税を徴収する機能は随分前に撤廃されている。
それに伴い人員が削減されているので、本格的に動かすのなら、現場と相談の上で配置計画を組む必要があった。
その段取りまでが、領内におけるマリウスの仕事だ。
特に懸念を示すことなく引き受けた彼に対して、クレインは尋ねる。
「ちなみに策定までには、どれくらいかかりそうだろう?」
「午前中には草案の作成と、仮配備の指示まで終わらせるつもりです」
「うん、それで頼む。最低限の運用はすぐに始めたいからな」
交通の要所に、無人の箇所を作らないことが最重要だ。
多少の人員が不足しようとも、まずは拠点に人を送り、有人にしておくことに意味がある。
要はアクリュースがやって来た際に、少しでも痕跡が見つかる形になっていれば、それでいい。
ならば仮の案であっても、大まかな計画に沿う形で即座に動き出し、現場の判断を事後承諾していく道が最短経路だ。
計画に穴があれば、後々修正していけばいいことであり――そもそもクレインからすれば――どんな不足があろうとも、時を遡って補えば済む。
だからこそ、まずは始めること。
それさえできれば及第点だ。
マリウスの提案を受け入れつつ、クレインは話を先に進めた。
「王国の西部には影響を与えられないが、そもそも本命は東だ。押さえられる道は全部、完全に塞いでいきたい」
「塞ぐも何も……」
「という、話ではあるけどな」
呆れた顔のトレックを見て、クレインも肩を竦める。
わざわざ本腰を入れて、追加で閉鎖する意味が薄いとは知っているからだ。
というのも、東部と中央部を行来する人間が年々減っていたから、アースガルド家は斜陽――落ち目だと言われてきたのだ。
それに加えて、アースガルド家と親しい大手商会が、東部との取引を縮小した。
中小の商会も、子爵領内での開発特需で儲けていたので、わざわざ東部までは足を伸ばさなくなった。
「今や個人の行商でも、終着点はアースガルド領ですからね」
「費用対効果という意味では、あまり期待できないだろうな」
その細々とした商売も、東伯戦後はほぼ打ち切り。ヘルメス商会も壊滅した今、行き来する人数は輪を掛けて減っている。
だから街道を東へ向かおうとするだけで、相応に目立つ。
わざわざ監視網を強化せずとも、事足りる状況ではあった。
「でも、やるんでしょう?」
「もちろん」
主要街道だけでなく、ピーター隊が奇襲で使った抜け道や、東伯軍が侵攻に使った獣道。ジャン・ヘルメスが逃亡を図った山道まで含めて、通行可能地帯は全て閉じる。
無駄な費用であろうとも、王女を逃がすリスクに比べれば、何てことはない。
万が一の取りこぼしなど、許すつもりは無い。
これまでも、戦うとなれば徹底的に準備を重ねてきたのだから、クレインがここにコストパフォーマンスを求めていないことは、トレックも嫌というほど知っていた。
「そうだトレック。なんならこの準備が無駄になるかどうか、今回も賭けてみるか?」
「ええ。無駄にならない方に、馬車いっぱいの黄金を賭けます」
領地の東に砦を建築していた頃。ヴァナルガンド伯爵が兵を率いて、直々に攻め込んでくるという与太話を信じなかったトレックは、未来を知っているクレインとの賭けにまんまと負けた。
しかし今はもう、どんな方向であれ信じる気だ。
第一王子の次は国王が視察に来ると言われても、その前提で動くだろう。
それに、この拠点作りが王女の逮捕に繋がらずとも、何かの形で有効活用できれば無駄ではない。
すなわちこれは、必ず勝てる賭けだ。
そう思い、笑顔でフルベットしたトレックに苦笑しながら、クレインはもう一度おどけて見せた。
「俺も無駄にならない方に賭けるから、不成立だな」
「小遣い稼ぎをと思ったんですが、残念ですね」
「またの機会にしておこうか。……ともあれ当面は、商会でも情報収集に注力してほしい」
冗談を挟みつつ、対策と言えばそれくらいだ。
それこそ集まった情報や噂を見て、改善を繰り返していくことになる。
「詳しい指示は追い追い伝えるから、今は各自の裁量で行動してくれ。後で全部俺が調整するから、越権とかは考えなくていい」
扱う手段が増える以外は、これまでと同じように行動するだけだ。
エメットの仕事とて、交渉内容が領主から降りてくるのだから、内容がきな臭くなるだけだった。
だから簡潔に話をまとめた後、一同の顔を改めて見渡したクレインは、すっと手を挙げて言う。
「では、解散」
ヘルメスの時よりも大規模に、国の北から南にかけて、全ての道を内密かつ大っぴらに閉鎖する。
これを包囲網形成の第一歩として、第一王女の捜査が開始された。
次回更新は11月30日を予定していますが、もう年末進行が始まっているので、更新日がずれるかもしれません。




