第百三話 待ち人来たる
王国歴502年2月19日。
ヨトゥン伯爵家からの手紙を受け取ってから2週間が経ち、本来であれば、南伯の懐刀と呼ばれる使者が訪れる時期になった。
しかし今回は輿入れが早まったことで、今の時点でアストリがやって来る予定になっている。
「ヨトゥン伯爵家より、先触れが参りました」
「使者が来たのか? よし、分かった。ノルベルトは歓待の用意を頼む」
以前は使者の口からアレスの暗殺を知らされていたが、現在に至っても彼の消息は届いていない。
計画の失敗も懸念されるが、クレインがやるべきことはまず目先の対応だ。
彼も用意を整えようとしたところ、来訪の情報を伝達したノルベルトからは追加で具申があった。
「その前に一つ、先方より告知がございます」
「どんな報せだ?」
文官が大量に増員された影響で、戦後処理の大部分が片付いている。だから彼らには余裕ができており、伯爵家からの人員を持て成す用意まで終わらせていた。
だが、もうじき到着すると伝えてきた先遣隊からは、不可解な指示があった。
「伯爵家当主級の出迎えを望む、とのことです」
「なんだそれは」
輿入れを受け入れるために、そこまで仰々しい備えは要らない。
ヨトゥン伯爵の性格からしても、派手なものは好みに合わないはずだ。
意図の分からない上に急な指示ではあるが、わざわざ伝えてきたのだから、クレインもすぐに受け入れた。
「まあいいや、それが望みなら格式を合わせてくれ」
「承知致しました。手筈を整えて参ります」
どういう経緯で指示があったのかは分からないまでも、それが必要と言うならば場を整えるだけだ。
しかし不可解なことには違いないので、足早に去っていったノルベルトを見送ってから、クレインはあれこれと推測を始めた。
「伯爵本人が同伴してくるとか? 流石にこの情勢でそれは無いと信じたいけど……まさか、また何か展開が変わったのか」
いずれにせよ、アレスの暗殺回避に舵を切ったのだから、政治的には大きく流れが変わっている。
何があっても動じないようにと己を律しながら、クレインも出迎えに向かった。
「まあ、ここまできたら失敗は無いはずなんだが、気を付けないとな」
彼が屋敷の門前に出ると、朝から屋敷に待機させていた家臣たちが、既に道の両端に整列していた。
クレインが立つ横には、ノルベルト、ハンス、ランドルフの3名が控えている。
そうして、準備万端のまま待つこと十数分。
やがてヨトゥン伯爵家からの馬車が、大通りの先から姿を現した。
「来たみたいだな。ハンス、号令を頼む」
「承知しました」
失礼があってはいけないと自主的に退避したグレアムや、やんわりと面倒事を回避したピーターなどの一部が欠席しているが、基本的には手すきの全員を投入していた。
武官で言えば佐官級以上のほとんどを集めており、一定以上の階級の者にはもれなく礼節の講義を行っていたため、様相が過去とは少し違う。
家臣同士で駄弁る者はおらず、見栄えという点では非常に整っていた。
「総員、敬礼!」
ハンスが号令を掛けると、全員が同じタイミングで、通りかかる馬車に向けた礼を取った。
歓迎を受ける中で、7台の馬車はアースガルド邸の前に続々と乗り付けていく。
「ようやく、この日が来たか」
降車した一団の奥には、外套のフードを被った人物がいた。
その肩口から覗く、冬風に靡く銀の長髪を確認したクレインの鼓動が、待ち望んだ再会を意識して跳ね上がる。
「ようこそお越しくださいました。クレイン・フォン・アースガルドと申します」
今すぐに抱擁を交わしたいくらいのクレインだが、初対面であることを思い返して自制すると、紳士的な礼をした。
ここからまた結婚生活が始まるのだと、感慨深い気持ちでいたのも束の間――掛けられたものは――事前にシミュレートしていたどの展開にも存在しない言葉だ。
「やあ、ただいま」
「えっ?」
真っ先に馬車から降りて、声を掛けてきたのはビクトールだ。
彼は盛大な出迎えを前にしても平然と、軽い足取りでクレインに歩み寄った。
「……どうして伯爵家の馬車から、先生が?」
「はは、まあ色々あってね。ブリュンヒルデ君とは途中で別行動さ」
作戦後に真っ直ぐ帰還してこなかったことはもちろんだが、何故ヨトゥン伯爵家の馬車から降りてきたのかと、クレインは意外な展開に面食らっている。
だがこの時点で、何かがおかしいとは直感した。
よくよく過去を振り返れば、やって来た馬車は1台だけだ。
しかし今、彼の前には7台の馬車が連なり、随行の騎兵隊までいる。
ここまでの人数を護衛に割くとなれば、よほどの重要人物がいるのだろう。そしてビクトールが馬車から出てきたということは、一緒にいる人間も当然限られていた。
「出迎え、大儀である」
「……ん?」
期待、安心、不安、落胆。一瞬にして様々な気持ちが入り混じるクレインの間で、最後尾から歩いてきた人物がフードをずらした。
そして現れたのは、この場面での出迎えを想定していない人物だ。
「久しぶりだな」
「で、殿下?」
第一王子、アレスも銀髪である。そして男性にしては髪が長い。
つまり待ち人は待ち人だが、人違いだったということだ。
この状況を冷静に分析しているクレインは、自分が今どんな気持ちでいるのか分からなかった。
「あの、あはは」
更に言うなら、クレインは臨機応変な対応が苦手であり、初見の出来事や突発的な事態に弱い。
彼にできたのは愛想笑いを浮かべて、友好的な態度を作ってみせることが精々だ。
安否不明だった人物が唐突に現れた驚き。見当違いの人物が現れたことによる衝撃などが渦巻き、思考が空白の時間を迎えていた。
「第一王子殿下……で、ございますか?」
「いかにも」
「は、ははぁ!」
王族が地方の領地を訪れるなど、滅多にあることではない。
ノルベルトの言葉を聞いたハンスはすぐに跪いて、ランドルフも右に倣えで平伏した。
ドミノ倒しのような平伏に釣られて、クレインもうっかり、謁見の間で取ったものと同じ姿勢を取る。
「あっ」
「ク、クレイン様……! 違っ……!」
しかし御幸を出迎える際には、受け入れる家の当主が、応対役を務めるのが決まりだ。
領主までもが咄嗟に跪き、挨拶する相手がいなくなったアレスは、ただ苦笑するしかなかった。
「おい、クレイン」
「ああ、うん、今のは無かったことにしよう」
大わらわで小物感溢れる所作を取り、田舎者丸出しなところを見せてしまったのは失点なので、状況のやり直しは確定した。
しかしその前にやることがあったため、クレインはアレスに歩み寄る。
「ところでアレス」
「どうした? ああ、そうか」
感動の再会と言えば抱擁だろうと、両手を広げたアレスの鳩尾に――クレインは拳を叩き込む。
これは手加減無しの、全霊の一撃だ。
「紛らわしいこと、この上ないぞ!」
「おごっ!?」
愛する妻と死に別れてから、苦節5年。
アレスとの再会も喜ばしくはあるが、ようやくの思いで出迎えた馬車から、思っていたのと違う人物が降りてきたのだから、彼個人的としては承服し難いところがあった。
「まったく。事前に連絡を入れるべきでは?」
「な、内密さを、重視したのだ」
「それは大事ですけどね……はぁ」
肩透かしの腹いせを達成したクレインは、改めて懐から毒薬を取り出して自害する。
そしてビクトールが現れる5秒前に戻った彼は、気を取り直して一行を出迎えた。
「ノルベルト。実は第一王子殿下が、お忍びでいらしているんだ」
「なっ、じ、事前に聞いておりませんが」
「お忍びだからさ」
アレスの顔を知っている方が少数派であり、そもそもフードのために遠目からでは判別できない。
周囲にいる側近たちが、大袈裟な動きをしなければ隠しきれるかもしれないのだ。
つまり変に注目を集めず、ただの客人として招くのが最良と判断したクレインは、事前に釘を刺してから改めて出迎えに入った。
「久しぶりだな」
「アレス殿下も息災のご様子で、何よりでございます」
再度の出会い頭に交わした言葉は、何気ない社交辞令だ。
しかし二人に取ってみれば、この会話にも特別な意味がある。
「息災か。その言葉がこれほど似合う状況も無い」
「ええ、まさに」
アレスの暗殺については不明瞭な部分が多かった。
暗殺の回避から始まり、王都を無事に脱出できるか、その後アースガルド領に辿り着けるかまでを含めて、賭けに近い作戦ではあったのだ。
脱出の手引きや警護に失敗して、命を落としている可能性も十分に考えられたため、壮健でいること自体が既に、敵の謀略を退けた証でもあった。
「殿下におかれましては――」
「迂遠な言い回しは不要だ。仰々しい物言いも止めろ」
クレインから僅かに目線を外しながら、アレスは言う。
枕詞に、「友人の間に」という文言が付きそうだが、そこは言わぬが華だ。
内心を忖度しつつ、クレインは言葉を重ねた。
「そのやり取りを晒すと、要らぬ憶測を招く恐れがございます」
「ではさっさと屋敷に入るぞ。積もる話があるだろう、互いにな」
アレスからすれば、東で起きていた出来事を知りたいところだ。しかしクレインから聞きたいことの方が――聞いておくべきことの方が――圧倒的に多い。
不測の事態で過去に戻るにしても、救出作戦を改良するにしても、アレス側の事情を知っていなければ対応できないからだ。
「では殿下からのお話と、使者を交えてのお話。どちらを先にしますか?」
闇の中にあった暗殺関連の情報が、どれだけ明かされるかと期待してはいる。
しかし今はヨトゥン伯爵家からの使者団も来ているのだ。
クレインが是非を問うと、アレスは顔をすっと近づけて囁いた。
「私の話からでいいだろう。聞き終わった瞬間にそれを飲めば、時間は短縮できそうだからな」
「そういう冗談はよせと言っただろ」
誰も聞いていないのをいいことに、クレインは敬語を止めた。
これには打算もあるが、それは立場に関することだ。
今回の彼らは上司と部下の関係ではなく、あくまで対等の協力者という位置付けとなる。
適度に言葉を崩すことでそれを再認識できる上に、これが友人扱いだというのなら、アレスから見ても望むところだろうという考えだ。
そして、言い終わってからクレインは気づく。
何故アレスは、毒薬を飲んだことを知っているのかと。
「自害する場面でも無かったのに、どうして分かったんだ?」
「急に真顔になったからな。戻る秒数には気を付けることだ」
アストリが来たと思い顔を輝かせていたクレインと、状況を把握し終わったクレインとでは、浮かべる表情がまるで違うものになった。
もちろん術のことを知っていなければ関連付けられないが、交渉の席で急に表情が変われば違和感を生じさせる。
そこはクレインの自覚が足りていなかった部分だ。
「言われなければ、気づかないものだな」
「周囲に肯定する者しか置かないとそうなりやすいが、まあ、これについては特殊な例だろう」
クレインがイエスマンを集めたわけではなく、周囲にはノルベルトやマリウスと言った、諫言ができる家臣もいる。
これは裏側を知っている、アレスだからこそできた助言だ。
「まあいい。少し冷えたから、温かいものを用意してくれ」
「承知致しました。では、応接室へご案内致します」
伯爵家からの使者は別室に通すように指示を出すと、クレインはアレスを伴って屋敷へ歩みを進めた。
次回は明日の投稿予定です。
今年もよろしくお願いします。




