第八十三話 捕捉
王国暦501年7月21日。
没落した商家の人間が、何人か連れだってアースガルド領を訪れた。
もちろん全員と面通しをするつもりだが、ここ数日のクレインはとにかく笑顔だった。
「やあ、よく来てくれた。早速だが話を聞かせてほしい」
貧しい中で何とか体裁を整えたといった風体の商人たちを招き入れて、やっていることは情報収集だ。
「どうやらジャン・ヘルメスは、南部にいないようですね」
「遠隔地から指示を出しているものと思います」
ジャン・ヘルメス個人を標的にするとしても、現時点では所在が分からない。
意図的に行方を眩ませているので、まずは炙り出す作業に入っていた。
クレインの横ではブリュンヒルデが書記を務めており、情報の取りまとめと分析はマリウスが行うという役割分担になっている。
「中央部の捜索に力を入れるのが賢明ですね」
「そうみたいだな」
ラグナ侯爵家の勢力圏で失敗してからのヘルメスは、東に逃れたわけではない。
確定していることはそれだけだ。
ヘルメスの指示が中央から南部にかけて伝わる速度などを考えても、潜伏先は王国中央部で間違い無いと見ている。
「しかし王都には、長くはいられないはずだ」
このところはアレスとも頻繁にやり取りをしているが、報せは主にヘルメス商会関連だ。
北部に続いて、南部や子爵領で起こした問題も広まり始めている――というかアレスが裏工作をして、批判されるように仕向けていた。
また、アースガルド家としても中央に報告は上げているため、戦略資源を産出する領地で領主の暗殺を画策したことなどは、公式にも伝えてある。
王宮でも一連の行動が問題視され始め、国王が動くのも時間の問題というところまで話は進んでいた。
「立場が悪くなったら、西か東に逃れると思うんだが」
「ええ、これまでの動きを見ても、危地に留まるとは考えにくいところです」
クレインの推測では近々、王都から脱出するものと見ていた。
そして有力候補は東方面となる。
クレインはヘイムダル男爵領にヘルメスがいたことを確認しているし、北侯と正面からやり合う西侯の勢力圏に逃れるよりも安全だ。
山脈で分断されている上に、防諜体制の万全さは折り紙つきなので容易に追手を掛けられない。
以上の状況に変わりは無いため、今回も向かう先は同じと見ている。
「友人にも声を掛けております」
「必ず、探し出しましょう!」
仕掛けるにしても、居場所が分からなければどうにもならない。
没落商会の人間と、彼らの友人や旧知の人間を総動員して――まずは行方を捜す。
これがクレインの立てた方針だ。
目撃情報や商会の動きなどを全て監視させるにあたり、密偵や既存の友好商会に加えて、現地の没落商人たちまで巻き込んでいた。
「ああ、信頼が置けそうな人間がいたら推薦してくれ。何人でも援助しよう」
味方を増やして包囲網の補強を行うのが、ここ最近のクレインの仕事だ。
大きな動きが見られたのは、この1週間後になる。
◇
「クレイン様。ベルモンド殿がお見えになっています」
「……なんで?」
クレインは見たことがある決裁書類を、タイトルだけ見て処理していた。
いつも通りの午後ではあるが、今日は予期せぬ来客があり、ブリュンヒルデの背後にはどことなく高貴そうな武官、ベルモンドが立っていた。
「いやなに。中央の情報を入手しましたのでご報告をと」
「ヘルメス商会関連の?」
「ははは、まさに」
鷹揚に笑うベルモンドは報告書を差し出したが、そこには決定的な動きが記されていた。
「陛下がヘルメスに事情を聴こうとしている、か」
「叩けば埃が出る身なので、恐らく……逃亡を図るとすれば今かと」
周囲の武官にも出自を明かしたが、ベルモンドは今まで通りに過ごしている。
ただしこうしたところで力を発揮するようになり、追加の仕事が生まれたところは一つの変化だった。
「そうか。時期さえ分かればこちらのものだ」
動きがあるなら監視を強化して、索敵以外の対策も動かさねばならない。
裏方の人間にはここからの動きを共有してあるので、ジャン・ヘルメスに動きがあると見たら、即座に動ける体制はできていた。
「極秘作戦だからな。補佐は少数精鋭を選ぼう」
「私も是非、参戦したく存じま――」
「ベルモンドは目立つから駄目だ」
一転して絶望の表情を浮かべる高貴そうな中年だが、裏方仕事に名門侯爵家の人間を使えるはずがない。
クレインの目標、意趣返しを考えても、人選は平民から行うつもりだった。
「では平民のバーナードとして!」
「中央の人間には顔が割れてるからな……。万が一を考えると、今回は見送りで」
「……ううむ、仕方がありません」
代わりに東伯戦では最前線に立たせてやろうと決めて、クレインは次の手に移る。
「さて、じゃあここからは、特に監視を強化しないとな」
ヨトゥン伯爵領周辺での作戦と、アースガルド領北部での作戦を同時に行っているため、今は動かせる手が足りない。
であればどうするか。
どう考えても、やることは一つしかない。
今までもやってきたことで、これからもやるつもりの戦法を取るしかないのだ。
「マリウス。まずは王都の東地区にある支店を集中的に見張ってくれ」
「王都の……東側ですか?」
「ああ。こちらから送れる密偵が少ないから、場所を絞ろうと思う」
多少のやり取りをしてから王都に使いを出したが、3週間経っても全く足取りは掴めなかった。
捜査が難航しているうちに8月に入り、何の動きも掴めなかったクレインは失敗を悟る。
「多分、外れたな。2ヵ月前に戻ろう」
彼が持つ最大にして唯一の利点は、何度でもやり直しが利く点だ。
ヤマを張る場所が間違っていたなら、次は違う場所に集中すればいい。
ただそれだけのことだった。
「西でも南でも見つからなかったか。次だ」
情報が届くまでのタイムラグなどを考慮して、クレインは少し長めのやり直しを行う。
彼は1セット2ヵ月のやり直しを、次々と繰り返していった。
「中央部の支店も外れ。となると北側か?」
外れる度に力を入れる場所を変えて、怪しいところは全て潰していく。
探す場所を絞り、交代制で真夜中まで見張り続けた。
そうしたところ、王都の北部にあるヘルメス商会の支店から、夜半に馬で駆けて行く人間を目撃したという情報が入る。
「ヘルメス本人はいなかったようだが……」
このタイミングで、夜中に複数の早馬を送り出すこと。
これが王宮の動きと無関係なはずがない。
「王都の外に潜んでいるヘルメスに、急ぎで情報を届けに行く動きと見るのが妥当か」
これだけ王都を探して何の手掛かりも無いのだから、本人は既に高みの見物を決め込み、一部の部下とだけ連絡を取っていると推測できた。
だが、怪しい男たちは途中で別行動を取り始め、追跡は失敗に終わっている。
今の時期はまだ安泰だというのに、ジャン・ヘルメスは追手を警戒し、全く油断していなかった。
「まあいい。中央の北部が正解なら、北に向かう街道を張ろう」
対策として、決められた日時に予め北の街道に人を送る。
別行動を取られても捕捉できるように、王都に回していた没落商会の人間を、各街道に分散配置するようにと指示を出した。
「追手への警戒は万全なようだが、無駄だ」
北に向かう男たちを見張っていると、彼らは散開して、王都の周辺にある衛星都市に向かった。
行った先の支店に伝達し、情報を受け取った支店から更に3、4人の人間が別方向に走り始めて、また追跡は失敗している。
「あからさまな動き以外にも注意が必要か。店から出ていく、仕入れの荷馬車なんかも追わないとな」
見張るには手が足りない。だから王都にいる人員の配置を変えて、スタート地点をあらかじめ中継先の街に変更した。
情報を受け渡された、最後の人間だけを追い続けること。
その先がヘルメスに通じると信じて、クレインは包囲網を狭めていく。
「どこに隠れようと、必ず見つけてやるからな」
あまりに中継箇所を増やすと、情報漏洩の危険が高まる。
それに時間をかけるだけ動き出しが遅くなり、不利にもなる。
追手を撒こうと、伝達が遅くなっては意味が無いのだ。
そう何度も迂回はできないので、どこかでは限界が来るだろう。
しかしクレインに限界は無い。
正解の道に当たるまで、何度でも、何回でも、最高効率の手を打ち直すことができる。
ヘルメスは完璧と言っていいほど行方を眩ませていたが――何度でもヤマを張り直せるのであれば、確実に選択肢は減っていく。
各ルートからの報告を暗記して自害。
その動きを更に5回繰り返して、クレインはようやく捕捉に成功した。
「別荘暮らしをしていたのか。いいご身分だな」
ヘルメスは王都から見て北東、ラグナ侯爵領から見て南西の辺りにある、別荘に潜伏しているという報告が入った。
隠れ家を見つけると同時に、中央部から脱出する動きも確認されている。
「……やるとするか」
これまでは北でもアースガルド領でも、形勢が不利になるとすぐに安全圏まで退避されていた。
しかしこれ以上逃がすつもりは無い。
ヘルメス発見の報告書を読み終えたクレインは、マリウスに命じる。
「極秘任務に向いていそうな武官を集めてくれ」
「承知しました。私の人選でよろしいですか?」
「グレアムだけは確定かな。他は任せるよ」
大規模に人を動かすことはせず、小隊単位で集めていくつかの部隊に分ける。
仕上げを行うために、口が堅そうな武官と、その側近のみを招集するとは前々から決めていた。
しかしブリュンヒルデを武官たちのもとに派遣すると目立つし、クレインが直接動けば更に目立つ。
伝達役をマリウスに任せると共に、今回の作戦に必要な人員を集める作業も振った。
「ブリュンヒルデはトレックに開始の合図を頼む」
「トレック殿も派遣するおつもりですか?」
「あいつも目立つから、引率は適当な人間に任せるよ。それが終わったら、手紙の添削でも頼もうかな」
周囲の人間は誰もが作戦を理解しているし、自分の判断で最適と思う行動を取る。
「直ちに取り掛かります」
「行って参ります」
「ああ、頼んだぞ」
あとは任せておけばいいだろうと思い、一人になったクレインは椅子から立ち上がった。
執務室の窓から空を見上げると、彼は神妙な様子で呟く。
「随分と手こずらせてくれたな、ジャン・ヘルメス」
情報を集めて仕上げを行うまでに、体感で1年もの時を使っている。
その分だけ考える時間も長く取れたし、仕留めるための用意は万全と言えた。
「追いかけっこは終わりだ。……ここで決着をつけよう」
潜伏先が分かれば逃走するルートも絞れるので、計画の完遂は目前。
しかしイレギュラーが起きる可能性もあるので、クレインは死ぬ覚悟を固めながらも、ただ冷静に始動を待った。




