2回目 悪い夢
「うわぁぁあああ!?」
大軍が攻めて寄せてきて、領地が滅びた。
平和な街が戦火に飲み込まれ、領民たちが逃げ惑い、全てが燃えていく。
そんな光景がフラッシュバックして、クレインが飛び起きると――自宅の寝室だった。
「……あっ。ゆ、夢?」
頭に手を当ててボヤきながら、彼はベッドから身体を起こして溜息を吐く。
「……はぁ、なんて縁起の悪い夢だったんだ」
そう言えば、12歳で父の跡を継いでから、もう7年が経つ。
ここまでの悪夢を見るとは相当疲れているようだが、無理をし過ぎただろうか。
そんな考えを浮かべた直後――クレインは、違和感を覚えた。
「……あれ? 何か、変だ」
何が引っかかるのか。よく考えながら部屋を見渡すと、まずは家具が目についた。
配置が変わっているのもそうだが、数年前に買い替えたはずの執務机が置いてあるのだ。
「同じものを、買い直したんだったか?」
寝ぼけた頭で考えてみても、気分転換に部屋の模様替えをしたという記憶はない。もちろん家具を買い直した覚えもない。
「いや、深く考えるのは……やめよう」
記憶を辿ろうとした途端に、頭の中は、やけにリアルな虐殺の光景で埋め尽くされてきた。
激しい頭痛と、少しの吐き気を覚えたクレインは、力なく頭を振る。
「夢見が悪かったけど、体調は悪くないな」
思考を切り換えるために、他の違和感を探す。すると次に、何となく身体が軽いと気づいた。
日ごろのデスクワークで凝った肩が、嘘のように軽くなっている。
「日課の畑いじりで、健康的になってきたってことかな? うん、これはまあ、いいことだ」
満足気に呟きつつベッドから降りると、クレインはとうとう決定打を見つけた。
それは見つけたというよりも、見えている景色そのものだ。
立ち上がってみると一目瞭然。いつもと比べて、視線が頭一つ分ほど低かった。
「え、おいおい、ちょっと待てよ……」
クレインが自分の足元を見ると、少しばかり短足になっている。心なしか、手も短い。
逸る鼓動に急かされるように、部屋の姿見に駆け寄ると、果たしてそこに映っていた姿は――
「こ、子どもの頃の、俺!?」
そこまで幼くはないが、見た目は15歳前後だ。クレインは16歳を越えた頃から、急に背が伸び始めたので、昨日まで見ていた光景と比べれば視界が低くなっていた。
若返った自分の姿を見て、部屋を再度見渡す。
確かに2、3年前までは、家具の配置はこんなふうだったかもしれない。
「な、なんだこれ!?」
「ええっ? クレイン様、どうしたんですか?」
叫んだ直後にドアがノックされて、クレインが返事をする前に、メイドのマリーがやってきた。
いつも通りのモーニングコールをしにきた彼女は、領主の様子がいつもと違い、驚いた顔をしている。
「え、ああ。いや、何でもない」
「そうですか? それならいいですけど……」
クレインがマリーの声に振り返った時、彼女が何者かに殺害され、床に横たわるビジョンがチラついたが――それは夢の話だと思い直す。
そして無理やり、思考を目の前の少女に切り換えた。
「大丈夫だって。少し、夢見が悪かっただけだから」
きょとんとした顔をしたマリーは、新しい水差しを枕元のテーブルに置く。
毎朝一杯の水を飲むのがアースガルド家の家訓であり、それは今日も変わりない。
しかし本当にいつも通りの朝を迎えていることに、クレインは困惑していた。
「……さて、これはどっちが現実かな」
領地が滅びるという悪夢を見たのか。
それとも死に際に、幸せだった頃の夢を見ているのか。
果たして現実はどちらだろうと思案したが、クレインの感覚としてはどちらも現実に思えた。
「もう意識はハッキリしているし、現実感はある」
試しに自分の頬をつねると、痛みを感じた。
マリーが持ってきた水を飲んで、完全に目が覚めたところでもある。
夢特有のぼやける感覚とて、もうどこにも残っていなかった。
「冷静に考えれば、あの光景の方が……出来のいい夢なんだけど」
そうは言いつつも、思い返せば今後の記憶は存在していた。
まだ頭が働いていないせいか朧気な部分は多いが、クレインを取り巻く環境の変化や、どの時期に何が起きるかは大体把握しているのだ。
「よし、一回冷静になろう」
それなりに激動の人生を送ってきたクレインは、ここで現実的に考えてみた。
例えば今の環境が現実で、滅亡したという悪夢を見ただけならいい。それならばクレインが怖い夢を見ただけの話になる。
反対に今の状況が夢の中なら、全力で今を楽しめばいい。あの地獄のような絵面が現実のものになったのなら、夢の中でくらい幸せになってもいいだろう。
「だけど、もし……両方違っていたら、どうするか」
もしも、そのどちらにも当て嵌まらない場合。例えば何らかの力が働いて、おとぎ話のように時間が巻き戻ったとすればどうなるか。
「俺が何も手を打たなければ、この領地は遠からず滅亡する」
感覚としては、今の環境と未来の映像のどちらも、現実のこととしか思えないのだ。
その感覚が正しいとするならば時間遡行。つまりはタイムスリップという選択肢も出てくる。
「そうだな……マリー、新聞を持ってきてくれ」
「珍しいですね、クレイン様が新聞に興味を持つだなんて」
新聞には主に、王都のことしか書かれておらず、クレインが王都まで行くことは稀だ。
そのため興味は薄く、いつもは一面記事に目を通すくらいで投げ捨てていた。
「まあ、たまにはいいだろ?」
「そうですね。ただ今お持ちしますー」
そんなクレインが、自分から新聞を読みたいと言い出したのだ。マリーは「珍しいものを見たなぁ」と言わんばかりの顔で部屋を出ていった。
しかしクレインは真剣だ。状況が飲み込めないなりに、情報収集はしておくべきだと考えていた。
「あれが全部、ただの夢なら……。取り越し苦労だったらいいんだけどな」
クレインは呟きながら、寝室の窓辺から外の光景を眺める。
平和で、今日も何もなく暮らす人々の姿を眺めてから――再び、深い溜息を吐いた。