第六十三話 最も危険な任務
王国歴501年5月15日。
もうじき連合軍の集合が終わろうかという時期だ。
この日は発起人である男爵のところへ、数名の若者が来訪していた。
「流石は音に聞こえた男爵軍です。あの貧民たちを上手くまとめていますね」
「そ、そうか?」
「ええ。子爵軍など一瞬で蹴散らせるでしょう」
彼らを代表して前に立ち、にこやかに、そして爽やかに笑いながらそう言うのは、子爵家から離反したエメットだ。
もっとも数日後には再び子爵家に仕える気でいるが、彼らはアースガルド家を出奔して、男爵家へ移籍したいという名目で目通りを果たしていた。
「我々はアースガルド家に未来が無いと判断しましたが、それは他家も同じことです。連合の中ではやはり男爵様の領地以外に将来性はございません」
「ははは、ハッキリと言うな」
彼は子爵家に未来が無いと繰り返し伝え、全力で男爵をよいしょしている。
人好きのする笑顔を浮かべるエメットは、とにかく男爵を煽てていた。
クレインや他の小貴族がいかにボンクラであるかを語り、男爵に仕えることで栄光を共に味わいたいと語る表情に嘘は見えない。少なくとも男爵家の人間からは。
補佐として付いてきた者たちが、「主人であるクレインをあそこまで扱き下ろして大丈夫か」と、不安に思うくらいには好き放題言っているのだ。
それくらい真に迫った演技を見抜けるはずもなく、男爵も側近も、エメットたちが本気で離反してきたのだとあっさり信じてしまった。
「うむ、まあ、子爵家では大変だったようだな」
「ええ。子爵が欲深い性格をしているため……領地は儲かっていても、待遇はそれほど良くありませんでした」
実際には男爵家に仕える同じ地位の者と比べて、子爵家士官の給料は3倍近くになっている。
しかし相手は子爵領のことを何一つ知らないのだから、どんな嘘を吐こうが露見することは無い。
だからエメットは適当な大法螺を、笑顔で連発していった。
「子爵領の家臣は今、こぞって男爵の下へ参りたいと話し合っています」
待遇が良くない男爵家の、更に大きく下を行く福利厚生を並べ立てているので、彼が語る子爵家の内情には本当の部分が一切無い有様だ。
耳に心地いい侫言を聞かされ続けた男爵は上機嫌だし、配下たちから見ても子爵家は滅亡間近。
どうにかして取り入り、鞍替えしたいのは当然のことだろうと――間者の可能性は疑われてもいなかった。
「はっはっは、アースガルド程度の家にも見る目がある者はいるようだ。……しかし当家が抱えられる家臣の数には、限りがあるからな」
子爵家が抱えていた人材を吸収できれば、それなりに組織を強化できる算段が立つ。しかし賠償金をどこまで取れるかが分からず、領地を譲る形での支払いとなれば後々困ってしまうだろう。
だから男爵もエメットを気に入りつつ、考えた上で話してはいた。
「実は何名か推薦したい人間がいたのですが……残念です」
「少なくとも、今日ここに来た者くらいであれば雇う。まあ結論を急ぐな」
エメットはここにいる以外の仲間も連れて移籍したいと真剣に言うが、これは全部ビクトールの策だ。
曰く、子爵家は今回の戦いを、大量の離反者が出るほど絶望視している。
曰く、近頃では領地から逃げ出す者が多く、集まる戦力は多くて二千ほどになる。
彼の任務はそんな偽情報を流して、敵軍を攪乱することにあった。
訪問した狙いは色々あるが、一番大きな狙いは子爵軍の兵力を見誤らせ、万が一にも撤退させないことだ。
要するに彼は男爵を調子づかせて、勢いよく進軍させるために来ている。
「賠償金の額によっては、戦後にまとめて召し抱えてやらんこともない」
「承知致しました。では、手土産というわけではございませんが……こちらを」
真の兵力を隠して敵を油断させ、同時に調子のいいことを吹き込み、敵を楽観視させることが重要だ。
その点に関しては成功したと見て、次にエメットは子爵領内の地図を取り出す。
「地図? この印は何だ」
「赤い印は子爵家から離反したがっている村々です。青い印の村は、内応の約束まで取り付けてあります」
細部は適当で、本来は載せておくべき道が削除してある不完全な地図だ。
しかも内応予定の村が無いどころか、北部の村々は突然の焼き討ちを仕掛けてきた連合軍に激怒している。
しかし他領の詳細など分からないのだから、エメットへの好感度が高くなっている男爵はこれも素直に信じてしまった。
「この地図があれば、攻略は容易というわけか」
「ええ、戦いが優位に運べることは間違いございません」
少し気の利く配下がいれば「そんな美味い話は無い」と諫言したのだろうが、しかしそこも対策済みだ。
宣戦布告があった翌日から今日までの間に、策は打ち終わっている。
「私の耳にも、そのような話が入っております」
「こちらもです。合致するところは多い」
「お前たちまで言うなら間違いはなかろうな」
マリウスとトレックの手により、行商人に扮した密偵が「子爵家に不満を持っている村々が多い」と誤情報を各地に流布してある。
この動きは男爵家からの使者が来る、2ヵ月ほど前にはもう始まっていた。
だから多少でも気が利く人間はむしろ、自分が調べた情報は正しかったと追随してしまう始末だ。
比較的頭の切れる配下が追認しているのだから、男爵としても疑う余地は無い。
「なるほどな。さて、当家が利益を得るには、他家にどういう提案を――」
「いえ、この地図は秘匿すべきです。他家に伝えることはありません」
「何?」
そしてエメットは仕上げにかかる。
この情報は男爵家のみが知っている状態にするのが一番得をするのだから、軍議でわざわざ他家に明かすことは無いと語り始めた。
「東の準男爵家と、西の騎士爵家は撤退するはずです。動揺する他家に対して強気に出れば、戦後の交渉も優位に進められるでしょう」
8家で連合を組んでいるが、うち2家は脱落する。
そうなれば二の足を踏む家も出てくるので、その時に勇ましく進めばいい。
エメットはそう言うが、これは流石の男爵も流石に訝しんだ。
「何故、撤退すると?」
「8家に負ければ、賠償金は払いきれないほどになります。そこで子爵は軍を割り、2家に対して逆侵攻を仕掛ける計画を立てています」
しかしこの言い分で、男爵はすぐに納得させられてしまった。
「なるほど、賠償を支払うのは6家で済むようにしようということか」
「あわよくば一つ先の家まで攻撃し、4家で済むように……という計画ですね」
攻め寄せてきた軍に敗北しても、別動隊に本拠地を落とされた家があれば、そことは引き分けだと主張できる。
だから子爵家が防衛戦に割く人員は最低限となる。一応は合理的な話だった。
「子爵は2000の兵力から500人の部隊を出し、東西へ送るつもりでいます」
「それでは、戦場に出る兵は1000くらいか」
ここでエメットが持つ地図に目を落とせば、アースガルド家から北部へ続く道は三つある。
北西の準男爵家へ繋がる道。
北東の騎士爵家と、山脈へ繋がる道。
そして男爵領に向けて真北へ伸びる道だ。
連合軍は男爵家に集合して真っ直ぐ南下していくのだから、兵を出せるとすれば東西の二か所となる。
それに地形の関係で、男爵領はその二家からは移動しにくい位置だ。
正面突破する兵力が残らないとなれば――男爵からすれば――アースガルド家の真北にある自分の領地だけは安泰と言える状況だ。
「おこぼれを狙っていた家にとっては、自暴自棄になった子爵から領地が焼け野原にされる方を避けたいと思うはずです」
「なるほど。臆病風に吹かれた者たちの取り分を減らせるのだな?」
撤退した家に回すはずだった賠償金も、二の足を踏んだ家へ支払うはずだった分も、根こそぎ奪う算段が立つ。
抜け駆けするのが一番得だとエメットは語り、そしてまだ終わらない。
「それだけではございません。東西のうち、子爵家とまともにぶつかって兵力を消耗した方を――あるいは両方の領地を、切り取ってしまえばよいのです」
領内の治安を悪化させる貧民を磨り潰して財貨を得て、長年争ってきた目障りな家までまとめて潰せる。
東西の領地を吸収できれば、間違い無く地域の最大勢力だ。
男爵からすれば、まさにバラ色の未来が待っているという話だった。
「その規模まで達すれば私に賛同する者を、全員召し抱えていただけるのではないかと存じますが」
「そうか……そうだな」
相対する子爵軍はわずかに1000人。
対する味方は、2家が離脱しても4000はいるだろう。
男爵家単独でも兵数は互角なので、戦いでの勝ちはゆるぎない。
男爵家からすればもっと脱落してくれて構わないくらいだ。
子爵領を乗っ取る計画を立てつつ、子爵家から攻め込まれた家を戦後に併呑する。
「当家が覇権を握る日が、きたか」
そこまでいけば男爵の頭には、子爵家を潰してから他の家もまとめて平らげ、周辺地域の覇者となる展開すら見えていた。
この未来予想図には、周囲の家臣たちも興奮した様子を隠せていない。
「おおっ!」
「我らが天下を取るか!」
「……はは、そのようです」
しかしエメットはここに来るまで、こんな怪しい話で騙せるのかと大いに不安を抱えていた。
後ろで聞いている随行員も、これで本当に騙せたのかと驚いている。
クレインは小貴族の領地に目ぼしい人材はいないと力説し、ビクトールも男爵は野心が人一倍高いから、エサを見せればすぐに食いつくと語っていたが。
「当家の悲願、果たされる時がきたようですな!」
「祝杯といきましょう!」
「まあ待て、それは気が早過ぎるぞ」
いくら何でも止める人間の一人や二人いるだろうと思い、論戦の準備を整えていたのだ。
それが現実はどうだ。
誰も止めないどころか、この話を疑っている人間はどこにもいない。
「またとない好機ですぞ!」
「うむ。今まで目障りだった奴らを、まとめて叩き潰すか!」
万が一に備えた次善策や、二の矢、三の矢を山ほど用意していたのだ。
絶対に失敗しないようにと万全の準備を整えてきた彼らからすれば、これは肩透かしというレベルではなかった。
「……ええ、よきお考えかと」
「……はは、まさに」
表面上は笑顔な偽装投降組だが、内心ではもう呆れかえっている。
前置きの段階で受け入れられたので、彼らにとっての本番である、説得という手順を踏む必要が無くなった。
これでは何のために残業までして策を練ったのかと、嘆きたくなるほどだ。
「はっはっは、当家の未来は明るいな!」
「ええ、男爵家に栄光あれ!」
側近には腰巾着しかいないのだから、男爵家の家中で勝手に盛り上がり、勝手に罠へ嵌まるだろう。
あとはもう流れに任せればいい。
「くく、まあ上手くいかない場合でもそちは迎え入れよう」
そして一番大事な、偽装投降の代表にエメットが選出された理由かつ、この作戦が成功するだろうと思われていた理由だが。
男爵は男色家であり、側近も衆道の関係者で固められている。
「どうだ、今日の晩は未来を語り明かさないか」
「それは……ありがたいお誘いですね」
マリウスの調査でそんなことが明らかになった。
だからエメットには「作戦が失敗しそうなら、誘惑してでも策を成功させてこい」という非情な命令が下っている。
数千人の命と部下の貞操を天秤に掛けた結果、万が一の時にはなりふり構わないでほしいという判断が勝った。
「……ですが、いえ、皆様の仰る通り、勝ってからと致しましょう」
男爵が色目を使ってきたことに寒気を覚えたエメットだが、美人局はあくまで最終手段だ。
エメットは男爵を持ち上げ過ぎ、好感度を上げ過ぎたことを後悔しているものの、任務が成功しそうならば付き合う必要も無かった。
「勝利の暁には……か。くく、それもよかろう」
戦勝のご褒美という位置づけになってしまったが、もう二度と会う予定は無いので――逃げてしまえば問題は無い。
だからエメットは当初の作戦通り、ここで離脱を目論んだ。
「では、我々は村を回り、内応の用意を整えておきます。子爵領でお待ちしていますね」
「うむ、よきに計らえ」
「子爵家にやる気が無いことは、他家が知らない情報なので上手くお使いください」
これで任務は終わりだ。
もうこれ以上、ここでやることは無い。
男爵家からの帰路についた随行員たちは、出番が無かったことに落胆していた。
「最後の最後で危ないところでしたな、長官」
「今回の戦いで一番危険な任務がこれというのも、どうかと思いますが……」
命の危機ではなく貞操の危機だ。
ここまで格好が付かない危険な任務も早々無いだろうなと、エメットは苦笑いする。
しかしこれで師の策は盤石なものになるだろうと予測して、領地に引き揚げていくエメット一行も――既に戦いが終わった気分になっていた。
エメットはハニートラップ要員でしたが、この偽装投降に何の意味があるのか。実際のところどうなのかは後ほど判明します。
次回、第六十四話「地獄へようこそ」 お楽しみに。