第六十話 何に使うんですかこれ
視察を終えたクレインは、領地に戻ってからすぐにスルーズ商会を訪れた。
言わずもがな作戦に必要な物資を確保するためだ。
「会長はいるか?」
「はい。ご案内致しますので、少々お待ちを――」
「内密の話だから案内はいいよ」
在席していることだけ確認したクレインは案内を断って、商会の支店を突き進んでいく。
彼はもう勝手知ったる他人の家とばかりに、遠慮なくトレックの執務室へと押しかけた。
「やあトレック、急ぎで大量の注文があるんだけど」
「またですか!?」
そして奥の部屋で帳簿の整理をしていたトレックの顔を確認するや否や、時候の挨拶などは抜きにして即座に要望を伝えていく。
来客の予定が無かったトレックは突然の来訪に驚き、次いでクレインがいい笑顔なところを見て、嫌な予感を膨らませる。
「……その顔をしている時は、絶対に厄介ごとが持ち込まれる時ですよね」
「そして儲け話のチャンス、だろ?」
書類から顔を上げたトレックは動揺していたものの、そこは商売の話なので彼も営業用の笑みを浮かべ直していく。
「それはまあ、儲け話というなら有難いですが……今度は何が必要ですか?」
「まずはリストを見てくれ」
そう言ってクレインが差し出した紙には、大量の日用品と旗、そして楽器などの購入希望がずらりと並んでいる。
鍋が2000個だの旗が500枚だの、どれを取っても発注の桁がおかしいものだ。
「まずは調理器具と薪が、とにかく大量に欲しい」
以前の戦いでは激突してからすぐに敵が総崩れとなり、数時間で済んだ。
手間がかかったのは逃亡兵が山賊化したことによる治安の悪化と、逃げられた貴族やその縁者が反乱を煽っていたところとなる。
最低限の準備だけで戦えた上に短期決戦となったので、費用を見れば驚くほど安く上がっていたが――この点で今回の戦いは少し違い、事前準備が多いため戦費が跳ね上がる。
しかしクレインは「人の命が守れるなら安いものだ」と判断していたし、ヘルメス商会から借りた資金はまだ潤沢にあるので、支払うこと自体には彼にも異存はない。
「でも何に使うんですかこれ……。宴会とか?」
「いや、小貴族たちの軍を撃退するために使う……はず」
問題は、用意しろと言われた物品がどう使われるか想定しにくいところだ。
使い方を聞いているクレインにも今一ピンときていないので、全体像しか知らないトレックにはもっと想像がつかない。
互いにこれが必要となる場面が想像しにくいところではあるが、トレックからすれば別な問題もある。
これを至急で集めるというのは、現実的に難しいという点だ。
「在庫もあるので、日用品は多分何とかなりますが……。今の時期だと薪が集まるかは怪しいですね」
冬場はどこでも薪を大量に使うので、大規模な受注を捻じ込むのは難しい。
それを分かった上で、クレインは軽く言う。
「必要になるのは五月だから、それまでに揃っていればいいよ。予算は組むけど、値下がりしてきた時期に用意して利鞘を稼いでもいい」
「それでしたら、まあ」
特定の時期までに物品が揃っていればそれで解決なので、クレインとしては手配の全てをトレックに任せる予定でいた。
全体的に結構な量があるので、要望としては今すぐ動き始めてほしいという点だけだ。
「ヘルモーズ商会あたりと協力して動きますか……」
「そうしてくれ」
大規模に集めるならヘルメス商会などの助けも必要になりそうなものだが、彼は味方の商会だけに儲けさせたいので、無理にでも踏ん張らせるつもりだった。
裏事情はトレックも既に知っているので、彼としても使える戦力を試算しながらの戦いとなる。
リストの全てを同時に揃えるのではなく、時期や世情を見て優先順位を入れ替え、安く仕入れること。
そこは商人の腕次第かと納得したトレックは、また別の項目へ移る。
「それで、ここに書いてある旗というのは子爵家の旗ですよね?」
「ああ。見本品は渡すから」
青地に白い糸で鷹が縫われたもの、それが子爵家の旗だ。
糸の部分は刺繍になっているので、作るのにそれなりの時間がかかる。
「少しお時間をいただきますが、これも5月までですか?」
「少しだけ早めに欲しいかな。配るのは4月末だから……3ヵ月以内くらいで頼みたいんだけど、できそうか?」
スルーズ商会も老舗の大店なので縫製部門は抱えているが、アースガルド領内にはまだ大規模な拠点など無い。
3ヵ月以内に刺繍された旗を500枚用意しろと言われれば、近隣の工房を使うなり、現場の体制を見直すなりとする必要があった。
「他の商会にも割り当てれば間に合うはずですね……。手が空いている中小の商会にも声を掛けて、何とかしてみます」
しかし必要だと言うならば、最優先で作らせれば何とかなるところでもある。
少し考えてから、トレックは首を縦に振った。
「助かる。言い値の割り増し料金で良いから、請求はスルーズ商会から一括で事務方に回してくれ」
「承知しました」
測量に必要と言われて、トレックはメジャーやスコップ、作業着などを大量に輸送したばかりだ。
そこにきて何に使うか分からない鍋や薪、更に手間のかかる刺繍用品を用意してくれと言われている。
確かに儲けは大きいが、これにはトレックも苦笑いしていた。
「しかし軍旗に使うなら多くても一個中隊に4、5枚ってところだと思いますが、こんなに要ります?」
「正直に言えば俺も要らないと思っているけど、そこは先生を信じるさ」
現時点での子爵軍は最大でも60ほどの中隊しか編成できないので、必要な枚数は多くとも240から300枚だ。
既にいくらか用意してあることを考えれば、100枚も用意すれば十分過ぎるほど足りるはずだった。
しかしクレインはビクトールの能力を信頼しているので、迷わず旗を発注する。
「分かりましたよ。割りの良い仕事だと言えば手伝ってくれるところはあるでしょうし」
「うん。調整は任せる」
トレックからしても不可解な指示ではあるが、今の彼には他所に首を突っ込む余裕など無い。
一番早めと言われた旗の購入と、大量発注された日用品を必要数納めることだけに集中しなければならなかった。
「できる限り前倒しの指示は出します。あとは……よく分からないのは楽器ですか」
「ああ、リストに挙がっているものをありったけ用意してくれ。無ければ代用品でも構わないから、とにかく数が欲しい」
そしてリストで求められているものは旗と日用品以外にもあった。
鍋の個数などを一つ一つ確認して、最後に来たのが楽器だ。
「……旗とか楽器とか、本当に何に使うんですか? 式典とか?」
「先生の作戦に必要なんだよ」
トレックは大枠しか聞いていないが、ビクトールが事前に用意した策には使いそうにないものとなる。
本格的に何がしたいのか分からないが、必要と言われたらそれまでだ。
大儲けできることには違い無いので、商会長としては喜ぶべき展開だった。
――だが、個人的には気が滅入っている。
「はぁ……。また残業が増える」
トレックとしてもクレインのためなら動くつもりではある。しかし忙しすぎて恋人を作る暇すらないという状況は、今生でも変わらずだ。
むしろ過去に無い作戦が打たれている分、クレインの業務量が減っていてもトレックの業務量が増えているくらいだった。
気落ちしたトレックを見て、クレインも流石に金銭以外の何か――やる気が出そうなものは無いかと思案して――彼はお見合いへ思い至る。
「まあまあ、これが終わったらいい人でも紹介するから」
「クレイン様が?」
「ああ。そろそろ恋人の一人も欲しいんじゃないか?」
半年も経てばマリーから紹介を受けることになるだろうが、それが全滅するとは今までの歴史が証明している。
そして、身を固めるのが早くて困ることも無い。
だから報酬代わりにお見合いのセッティングを提案したところ、トレックの表情はいくらか明るくなった。
「確かにそうですね。ええ、そろそろ結婚も考えていますし」
「好みがあれば聞いておこうか。それか、身近で気になる人がいれば話を付けるよ」
今回の人生ではクレインもアイテール男爵やメーティス男爵、その他食料品や特産品の販売でいくつかの貴族家との繋がりができている。
大手商会長と釣り合う名家のお嬢様など子爵領内には少ないので、クレインが何気なく尋ねてみたところ――
「でしたら、ブリュンヒルデさんとか」
「……少し難易度が高いな」
伯爵家の息女で、個人としても男爵位を叙爵している女性の名が出てきた。
確かに王家の御用商と伯爵家息女の組み合わせは、釣り合うと言えば釣り合うかもしれない。
しかしブリュンヒルデの過去はまだ聞き取りできていないので、どんな闇が出てくるかという不安はある。
それに義兄であるピーターにもかなり危ない一面があるのだ。
「彼女以外で、誰かいないのか?」
上流階級の人間である割りにスレていないトレックでは、後々どうなるか分かったものではないと。
トレックが取って食われる未来を想像したクレインは、やんわりと断りを入れた。
「クレイン様はやっぱり、ブリュンヒルデさん狙いなんですか?」
「やっぱりとか言うなよ。何も無いから」
「まあ、そういうことにしておきましょう」
ブリュンヒルデ以外なら紹介できる間口も広くなっているし、恋愛方面では新規に仕官したチャールズが専門家と言える。
マリーからトレックへは「恋愛に関してはまるでダメ」という評価が下されていたので、恋愛指南の難易度は高そうだが。
業務の代わりにトレックの面倒を見るという役割を振れば、とにかく仕事をサボりたいチャールズは喜んで協力するだろう。
「でしたら……保留で」
「分かった」
肉体的な疲労はどうにもならないが、精神面では少し気を軽くできればなという配慮での提案だ。
しかしトレックが一番よく会う関係者はマリー、次点でブリュンヒルデとなる。
どちらも選択肢に挙がらないとなれば、トレックとしても気になる女性はすぐに出てこなかった。
「いい人が見つかるようにバックアップはするから、手配の件はよろしくな」
「分かりましたよ。何とかします」
実際には矢玉の用意であったり武具の大量発注であったりという仕事もあるのだが、そちらは主に武器商であるブラギ商会の領分だ。
広く浅く商うスルーズ商会は補佐程度なので、少し頑張ってもらうくらいでいい。
そう思いながら、クレインは商会を後にした。
「さて、次はエメットに指令を下さないとな」
今回の戦いでは、過去に必要の無かった役割が色々とある。
例えば今もクレインの護衛に付いているマリウスは、戦中から戦後まではビクトールと行動を共にする予定だ。
「話を通せば、下準備は終わりか」
各種の用意は順調に進み始めている。
もう、いつ喧嘩を売られてもいいところまではきているのだ。
部下に新たな仕事を振るため、屋敷の近くに建てられた庁舎へ向かった。