第五十七話 師との密談
「お邪魔します」
「やあクレイン君、久しぶりだね」
まだ雪深い年明けのある日、クレインはビクトールの庵を訪ねた。
庵と言ってもハンス率いる工兵隊に、現時点でできる最高の建物を作れと命じて建築したものだ。
採光を意識した吹き抜けを始めとした、間取りの工夫はもちろんのこと。
床材や家具の色に材質、デザインウォールの意匠といった細部にまでビクトールのこだわりがある。
理想の別荘が完成した彼は近くの川で釣りを楽しんだり、時折訪ねて来る門下生たちと問答をしたりして、面倒臭い権力者から切り離された悠々自適の人生を楽しんでいた。
「で、今は何をされていたんですか?」
「陶器作りに挑戦しているところだよ。奥が深いね、これは」
いつもの着流しでなく、作業着を着たビクトールは土を捏ねていた。
そう言われたクレインが何となく奥を見れば、庭に続く勝手口の前にも未完成品や試作品が、山と積まれている。
「作った皿に絵付けまでするんですね」
「ああ。折角だから最後まで自分でやってみようかと思って。もう少し慣れてきたらバルガス君に相談して、本格的な窯を作ろうと思っているんだ」
今は多少高度な粘土遊びといったところだが、上流階級の上澄みにいた彼は芸術関係への造詣も深い。
試作品でも売り物になるレベルではあった。
「完成したら、その食器を使って食事会でもしましょうか」
「そうだね、春までにはモノにしておくよ」
さて、ビクトールの住まいは人里から少し離れたところにある。だから定期的に訪れるのは、警備のためにやって来るハンスやチャールズくらいだ。
そこを踏まえた上で、彼はクレインに聞く。
「さて、今日はご機嫌伺いというわけでもなさそうだ」
「分かりますか?」
「うん。何か相談事でもあるのかな」
見透かされて頭を掻くクレインだが、実際にその通りだ。
クレインは王国歴501年の初夏に控えているであろう、小貴族家への対策を相談しようと思って訪れていた。
「少し厄介な動きが起こりそうなので、知恵をお借りしたいです」
「うん、まあ、案を出すだけならタダだし、構わないよ」
マリウスの調べでは、やはり小貴族たちは連合を組む動きを見せている。だから対抗戦略を練るために、ビクトールの意見も聞いておこうという判断だった。
「一応は相談役として雇われたんだし、いい家をもらってしまったからね。たまには働かないと」
「助かります」
「はは。まあ、まずは応接室へ行こうか」
ビクトールはそう言いながら作業を切り上げて、クレインを奥の座敷に案内する。
そして茶を沸かし、いつもの着流しに着替え直してから、対面に座って話を切り出す。
「さて、では何が聞きたいのかな?」
ここには使用人もおらず、ビクトールが自ら茶を淹れたが。
そのポットにはなみなみと紅茶が入っているので、長話になることを察したのだろう。
二人きりの密談を始めるにあたり、クレインはまず、過去に見てきた小貴族たちの動きを――今後の予想として語り始めた。
◇
「なるほどね。酷いとは聞いていたけれど、そこまで酷いか」
ビクトールは眼前に並べられた書類を見て、複雑そうな顔をしていた。
クレインは予想の根拠として、マリウスが調査した内容をそのまま見せて話をしたところだ。
今、アースガルド領のすぐ北がどうなっているか。
農業政策も経済政策も何も打たれておらず、むしろ減収分を補うために増税されている。
飢饉の影響で生活苦に陥り、野盗に身を落とした流民が大量発生している。
要するに過去と何も変わっていないのだ。
だから今回も略奪と口減らしを目的に、貧民たちを送り込んでくる可能性が高かった。
「しかしこれ、大義名分はどうなんだろう。何か揉めたのかい?」
資料を見ても戦支度をしている予想は立つ。
そして仮想敵にアースガルド家が据えられていることは、ビクトールの目から見ても明らかだ。
しかし彼には王宮の庇護を受けている子爵領へ、零細領地の者たちが押し入って来る大義名分は思いつかなかった。
「当主の誰一人とも関わりはありませんし、祖父の代から距離を置く方針で、没交渉にしています」
「それ、彼らの初代じゃないか……」
そもそも外交が拗れるほどの関係を持ったことがないのだ。
まるで無関係の領地から喧嘩を売られる予定と言われたビクトールは困っているが、事実として彼らは顔も知らないクレインへ宣戦布告をしようとしている。
答えが無きに等しいのだから当たり前ではあるが、一連の顛末を知るクレインでなければ、どういう手を打ってくるかが分からず相当不気味な状況だ。
実際にはただの難癖で、無策の軍事行動だなどと誰が推測できただろうか。
クレインはそんなことを思いながら、既に確定に近い小貴族の行動を予想という形で話す。
「その辺りは適当だと思っています。滅ぼしてしまえば関係無いと考えているはずなので」
「はは、流石にそこまでやるかな?」
各領の情報を見れば悲惨な状況になっているが、クレインの意見にはビクトールも苦笑いだ。
領地を接した貴族の間には揉め事もあり、小競り合いくらいなら起こり得る。
しかし予想動員数が五千を超えているのだから、ここまで来れば戦争でしかない。
「そもそもの話なんだけど。領内には出向してきた役人がたくさんいるじゃないか」
無理な名目で攻め入れば、王宮から懲罰が飛んでくることはすぐに分かる。
最悪の場合は領地の没収どころか一族郎党の処刑まであり得る案件だ。
何より裁判権を委任された役人が駐在しているので、喧嘩を売るリスクは高い。
順当に考えるならむしろ、争いを避けるべきところではあった。
「彼らは自分の領地しか見ていませんから、こちらの戦力や構成員を把握していない節があります。それに、王宮の動きは想像もしていないのではないかと」
「……なるほどね」
本格的な争いになるなら王宮が仲裁に入るし、勝った上で賠償金を支払わされる可能性も高い。それが通常のルールではあるが、豪族に等しい彼らの中では、ローカルルールの方が主流となる。
戦力的に見ても政治的に見ても、子爵領と事を構えるのは下策。
しかし相手は、自分が世界で一番と考える例の貴族たちだ。
「力こそが全てというしきたりらしいので、そもそも裁判のことは頭に無いと見てください」
「ああ、うん。そんな話も聞いたことがある気はするけれど……。これは僕も調べてみた方がいいかな」
ビクトールも北部にいた頃、侯爵家の寄子となっている家から評判を聞いたことがある。
叙勲されているのは豪農上がりや庄屋上がりなどで、それこそ成金に近いと。
しかし放っておくには危険過ぎるので、ラグナ侯爵家の寄子のどこかとコンタクトを取り、情報を集めておいた方がいいかと思案した。
師の顔が少し真面目になったと見たクレインは、ここでもう一度念押しを重ねていく。
「礼節以前に、常識的な判断は期待できない相手という前提の話です」
「今日はまた随分と口が悪いけれど……。それはまた厄介だねぇ」
クレインが思い返すに、戦争の名目は「子爵家が軍を派遣してきたから」だ。
しかし実際には兵士に変装させた貧民を使い捨てにして放り込み、子爵領で略奪を行っていたところを撃退している。
滅ぼしてしまえば口封じができるとばかりに、彼らはやって来るのだ。
今回の人生でも王国歴500年の11月に、盗賊団からの襲撃事件が起こっていた。
今回は演習と称して村に兵力を派遣し、防衛戦で勝利しているので子爵領に被害は出ていない。
しかし布石は打たれたのだ。ここから先に大きな変更は無いとクレインは睨んでいた。
「話は分かったよ。で、僕に聞きたいのはどんな方策かな?」
一方でビクトールは、戦争が起きるとはまだ信じ切れていない。事前情報から察すれば不穏な気配だが、子爵家に矛先を向ける合理的な理由が無いからだ。
そんな師を前にして、よくぞ聞いてくれたとばかりに――クレインはにっこりと笑う。