閑話 男たちの海原
八章において、グレアムが山賊にならなかった場合の話。
「またお前らは……。何度言われたら懲りるんだ! ええ!?」
「へ、へへ。すまねぇ」
王国暦500年7月10日。
流行りの農業で一旗揚げようと思ったグレアムたちは、雇い主である地主の前で一列に並んでいた。
「面目ねぇぜ!」
「うぇーい」
グレアムたちは今日も怒られている。
地主から任された畑は雑草抜きが甘いどころか、耕し方も適当で畑がガタガタになっていたからだ。
しかも「たくさん育てよ」と作物たちを慈しんだ結果、間引きをせず、植えられた作物の生育はごく悪い状態だった。
見回りに来た地主の前には、見渡す限り失敗作だらけの畑が広がっている。
「儂が馬鹿だった……。六歳児に畑を手伝わせるつもりで、働かせるべきだったんじゃ」
「そこまで言うこたねぇだろ? な?」
気まずそうに笑いながら弁解するグレアムも、周囲の畑と自分たちの畑を見比べれば、一瞬でクオリティの違いに気づく。
あまりにレベルが違い過ぎて、自分たちは原始的な存在かと錯覚するほどだ。
「……もう畑は諦めろ、お前たちには向いてない」
「そりゃねぇぜ! 俺たちは他に行くところもねぇんだからよ!」
確かに身一つで放り出すのは気が咎めるし、彼らが野盗になっても始末が悪い。
だから地主もここで、追放以外の方法を考えた。
「ううむ……。体力には自信があるんだろうな?」
「おう、力仕事なら任せとけや」
グレアムも、その子分もガタイはいい。
作物の運搬なら単純作業だし、体力と筋力さえあれば働けるだろう。
「それなら――いや、待てよ」
アースガルド領へ輸送する作物の出荷準備をさせるか、又は荷運びを任せるか。
その二択を考えた時、地主はそれでいいのかと思い直す。
「視察に行くと手紙が届いていたな。差出人は……準男爵家の子倅だったか」
今朝がた届いた視察の予告。その差出人は地主の老人も知っている人物で、少し気位が高く、平民を見下す癖のある男だ。
「……こいつらと出会ったら、揉め事になる気がするな」
「ん? なんだぁ? いきなり顔をまじまじと見て」
地主の前にいる者たちは、平民というより流民だ。
労働者用の宿舎の端にまとめて押し込んであるので、一応の住所はあるものの、しかし外見はどう取り繕っても貧民でしかない。
これが視察に来た貴族――それも居丈高な人物――と鉢合わせれば、余計なトラブルを生むと容易に想像がついた。
「だったら荷運びではなく、港湾作業の方に充てるか。あちらにも確か募集が」
昨今では子爵領以外からも、食料を輸入したいという問い合わせが相次ぎ、内陸側へ力を入れているところではあった。
しかしその分、外国や南侯領、東伯領などと交易している港の方が手薄となっている。
船への積み荷も体力勝負であり、海の男は細かいことを気にしない者が多い。
そちらの方が安全かと思った地主の老人は、彼らに船夫の仕事を宛がうことを決めた。
◇
そして、グレアムたちが船の物品を揚げ降ろしする仕事に就いてから、いくらかの月日が経った。
今日の彼らは昼の作業を終えたところだが、割り当て分が終わったので、もう上がりだ。
そのため近くの酒場へ行き、まだ日が高い時間から酒盛りを始めていた。
「思えば遠くへ来たもんだ」
「どうしたんすかアニキ、急にタソガレちゃって」
今日は日差しも強くなく、開放的な酒場には爽やかな潮風が吹き抜けている。
穏やかな夏の終わりの午後ではあるが、当のグレアムは浮かない顔をしていた。
「いや……俺たちはもっと、デカいことができるもんだと思っていたんだが」
取り敢えず酔えればいいので、度数が強いだけの安酒がどんどん消費されていっていたところだ。
子分たちが楽しく飲んでいる横で、グレアムは退屈そうにボヤく。
「まあ今でも、元と比べりゃ上等じゃないすか?」
「そうっすよ。ここなら食いっぱぐれることはないんだし」
漁港でもあるので、真面目に働けば漁師からのお裾分けや賄いに期待できる。
それに昨今の不景気もヨトゥン伯爵領には関係無く、輸出で大儲けしている。
食料難のご時世にあっても売り捌けるほど潤沢な食料があるのだから、生活は安定したものだった。
しかしこの安定した仕事は、グレアムが思い描いた未来図とは全く異なるものだ。
「安定した生活か。それは分かるけどな……」
一攫千金で貧乏から脱出。
大きな仕事で一山当てて、人生逆転。
そんな思考回路で地元を飛び出してきたのだから、小さくまとまっている現状には、少しばかり嫌気が差していた。
「はぁ……どっかに大きなモンはねぇかな」
「大きなものって?」
「チャンスっていうのか。人生変えられるほどの何かだよ」
子分たちは顔を見合わせたが、大きな事業に絡むなら元手が必要だ。
全員の貯金を合わせても微々たるもので、少し豪勢な宴ができる程度の手持ちしか無い。ほぼ文無しの彼らに機会など与えられるはずがなかった。
本来であればただの愚痴で話は終わっただろうが、しかし、ここで転機が訪れる。
「なんだぁ? いい若者が、昼間っから辛気臭いツラしやがって」
「んだテメェ」
気づけば飲んだくれているグレアムの頭上に、浅黒い肌をした船員が顔を覗かせた。
頭には大きめの帽子を被り、右目に黒の眼帯をした男で――見た目は海賊だ。
「おいおい、海賊じゃねぇか」
「すげぇ、初めて見たわ」
下っ端には着られない良質な仕立てをした、光沢のある黒い服。そして刺繍の入った赤いマントを纏う男は、海賊船の船長としか見えなかった。
だからグレアムの子分たちは、いかにもなその姿を見て笑っている。
「海賊。それもいいかもしれんな」
「だから、何の用だっての」
海賊風の男は、グレアムが睨むのも気にせず相席して、高めの蒸留酒を注文した。
そして酒を待つ間に、グレアムへ提案を持ち掛ける。
「大きなものがないかという話だが、すぐそこにあるじゃないか」
「……は? 何が」
「海だよ。お前たちの前には、限りなく大きな海が広がっている」
開け放たれた酒場の入り口から外を見れば、確かに海は広い。
この上なく広く大きい。
「だから何だってんだ」
「男が勝負に出る時は、海を股に掛けるほどのスケールが必要じゃないか」
「そういうもんか……?」
確かに国を跨ぐほどの男になればビッグだ。しかし目的も無くただ外国に行っても、野垂れ死ぬだけだろう。
それに路銀どころか船賃すら持っておらず、現時点では夢物語でしかなかった。
「お前らが男になりたいのなら、俺が道を示してやらんこともない」
「ほぉ……何してくれるんだよ」
「船をやろう。一番左の帆船が見えるか?」
海を眺めていたグレアムが視線を東の方にずらすと、そこには六隻の船が固まって停泊していた。
グレアムたちが一生真面目に働いても、一隻買えるか買えないかという大きさだ。
「あれを寄越すって、正気か?」
「物資を買い付けながら進んで来たはいいが、国外まで付いてくるほど、骨のある水夫は少なくてな」
水夫として雇いたいのか。そう思ったグレアムだが、今までの話から考えれば少し違うような気もしている。
そして彼は学が無ければ気も短いので、すぐに結論を求めた。
「俺らに何してほしいのか。まあ、先に提案を言えや」
「俺の船団で船長をやらないか。付いてくる気があるのなら、船を一隻任せる」
畑で一度失敗しているグレアムは、未経験の仕事へ少し及び腰になっていた。
しかしその心底を見透かすかのように、海賊風の男は言う。
「半年だけなら出稼ぎできるというベテランがいるんだが、そいつがいる間に操船を覚えればいい」
「なるほどな。……で、俺らみたいな貧乏人に声を掛けた理由は?」
「見るからに貧乏だからさ。失うものが何も無い人間は――強い」
男は力強く言い切った。それなりの修羅場を潜ってきたグレアムからしても、思わず感嘆するほど説得力がある言葉だ。
「勝負の海へ漕ぎ出す気があるのなら、国を越えて殴り込みに行こうという誘いだ」
「……殴り込みか」
「ああ。行く手には当然海賊がいるし、天候との戦いにもなる。過酷な道だが……稼ぎはデカいぞ」
障害は困難なほど燃えるし、難易度が高いほど挑戦への意欲も湧く。
そして何より、これはグレアムが夢見た一攫千金への一里塚だ。
「いずれは独立してもいい。立ちはだかる全てを蹴散らし、富を掴む気概はあるか」
「船乗り、ねぇ……」
故国と外国と往復する貿易商になろうという、突拍子も無い提案。
これにグレアムは――
「よし、やるか」
すぐに乗った。
多少怪しかろうと、船に乗ってしまえば、あとは流れで何とかなると思ったのだ。
「アニキぃ、マジで言ってんすか?」
「ああ。この潮、逃すことはねぇ」
この決断の早さには子分たちも驚いたが、グレアムは大真面目だ。
久しく見せなかった獰猛な笑みを浮かべて、彼は船を指す。
「今日中に荷物をまとめて、あれに乗り込むぞ」
「そうだ、男なら波に乗れ」
短絡的と言えるほどの決断力、そして無駄とも言える行動力。これこそがグレアムの真骨頂だ。
人生を賭けて海外へ渡る。
彼は一瞬で、自らの行く道をそう定めた。
「俺はグレアムってんだ。アンタは?」
「オケアノスだ。俺のことは団長と呼べ」
彼がグレアムに声を掛けたのは偶然だ。
酒場に入って真っ先に目についたから勧誘してみた。それだけの理由でしかない。
それが人生を丸ごと変えてしまったのだから、グレアムは運を掴んだと言うべきだろう。
「見ろ、機会を逃して悔しそうな顔をしている奴もいる。決断すべき時にすぐ動けなければ、好機をモノにできるはずがないのさ」
オケアノスに言われてグレアムが周囲を見渡せば、一旗揚げたい若者が数名、羨ましそうな顔をして彼らを見ていた。
だから彼は周囲にも聞こえるように、聞こえよがしに続ける。
「定員はあと5名。来る気があるなら今すぐ手を挙げることだ」
「5人って、俺の子分だけで埋まるぞ?」
「バカを言え、それはもう頭数に入っている。全員、共に行くのだろう?」
オケアノスは既に、グレアム一行は全員付いてくるだろうと確信している。
彼が言った枠は、酒場でたむろしている港湾作業員たちの中から、追加で採用する数を指していた。
「まあそうだな。行くぞ野郎ども! 次は海だ、海が俺らを呼んでいる!」
「しゃーねぇなぁ」
グレアムを信じてここまで来たのだから、親分が来いと言えば子分たちは付いて行く。
安定した生活と、仁義に絆。
彼らにとっては比べるべくもない。
「外国かぁ……まあいいけど」
「へいへい、行きますよっと」
「うぇーい」
一目で関係性を見抜くとは、オケアノスも中々やり手のようだ。
そんな印象を抱きながら、兎にも角にも彼らは船乗りへ転身を果たした。
目指すは南国。
立身を夢見て故郷を飛び出した若者たちは、南方の領地を飛び越え、海外へ打って出ようとしていた。
◇
港湾作業は日雇いだったので、グレアムたちは即座に退職を申し出た。
最近では不景気の影響から、出稼ぎ人夫が溢れるほど来ていたため、ここは円満退職に終わる。
「来たか」
「ああ、世話になるぜ」
持ち込む財産など何も無いので、荷造りも数分で終わりだ。
彼らは宣言通り着の身着のままで、用意された船に乗り込んでいった。
船中で一泊し、明けて翌日。
雲一つ無い快晴の下で、旅立ちの時がやってきた。
「さあ、錨を上げ、帆を張れ!」
旗艦に乗り込んだオケアノスが号令を掛けると、ベテラン水夫の指示を受けながら、グレアムたちも船の出航用意をする。
体力勝負なのはここでも変わらずだが、彼らはこれが性に合ったのか、畑仕事の時とは違いキビキビと動いていた。
「団長! いつでも行けるぞ!」
「よし、全艦出航! 目指すは南だ!」
こうして今回のグレアムは、クレインと出会うことなく国外へ流れて行った。
彼らが大海賊として名を轟かせる日は、そう遠くない。
行く手を阻む海賊を返り討ちにして子分を増やし、奪い取った船を船団に加えて、また次の目的地へ。
グレアム海賊王END。