第五十二話 一騎打ち
ここで両者何となく、改めて思うことがある。
それはどちらも、この提案を成立させたがっているということだ。
グレアムとしては故郷から付いてきた子分も、自分を頼ってきた新参者も、みすみす殺したくはない。
喧嘩を売ってしまった貴族の取引相手が訪ねて来るなど千載一遇の好機だ。
何としてもここで話を付けたいところだった。
「……なあ」
「……うん」
クレインとしては当然グレアムを配下にしたい。そしてグレアム隊以外の荒くれ者も、グレアムがいたからまとまった面がある。
ここで彼の求心力を下げることは、軍の規律から考えても大いにマイナスだ。
そしてそもそも、それ以前の問題もあった。
彼の確保に失敗すれば東伯戦で、領地が滅亡する可能性が跳ね上がる。
彼自身の素行に問題があったとしても、東伯戦での防衛指揮を成功させた唯一の将なのだから確保は必須の課題となっていた。
「しかしこの問題は、どう対処するか」
グレアムのメンツを潰さないで、かつ、貴族であるクレインの顔を潰さないような展開とは何か。
周囲の人間を納得させられる材料、又はストーリーとはどのようなものか。
「貴族家の当主が直々に声を掛けに来たってだけじゃ、ダメかな?」
この論調ならばクレインは有能な配下を獲得するためには労を惜しまないという、やり手領主のイメージを付けられる。
身分や出自を問わずに実力主義で採用するという話にすれば、恰好もつく。
グレアムからしても、そんな声が掛かるほどの大物という印象を付けられるかと思ったクレインだが、これはあっさり否定された。
「ここにいる連中の大半は、お貴族様の失策で流民落ちした奴らだっての」
「そう言えばそうか」
近隣の領主が飢饉対策に失敗したり、経済政策に失敗した結果が今だ。
飢えずに裕福な暮らしをしていれば山賊に堕ちることは無かったし、ここにいる人間の大半は貴族へ恨みを持っている状態である。
目上の者が礼を尽くしたと言えば名分も立ちそうだが、ここで貴族の威光を利用すれば却って反感を買う可能性の方が高かった。
「それなら本格的に、どうしようかな……」
「どうしようって、提案してきたのはそっちだろうが」
「そうは言われてもな」
そもそもの話をするならば、今やアースガルド領には名家の子息が大勢いるのだ。盗賊上がりの兵士を雇うというだけでも大問題になる。
そこで無茶をする予定がある以上、領地の人間を納得させる理由は考えてきた。
しかしここにきて、「盗賊団員たちまで納得するようなやり方」という条件が加われば――そんなものクレインにもすぐには思いつかない。
「もう諦めましょうよ、クレイン様」
クレインとグレアムは真剣に悩んでいるが、ハンスはもう呆れ顔をしていた。
呆れどころか、主君は盗賊相手に一体何をしているのかと、心配する域にまで入っている。
「でも、もう少しのような気がするんだよ。ようやくここまできたんだから、あと一押しなんだ」
「ええ……?」
確かにこれは危険な交渉だが、ハンスがこれまでのやり取りを思い出せば、そこまで苦労して勧誘の話へ漕ぎ着けたようには見えない。
クレインが言っているのは、ここに辿り着くまでのことだ。
マリウスと並行して行方を探していた時期も含めれば、二、三年探し続けてようやく尋ね人を見つけたくらいの温度感となっている。
「多分本当にあと少しなんだ。だってグレアムの名誉さえ守れたら、それで……」
「ぬぅ……」
そして、待てをされたランドルフは状況の変化に付いて行けていない。
もうクレインの判断に従うだけだと、厳めしい顔のまま目を閉じて置物になっている。
最後尾にいるマリウスも、ランドルフと似たようなものだ。
二人が口を挟まないのだから、この場で説得できるのはハンスしかいない。
「何がもう少しですか。こんなことをして、帰ったらノルベルトさんのお説教ですよ」
「できれば内緒にしてもらいたいんだが、まあそれはいい」
説得に成功すれば経緯の説明は必要なので、隠せるはずがない。
しかしそれはまた別の問題だ。
今はどうすればこの状況を打破できるかが焦点となる。
「うーん。何か、いい手は無いものか……」
ヨトゥン家のことや自領のこと、彼らの身の安全という面の話。
彼らを釣れそうな諸条件からここに至るまでの経緯まで、クレインはあらゆる材料を思い返していた。
クレインは唸るが、護衛のうち二人は成り行きを見ているだけだし、反対派のハンスはただただ帰りたがっている。
配下からのアイデアは望めないかと諦めかけたクレインは――ハンスの顔を見て、閃きが走った。
クレインは咄嗟に、ハンスを使いこの難局を乗り切る妙案を思いついたのだ。
「そうだ。こういう手合いには、そういう手が……」
「あの。クレイン様? どうして私のことを、そんな怪しい目で見るんですか?」
思えばグレアムとハンスの相性が悪いことは、度々問題になっていた。
だが、ここにいるのは側近と、未来の主力候補たちだ。
仲良くしてもらうに越したことはない。
「いやいや。今回の護衛にハンスを選んで正解だったなって」
「……あの、不安しか無いんですが」
ハンスは日ごろから護衛として同行することが多いが、今日どうしても必要だったわけではない。
そもそもクレインは当初、護衛など連れてこないつもりだった。
にも拘らず、名乗りを上げていないハンスを連れてきたのは何故か。
強いて言えばここに連れてくることで、彼は子爵家の重要人物だとグレアムに印象付けようとしたからだ。
つまり初対面で急に上司だと紹介するのではなく、軽い牽制から入ろうとしていたが、しかしもっと直球で、分かりやすく上下関係を叩き込む方法が見つかった。
だからクレインは笑顔でグレアムに確認する。
「なあグレアム。要するに、お前の威厳が保てればいいわけだ」
「……そう言われると、それはそれでカッコ悪いような気もするんだが」
グレアムの男を下げない。それは別に絶対評価でなくともいいだろう。
相対的に評価を下げなければ、それで丸く収まるとクレインは考えた。
「まあそう言わずに。いい方法を思いついたんだ」
過去のことを思えば、グレアム隊の人間は誰もがハンスのことを軽んじる傾向にあった。
しかしそれはそうだろう。
武力が物を言う武官の世界で、凡将のハンスがトップと言われれば不満も出る。
特に、荒事の世界で生きてきた彼らにとっては我慢できないことだったのかもしれないと、今さらながらにクレインも思う。
しかしハンスに降格人事をすれば古株からの不満が出たり、地元の人間から悪印象を抱かれることは避けられない。
「ここは一つ、勝負をしようか」
「勝負?」
上意下達の指揮系統をきちんと作り上げ、その上で円満にグレアム一行を勧誘するとするならば――やはり力の差は見せつけておく必要があるだろう。
「ああ、ここにいるハンスとグレアムの、一対一で」
「ほあっ!?」
だからクレインの提案には、ハンスを使うことにした。
当のハンスは突然前に出されて驚愕しているし、グレアムも目を丸くしている。
「勝負って……この、しょぼくれたのと?」
「しょぼくれたとか言うな! いや、クレイン様!?」
「ああ、まあ。勝つ自信が無ければ、無理にとは言わないが」
見た目からしてまるで強そうに見えない、ハンスとの勝負から逃げる。
それはグレアムからすれば、大人しく降るよりも醜態と言えた。
むしろ彼の背後には筋骨隆々とした武人のランドルフがいるのだから、ここでハンスが出される理由と言えば。
お前にはハンスで十分だと侮られている。
彼はそんな判断に至った。
「おい、子爵様よォ。アンタ俺のことをナメてんだろ?」
「……そうか、グレアム。お前はハンスのことを軽く見ているんだな」
しかしクレインは大真面目だ。
グレアムには、その自信がどこからきているのかがさっぱり分からない。
「勝てると思っているなら勝負を受ければいいだろうに。……それとも何だ? ハンスに恐れを為して、ランドルフと勝負をさせてもらいたいのか?」
ハンスの見てくれは覇気の無い男で、青年と中年の中間くらいの――特に特徴の無い平凡な男だ。
そして実際に、ハンスの実力はそうでもない。ランドルフが本気を出せば、模擬戦が数秒で終わる程度だ。
武力面を比較すること自体が間違っている。
「ランドルフってのはそっちの大男か……って、待てやコラ。おかしいだろうが」
「何がおかしい。ハンスは強いぞ」
そう言われたグレアムはもう一度ハンスをよく観察するが、隠れた達人と言うわけではなさそうだ。
順当に弱いと見た。
他の選択肢がある中でこの男を当ててくるとは、からかわれているのだろうか。
それとも喧嘩を売られているのだろうか。
「親分! やっちゃってくださいよ!」
「目にモノ見せてください!」
「うぇーい」
グレアムも大いに迷った。
しかし話の脈絡が無いとしても手下の手前、売られた喧嘩は買うしかない。
「コイツが強いか。吹かしやがったな」
「吹かしてなんていないさ。事実、ハンスはこの場の誰よりも強い」
グレアムは一歩前に出て、無茶苦茶な言い分を並べるクレインを睨みつけた。
軽く見られたことをあからさまに不快がり、心が乱れている。
しかしその程度で、ハンスとグレアムの腕っぷしの差を埋めることはできない。
「上等だよ。オラ、どっからでも掛かってこいや」
「え、ええ? あの、クレイン様?」
「勝つ自信はあるんだな?」
交渉相手の顔色が、いつもこれだけ分かりやすければな。
などと思いながら、クレインは追加で挑発していく。
「たりめーだバカ野郎が。五秒でノしてやるわ」
「どんな勝負になっても、どんな結果になっても文句は言わない?」
「くどいんだよ! さっさとしろ!」
グレアムはしっかりと言質を取られていき、策の用意は整った。
ここまでくれば、あとは不良が大好きな勝負事と賭け事の話になる。
「なら、勝負だ。負けたら大人しく配下になること。それでいいな」
「俺が勝ったら覚えてろよコラ」
かくして、勝負に勝てばグレアムが配下になると決まった。
話はまとまったのだ。
――当事者であるハンスが、一切承諾しないままに。
「え、あ!? あの、ちょっ……!?」
「ハンス殿、諦めた方がよさそうだ」
「そうですね。我々は後ろで応援しています」
ランドルフから見ても、マリウスから見ても、この二人が戦えばどうなるかは察しがつく。
恐らく開始から三十秒後には、ハンスが地面に転がっているだろう。
そんなことは本人も十分承知の上だ。
「止めてくれないのか!? おい!」
「クレイン様がお決めになったことであれば……何とも」
「ええ、途中までは想定通りと仰っておりましたし……あとは成り行き次第です」
クレインの手腕は確かなものだ。
内政能力だけを見ても、十分に名君の素質がある。
その彼が自信満々に切り出したのだから、この勝負にも勝算があるに違いない。
いや、きっとある。
そう信じつつも。残る護衛の二人は遠い空を眺めて、ハンスから目を逸らしていた。