第四十七話 いつか見た光景
王国歴500年8月14日。
クレインは情報を集めてからやり直し、問題の根本的な解決方法を模索していた。
マリウスを通じて各地に散った武官たちがどこへ行ったのかを調べ上げ、情報収集は完了している。
広く人材を集めていたのは北部の領主に多かったが、中央や南方、果ては西方へ流れて行った者までいた。
しかし流れたのは主に平民出身の武官だ。貴族家出身の者は世の中の流れを敏感に感じ取り、値上がり待ちで動いていない者が多かった。
「ピーターが声を掛ければ貴族出身者の大部分は集まるんだ。ここはもう解決と見ていいな」
事情を一通り確認し、東へ行った者が見当たらなかったことに一安心しつつ、一方でピーターが誘いを掛けてみた結果がどうなったのかと言えば。
「子爵家へ仕えよ、か。剣聖ほどのお方が……そう仰るならば」
「間違いはあるまいな。まあ無論、相応の地位は用意していただきたいが」
そんな話に落ち着く者が多かった。
貴族の子弟は名誉を気にする者が多く、王都で名の知られた剣聖からの誘いということであれば、本人からしても実家からしても乗って損は無い。
もちろん中隊長からの始まりとなるが、働きぶりに応じて大隊長への格上げを約束しての人事となった。
人を率いるだけの知識と教養がある人物は貴重なので、現場の部隊長は主に平民組に任せ、軍勢の指揮は貴族組に任せるという配置は自然でもある。
「男爵家以上の出身者が集まらなかった理由は売り渋りだったんだ。ここは急がなくてもいい」
今の段階で引き抜きをかけた数名を除いては、獲得時期が遅くとも構わない。
今回はそれを確認した上でのやり直しとなった。
残る問題はグレアムを始めとした、平民出身の仕官者だ。
要するに現場で指揮を執る部隊長クラスの人材については、時間が経つとどうしようもない。
生活に困窮している者が多く、声を掛けられた端からどこかに就職しており、地主や名士、騎士爵の家や豪商の私兵と――雇用先がまるでバラバラだったからだ。
「一人一人集めて回るのも手間だし、普通は声を掛けてきた理由を聞いてくるからな」
名も知らぬ平民の一本釣りを何度も繰り返せば、確実に誰かの目に留まるだろう。
ヘルメス商会の人間はもちろん、東側勢力に知られてはならないし、王女に勘づかれでもすれば一大事だ。
そう考えたクレインは都合のいい大義名分、隠れ蓑を探した。
「結局これしかないか。嫌な思い出も蘇るけど、準備は万全だ」
今回のスタート地点はアレスとの殴り合いを終えた次の日からであり、王都滞在中にとある仕事を追加してからの帰還となった。
過去と同じく三か月ほどかけて下準備を整えてから、今日の日を迎えている。
ブリュンヒルデを始めとした王宮からの仕官組はまだ到着しておらず、先にやって来たトレック以下数名の商人と、初めて顔合わせをした時期だ。
既に商売は始めさせたが、本格的な参入を前にして、月末に会合を開く調整をしていた頃でもある。
「これで空振りなら、また考えるとしよう」
そんなことを呟きながら外出の準備を終わらせたクレインは、ノルベルトと合流するために玄関先へ向かう。
街の中心部で用事があるため、今日の彼は余所行きの恰好だ。
「グレアムの移動がせめて、あと二週間遅ければとは思うけど……行ってしまったものは仕方がない」
さて、歩きながらもクレインはまた考える。
目下獲得したい人材の筆頭であるグレアムは4月末の段階でヨトゥン伯爵領へ移住を開始し、9月には山賊となっている。
しかも調べを続けるうちに、ヨトゥン伯爵家が少数精鋭で秘密裏に、グレアム率いる山賊団の討伐へ動いたという報告があったのだ。
王国歴501年まで時間が進めばグレアムは始末されてしまうので、タイムリミットが年内いっぱいと定まってもいた。
「4月まで戻れれば、話は早かったんだが……王都行きを先にしておくべきだったか」
彼を獲得するために最初からやり直すことも視野に入れたが、それは難しい。
クレインが今回の道のりを振り返ったとき、アレスとの殴り合いで同じ状況を再現することは、かなり困難に思えたからだ。
「まあ戻れるのは5月までだ。それより前には戻れないんだからこれが最善だよな、多分」
アレスへ向ける怒りの演技が難しければ、どの程度殴れば彼の洗脳が解けるのかが分からない。
そもそも鬱憤が爆発して、何を話していたのかは彼自身よく覚えていない。
無我夢中で殴り続けたので、殴った回数と威力についても同様だ。
更に言えば、現在はアレスからの好感度が非常に高いものの、彼の説得に成功した材料が何なのかが分かっていない。
言葉のトーンなのか、熱量なのか、殴ってまで諫められたことが嬉しかったのか。具体的に何が彼の琴線に響いたのかも分からないのだ。
「それにあの様子じゃ、どうしてあの流れで信頼したのかと、理由を聞いても意味は無さそうだ」
殴り合いの直後から急に好印象へ転じているので、その時点で既に色眼鏡が入っている。
参考にはなるだろうが、味方になったあとのアレスの意見に、全幅の信頼を置くことはできなかった。
「最悪の場合は陛下に密告されて術ごと消される可能性まであるし、もう一度試してみる気にはならないな。ここが一番リスクの大きいところで、4月に戻るのはそれこそ最終手段だ」
クレインが懸念しているのは、何かの拍子で同じ流れにならなかった場合のことだ。
アレスの洗脳解除に失敗したり、実は禍根が残っていたりして、国王に相談をされれば終わる。
時渡りの術は禁術という発言があったので、門外不出のものだろう。それが何故か地方領主に掛かっていると知れれば、国王は対策に乗り出す可能性が非常に高い。
まかり間違って反乱軍側に付かれた場合は、確実に反乱が成功する存在を放置するなどあり得ない。
クレインが国王の立場なら、何らかの処理は必ずする。
だから冷静な頭で、説得に失敗した場合のことを考えれば――もう5月の前半以前には戻れなかった。
「俺が陛下の立場なら、情報を聞き出してから抹殺する。ここはもう下手に弄れない」
王家が管理していた術なのだから、国王は解除方法や、別な人物に上書きする方法を知っているかもしれない。
それにアレスも国王にしか使えないはずの術だと言うのだから、ある意味ではアクリュースを刺激するよりも数倍厄介なことになる。
完全に詰んだなら話は別だが、今の時点では犯す必要の無いリスクではあった。
「陛下がこの事実を知らない間に、どれだけ多くの情報を引っ張れるかが勝負だ。この辺りも調べないと、いずれは下手を打つかもしれない」
アレスとのやり取り以前に戻ったところで、これ以上の改善も難しい。
クレインの中では5月までの行動が完璧と言えるものだったので、グレアムの獲得を目指して過去に戻り、どこかが崩れれば、どこをどうやり直すかの精査が一気に難しくなるというデメリットもあった。
だからやり直せる範囲は殴り合いの次の日からと決めて、彼は作戦を立てたのだ。
「しかし、ここに戻ってくるとはなぁ……」
クレインが玄関先へ出れば、そこにはどこか不安気で、ソワソワした様子のノルベルトが待っていた。
横には護衛の姿もあり、出かける準備は万全だ。
「クレイン様、あの、滞りなく進んではおりますが」
「開会の挨拶とかはハンスがやってくれたんだろ? 問題が無ければそれでいいよ」
5月の段階ならばグレアムもまだ真面目に農家見習いをしているだろうし、他の人材も今の段階であれば他勢力からの誘いは来ていない。
本格的な不景気はまだ先なので、今人材を集めようとすれば多少高くはつく。
しかし人材の価値が再度値上がりしてから集めるよりは安い。
先手を打つなら今しかないと考えた末に、クレインは過去に失敗した――とある政策を掘り起こした。
「改めて思いますが、このような財産の使い方は……」
「父上は、いざとなったら遺産を使えと言っていただろう」
「し、しかしもう金庫は空です」
どうしても外せない部下へ個別に手紙を出して、誘い出すのはもちろんだ。
ピーターからの勧誘も当然やる。
そして、いっそ限界を超えて人材を収集しようとした結果が今だ。
「大会の会場はこちらでーす。出場部門ごとに別れてお進みくださーい」
ノルベルトがクレインに「本当にこれでいいのか」と抗議していると、ちょうどマリーがプラカードを持ち、集まった大勢の人間を誘導しながら通り過ぎて行った。
クレインの屋敷前から大通りに続く道には屋台や舞台が立ち並び、結構な盛況ぶりを見せている。
そこにはいつか見た光景が広がっていたが、具体的に何をやっているのかと言えば献策大会だ。
クレインからすれば、最早懐かしい光景が目の前に広がっていた。
過去と違う点があるとすれば、内政についての意見はもう十分なことだ。
その点を考慮して、今回は内政政策部門――献策が必要な部分――を削っての開催となっている。
「王宮から教官役は呼んだが、即戦力も必要だからな。必要経費と割り切っていこう」
「いつの間に、そんな思い切りが良くなられたのか……」
鉱山の急開発だけで財政が傾き、何をせずとも財政破綻待ったなしの状況だ。
そこに追い打ちをかけるような散財ぶりを見たノルベルトは卒倒しかけていたが、一方のクレインはいい笑顔である。
「銀が高騰しているご時世だから、鉱山が稼働すればお釣りが来るさ」
「はは……」
「クレイン様! 護衛はお任せを!!」
「ああ、頼むぞランドルフ」
もちろんこの上機嫌には理由がある。
例えばランドルフはもう個別に呼び出して、トレックよりも先に仕官済み。初めての外様配下として獲得していた。
今日はハンスが不在のため護衛に付くことにしており、やる気も十分だ。
彼についてはトーナメント優勝後に雇うよりも個別で呼んだ方が忠誠心とやる気が上昇していたので、ここは丁寧に対応している。
また、冬になる前には人材強化の名目で支度金を渡し、見どころのある知り合いを引っ張ってくるように言い含めるつもりでもあった。
仮に今後何かあり、盗賊討伐の報酬金が無くともランドルフ隊は組織できる。
「人材獲得も順調順調。今回もいい人材に期待しよう」
マリウスについても同様に、アイテール男爵との交渉は既に終えている。
北で世話になったお礼の手紙を書くついでに引き抜きを打診して、特に何の問題も起こらず――前回の引き抜きと全く同じ流れで――すんなりと獲得できた。
というわけで、クレインは反乱が起きないように各地の村長や顔役などに根回しを済ませてから、現実的な賞金などを用意して、再び大会を開く運びとなった。
「若手の人材が欲しいというのは、もちろんなのですが……」
「大丈夫だって。金庫の中身なら考えがあるから、心配しなくてもいいよ」
財政破綻寸前で気を揉んでいるノルベルトの肩を叩いてから、クレインはランドルフを連れ、軽い足取りでメインストリートを歩き始めた。