第四十五話 本当の敵(後編)
国境付近の大勢力が、知らぬ間に他国を切り取り領土を拡大していた。
それは不穏な気配を感じる話だろう。
しかしブリュンヒルデとマリウスからすれば、おかしい話となる。
「東伯も東侯も……何故それを報告しないのでしょうね」
「権限からすれば十分に認められるはずですが。裏があるということですか?」
「ああ」
例えば東伯は辺境伯だ。軍事については事あらば即座に動けるよう、王国から独立した動きも認められている。
与えられた権限には切り取りの自由があり、他国を侵略して勝ち得た領地は、正当に自領とする権利がある。
わざわざ隠すことを、普通はしない。
隠れて領土を拡大するなど、反乱でも企んでいるのかと疑われるからだ。
「ここで話を本当の最初にまで戻すけど、アレス王子と俺が手を組んだ理由は反乱の阻止なんだ」
「あの、クレイン様。反乱と言うと?」
それでも、事実として彼らは反乱を企んでいる。
だから世間的には衝撃的な事実を明かすことになるが、クレインにとっては順当な結果でしかない。
「東伯と東侯、そして西侯が手を組み、国家転覆を狙っているらしい」
南北と同盟を組んで、東へ備えていた時の見立てはどうだったか。
東側全域が敵対したとすれば、領地の規模から算出される最大派遣兵力は十万ほどだ。
敵の背後には外敵がいるのだから、兵数はそこから更に減るだろう。
そう思っていたところに、他国を併呑して、兵力が加算された大部隊が攻め込んでくるところだった。
当然、敵兵力への試算には大誤算が起きている。
本来の歴史でラグナ侯爵家が西での決戦に勝利できても、東側まで打ち破れたかは非常に怪しい数が出てくるだろう。
そしてこの話を聞いた三人の反応は、二つに分かれた。
「ええっ!?」
「なるほど、そういうことでしたか」
「ふむ。確かに筋は通りますね」
東西から挟撃して王国を滅ぼす。
そんな計画をいきなり伝えられて仰天したトレックとは違い、ブリュンヒルデは主がクレインと急接近した理由がそれかと頷き。
マリウスもその流れは不自然でないと冷静に確認していた。
「同化政策が進んでいて、熟練の騎馬隊が数を増やしているらしい」
「東部の民は騎馬民族でしたからね」
「放牧地が増えたとなれば、東伯領の騎兵が増えることも予想されます」
大慌てしている者が一名、ごく普通に状況の把握を始めた者が二名。
三分の二が動じていないのだから、これにはクレインも安心できる。
「その分析力は流石だ。頼もしいな」
「……お二人とも、冷静過ぎません?」
釣られてトレックも一気に正気を取り戻し、何はともあれ情報の共有は進む。
ここを話すのだから、最初から全部を明かさなければいけない。
話は王子との連携から始まり、どうしてヘルメス商会に打撃を与えようとしていたのかにまで及んだ。
更に北ではビクトールの手紙によって、共に反乱を画策しているヘルメス商会への粛清が起き。
東ではサーガが暴れたことまで、全てを伝えていく。
「今までは反乱への備えという認識で動いていたんだが、今は違う。相手は辺境伯と侯爵ではなく――小国二つと捉えてくれ」
二家を合算すれば国内最大の勢力である、ラグナ侯爵家すら超えるかもしれない。
そして彼らが進軍するとなれば必ずアースガルド領を通過することになるし、王国側がそれを防ごうとすれば、全国の兵がこの地に集う可能性があった。
「そこまでいけば、内乱と言うより……」
「ああ、他国を相手取った戦争と考えるべきだ。間違い無く大戦になる」
しかし東についてはサーガが脱出するまでの間に、嫌がらせの片手間で集めた情報だ。
欠落している部分は多いし、具体的にどれくらい勢力が膨れ上がったのかは詳細が明かされていない。
「敵は既に戦いの支度を始めている……というか、もう戦いは始まっているんだ。東の防諜体制は既に万全で、厳しい情報戦になる」
「では密偵を育てるよりも、現地雇用をした方が良さそうですね」
必要以上の厳戒態勢を敷いていたのは、版図が広がった事実を隠す面が大きかったのだろうと察する一方で、クレインも情報収集の厳しさは改めて実感していた。
マリウスが組織化した密偵が東に送られた時、大半は任務に失敗して命を落としている。
それはそれで結構な痛手だった。
だが、最初から敵が反乱計画に備えて、裏方を強化しているとは既に知れている。
諜報部員たちが動くよりも現地人を金で転ばせた方が成算が高いと、この点での計算は一瞬で済んだ。
金で転ぶ人間を選定する買収用の人員を送るだけなら、リスクはかなり低減される。
「やり方は全部任せるが、調べるべきものは敵の本当の最大兵力と、ヘルメス商会がどういう状況に置かれているかだ」
「承知致しました。全力で任に当たります」
東伯、東侯がどの程度の領地を獲得したかで、敵戦力が変わる。
ヘルメス商会が東側へどの程度根を張ったかで、支援体制が変わる。
アースガルド子爵領とて過去よりも強化されているのだから、最悪の場合は最初から最終決戦にもつれ込む可能性があった。
これ以上の拡大をされる前に潰してしまえ。
そう判断される可能性は決して低くはない。
「ヘルメス関係は南の結果次第だろうから、重点を置くなら第一に東。第二が南だ」
「中央は必要ございませんか?」
「その点はアレ――ええと、アレス殿下の方からも報せがあるはずだ」
クレインは何の気無しにアレスと呼ぼうとして、慌てて軌道修正が図られた。
ブリュンヒルデとの関係は良好で殺される気配も無いが、ピーターが言うところの洗脳が、どういう状況を指すのかが分かっていないのだ。
呼び方一つでスイッチが入る可能性は低いと信じたいところでも、危ない橋を渡る必要はまるで無い。
「えー、ごほん。というわけで、この三名が中心となって情報を集めてくれ」
誤魔化すように締めくくると、クレインは早速仕事を始めさせた。
回り道にはなったが、ようやく揃った大駒たちだ。
「あの、クレイン様。これだけ大きな動きなのに、王家は動かないんですか?」
号令をかけたので、あとは動くだけ。
そんな段階で、トレックから当然の疑問が出てきた。
いくら完璧な情報統制をして、他領の領主を騙せたとしても。各地の動向を監視しているであろう王家にまで、完璧に隠し通せたとは考えにくい。
「今のところは殿下が個人的に動いているくらいで、国王の動向は不明と聞いたけど……」
同盟を組んだ時点で討伐令の用意が完了していたところを見れば、国王も全くの無策でいたはずはないとクレインも思っているが。
しかしその頃は中央の動静を調べる余裕が無く、王宮の動きは不明のままだった。
「ブリュンヒルデは何か聞いているか?」
「いえ、私も存じ上げません」
「俺も殿下としかやり取りをしていないから、中央とのパイプ作りは今後の課題かな」
敵の輪郭は見えてきたが、まだまだ分からないことも多い。
だからこそ調べるのだ。
凄腕暗殺者、大商人、諜報部長。
どんな手を取るかはクレインも敢えて聞いていないが、この三人なら能力に不足は無い。
そう判断した彼は、安心して各地の情報収集を任せることができた。
敵の本当の戦力を知った分だけ悩みが増えたものの、長い間一人で抱えていた秘密を共有できたのだから、少しは心労が和らいでいる。
暗中模索の状況を脱したクレインは、ようやく体制が整ったことに安堵していた。
四章末での認識。
外国に攻め込まれる可能性があり、東側勢力が決戦に送り出せる兵力はいいところ十万ほど。
味方はアースガルド、ヨトゥン連合軍五万 + ラグナ侯爵家その他中央貴族からの援軍。
本当の状況。
外国は既に攻め滅ぼしてあり、敵国の領土を編入中。
背後への備えが要らないどころか、徴兵できる数が大幅に増えている。
下手をすれば二十万以上の兵が出てくる。
敵軍兵力が、当初の見積もりの倍以上であったことが発覚しました。
規模としては大きな領地二つではなく、小国二つを相手取っての大戦となります。