第四十話 最も深い縁を持つ男
「お。いたいた。……なあ、ピーター」
「おやクレイン様。いかがされましたか?」
ピーターが仕官した数日後。
できるだけ自然な接触を図るために、クレインは新任武官の視察という名目で練兵場を訪れた。
領都の東側にある、郊外の広い土地を柵で囲った横に、根無し草用の宿舎がある場所だ。
「ちょっと聞きたいことがあるんだ」
ハンスを伴い一通り訓練を眺めたあと、訓練に参加もせず木陰で寝ていたピーターを見つけて、クレインは早速声を掛ける。
今に至っても打開策が見つからない、人材紹介を頼めるか聞いてみるためだ。
「某でお役に立てることがあればなんなりと。今は暇ですからな」
「一応、訓練中だぞ……」
「はっはっは。まあ良いではありませんか、ハンス殿」
王都出身者は元々ピーターの実力を知っている者が多く、身分が高い者ほど、彼の素行については見て見ぬふりをしていた。
やる気の無さに憤り、手合わせ願い出た者たちは、あっさり全員叩きのめされている。
ランドルフを一騎打ちで下すような化物で、そもそも伯爵家の出身だ。
触らぬ神に祟りなしとばかりに、今では自由人といった地位を獲得している。
クレインとてそんな事情は既に察している。
だから彼は、特に気にした様子も無く続けた。
「有事の時に働いてもらえればいいさ」
「クレイン様がそう言うなら、いいんですが」
そしてハンスとて、ピーターに訓練が不要なことは知っている。
しかし堂々とサボっているところを見た彼は、一応上官の前なのにと苦笑いしていた。
問題児や高貴な人間への対処までハンスに丸投げされているのだから、苦労が偲ばれるところだ。
しかしそれを横に置き、クレインは話を切り出す。
「それで、相談なんだが」
「どのようなお話で?」
「いくつかの家に渡りを付けたいんだけど、ツテが無いんだよ」
ピーターは伯爵や侯爵といった高位貴族の子弟も弟子にしている。
指導を受けられるだけで名誉という評判もあるらしく、剣の師としてはかなり人気があるという話は既に摑んでいた。
「評判を聞いて、できるなら採用したいと思っている人材がいるんだ」
「それは良きお考えですな」
諜報が専門というわけでもないのに、縁を頼って情報収集ができるくらいには顔が広い男だ。
クレインはその交友関係を見込んで話を持ち掛けている。
「誘いを送りたいのは、接点が無い家の人間ばかりでね。紹介を頼みたい」
「左様で」
「……リストには纏めてきたんだが、どうだろう?」
行方が分かった者も分からない者も、全員をリストアップ済みだった。
これで全員採用できれば、もちろん最高だ。
しかし今の段階で行方不明の者は、どこかの勢力へ付いている可能性が高い。
その場合は彼から各家へ話をした際に、行方だけでも知れれば儲けものという作戦だった。
この話を聞いたピーターは納得したものの、それと同時に柔和な糸目を少し曲げて困った顔をしている。
「なるほど、しかし某の個人的な声掛けでは――」
「何人か獲得できたら、サボりを領主公認にするから」
もちろんクレインもタダでとは言わない。
特別任務への恩賞は、訓練への不参加などを含むサボりのご免状である。
ビクトールと同じく、昼行灯でいたいところはこの男も同じなのだ。
だからクレインは、事前に用意した紙切れで釣ってみることにした。
「え、あの。クレイン様、それは……」
「いいからいいから。ほら、リストを見てくれ」
サボりを公認にするのはどうかと口を挟みかけたハンスを制止して、クレインは真剣な表情をする。
彼の縁でどうにかならないか。
クレインは一縷の望みをかけ、採用したい者たちの一覧表を手渡した。
「ふむ。では、真面目に考えてみますか」
「助かる」
「ああもう……ランドルフの訓練が厳しすぎて、新兵から不満が出ているのに……何故また問題になりそうなことを」
これで動くかは大いに不安だったクレインではあれど、ピーターはそれで手を打つと決めた。
そして十八人分のリストを確認したピーターは、最後まで読むと軽く頷く。
その大半は、彼が個人的に話せる家と分かったからだ。
「十二……いえ。十三名にならば、某から手紙をお送りできますな」
「そんなにか?」
「ええ、全員動くかどうかはまた別ですが。これで某も顔は広い方なのですよ」
優し気な笑顔でそう言うピーターを、ハンスは胡散臭そうに見ている。
しかしクレインからすれば、これは朗報だ。
笑顔が怪しいなど些末な問題でしかない。
クレインが声を掛けても来ない人間へ、ピーターの人脈を頼りに話ができる。
高名な剣聖からの声掛けなら何人かは動くだろう。
しかも借りを作るのはピーター個人に対してであり、実質ノーコストの恩賞も用意できた。
複雑過ぎる問題に悩んでいたクレインにとっては、いいことしかない展開だ。
「具体的に、誰に声を掛けられる?」
「そうですな……上から順にいきましょうか」
身分の順に並んだリストが、上から順番に一人ずつ読み上げられていく。
試験の合格発表を待つような気持ちでクレインが身を乗り出し、ピーターは淡々と名前を告げていった。
「――以上ですな」
そしてあわよくばメーティス男爵家もと思ったものの、願いは届かず。そこは彼の縁からも外れている。
そうと知ったクレインは、あわよくばと思っていただけに落胆を隠せなかった。
「ああ、そうか……」
「何かご懸念が?」
自覚した通り、マリウスは何でも話せる側近だけに、できれば雇用しておきたい人物の筆頭なのだ。
しかし、誰もマリウス本人との縁が無く。実家同士で付き合いがある者すら稀な有様だった。
そして今の道順では、これ以上の新しい窓口は望めない。
新規の人材はピーターで打ち止めだ。
男爵家と個人的に知り合いという人間がいなければ、マリウスの友人はおろか、知人すら一人も配下にいないと確定したことになる。
「メーティス男爵家との縁は無いか」
「ええ、残念ながら」
三男であるマリウスは社交パーティにも来ることが無く、個人的な面識を持つ人間は一人もいない。
社交をするのは主に後継ぎである長男で、何かあった時のために、次男が時折顔見せをするくらいだろう。
男爵家の経済規模ならそれも無理のないことだ。
だからと言って、新規で雇った上流階級の人間は、現時点で三十名以上いる。
誰かは当たるだろうと考えていたクレインからしてみれば、空振りは予想外の痛手だった。
「となると本格的に情報が無いんだが、何か知っていることはあるか?」
「ふむ……某が知るのは、噂程度のものですな」
むしろ王家とまで親しくなっているクレインが、そんな無名の人材に何故執着しているのかと、周囲から興味を持たれるほどだ。
マリウス・フォン・メーティスは、本格的に謎の人扱いされている。
一番顔の広そうな剣聖でもダメなのだから、こうなればいよいよビクトール経由で話を付けるしかない。
そんな事情を知ってか知らずか、ピーターは呑気に続けた。
「長男が領地を継ぎ、次男は他領で代官として働いているですとか。三男はその補佐を務め、実務経験を積んでいるですとか……」
「それが知れただけでも前進か」
マリウス本人の情報は何も落ちていなかったので、次男とセットで行動していると知れただけでも収穫だろう。
今までの聞き取りでは、そんな話すら出てきてはいない。
「ある程度名前と顔が知れている、次男の方から攻略するのが建設的か」
「ふーむ」
多少名前が知れている次男を調べていけば、8月までのマリウスがどこにいたのかが分かる。
本人と直接話をする機会を設ければ何か変わるかもしれないし、どう動くかの判断基準はできると見ていい。
「メーティス男爵家の次男と、アポイントが取れないか?」
「アポイント、ですか?」
「ああ。ピーターができるなら頼みたい。それか領内で、交渉を成功させられそうな人間がいれば教えてほしい」
真剣な表情のクレインを見て、何を思ったのか。
仲介を頼まれたピーターは、心底不思議そうな顔をしていた。
「このお話に、仲立ちは必要無いと愚考しますが」
「と、言うと?」
「さて、これは何と言えば良いのやら」
穏やかな糸目を少し困ったように曲げて、考え込む仕草はブリュンヒルデと似ている。
むしろブリュンヒルデが彼に似たのだろうか、などと益体も無い考えが巡っていたクレインに対して。あっけらかんとピーターは言う。
「今回の件で、誰が交渉役として適任かと言えば――間違いなくクレイン様です」
「は?」
この返答にはクレインも唖然とした。
手紙で交渉を仕掛けて、にべもなく断られた経験があるのだ。
「間接的に最も深い縁を持つのがクレイン様なので……交渉であれば余人を介さず、直接やり取りされるのが早道かと」
縁もゆかりも無ければ、一切の関係が無いことは既に身をもって知っている。
しかしピーターは呑気な態度で、ごく当然のように言う。
「え? 俺?」
何をどう考慮すればそうなるのか。
この回答に、クレインはただただ困惑していた。