第三十九話 奇妙な報告書
クレインが方針を立ててから二か月。
聞き込みをして回った結果は、全滅だった。
マリウス個人についての情報も、メーティス男爵家についての情報も、結局領内では集まっていない。
だからこれ以上の聞き込みは諦めた。
諦めたと言っても、マリウスの確保を諦めたわけではない。
聞き込みについては最後の砦、王都方面で一番顔の広い男、ピーターが仕官してくるのを待つ段階になっている。
もしそれで空振りならビクトールを使うと決めた。
「ピーターも知らないなら、領内での活動は終わりだ。情報を集めて再始動、それでカタをつけよう」
ピーターは人材の流入が止まる直前に、しれっと武官の中に紛れ込んでいた。
それは前回の人生で確認してある。
それを知っているだけに。成果が芳しくないと見たクレインは、そろそろ思い切った動きをしようと考えていた。
そして彼の思考を中断させるように、寝室のドアがノックされる。
「クレイン様、失礼致します」
「入ってくれ」
現在は既に夜が更けて、来客にはあり得ない時間帯ではあった。
しかし何か報告があれば、この時間に訪ねるよう命じたのはクレインだ。
「エメット。調査状況の話か?」
「ええ。それなりに情報が集まりましたので、ご報告へ上がりました」
商人と協力して情報を集めたいのはもちろんだが、スルーズ商会の職員などはズブの素人だ。
情報収集専用の人材と組ませなければ、規模のメリットも発揮し切れない。
マリウス獲得の難航など。諸々の事情から、クレインは抜本的に行動を変えてみた。
今回の人生では、現状の人材で諜報部を組織し、可能な範囲で各地に探りを入れてみる方向で動いている。
「調査結果につきましては、こちらのリストをご覧ください」
経歴や雰囲気、能力がマリウスと似ているという点などを理由に門下生のエメットをピックアップし、諜報組織の結成を命じてみたのだ。
指揮官や将校の役割を担う能力もあるので、これは試験運用でもある。
「そうか、見てみよう」
仮にマリウスの再雇用が順調だったとしても、この動きは無駄にならない。
調べが終わっている範囲は、調査対象から外していけるからだ。
エメットを責任者に据えたのが8月末のことであり、今は10月の半ば。
たったの二か月ではあるが、それなりの情報が集まっていた。
やはり彼も優秀ではあると再認識しつつ、クレインは報告書を受け取る。
が、しかし。目を通してみると、それは奇妙な報告だった。
「……なんだ、これは?」
「どうかなさいましたか?」
エメットからすれば何もおかしいところは無い報告書だが、クレインからすれば首を傾げざるを得ない。
調査内容は領地へ仕官しに来なかった、貴族家出身の者たちに関する動向だ。
彼らがどこへ行ったのかと言えば――どこにも行っていなかった。
確かに何名かは再就職を果たしている。しかし仕官せず、実家で暮らしている者がほとんどだ。
アースガルド領に来なくなっただけで、移籍はしていない人間が多かったと書かれている。
「領地の経営だって、そんなに上手くいっているところばかりじゃないだろうに」
言い方は悪いが、平時の武芸者は無駄飯食らいでしかない。
それに平民より裕福な出とは言え、クレインの元へ集まった者たちは下級貴族の三男や四男が大半となる。
実家に居ても冷や飯を食わされるだけなご時世でもあるし、仕官に焦っている人間が多かったはずなのにと、クレインは訝しんでいた。
「今は市場価値が上昇中ですからね。一番いい条件が出るまで待っているようです」
「……ああ、なるほど」
しかしエメットの言い分は正論だ。
王国内での売り手市場化は急激に進んでいる。
各地の動静を知れる立場にいる者たちならば、暴落しかけた武官の相場が、一転して急騰しているとすぐに分かる。
焦って地方領主の元へ仕官するくらいなら、待っている方が利となる場面だ。
動き出しが遅れて焦っている伯爵家や侯爵家にでも召し抱えてもらった方が、確実にいい待遇を受けられる。
仮にも上流階級出身者ならば、その判断はすぐにつくだろう。
「はあ、そういうことね」
武官たちの情報がまともに集まらなかった理由も、すぐに分かった。
クレインがまだ、全国的には無名の田舎貴族という評価に収まっているからだ。
相手が上級貴族ならともかく、下級貴族ではクレインと王子が組んだと知らない者が多数派となる。
ただの田舎者としか見られていないのだから、世間的には零細子爵家だ。
アースガルド家に仕官しても安定した職と、名誉が得られるとは思えないだろう。
「この状態で声を掛けても、いい返事がもらえるわけがないよな。ああ、当たり前だ」
今回選んだ道では、領地とクレインの名声が上がるような、景気のいい大会を行ってはいない。
しかも広く人材を募集するというよりはピンポイントで狙い撃ちしていたため、人手不足という点も広くは知られていない。
どこかの領地で雇止めされた者が多く、再就職には慎重な者が多いのだ。
今のアースガルド家が検討の候補に挙がるはずもないので、早々に見切りをつけられていた。
平民の仕官予定者からしても、知らない貴族から突然の誘いが届けば警戒するだろう。
身の危険を感じて、雲隠れした者がいるかもしれない。
そんな事情を予想しつつ、クレインは尋ねる。
「この情報はどうやって集めたんだ?」
「手の空いている同輩に手伝いを頼みました。個人的に話せる家を当たった結果です」
クレインが仕官の打診を送っても、メーティス男爵家の時と同じく門前払いだったはずだ。アースガルド家という聞いたことも無いような貴族を相手に、親族の情報を漏らす家は無い。
知り合いから近況伺いが来たから、最近何をしているのか答えた――という流れになっている。
「なるほど、ありがとう」
「いえ、お役に立てたようであれば何よりです」
そう言ってエメットはにこやかに笑うが。マリウスが怜悧な美男子なら、彼は穏やかで爽やかな正統派の美形だ。
立場を交換すれば、アレスよりもよほど白馬の王子様に見えると、クレインは思っている。
「報告は以上かな?」
「ええ、続報はまた集まり次第お届け致します」
しかしいくら属性が似ているとは言え、獲得難易度の高いマリウスの代わりに彼を据えるかと言えば――能力的には不足がある。
報告書では平民出身者の情報がゼロに近く、既存の友好関係を辿って情報を集めるのが得意という人材だからだ。
これでは貴族がサロンなどで社交するのと変わりは無く、東側にそれは通じない。
エメットが無能というわけではなく、求める方向性が違うのだ。
それにクレインが集めたい裏の情報を探るには、エメットが持つ品の良さが、少し邪魔な気もしている。
「……どうしよう。一応、聞いてみようか」
「何か気掛かりなことが?」
しかしエメットにも、戦略構想ができる知恵はある。
彼が将校向きなのは間違い無いのだ。
だから一応相談してみるかと聞きかけた問いを引っ込めて、クレインは手を振った。
「……いや、すまない。何でもない」
「承知しました。では、私はこれで」
「ああ、おやすみ」
話すことが無ければこれで仕事は終わりだと、エメットは退室し。残されたクレインは机の引き出しから一枚の紙を引き出す。
それはサーガから送られてきた、東についての報告書だ。
「これの相談ができるほど信頼ができていないというか、北派閥っていう足枷もあるからな」
エメットは北の出身で、仮にラグナ侯爵家から声が掛かれば進退に迷うだろう。
それ以前に、実家や地元に不利益がありそうな情報を知れば、そちらを優先する可能性もある。
と言うよりも、これは彼以外にもほとんどの者に当てはまる不安だ。
何度も人生を繰り返す過程で、特筆するほどでもないが、不穏な動きをする配下はたまに見かけていた。
「まだ信じ切れていない以前に、マリウスは俺の横で……もう二十年は側近をやっていたからな。スタート地点が違い過ぎる」
アースガルド家に仕官してきた者たちのことを、順番に思い浮かべた時。
主力武官の中で一度も怪しい動きを見せなかったのは三人だ。
「ランドルフとマリウス、それからグレアム。この三人は信用できる」
貴族の出身者に限れば、変な事情を抱えていなかったのはマリウスくらいかもしれない。
裏切りの心配が無く、忠誠心が高い順に配下を並べると、外様ではこの三人がダントツだ。
そのうち二名が消えていて、焦っていた面はある。
「仕事を任せきりで良くて、変な紐が付いていなくて、人間として信頼できる。その上でどこかに情報を漏らさないって条件までクリアできそうなのは、マリウスだけなんだよな……」
仮に今からエメットと信頼関係を築いていっても、どこかでは政治的な問題が絡む。
全幅の信頼を置ける日が来るかと言えば、そうでもないような気がしていた。
「そう考えると、もう右腕を任せられそうな人間がいない。相談役ならビクトール先生が適任だけど、先生も政治的には論外だ」
トレックに事情を話して、配下に加えた時。
アレスにやり直しのことを話した時。
クレインはいずれの例でも、精神的に随分と楽になっている。
そのことを思えば、彼としても諦めるという選択肢は取りたくない。
「秘密を共有する相手がいるだけで、判断に余裕ができるからな」
子爵家の諜報と戦略の相談を、何の遠慮も無くできる人材は貴重だし、確実に手に入れておきたいところだった。
そういうわけで、クレインはいよいよ抜本的な手を打とうかと考える。
「主力であるマリウスと、グレアムの不在。その他武官の不在。仕官しに来なかった全員が行方不明。この三つが課題だったが、ここを一部解決できただけでも良しとしよう」
現状の問題は大きく分けてこの三つだ。
このうち武官の行方は、報告書の中で三分の一ほどが知れた。
エメット以外の人間を責任者に据えて、全員の情報が集まるまで続けてもいいが。今回の情報を鑑みれば、実のところその必要は薄い。
「まずは最終手段の手前からだな。予定通りに、剣聖様を頼らせてもらうとするか」
平民組はまた別としても、貴族出身の武官は恐らく大半が動いていない。
既に青田刈りされた者がいれば、それはそれでまた考えればいい。
この状況であれば、ピーターの力を使うことで好転の見込みが立つ。
「ピーターに対する交渉カードはある。むしろ安く使えそうだ」
深い相談ならまだしも、今回は少し力を貸してもらうだけとなる。
対価として彼の望みを叶えてやればいい。
タダで何とかできる可能性も十分にあった。
「というか、ピーターがマリウスの情報を持っていればそれで終わりだ。上手くいけばこれで全部片付くな」
そういう意味ではマリウスに固執せず、エメットに仕事を任せてみたのは正解だった。
少しでも情報が集まったのだから、打てる手は格段に増える。
「よし、それじゃあ……始めるか」
様子見はそろそろ止めて、本格的に動く。
そう意気込んではみるが、動くのはピーターの仕官時期から数日後。つまりは一週間ほど経ってからになる。
何はともあれ、停滞した状況を打破するため。
クレインはその時期を見計らい、問題を一掃するために動き始めた。