第三十六話 当然の結果
「やっぱりそうなるよな!」
服毒して過去へ舞い戻った男、クレインは当然の結果を実感していた。
作戦としてはまずマリウスを採用し、諜報組織に武官たちの行方を追わせる。
そうして他勢力の動きを調べようとしてみた。
しかしヘルモーズ商会を使いメーティス男爵家へ手紙を出しても、門前払いに近い形で話は終わっている。
「そりゃそうだ。何の縁もゆかりも無い俺が、急に「お宅の三男を雇いたいから紹介してくれ」と言っても聞き入れられるわけがない」
王都の近くに領地を構えるメーティス男爵家は、当然のことながら名門だ。
王都に近ければ近いだけ、王に近い存在と言える。
そんな家のご子息をスカウトしようとしているのだから、まずは筋を通すために正攻法の話し合いを持ち掛けた。
しかし相手は王都を守る最後の砦、中央部の貴族だ。領地は小さくとも栄光には十分なものがある。
アースガルド家が二百年続いていようと、彼らから見れば田舎貴族でしかない。
だからどこの馬の骨とも知れない成金子爵の元へ、息子を預けようという判断には至らなかったらしい。
「貴方が息子の何を知っているのですか。とか言われたら……言い訳の材料が無い」
王国歴500年8月の始めまで戻って下準備をし、ヘルメス商会への作戦終了と同時に動いてみたものの――この時期ではクレインとマリウスとの接点など何一つ無い。
どこで彼のことを知ったのか。
どうして彼を雇いたいのかと聞かれれば、当然困る。
「貴族相手の交渉って難易度高いよな……。変に誤魔化しもきかないし」
貴族家の当主らしくないことを呟きながら、クレインは朝から凹んでいる。
現状では、驚くほど何も打つ手が無かったからだ。
平民のランドルフが相手ならば、主導権は貴族であるクレインが握っていた。
それに彼は元々の性格が単純だから、多少のボロが出ても何ら問題は無かった。
しかし今回は、交渉技術や社交技術が自分よりも上の相手となる。
少しでも怪しい点があれば突いてくるし、怪しいと見れば安全策を選ぶのは当然のことだ。
当然の如く、怪しい誘いには乗らない。
名門の栄光がどうと言う前に、メーティス男爵は大人だった。
「せめてマリウスと、どこかで接点があったら良かったんだが……」
相手も名家なのだから、クレインが人材を獲得している意味は考える。
どのような意図で誘いを持ってきたのかも考える。
全国的に不景気とは言え、反乱が起きるなどと推測できた中央部の貴族が何人いるのか。
裏事情を説明できるわけがないし、説明できなければ強烈に胡散臭い誘いだ。
それはクレインにも分かっていた。
「俺が仕掛けてもダメってのは分かった。代わりの手段を探さないといけないが、さてどうする」
本来の人生では出会ってもいない上に、前世まででも家同士の付き合いなど無い。
そもそもマリウスの前歴が、どこかの領地で代官の補佐をしていた。それくらいの情報しかない。
勧誘の文句を考える以前の問題であり、交渉の窓口をどうするかから組み立てていく必要がある。
初期位置を考えれば、獲得はかなり難しいところではあった。
「任せておけば大丈夫だからと、任せきりだったのが災いしたか」
側近の背後関係くらい十分に洗っておけばよかったと後悔するが、それは今さらだ。
普通の貴族は仕官に来た段階で根掘り葉掘り聞き、怪しい事情が無いかも独自に調べる。
しかし格上との決戦を考えれば有能な人材はいくらでも欲しいところであり、仮に裏切られたとしてもやり直せばいいだけだ。
そんな考えと焦りが根底にあったクレインは、今までの人生では「取り敢えず全員採用する」くらいの気持ちで動いていた。
ブリュンヒルデの選抜も確かだったので、一定以上の実力があれば出自や経歴を問わず、腕だけを見て採用してきたのだ。
「でも、過労気味だったしな……。何か無ければ調べようとも思わないって」
そして深刻な文官不足に見舞われていた頃のクレインは、業務量が多過ぎた。
各個人がどういう思想を持つのか。
何に関心があり、どこと繋がりがあるのか。
そんな情報を精査する時間がそもそも無かった。
むしろそういったことを調べるのがマリウスの仕事であり、彼個人に関しては信頼していたので、特に捜査してもいない。
安心と信頼に基づき任せきりだった影響が、思い切り悪い方向に出ていた。
「何があれば仕官してくれるのか。条件面が先だけど、先々を考えたらもっと人となりを知るべきか」
例えばランドルフは仕官の条件には「妻の治療」があり、そこを解決すれば採用が可能となった。
トレックは恩返しのために味方となったので、事前に貸しを作る必要がある。
「マリウスは自発的に来ていたからな。その動機が何なのかを知ることが第一だ」
方針と呼べるほどのものは無いが、とにかく情報収集という結論になった。
しかし諜報関係に一切触れていないクレインでは、調査にも限界がある。
彼にできることと言えば、死亡によるやり直しが前提で過激な発言をし、相手の本音を引き出すことくらいだ。
しかし平常時の交渉で、貴族を相手にそれをするのは難しい。
そして、情報を聞き出すためにどういう話し方をするべきなのか。
どんな手順を踏むべきかも分かっていないので、前回の交渉でメーティス男爵家から得られた情報は特に無い。
クレインが個人レベルで話をつけること。
それが無理だと分かり、誰かを介する必要があると知れたことが精々だ。
「社交に長けた人材……誰から当たろうかな」
不信感だけを与えて交渉終了となったので、やり直した結果が今である。
マリウスと個人的に面識がある配下か、メーティス男爵家と何らかの関わりがある配下を探すことを目標に据えて、クレインは起き上がった。
「おはようございまーす!」
そうしたところいつものタイミングで、マリーが寝室へ入ってくる。
ここから先はいつも通りの毎日がまた始まるのだ。
「ああ、おはよう」
「あ、もう起きてたんですね」
幸いにして王都から派遣されてきた役人は多い。
縁を頼れば何とかなると自分を励まし、クレインは笑顔でマリーを出迎えた。
◇
「メーティス男爵家ですか? いえ、特に付き合いは……」
「実家なら分かる人間がいるかもしれませんが、お聞きしますか?」
「……いや、一旦保留で」
誰かは面識があるだろうと、クレインは軽い気持ちで事務方へ寄ってみたものの。誰一人として深い付き合いがある人間は見当たらなかった。
マリウス個人はもちろん、他の家族と個人的な面識がある人間もいないようだ。
家と家でなら関係がある者もいる。
しかし変に中央へ借りを作ると後が怖い。
マリウスのこと以上に、中央貴族のお家事情などもっと分かっていないのだ。
どこかの家に仲介を頼めば大事になってくるし、見返りに何を求めて来るかも分からない。
だからクレインは、できるなら個人で繋がりがある人間を探していた。
「こうなれば……どれだけ借りを作ってもいい、あいつらにも聞いてみるか」
そう判断したクレインは愛馬のスウェンを走らせて。
少し足を延ばし、一番近い隣町まで出かける。
これは長屋を建てる現場監督という、完全に左遷コースへ入った者にも聞いてみるためだ。
工事現場を回ってみれば、目当ての役人と騎士の二人組はすぐに見つかった。が、しかし。
「あの家の付き合いは、深く狭くでございますので」
「特別なご縁はありませんな。それで、我々はいつ領都の方に――」
「そうか、ありがとう」
裏切り者一号の役人と、二号の騎士にまで聞いてみたがそれでもダメだった。
王宮務めの人間は基本的に王宮から出て来ず、王都の中だけで政治をしている。
国王の命令だからと領地へ派遣されてきたが、世間知らずの学者のようなもので、外へ出ることすら珍しい者たちだったのだ。
社交の輪が王宮内で回っているので、交友関係は意外と狭い。
中央部の貴族と言ってもメーティス男爵家は官僚の家というわけでもなく、配下の中で話ができる人間は終ぞ見つからなかった。
「どうするかなぁ……」
誰も個人的な付き合いが無く、実家なら或いはというのが関の山だ。
そこの力を借りるならアレスを動かすかとも思ったが、それはまだ早いと考えを切り替える。
「傍から見ればうちは人材過多なんだ。間者に話が伝わると、どう転ぶか分からない」
東の玄関口にいる子爵が、限度を超えて武力を強化している。
ただでさえ今回は領地が大幅に強化されているので、その事実が知れた場合にどうなるかは未知数だ。
いずれは伝わる話だろうと、折角ヘルメス商会からの監視が緩んだのだから下手は打ちたくない。
クレインからすれば、今の段階から派手な動きをするのは悪手と判断された。
それ以前に、有力なパイプを持たない王子の働きかけで動くかも分からなければ、強引なやり方で男爵家からの反発を招く恐れもある。
「……取り敢えず、やり直すか」
ダメ元で裏切る予定の人材に頼ろうとしてはみたが、間者には一片たりとも情報を落としたくない。
それは大前提だ。
折衝が成功したならともかく、失敗したなら不利益しかない。
裏切り者の可能性が濃厚の相手から、会話した記憶を削除するため。
クレインは携帯していた毒の丸薬を口に放り込み、再度のやり直しに挑む。