第三十五話 多大な影響
「これ全部、そうか?」
「はい、不在のため持ち戻りとなりました」
クレインは郵送業を営むヘルモーズ商会の会長と、応接室で会っていた。
内容は、武官募集のために送った手紙がいくつか返送されていた件だ。
「リチャードさん、ベックさん、ハインケルさん。それから、エッケザックさんと――」
カッチリと固められた髪型が特徴で、身綺麗にした三十代後半の男。ヘルモーズは返送された手紙を差し出すと、順番に宛名を読み上げていく。
そして五通目の宛名を見た、クレインの動きが止まった。
「グレアムも……か」
「ええ。既に引っ越したようです」
今までの人生では、手紙を送ればすぐに駆け付けていた武官たち。彼らに異変が起きていた。
手紙を送った全員が仕官にきていたはずのものが、何名かは既に移住済みだったのだ。
その中にはアースガルド軍で最も防衛戦に優れた将、グレアムの名前もある。
過去と違う流れで進めた結果が、今になって別方面へ波及し始めていた。
その事実を知ったクレインの背後に、嫌な汗が伝っていく。
「従業員の話によると、ほとんどの方はどこかへの仕官が決まったとのことです」
「そ、そうか」
何とか平静を保とうとするクレインだが、内心では大慌てだ。
他の者は新規加入の門下生で代用できそうだが、グレアムの不在は致命的となる。
対東伯戦で砦の防衛指揮を成功させられる将。
それは何人か試しても、グレアムの他にはいなかった。
小貴族連合との戦いでも多くの首級を挙げた、その武力はもちろんのこと、何より兵の精神的主柱となる男でもある。
彼がいたから、荒くれ者が上手くまとまった面もあるのだ。
個人の武力を除いても、いなくなるだけで大打撃となることは想像に難くない。
「いや、だが、しかしなぁ……」
グレアムの背景と言えば、武闘トーナメントで準優勝したこと。
王都方面にある村の出身で、貧しい家庭で育ったこと。
精々がそれくらいであり、どこかへ仕官するような縁故は無いはずだとクレインは思っていた。
というよりも、そもそもの話になるが――クレインはもっと別な意味で衝撃を受けている。
「あいつを雇おうと思う人間が、俺の他にいたのか……」
粗野な面が目立ち、見た目も態度も悪い不良というか、言ってしまえばグレアムは山賊の頭のような男だ。
体裁を気にする者が多い貴族としては、私兵にすら入れたくないと思うだろう。
ましてや指揮官を任せようなどと、余程のことが無い限りは考えられない。
クレインが自分で言うのも何だが、自分以外に雇う者はいないと思っていたのだ。
それが何故。
混乱するクレインの前に掲示された答えは、ごくシンプルなものだった。
「北部から大規模な人材流出の動きが見られたので、どの家も囲い込みに入ったようです」
「あー、なるほど。そういうことか……」
一般的な子爵家ならば、指揮官となる武官が十名と文官が二十名。
限界でもそれくらいだが、それに対して現状はどうか。
ビクトール協力の下で、武官六名と文官二十一名の引き抜きには既に成功した。
誰も彼も有望株で、侯爵家にいてもおかしくない人材たちだ。
王宮からも主に教官役を務める武官が八名と、文官十七名が派遣されており、その上で今回また大規模に集めようとしている。
地方領主がお抱えにするレベルの人材。それを二家か三家賄えるほどの数で、各地からごっそりと抜き取ろうとしているのだ。
この動きを見れば、他の家も何らかの対策を打ってくるのは当然だった。
「近頃では、また人材の価値が上がってきているようです」
「だろうな」
時流に敏い家は何かを感じ取り、積極的な登用や再雇用に踏み切るだろうし、それを察した周囲の家も、資金が許す限りで人材を集めようとするだろう。
財政難で武官を減らしにかかった家とて、周りが全員そうしていれば不穏な気配を摑む。
一芸に秀でた人間を逃さないようにするのは、当たり前の流れとも言えた。
「だが……その動きは一体、いつぐらいから?」
「判然としませんが、二か月ほど前でしょうか」
「俺が北から人材を引き抜いてすぐの話か」
それはビクトールが子爵家に到着して数週間が経った頃だ。彼は大量の若手を率いてやって来て、しかも後発組までいる。
田舎の子爵家へ仕官するのは嫌だ。
そう思い話を断った層でも、現地の発展ぶりを聞いて考えを変える者が出てきていた。
その合流が終わった時期が、大体2か月前となる。
「まだ全ての配達は済んでおりませんが、似たような事例は出てくるかと思います」
「そうだな。対策を考えなければ」
各地から集まるはずだった武官志望者が消えたのは。北の動きに釣られて、他の地域も動いたのだろうと推測ができた。
時間経過でどんどん人材が流出しているのだから、それは歯止めもかけるだろう。
クレインはそう納得したが、そのまま済ませられない事情もある。
このままでは確実に不具合が出ることは、容易に想像できるからだ。
「続報はまたお届けに参りますので」
「ああ、頼む」
ヘルモーズ商会長との会話を終えて、一息ついたクレイン。
対策を考えるなどとは言ってみても、やることなど一つしかない。
「囲い込まれる前に戻って手紙を出そう。それしかない」
幸いにしてグレアムの仕官条件は、「細かいことを言わず好きにやらせろ」程度のものだ。
何も難しくないので、他の勢力が声を掛ける前に引き抜けばいい。
「……しかし経緯は気になるな」
過去に戻ろうとしたクレインは、それでも毒を使ってのやり直しを一旦思い留まる。
今すぐ修正すれば、どの武将がどこへ囲い込まれたのか。それが分からないまま終わるからだ。
グレアムもそうだが、他の仕官者たちがどこへ消えたのかも気になっていた。
「獲得に失敗した武将の中にはピーター隊に入って、襲撃を成功させた人材もいる。防衛戦どころか奇襲が失敗する可能性もあるんだ」
直近で滅亡の危険があるとすれば、間違い無く東伯戦だ。
そこを失敗する可能性が出てきたのだから、彼は焦っていた。
まるで放置とはいかない状況であり、なるべくなら全員。全員は無理だとしても、可能な限りで多くの将を集める必要はある。
「事情を調べてから戻った方が確実か。……と言っても諜報部はまだ無いんだよな」
そう結論付けた彼は情報を集めようとしたが、まだマリウスがいないので情報収集ができない。
今回逃した武官たちが一体どこへ行ったのか、調べることすらできない状態だった。
「あー、くそ。いつだったかな、マリウスが来るのは」
マリウスは武官志望ラッシュの中で、頭脳労働ができるからと即採用されている。
強烈なエピソードが無く、第一印象が薄いため、具体的な仕官時期はクレインも覚えていなかった。
「まあ仕方がない。来るまではトレックたちに何とかしてもらうか」
だからそこは一旦置いておき、クレインは商人の力を使うことにして、その日のうちから調べ始めた。
だが商会の力だけでは、商売のついでに聞き込みをする程度の動きしかできない。
本職がいないと芳しい成果が上がらないのは当然だが、今回はそれ以前の問題もある。
何があったかと言えば。
――それから二週間が経っても、マリウスが仕官をしに来ることはなかった。
クレインがよくよく思い返してみれば、各地から手紙の返答が来るのと、マリウスの仕官は同時期だ。
彼はとっくに着任していなければおかしい。
「は、はは。嘘だろ? マリウスまで……いない?」
ここにきてクレインもようやく気付く。彼も他の勢力へ付いてしまったのだと。
ついでに言えば、グレアム隊を構成する中心メンバーもいない。
しかも誰一人として、行方が全く追えていない状態だ。
「どうする? マリウスもこっちから呼ぶか? ……いや。招聘の時期を早めたとしても、夏場だとまだ不景気が本格化していないな」
グレアムだけなら好条件で釣れるかもしれないが、マリウスはもちろん、貴族の出身である人材は軒並み登用が難しい状態だった。
自ら望んで仕官に来たものを拾い上げただけで、クレインから声を掛けたわけではないからだ。
他家との繋がりが薄いクレインの側から働きかけることは難しく、そもそもそんな怪しい動きをすれば人材差し止めの流れが加速するだろう。
「ええと、じゃあマリウスはどう雇えばいいんだよ」
彼らだけでなく、後の戦いでいい働きをしていた将も結構な数が消えている。
結果としては文官の数が爆発的に増加し、武官の数が減る結果となった。
過去には小隊長クラスまで含めて57名の武官を雇えたが、現状では新規参入した門下生を含めても29名だ。
増加が止まったところを見れば、最終的に集まるのは三十数名がいいところだろうか。
内政面での人材を強化した結果、武将の獲得に多大な影響が出ていた。
「ど、どうする!? どうすればいいんだ、これは!」
やり直すのは当然のこととしても。
クレインにはこの問題に対して、どこからどう手を付けていいのかが分からなかった。
過去の主な人材
ブリュンヒルデ
トレック
ランドルフ
マリウス
グレアム
ピーター
今回の人生で新しく味方に加わった、主な人材
アレス
ビクトール
エメット
オズマ
チャールズ
ドミニク(サーガ)
過去にはいたが、今回の人生で加入していない武将
マリウス
グレアム
グレアム隊の中心メンバー
ピーター隊の山越えに参加した部隊の数名
過去の武官数:57名
・小貴族との戦争時点(王国歴501年5月)までの獲得数。
・五人の部下を率いる、小隊長クラスを多く含む。
現在の武官数:29名
・王国歴500年11月時点。
・新規加入の門下生3人と、武官が兼任できる文官5人(計8人)を含む。
後に仕官の可能性がある人材まで早めに集めたので、過去の同時期と比べれば現在の方が多いです。
しかし小貴族との戦争までに半年ほどの時間があるものの、今回の人生では新しい武官希望者の訪問にストップがかかりました。