12回目 異変
「……え?」
朝になって目覚めたクレインは、呆然としていた。
昨晩新しく寝室に置いた商人たちからの贈り物。調度品の数々が、一切残らず無くなっていたからだ。
「あ、あれ? これって、もしかして」
昨日の会合で、商人が友好の証に献上したものは色々とある。
高尚な絵画やら特徴的なデザインの壺やらと、寝室に置くには異彩を放っているものだったので、クレインもいずれはどこかに移動させようと思っていた。
しかし本当に一つ残らず、枕元に飾った花瓶までが消えている有様だ。
「は? な、なんだ? 俺は死んだのか!?」
寝ている隙に殺されたのだろうかと慌てるクレインだが、まずは死ぬ前の状況を冷静に振り返ってみた。
「会食が終わって、家に帰ってきて。腹が痛いからと胃薬を飲んで――」
毒殺という可能性が頭を過ぎる。少なくとも襲撃されていないとは確信していた。
その根拠として、数回前の人生では暗殺を避けるために小旅行に出たが、就寝中に襲撃されて、微笑み騎士ことブリュンヒルデからの攻撃で即死している。
しかし最後の数秒。絶命する直前の記憶を微かに保ったまま、クレインは死んでいた。例え即死であっても、意識が消えるまでのごく短い時間の出来事は、知覚できた経験があったのだ。
「そもそも普通なら、物音で目が覚めるからな。……気配も感じさせずに殺してきた、ブリュンヒルデがおかしいのかもしれない」
相手がいかに手練れであろうとも、刃物を突き刺されれば飛び起きる。全く痛みを知覚させずに殺すことは不可能なのだ。
眠りについた後の記憶が無いということは、就寝後は二度と目覚めなかったということだろう。
そう推測したクレインは、一番怪しい物体を思い浮かべた。
「タイミングとしては……胃薬か?」
昨日クレインが飲み食いしたものは、そう多くない。食事はいつも通りの朝食と、会食で出された料理、そしていつも通りの夕食だ。
その他で口にしたものは、トレックから購入した胃薬しかない。
「毒殺だとしても、原因が胃薬と決めつけるには早い。会食に何か仕込まれていた可能性もある」
そもそも腹痛が原因で薬を飲んだのだ。昼食に異物を混入させて、そこから胃薬という二段構えの可能性もあるが、昼食に致死性の毒を混ぜられた方が考えやすい。
そもそもクレインには、友好関係を築いているトレックが、己を毒殺する理由が見当たらなかった。
「……まあいいや。全ては順調に進んでいるし、俺に敗北はないからな」
犯人が誰であれ、殺し方がどうであれ、クレインならば必ず正解に辿り着ける。例えば多少遠回りではあるが、次は会食のメンバーを1人か2人減らせばいい。
特定の誰かを呼ばなかった時にクレインが生きているとしたら、高確率でその場にいなかった人間が犯人となる。
「そうだよ。……ふふっ、誰がやったかは知らないが、目にモノ見せてやるぞ」
身体に起きた異変と言えば、腹痛だけだったのだ。再び命を落とすことにはなるが、会食を繰り返せば確実に犯人を特定できる。
会食後に生きていた場合でも、翌日に胃薬を飲んで死ねばトレックが犯人で確定するだろう。
「いずれにせよ、敗北はない」
そう思い立ち上がったクレインの顔に、悲壮感はない。
目覚めてから数日で命を落とす日々が続いていたというのに、前回は4か月も生き残れたからだ。
「そう、未来は俺の手の中だ。ふ、ふふ、はーっはっはっは!!」
「クレ……失礼しましたー」
「え?」
熱意を燃やすクレインがふと部屋の入口を見れば、モーニングコールに来たメイドのマリーが回れ右をして退室するところだった。
そして自分の姿を冷静に振り返れば――
――変な人だった。
朝一番からベッドの上に立ち上がり、「未来は俺の手の中だ」と宣言しつつ、一人で高らかに笑い声を響かせている男。
これはもう、誰がどう見ても完全に変な人だった。
「クレイン様がおかしくなっちゃったぁぁぁああ!!」
「待ってくれマリー、違うんだ! ……えっと、あれは違うんだっ!」
何がどう違うのかはクレイン自身にも分からないが、ともあれマリーは当然止まらない。
2人は今回も仲良く執事のノルベルトに捕まり、お説教を受けることになったのだが――
「閣下、朝からどうされましたか?」
「それは――え? ひ、ひえっ!?」
廊下で正座をしていたクレインが声に振り向くと、そこには微笑みを浮かべた死神こと、クレインの護衛と秘書を兼任している女性。
ブリュンヒルデ・フォン・シグルーンが立っていた。
驚いて立ち上がったクレインは、廊下で正座していたせいで足が痺れている。ふらついて態勢を崩した彼は、後ろ側へ倒れ込み。
「あっ」
花瓶が置いてあるテーブルの角に頭をぶつけて、そのまま帰らぬ人になった。
◇
「いやいやいやいやいや、ちょっと待て!」
今回のクレインは叫び声と共に目を覚ました。
そして彼は今、パニックに陥っている。
「マリー! マリーはいるかーッ!」
いつもならば長考して、結論が出そうな段階でマリーが入室してくる。
来るのはもう少し先だと知りつつも、叫んでいるうちに早足の足音が聞こえてきた。
「え? ど、どうしましたか、クレイン様?」
「今日の日づ――いや、今日の新聞を持ってきてくれ」
今日は何月何日か聞けば、彼女は答えてくれるだろう。しかしそれでは今後に影響が出るかもしれない。
だから彼は新聞を要求したが、その隅に書かれた日付は4月1日ではなかった。
「お、王国暦500年、8月1日……だって?」
「クレイン様?」
「ああ、マリー。ありがとう。下がっていいよ」
首を傾げて出ていくメイドを見送ってから、彼は頭を抱えた。
今までは必ず、王国暦500年4月に戻っていたのだ。それがいきなり8月スタートに切り替わったのはどうしたことだと、彼は原因を大慌てで探す。
「ええと、もしかして、「最初からやり直すのが嫌だ」と言ったからなのか?」
前々回亡くなる前に、彼は確かにそう言った。しかしそうだとすれば大問題であると、クレインの顔からは血の気が引く。
と言うのも、もしも今までの行動で、何か詰みに繋がるものがあれば終わりだからだ。
例えばやり直してからの、初手を考えてみれば分かりやすい。銀鉱山を発見したという報せを使者に持たせて、王都に送ったとして。
「銀鉱山を見つけるのは大変だったし、手続きも面倒だったな。次は手続きが終わったところから始めたいよ」
などと言えば、新たな人生が始まった直後に――ブリュンヒルデが殺しに来て終わりだ。
受理された日の朝からリスタートだとしたら、もう微笑み騎士が殺しに来るまでの数日を、無限にループするしかなくなってしまう。
「手続きが受理されるのと同時に、殿下は暗殺命令を下すはずだ。……回避方法がない、不可避の死を迎えることになるかもしれない」
撤回すら叶わず、クレインが直接交渉に出向くという手を打つこともできず、死ぬことになるのだ。
現状を軽く整理したところ、彼の動揺は加速した。
「だ、大丈夫か!? 大丈夫なのか、これは!?」
今までは領地を発展させられて、かつ、自分が死なずに済む道を探してきただけであり、それが最善手だったか否かはまだ結果が出ていない。
過去に取り返しのつかない過ちを犯した可能性は、否定できないのだ。
しかしあくまで可能性であると頭を振り、深呼吸をしてから考えを口に出していく。
「お、落ち着け。いいか、慌てるなよ? なあクレイン・フォン・アースガルド。まだ詰んだわけじゃないし――そうだ! 4月に戻れないと決まったわけでもない!」
終わったことを言っても仕方がないだろう。そう結論付けて、クレインは前向きに考えることにした。
これも新しいことを試すチャンスだと、彼は無理にでも前を向く。
「ああー。やっぱりこの時期からじゃあ中途半端だよなー。次にやり直せるなら、4月からがいいかー」
まずは棒読みに賭けてみた。演技力は無いが、必死さと熱意は本物である。
「もしこれで開始日時が変動するなら、今後は失敗してもすぐにリスタートできるはずだ」
開始がもう8月で固定なら、今後は絶対に不用意な発言をしない。復活の日に自由が利くなら、それを利点と考えて生かしていく。
まだまだ不鮮明な部分は多いが、とにかく彼はそう決めた。
「……でも、ある程度時間が進んだら戻れる範囲が狭くなるとか。色々考えつきはするな」
そもそもの話になるが、彼は自分が何故こんなやり直しをできているのかすら、まだ思い出せていないのだ。
状況に対する漠然とした不安を抱えつつも、クレインは進むしかなかった。
「まあ考えたって仕方がない。まずは毒殺回避からだな、うん」
そう言ってカーテンを開けたクレインは、また生き残るための作戦を考え始めた。
彼は朝日を浴びながら、数日後に控えた会談で何をするかに思案を巡らせていく。