第三十四話 違和感
「いい感じだな。内政面は完璧だし、武官の招集も順調だ」
トレックが待つ応接室への道すがらで、クレインは今までの動きを自画自賛した。
新しく人を増やすことは4月の段階で発表していたし、武官の売り込みは常識の範囲で収まっている。
増えていく民衆を受け入れるだけの住宅も建築が進んでおり、食料自給率も改善傾向だ。
この時期に発生していたはずの問題は、軒並み対処が完了していた。
「やはり先手を打っておいて良かった。財力も上がったんだから、今ならは多少贅沢に雇える」
武官集めの点で言えば、仕官希望者が殺到した要因の一つはランドルフにある。
しかし今回はクレインの采配の方が大きな影響を与えていた。
というのも、この時期にはまだ仕官しておらず、後に開かれる武闘トーナメントを経由して採用されるはずの人材にも声を掛けていたのだ。
本格的に生活が困窮してくるのは冬の入り口だが、まともな金銭感覚を持っている者であれば秋の段階で不安に思っていたことだろう。
目ぼしい人材へ追加の手紙を送れば、現時点でいくつか承諾の返答がきていた。
「どうせ呼ぶなら、早い方がいいからな」
アースガルド領は過去最高の発展を見せているものの、全国的には不景気だ。
スカウトが来たなら今のうちと考えたのか、募集は今のところ滞りなく進んでいた。
「編成が変わると東伯戦の展開も変わりそうな気がするけど、そこは要調整だ」
大まかな勢力図が変わっているのはもちろんだし、細かいところでも武官の顔ぶれが変わったりしている。
それにヘルメス商会への妨害工作は、やり過ぎなほど成功した。
敵方の補給体制は、過去最低水準のものとなる。
有利になった反面、この先は全く同じ流れでは進まないだろうと、クレインも気を引き締めていた。
予定されている防衛戦では、最低でも東伯の最精鋭部隊を倒し、補給基地を狙い撃ちして撃退することが目標となる。
ついでにその時点で、ヘイムダル男爵の首を取ることも視野に入っている。
「まあまずは、目先の小貴族連合をどうするか考えないと」
これまで通りの流れであれば、東伯との戦いの前に一度紛争を挟むことになる。
騎士爵から男爵までの身分を持つ小領主が、連盟で略奪を仕掛けてくるのだ。
戦力的にはまず勝てる見込みで、勝敗についてはクレインも心配していない。
しかしアースガルド領北側の領地を合併するにあたり、敵軍を粉砕し過ぎて復興が遅れるという問題があった。
北部は後々自分の領地に編入される可能性が高いので、勝ち過ぎても問題だ。
敵が弱すぎる点が、逆に懸念となっている。
「なるべく無傷で手に入れる方策も考えないとな」
打ち負かしたとしても、前任者より善政を敷いて生活水準を上げていけば、最終的に統治が回るようにはなる。
が、本気で恨みを持つ人間も、少なからず出てくるだろう。
後々のことを考えれば、敵味方のどちらも被害が少ない方がいい。
敵軍の被害を抑えながら小貴族たちだけを排除するという、匙加減の難しい戦闘が待っているのだ。
「そろそろ考えなきゃいけないけど。……いや、どうしていこうかな」
ヨトゥン伯爵領で大量の農産物を確保できたので、汚職役人さえ取り除けば、戦後の食料支援にも影響は出ない見込みだ。
領地の北部で大量の餓死者が出るような状況は避けられるだろう。
しかし対外的な問題で言えば、気がかりな点は小貴族たちへの対処以外にもある。
敵の弱体化と味方の強化が順当に進む中で、サーガから送られてきた東の情勢については、クレインの頭を悩ませる要因となった。
「こういう時に相談できるのはマリウスなんだが、早く来ないものか……」
ブリュンヒルデやトレックと組み、諜報組織を動かしていた武官。
大抵の場面でクレインの護衛を務めて、文官不足の折には内政業務も回せた万能の人材だ。
各地から得た情報の管理、分析、報告。それを元に更なる諜報活動まで指示してくれる、頼もしい存在がマリウスだった。
彼には裏事情の相談もできるので、早くから重用すれば、クレインも気兼ね無く作戦の相談ができるようになる。
「いや、マリウスがどうというよりも、諜報部ができるまでは待つしかできないんだよな」
北も東も、動静が分かってくるのは諜報部隊ができてからになる。
そして諜報組織の立ち上げから運営まで、全てがマリウスに一任されていた。
クレインは上がってくる情報を聞き対策を考えていただけなので、今のところは何も動けない状態だ。
「まあ、それまでは仕方ない。俺の方で考えをまとめておくか」
ブリュンヒルデは武官の選別や秘書の仕事、それにアレスとの連絡役など、仕事が山のようにある状態だ。
トレックとて本職は商人であり、そちらを主にした方が戦力になる。
内政の人材は揃い、防衛のための人材も集まりつつあり、組織は完成しつつあるのだ。
残るは諜報と外交分野の組織だった。
「諜報組織の設立は待てばとしても、外交は手を付けていなかった分野だ。誰に任せればいいのやら」
今まではクレインも意識していなかったが、ラグナ侯爵家もヨトゥン伯爵家も、交渉に長けた人材を使者に立てて送ってきていた。
全てにクレインが対応する必要は無いし、毎回側近を派遣するのも非効率だ。
将来的には外交部を作りたいと思っているが、責任者を誰にするのかは重要な問題だった。
「毎回ノルベルトを派遣するわけにもいかないし、外交向きの人材も選んでいかないといけない時期ではあるな。これも戦後の課題にしておこう」
外交部の設立は同盟の話が本格化するまでに終わらせればいいと考えて、クレインは目前の戦いへの備えに考えを巡らせる。
そうして今後の展開を思い浮かべた時に、ふと気づいた。
「あいつらを撃退すれば、いよいよ南伯から使者が来るだろうな。……そうすればまた、アスティと」
以前の人生で手放してしまったもの。
まだ見ぬ妻との再会を心待ちにしながら、クレインはやる気を振るわせる。
が、しかし、クレインが今日の出来事に違和感を覚えたのは、これから2週間後のことだった。