第三十三話 好循環
「頼もう! 仕官に参った!」
「やあやあ我こそは――!」
午前中に、若い荒武者が一人訪ねてきた。
午後に、どことなく高貴そうな中年が訪ねてきた。
彼らはいずれもアースガルド家に働き口を求めてきた者であるが、ここ最近ではこれが日常だ。
領地の管理をする文官に続き、武官希望者が続々と訪れている。
「近所迷惑だから叫ぶんじゃねーぞー」
「希望者はこちらへどうぞ」
元塾生のチャールズが、求職者たちを屋敷の前で一度止め、エメットが裏手へ案内していく。この流れはお決まりとなりつつあった。
二人は門番の仕事を振られることが多いため、既にかなり手慣れている。
「たのも――」
「はーいストップ。貴族のお屋敷だからな、忘れるなよ?」
「う、うむ」
そうこうしているうちにまた一人、自前の鎧を着こんだ男が現れたが。訪ねて来る者たちは玄関先ではなく、敷地の前でチャールズから止められている。
「……お、また来たようです」
「今日だけで三人か」
「再挑戦組もおりますので、実際にはもう少しおりますな」
市中では衛兵の仕事をメインに戻したハンスと、新任のオズマが主体となり、「叫び声を上げる者は迷惑だから一度連行する」と宣伝しながら見回りをしていた。
常識的な訪ね方をする者が増えた結果、騒音被害は格段に減っている。
適性試験は昼からと決めていたので、朝一での突撃も滅多に無い。
数々の対策によって、クレインの睡眠時間は十分に確保されていた。
「うん、いい傾向だな」
「活気が出て参りましたなぁ」
そして声の発生源が遠いのだから、驚かされることもない。
仕事が中断されなければ、元気な若者が集まるのは単に喜ばしいことだ。
若者が王都などの大都市に行ってしまうところを、見送り続けてきたノルベルトは。ここのところかなり機嫌が良かった。
「若手も育ってきたし、領地は安泰だ」
「クレイン様がそう仰るのは、まだ早いのでは」
「はは、それもそうか」
ブリュンヒルデには仕官希望者たちの選抜を任せ、クレインはノルベルトと共に執務を片付けていた。
下処理は内政官たちの事務方で終わっているので、彼らの処理速度は向上中だ。
決裁権を持つ二人は、内容を最終確認して判を押すだけになっている。
それに王宮から来た教師役だけでなく、北から連れてきた人材も新米の指導を続けている。
領内の若者を鍛えることで、新戦力の拡充も順調に進んでいた。
「武官以外の仕官も増えているし、順調だな」
「ええ、仕事が片付いて助かります」
知力低めの集団がやって来ることを予想し、周知しておいたことが功を奏したらしい。
事前にマニュアルを作らせたので、屋敷にそれほど混乱は見られていない。
そして好景気ぶりを見て、文官志望の若者の数も増加傾向にあったし。流れ込んでくる商家や鍛冶屋などの数も右肩上がりだ。
どこを取っても順調な中で、日々は進んでいる。
「クレイン様ー。トレックさんがお見えです」
「分かった。これを片付けたら行くから、少し待たせてくれ。……そうだ。試験会場にもお茶の手配を頼めるか?」
「はーい」
執務室へひょっこり姿を現したマリーが、そのままパタパタと廊下を駆けて行く。
仕事が忙しいため、婚約者とデートもできていないが。これもいつもの光景となりつつあった。
以前なら「はしたない!」と叱っていた執事長のノルベルトの認識にも変化があり、最近では「若者はこんなものだろう」と思い始めている。
「ここのところ、毎日ですな」
「役職はもう無いんだが、まあ、いずれ増やせばいい」
「ええ。人材は何人いても良いものです」
大量の仕官者が押し寄せた要因の半分は、やはりランドルフだ。
彼が仕官に成功してからすぐに、故郷の家族や友人に手紙を書いていた。
『素性の知れない浪人を、こんな待遇で出迎えてくれた』
この不景気に何の実績も無い平民を、衛兵隊長として迎えて厚遇しているという話が拡散された結果。
やはり子爵領が好景気という噂は、結構な範囲に広がっているらしい。
「ランドルフの出世は早い気がしましたが、よくまとめているようですな」
「ああ。顔見知りにも手伝いを頼んだらしいし、本人があの強さだからな」
そして、アースガルド領の北部へ盗賊団が現れたこと。
小貴族の一人が出した兵を、ランドルフが打ち破る部分までまったく変わらない。
そこそこ統率の取れた五十人の賊。彼らが攻めて来る時期は完璧に予測したが、戦場だけは違う。
焼き討ちをされる予定の村で防備を固めて、準備万端で迎え撃つことになった。
そのため今回は民に犠牲者が出ておらず、二百人ほどの人命が守られている。
「鬼のような働きぶりだったとは、私も聞き及んでおります」
「おかげで出世に反対する声も出なかったよ」
ランドルフは討伐の報酬金を使って、友人たちの移民を援助したのだ。
下手にビクトールの門下生を参戦させれば、手柄が分散して金が足りなくなる可能性もあった。
街の守りにいくらか残したものの、討伐隊の人員も増えている。
武功が分散する可能性は大いにあったのだ。
結果によってはやり直そうかと思ったクレインだが、特に問題も起こらず。
ランドルフの側近も無事に固まり、村人が無事で済んだ以外の変化は少ない。
「治安も良くなったし、いいことずくめだな」
「ええ、まったくです」
今では街の中がハンスの管轄になり、街の外はランドルフの管轄となっていた。
現状の組織分けまで、まったく今まで通りだ。
ついでに、以前から抜擢に定評のあったハンスが目を付けた人材も数名いる。
例えば新しく仕官してきた門下生のオズマを補佐に置いた結果、犯罪検挙率が以前よりも上昇した。
個人の技能というよりは、彼が実家や私塾で学んだノウハウが広がっている点が大きいだろう。
人口の増加は加速したのに、治安はより良くなったくらいだ。
「最近では流民や盗賊の数も減ったからな。今日も平和だよ」
「いいことばかりで怖いくらいですな」
大森林に逃げても、山奥まで逃げてもお構いなし。
どこまでも執拗に追いすがり、必ず根絶やしにする姿勢を見てか。以前にも増して盗賊は近寄って来なくなっていた。
地区計画も過去の失敗や反省を元に考え直していたので、完璧な街づくりも住環境の向上に一役買っている。
住所不定の流民や移民は、生活が安定するまで補助する制度もできている。
「うん、内政も順調。今日の政務はこの辺にして、商談を済ませてくるかな」
「決裁した書類は事務方へお届け致しますので、あとはお任せを」
「ああ。頼む」
文官たちが仕事を分担しているので、クレインとノルベルトに掛かる負担も大幅に軽減されている。
クレインからすれば、全ては好循環で進んでいるように見えていた。