エピローグ 商人としておしまい
季節は秋の終わり頃になった。
対ヘルメス商会用の作戦が発動して三ヵ月が経った頃。武官たちの仕官も本格化してきている中で、王都からの連絡が届く。
アレスから送られてきた近況を知らせる密書だが、それによれば各種工作の効果は覿面だった。
「顛末は以上となります」
「あの、ブリュンヒルデ。もう一度確認したいんだが、いいかな?」
「どうぞ」
まずはビクトール経由で行われた密告の成果だが、これは効き過ぎなくらいに効いている。
北侯の友好勢力が共同で調査に当たり、各地に作られた密売網やシンジケートが徹底的に洗われ、治安維持の軍隊まで総動員する事態に発展し――
「え? 壊滅?」
「はい。ヘルメス商会の北部支店は、ほぼ根絶やしとなったようです」
ラグナ侯爵家が主導した一斉検挙の結果、北部に存在していたヘルメス商会支店は、壊滅的な打撃を受けることになった。
同時に、彼らにとっては、間が悪かったとしか言いようがない事情もある。それは北部での活動を本格化させるために、各支店の優秀な人員を移し替えた直後という点だ。
店長クラスや重役はもちろんのこと、隠密や密偵に長けた人間も、かなりの数を失った。
ジャン・ヘルメス本人は難を逃れたものの、北部からは締め出される結果に終わり、密売に関わっていた幹部の大半が摘発されて、北での影響力は大幅に減衰している。
「内通者の炙り出しも順調のようですね」
「意外と大事になったな」
ついでとばかりに、賄賂を渡されて協力していた貴族たちにも沙汰が下っている。
これは要するに粛清だ。ラグナ侯爵家は面従腹背の輩を調べ上げて、残らず叩き潰している最中でもあった。
しかも話はまだ終わらず、むしろ連絡を送ってきたアレスからすれば、ここからの話が本題となる。
「ヘルメス商会長の行方は知れませんが、追及は王都方面にも波及しています」
「それはそうだ。会長直々の指示なんだから」
宮中政治に強いラグナ侯爵家からすれば、王都ですら狩り場に変貌する。捕まる商人が増える毎に計画の全貌が明確になっていき、ヘルメス商会潰しの動きは更に加速した。
そしてこの情報を知らせてきた王子様は、一連の事件を前に何をしていたのか。
「それで、殿下の動向は?」
「ヘルメス商会の名誉回復に、全力で協力しているとのことです」
ブリュンヒルデが読み上げた報告書によれば、表向きは東側勢力を支持する方針だ。
周囲にいる側近の一部も、北侯の横暴を許すなと言うので、望み通りにしてやったと書いてある。
「ヘルメス商会を頼りにして北侯と対立する。倒すべき相手は北部勢力だ」
表面上はそんなことを喧伝していたアレスだが、実のところ全くやる気は無い。彼は無能でワガママなボンクラ王子として、中央で大暴れを続けていた。
商会への弁護をわざと失敗し、関係各所で余計な事や、大きなお世話を繰り返し――味方として動いているのに――結果として更なる窮地へ追い込むという、離れ業を見せている。
「活動としては、そのように」
「……えげつないな」
あくまで善意の協力者という立場な上に、相手は第一王子だ。つまり次代の王の最有力候補である。
そのため商会側も協力を拒むことはできず、対応にはかなり苦慮していた。
そんなボンクラ王子が起こした騒動を収拾している間にも、侯爵家から更なる追及が飛んでくる。要はこれの繰り返しだ。
クレインの策と同程度には子どもじみていたが、立派な妨害工作にはなっていた。
「どうだ、無能な味方が一番厄介だろう。これは意外と楽しいぞ。……とのことです」
「……ああ、まあ、楽しそうではある」
忠義面をして擦り寄ってきながら、裏では利用しつつ散々バカにしてきた勢力。
そこに味方するフリをして、実は次々に不利益を与えているのだから、それは楽しいだろう。
最近では王子の精神面が落ち着き、肉体も健康そのもの。冷静に状況へ対処しつつ、敵を叩き潰す策が色々と湧いてきている頃でもあった。
「以上となります。続報が入り次第またご報告を」
「ああ、頼む。やり過ぎて暗殺されないように、とだけは伝えておいてくれ」
「承知致しました」
そう言うなり、彼女は別な仕事をするために執務室を離れた。
そして一人残されたクレインは、半笑いをしながら溜息を吐く。
「これじゃあ、本来の未来で出回っていた噂……そのままじゃないか」
敵対する商会を脅して傘下に置き、反抗する貴族から土地や利権を絞り上げる。それはヘルメス商会がやった悪行を、侯爵家に擦り付けたことで生まれた風聞だ。
しかし今回の人生では、ラグナ侯爵家が本当にそれを実行している。
しかも実行先がヘルメス商会と、その協力者たちだ。
「なるほどな。最近トレックたちが忙しくしていたのも、これ関係か」
大義名分がある分、彼らの攻撃は苛烈を極めていた。ヘルメス商会が資金を提供した、全ての事業を接収する勢いであり、占拠した施設は友好的な大手商会に、安値で譲る動きが起きているのだ。
敵の敵は味方というのか。クレインと友好関係を築いている商会は、結構な数がその恩恵に与っていた。
「それはまあ、最大勢力の侯爵家を本気で怒らせたら……こうなるよな」
並べた要求が拒否されれば、大兵力で踏み潰すだけだ。
脅されてこれほど怖い相手もいない。
物理的な暴力で最強を誇るだけに、建前があれば賄賂での抵抗など無意味だった。
状況としてはまさに、文字通りの根絶やしである。
これがどういうことか。
つまり侯爵一派は、勢力や権力を利用した恐喝――ヘルメス商会が得意とするやり方で――ヘルメス商会を締め上げている。
そこに武力まで加わっているのだから、勝てるはずもない。
「まあ、因果応報ってやつかな」
クレインもまさかビクトールに話をするだけで、ここまでの大事件になるとは思っていなかった。
だが、結果を見れば大打撃だ。
ドミニク・サーガが東にバラ撒いた不良債権が、ようやく一段落したばかりでもある。
ヴァナルガンド伯爵家のお抱えに収まってはいるものの、その体制は大きく揺らいでいた。
「しかしあいつが、あんなに優秀とはね」
当のサーガは、ヘルメス商会が嫌がることなら何でもやる勢いで動いた。
辺鄙な土地を法外な高値で買い漁ったり、同じ品物を複数の相手――どれもヘルメス商会の傘下――に売りつけ、所有権で大問題を起こしてみたり、宣言通りに巨額の借金をしたり。
国境沿いの村へ片っ端から使いを出し、割増価格で牛を500頭ほど買い付けてみたり、その割りに牧場など一切用意せず、先月の頭には牛の大群が突然ヘルメス商会に送り付けられたり。
後は野となれ山となれで、やけっぱちを起こしたような騒動を巻き起こしていた。
「……最初からその気合を見せておけば、没落なんてしなかったんじゃないだろうか」
彼はヨトゥン伯爵家から送られた船団に、積めるだけの財産を詰め込んで夜逃げした。
しかし事前の計画分では飽き足らず、他商会から大型の帆船を4隻も買い取り、当初予定していた6倍の財産を持ち逃げしたのだ。
しかも大半は借金で、その支払いはヘルメス商会持ちとなる。
ついでとばかりに帳簿まで持ち出し、見どころのある従業員まで残らず連れて出て行った。
「……殿下も殿下だけど、こちらもこちらでえげつないな」
乗っ取りに成功したヘルメス商会の職員からすれば、サーガ商会が過去にどこの商会と、どれだけの商売をしていたのかが分からない。
そして個人売買で仕込んだ罠もあるため、未だに発見されていない隠れ債務もある。
この有様なので、ヘルメス商会の東部支店では、問題が落ち着いた頃に新しい問題が起きるという流れを繰り返していた。
そこまでやればヘルメスも意図を察して、当然のこと激怒する。結果として大量の追手は掛かったが、一念発起したサーガはここで思い切った。
「ほとぼりが冷めるまで、海外で商売をして参ります。だもんなぁ」
クレインへの書簡にそんな追伸を付けた彼は、東で買った船で自前の商船団を立ち上げた。
今では南方の島々を回る交易船団の団長をしているが、そんなところまではヘルメス商会の手も及ばない。
彼らは周辺国家にも支店を持つものの、主には陸路で海路はからきしなのだ。
巨大な商売敵もいないので、サーガにとっては新天地だった。
見方を変えれば、彼は新規事業立ち上げの費用を、ヘルメス商会からかっぱらったとも言える。
「やり切ったな、あいつも」
どの方面を取ってもクレインが想定していた、4倍以上の損害を与えていた。
これには彼も思わず感心したほどだ。
東への玄関口となるアースガルド領では大した勢力を持たず、ラグナ侯爵家の勢力圏からも遮断されたため、今や東西は分断された。
その上で北は壊滅、東は大混乱。そして中央でも壮絶な攻勢を掛けられている。
ここまでやれば、前世までの展開と同じ部分が見つからないほどだった。
「考えられ得る影響としては、東への後方支援が不十分になること。それから北と西の戦いで、北側が足を引っ張られる可能性が消えることか」
下手をすれば正面からの決戦で、北侯が勝利を収める可能性すら出てきている。
建て直しに成功すれば、決戦時の兵力にも余裕ができるかもしれない。
その反面、予想を超える大戦果を挙げてしまったことは悩みの種だ。クレインからすれば、今後の動きがどうなるかが完全に読めなくなった。
「これで別な影響が出なければいいんだが……まあいいか」
戦いが急に激化したり、東伯の攻めが、より本気になったりといった影響も考え得る。
だが、そこはもう仕方がなく、問題が起きれば後々対処すればいいと彼は割り切った。
最悪の場合はどこかの策を緩めるために、半年ほど前まで戻ればいいだろう。
クレインはそう結論付けてから机に向かい、メモ書きをして、呼び鈴を鳴らして使用人を呼ぶ。
「お呼びですか?」
「ああ、マリー。ちょっとスルーズ商会まで使いを出して、ワインを買ってきてくれないか」
クレインは今しがた書き上げた、お使いのメモをマリーに差し出した。
そこには高級ワインと、お高めの珍味がいくつか書かれている。
「シャトー・ブルドーの20年物? うわ、これかなりお高いやつじゃないですか」
クレインはあまり自分から酒を飲まない上に、銘柄に拘ってもいない。かと言って賓客の予定が控えているわけでもないのに、何故いきなり高級ワインを頼むことになったのか。
疑問に思ったマリーからの視線に、クレインは爽やかな笑顔で答える。
「ちょっといいことがあったから、祝杯を挙げたいんだ。一緒に飲まないか?」
「そういうことなら、急いで買ってきますね!」
「現金だなぁ。何もマリーが行かなくてもいいのに」
自分の給金では手が出ない高級品なのだ。
酒が好きなマリーは風の如く去って行き、残されたクレインは苦笑した。
「まあいいや。ヘルメスはどこに行ったか分からないけど、どうせ東だろう」
中央での権勢はまだまだ強いが、アレスが余計なことをする度に旗色が悪くなっている。このままでは覇権を失うのも時間の問題であり、注視するとすれば西、東、南の三方のみだ。
「南側がどうなるかはまだ分からないけど、恐らくは手切れの方向で話が進むだろうな」
ここまでいけば身体の半分を引き裂かれたようなもので、致命傷の域に達したと見ていい。
そして机上の地図を片付けようとしたクレインは、ふとジャン・ヘルメスの言葉を思い出した。
「商人は信用を失ったら、おしまいだと言っていたが――」
その信用が地に落ちただけでなく、積み上げてきた財産も急速に減らしている。
これが商売人として、どういう意味を持つかと言えば。
「金と店を失ってもおしまいだよな」
きっと今頃は、どこかで狸が地団駄でも踏んでいることだろう。
それを想像するだけで、クレインは笑いが止まらなかった。
「もしかすると今日の酒が、人生で一番美味いかもな」
自分の毒殺に使われたワインを祝杯に使うのも、一つの意趣返しだ。
誰も知らない仕返しだとしても、彼の胸はすく。
細かいことはさて置くとして、クレインは敵の惨状を肴に、婚約者と共に高級酒を楽しむことにした。
今まで一切描写されていなかった範囲で、王子まで便乗していました。
そして6章、7章で起こした歴史改変の結果がどうなるか。
第8章 武力強化編・改 へ続きます。