第二十話 最重要人物
「この店はヘルメス商会が運営していたな。今日のメインは肉か? 魚か?」
「ヨトゥン家から仕入れた最上の肉を使っております」
何でもない会話をしながらも、サーガの動揺は確認できた。恐らく今回のワインにも毒は含まれているだろう。
そう確信しつつ、クレインは演技を続けた。
「そうか。そこまでいい肉なら、上等な赤ワインでいただきたいな」
「ワインならばサーガ商会から提供されたものがございます。北部の最上品だとか」
策に自信があるのだろうヘルメスは笑顔で答えて、食器を裏方へ運ばせていく。
だがしかし、このやり取りを聞いたサーガはヘルメスの方を向いて、少し驚いた顔をしていた。
「楽しみだな。さあ、ワインを出してくれ」
「え、あの。ワインですが。その……」
暗殺事件の実行犯はサーガであり、絵図を書いた黒幕はヘルメスだ。
そんなことはとうの昔に分かっていることだった。
しかしクレインは事件解決までの流れは変えずに、結果だけを大幅に変えるつもりでいた。
そのため彼は以前と同じく、まずはサーガへの圧力を強める。
「どうした? もう料理を運んできているのだから、早く。折角だから君に注いでもらいたい」
「あ、あはは……」
言い淀むサーガを追い詰めるために、クレインは銀の盃を突き出した。
ここで酌を断れば不自然なので、サーガに選択権は無い。
「で、では、その、注がせていただきます」
失敗を悟ったサーガは震える手で盃にワインを注ぎ込み、クレインはゆっくりと、かなりの時間をかけてテイスティングをする。
「香り高いワインだな。樽も上等なようだが……何だ、これは?」
「う……あの、ふ、不良品、だったかもしれません」
時間が経つ毎に変色していく杯は、最後には見るも無残な姿になった。
毒々しい色をした銀食器を翳して、クレインはわざとらしく聞く。
「私は不勉強な人間だ。寡聞にして知らないのだが、出来の悪いワインだとこうなることもあるのかな」
「は、はは……。そのよう、ですね。管理が甘かったのかもしれません」
クレインはとぼけているが、変色した銀食器が持つ意味など一つしかない。
覗き見た商会長たちは、口々に声を張り上げた。
「サーガ! 貴様!」
「クレイン様に毒を盛ろうとしたのか!?」
周囲の反応までもが過去と全く同じで、クレインは不意に笑いそうになった。
しかしここで笑みを見せては台無しなので、笑いを堪えて仏頂面を維持する。
銀というのは毒物に反応して、変色する性質を持つ。もちろん看破できないものも多いが、今回使われた毒は、ごく一般的な毒だった。
「こ、これは何かの間違いです! 信じてくださいクレイン様! ヘルメス会長!」
この場で最も影響力を持つ二人に、必死の命乞いをするサーガの姿も過去と変わらない。
しかしクレインはもちろん、この場では許さない。救いを求められたヘルメスも能面のような無表情のままだ。
「……商人にとって一番大事なものは、信用だと言うな」
「そうですな、アースガルド子爵」
「そ、そんな! ああ、ああ……!」
返答から末路を悟ったサーガは、頭を抱えて金切り声を上げた。
頭を振りかざして、目を大きく見開きながら叫び――その直後――彼の背後で金色の光が一閃する。
「あっ」
「おやすみなさい。よい夢を」
突如叫びが止まったかと思うと、サーガは白目を剥きその場に崩れ落ちた。
そしてクレインの横に立つ女性は慈愛に満ちた表情で、倒れたサーガを見下ろしている。
「ご苦労、ブリュンヒルデ」
「いえ、大したことでは」
ここに以前までと違う点があるとすれば、彼女が武器を使わずに、手刀で意識を刈り取ったところだ。
「クレイン様のお命を狙うとは、不届きなやつめ! 捕らえろ!」
ブリュンヒルデは何事も無く、一瞬で下手人を叩きのめした。
そして横で控えていたハンスが、一拍遅れて捕縛に動く。
「各種の計画が動く前で、良かったと言うべきか」
「あ、あの。アースガルド子爵?」
「裏切り者がいたようだ。お騒がせして済まないな、諸君」
突然の毒殺未遂、そして緊急逮捕だ。
周囲は騒然としており、商会長たちはもちろん驚愕している。
しかしその驚きはどちらかと言えば、この状況でごく平然とした態度のままでいる――クレインの図太さの方に向けられていた。
「いえ、謝罪をされるようなことは、何も」
「そうです。ひ、被害者なのですから」
この場にいるのは一流の商人たちであり、それなりの修羅場を潜っている。
一連の流れで、非は完全にサーガにあることを確認済みだ。
そして、そもそも気絶させただけであり、死体を見たわけでもない。
多少の動揺は見えたが、そこまで荒れた雰囲気にもならなかった。
「ハンス。サーガは屋敷の裏手にある刑場に運んでくれるか?」
「え、ええ。どうされますか?」
「無論、財産没収の上で即刻処刑するよ」
当然の措置を前にして、異議も異論も一切出ずにサーガは引きずられていった。
しかし実際には処刑などしない。
ここまでの流れはハンスとも打ち合わせ済みなので、彼はサーガを地下の取調室へ連行していくだけだ。
「御大。サーガ会長の内通者がいないか、念のためにこちらで従業員の取り調べをする」
「ええ、当然のことかと」
そしてこの後、本来死ぬはずだった人間を追加で救うこと。
それがクレインが立てた策の一環でもある。
「怪しい奴がいれば、処理はこちらで決めていいな?」
「もちろんでございますとも」
サーガをこの場で殺害することを避けたこと。
おまけではあるが、ヘルメスから手討ちにされる人間を一時的にでも生かすこと。
これにより今回の主目標は達成できるが、これらは出資金の話と組み合わせて初めて意味を持つ。
何にせよ布石を打ったクレインは、部下の二人を連れて席を立った。
「ではこれで失礼するが、諸君は商談でも続けてくれ。……さて、行こうか」
「承知致しました」
「はっ!」
東側勢力を叩き潰すための一手。
これから始まる策を実行する上での、切り札となる最重要人物。
ドミニク・サーガの身柄さえ確保できれば、後の計画は成ったも同然だ。
これから更なる一仕事が待っており、それ次第では展開も変わってくるが、しかしクレインは成功を半ば確信していた。
「あとのことは、御大とトレックに任せようか」
「私の店で起きた不手際で、申し訳ございませぬ」
「まあ、あまり気にしないでほしい。俺はまったく気にしていないから」
微笑みすら見せながら退出していくクレインの背後では、商会長たちが気まずそうな顔をしていた。しかし今は儲け話の直後だ。
意味不明な毒殺を仕掛けた間抜けが一人いたことは、その後の細かな商談をしているうちに、すぐに忘れられた。