第十九話 今までと変わらず
「よろしい。ではこれで進めよう」
提案から数十分が経ち、一大投資計画は電撃的に決まった。
元の出資金に上乗せすることとなり、借入総額は実に子爵家の現収入。その二十年分だ。
大口の出資者はもちろんヘルメス商会。
ここが半分の資金を出し、残りの商会で半分を分けると決まった。
「こうなれば銀山の開発以外も早急に行いたいものですな」
「店舗の建築も急がないとねぇ」
「食後にそこも話しませんか?」
クレイン御用達の三商会は合同で事業を進めていく方針と見て、小さな派閥もできていく。
しかし肝心のヘルメス商会が、どことも組む様子を見せなかった。
「御大、東への計画なのですが――」
「ほっほ。ウチはウチで賄えるものでな。……まあ、どうしようもなくなれば仕事を振ろうかい」
最大勢力の庇護を得るのは、一見して難しい。
ならば三商会のおこぼれを狙うのが利口かと、何人かの商会長は既に取り入り始めていた。
「トレックさん、我々も一枚噛ませてくださいよ」
「ええ、いいですよ。今は苦しい時期ですし、協力できるところは協力していきましょう」
何とか利権に噛みたい中小の商会も各々が少額出資をすることになり、大商会と比べて額が小さくとも、かなりの身銭を切ることになった。
彼らも先の見えない不景気で、業績の悪化を避けるためには抜本的な改革が必要と感じていたのだ。
だから思い切ったものの、どこかと連携することによる安心感は欲しがっている。
「思った以上に話が動きましたな」
「ええ、まったくです」
「ここまで盤石な体制ができるのも、今時珍しい」
国有数の商会がいくつも計画に名を連ねているのだから、子爵家が沈むことは無いだろう。
末席の商会長からすれば、アースガルド家は護送船団に守られた不沈艦に見えていた。
何にせよ、要所要所でヘルメスが商会長たちを煽ったため、クレインの予定を超えて集金できたのだ。
これで子爵家の資金力は、大幅に回復することとなる。
「儲けさせてやるから、存分に働いてくれよ?」
「ええ!」
「もちろんですとも!」
クレインも子爵家の御曹司ではあるが、大商人との交渉などできるはずがない。
何人かの商会長はそう思っているし、そこはヘルメスも同様だ。
中身がどうあれ、見た目は十五歳の少年でしかない。
現実に大事業を転がしたことがないことからも、油断は誘えている。
若気の至りと呼ばれる程度の動きをした方が、敵を欺けると計算した上での提案だ。
しかしクレインとしても、今回の作戦は調整が難しい案件だった。
「ですがこの壮大な計画。剛毅と言いますか、豪胆と言いますか……」
「目先の小金に釣られて利益を逃すような二流は、ここに居ないと信じるよ」
明確に裏切ったわけではない商会には、それほど不利益を与えないように調整している。
しかしヘルメス商会だけにピンポイントで被害を与えれば勘づかれかねないので、ある程度巻き込むことが前提となる。
とばっちりを受けることになるだろういくつかの商会には、何か別な名目で損金を補填する計画も頭に思い描きつつ。
しかしもちろん、これはノーガード戦法ではない。何せ主導権はクレインが握っているのだから、打てる手などいくらでもある。
過去で似たような動きをしたときには、利権を盾に欲をかいた提案をしてくる商会があれば特権を取り下げる方向で動く予定だった。
だがこの流れであれば、それをやる必要すらない。不穏な動きをすればヘルメス商会と共に潰して、救済しなければいいだけだからだ。
己の中でそう考えをまとめて、クレインは頷く。
「まあ、心配いらないか」
「大船に乗ったつもりでお任せくだされ。子爵」
今やクレインは巨大な利権を動かす男であり。談合やワイロ、裏取引など当たり前の世界に来てしまっている。
しかし過去にはもっと大きな利権と、巨大経済圏の中心で動いていた。
「さて、大筋はこれでいいか」
王宮で大暴れしてしまった前科もあるため、どこかで歯止めは必要だと思う一方で――この程度の商談ならコントロールは可能。
そんな思惑が、彼の中にはあった。
本人にも暴走気味な自覚があり、以前よりは慎重に動くようになっている。
が、ここは自重を捨てた――ドラ息子領主の暴走――特にヘルメスには、そう思わせておくことに決めた。
そうこうしているうちに食事が持ち込まれ、問題の会食が始まる。
「そう言えば、いい絵が手に入りましてな。子爵の屋敷に似合うかと思います」
「当商会からも、お近づきの印が」
クレインの内心を知らず、周囲には緩い雰囲気が流れ始めていた。
大きな商談を終えた会長たちは、ほっとした顔で各々の土産を持ち出す。
「こちらの焼き物をお受け取りください。北方製の名品です」
「ああ、ありがたく受け取ろう」
商人たちからは友好の証として、クレインに個人的な贈り物がされている。
が、ここで貰う品々は過去と代り映えしない。
「まあ、全ては生き残るためだ。ここにいる者たちと共に、大いに躍進したい」
「ほっほ。協力者にお選びいただき、光栄ですな」
商人としては、一切の賄賂を受け取らない相手は逆に怖い。
そんなレクチャーはブリュンヒルデから受けているので、今回のクレインも清濁を併せ吞む方向で進める方針を固めていた。
これは今までと変わらずだ。
しかし、少しばかり濁りが強くなっただろうか。
彼がそんなことを思っている間にも会食は進み、メインの肉料理に差し掛かった辺りで、商会長の一人が身を乗り出して言う。
「では、我らの未来へ。改めて乾杯致しましょう」
彼は陰謀と何の関係も無い中小の商会長だ。
ロクに発言できていなかったので、ここで少し存在感を残したかったのだろう。
そんな思惑を見透かしつつ、クレインは次の作戦に移る。
「そうだな。贈り物への返礼というわけではないが、諸君らに一つプレゼントがある」
「プレゼントですか?」
「恐れ多いことです」
何が出てくるのかと笑顔の商人たちの前に運ばれてきたのは、食器だ。
このアースガルド領で特産品になるであろう、銀食器である。
「ほう……これはいいものですな」
「南伯と私は遠い親戚なのだが。そのツテで、細工の職人を招かせてもらった」
「なるほど、今後は領外に向けた特産品が一つ増えるというわけですな」
お嬢様と婚約はできない。しかしビジネスでは協力していきたい。
初回の東伯襲来以降、クレインはずっとそのスタンスを維持してきた。
最近の動きを見れば急接近し過ぎていて、本来よりも早めに婚約の話が来るかもしれないという不安点はある。
だが、何にせよ、ここは作戦の要なので遠慮なく技術指導を受けさせてもらっている。
「折角だから、乾杯にはこの盃を使おう」
「ほっほ、それは良いお考えですな」
クレインはそう言うなり、さりげなく全員の反応を観察した。
トレックは喜んでいるし、御大ことへルメスの顔色も普通。ここは今まで通りだ。
そして、ヘルメスの手先となっている男。毒殺に失敗して処分された上に財産まで没収されて、死後に何も残らなかった男。
ドミニク・サーガは頬の肉を痙攣させた。
これも今まで通りなことを見て、今回もヘルメスが毒殺を仕掛けてくることは確信できた。
ならば計画通りだ。
そう思いつつ、クレインはにこやかな顔を維持する。
獲物を前にしてもごく冷静に、クレインは横に立つハンスとブリュンヒルデに命じて、返礼品の銀食器を配らせていく。