11回目 秘書官と胃薬
時期は初夏に入り、新規の鉱山がようやく本格稼働してきた。
近頃では出稼ぎの炭鉱夫や移民が増えているため、それに伴い各種の店が続々と出店している。
クレインの本拠地は王国中央と東部を繋ぐ交通の要所、宿場町として発展してきた街ではあるが、近辺の民には鉱山の街として知られるようになってきていた。
何はともあれ街づくりは順調で、アースガルド領の領都は大きな賑わいを見せていたが、街の拡大と共に商人の往来も活発になってきており、今日も懇意にしている商会がクレインの前に現れた。
「お、来たなトレック」
「ははは、ご無沙汰しています」
友好的に挨拶をしてきたのは、トレック・スルーズという線の細い優男の青年だった。
彼は本来の歴史で真っ先に潰されるはずの、大手商会で会長を務める男だ。
「で、今回は何を、どれくらい売ってくれるんだ?」
「品物の目録はこちらです、お納めください」
彼らが会うのはこれが二度目だ。しかし不思議と馬が合ったため、次回があるならまず彼に声をかけようと思うくらいには、クレインはトレックのことを気に入っていた。
さりとて重要なのは実務の話だ。簡単な挨拶を交してからすぐに、彼らは早速仕事の話に入る。
「今回はアースガルド領への移民希望者と出稼ぎ希望者。それから、王宮から出向された方々も同行されています」
「助かる。そろそろだとは思っていたんだ」
急速に発展を続けているため宿屋の建設が間に合っておらず、ほとんどの鉱夫は仮設の集合住宅で雑魚寝している。
人口の急増で治安が悪化したこともあり、クレインはとにかくやることが多い毎日を送っていた。
――このままでは何かしらの事件が起きなくとも、過労で死んでしまう。
睡眠時間が日に日に短くなっている現状を見て、真剣に過労死の心配をし始めたところだった。
この点で王宮からの出向者は既に何名か到着していたが、先遣隊だけでは回らない勢いでの拡大が続いているのだから、この報告にはクレインも喜んだ。
「よし、それなら移民組と出稼ぎ組で分けて……あれ?」
手元の資料には移民たちのリストと、出向してきた役人たちの名簿、それから建築資材や衣料品などの物資が目録にまとめられていた。
それらを一通り確認したクレインは、トレックに怪訝そうな顔を向ける。
「全体的に、聞いていたよりも多いな」
「王家からの後押しもあるので、動きやすくて助かりますね。人も物もすぐに集まりますよ」
昨今では第一王子の働きかけもあり、アースガルド領を優先する大手商会も出てきた。しかし急拡大が続くアースガルド領内では、あらゆる物資が不足気味だ。
どうにか物通を途切らせないようにと苦労して、何とか回っている状態だったので、これ自体は喜ぶべきことだった。
「それにしても多過ぎると思うんだが……予算不足で買えない可能性は考えなかったのか?」
注文を超えるほどの物資が運び込まれたのだから、これにはクレインも首を傾げた。彼らとアースガルド家との取引はまだ数えるほどであり、そこまでの信頼を築けたとは思っていなかったからだ。
しかしトレックは爽やかな笑みを浮かべながら答える。
「アースガルド子爵家は贅沢をせずに、貯め込んでいると噂でしたからね。蔵の中身を吐き出せば、これくらいは買えるのではないかと」
率直過ぎる言い方にはクレインも苦笑するしかなかった。しかし確かにアースガルド家が200年かけて貯めた資金は、まだまだ潤沢にある。
そして銀山からの利益も徐々に上がり始めているので、開発費用を差し引いてもそれほど大きな赤字にはなっていない。
だから追加の物資は、あればあるだけ買おうと思っていた。
「望むところではあるけど、相変わらず随分ストレートに言うな……」
「回りくどい話し方よりもお好みでは?」
「それはそうだ」
クレインがお堅い作法を嫌うと見るや、トレックは少し砕けて話すようになった。
顧客の考えを汲んで動くところは商人らしいと思いつつ、クレインは王宮から紹介された者たちの名簿にも目を通していく。
「移民や物資が増えたのはいいとして、出向組も増えたのか」
「はい、殿下からの推薦があったそうです」
采配や現場指揮ができる人間は少なく、信用が置ける有能な人材はいくらでも欲しいところだ。
だが王都から出向してくる知識人たちの名簿を見ていくと、声をかけた覚えがない人間も何名か増えていた。
「なるほどな。まあ、これも支援の一環か」
王子の周りを固める人材を数名ほど放出して、アースガルド領内で働いてもらう密約を交わしている。
軍事教官や官僚として迎える人材が、増える分には一向に構わない。しかし何の気なしにページを眺めていたクレインの視線は、リストの最後尾で一旦止まった。
「ブリュンヒルデ・フォン・シグルーン……役職、秘書?」
名前を知らないことはもちろんだが、彼は役職そのものに引っ掛かりを覚えた。
文官はともかくとして、秘書の募集などしていないからだ。
「クレイン様には補佐官がいないそうなので、代わりが育つまでは貸し出すとの言伝が」
「……確かに、仕事は増えてきたからな」
雪崩れ込むように人、物、金が入り込んできている。クレインは前述の通りに、ここのところは忙殺されるような毎日を送っていた。
全体の計画をクレインが把握しないと始まらないため、自分の作業を効率化させてくれる人材なら十分に歓迎できる。
「補佐か……うん、言われてみれば欲しかったところだ」
また、アースガルド領では法務官を抱えてはいない。
そのため訴えがあれば、クレインが直々に判決を考えることにもなるのだ。
移民と現地住民の諍いを仲裁するために、現地に出向くことも増えてきているのだから、不在中に仕事を任せられる人間も増やしたいとは思っていた。
「どうも優秀な方のようで、どんな仕事でも任せられると伺いました」
「それは助かるな」
銀山の利益を献上したのは、王家の庇護を得るため。そしてラグナ侯爵家の侵略を未然に防ぐための、とある狙いのためだ。
この点で人材関連の話は、完全に後付けの理由だった。
しかし今にして思えば、王宮を通じて人員の募集をかけておいたことは正解でしかないと、クレインは胸を撫で下ろしていた。
「補佐官見習いを誰にするかは追い追い考えるとしても、俺の仕事が分担されるだけで御の字かな」
「相変わらず大変そうですねぇ。……お、噂をすれば後続も到着したようです」
過労死でもしそうだと考えていたクレインからすれば、増援は朗報だ。彼は細かいことを考えずに、純粋な戦力の向上を喜んだ。
そして到着した馬車からは、件の追加人員も続々と降りてくる。
「王命によって参りました。順にご挨拶をさせていただきたく存じます」
「ああ、頼むよ」
中にはクレインと同じ子爵の身分を持つ者もいたが、過度に自己主張する者はいない。
全員が彼に礼をして、順番に名乗りを上げていく。
そして名簿順に挨拶を続けて、ブリュンヒルデの番が来た瞬間。さらさらの金髪を風になびかせて、一人の女性がクレインの前に進み出た。
「……えっ」
「ブリュンヒルデ・フォン・シグルーンです。よろしくお願いしますね、閣下」
「ほ、ほほっ!?」
微笑み騎士。そう叫びそうになったが、クレインは全力で抑え込む。それは第一王子の護衛騎士にして、過去十回の人生のうち――死因の七回を占めるクレインの天敵だ。
クレイン・フォン・アースガルドを殺害した回数で世界記録を持っている女性。
それがブリュンヒルデ・フォン・シグルーンだった。
見目麗しい女性騎士は、何を考えているのか分からない優しい瞳を向けながら、領主の不審な態度を不思議そうに見ている。
「……ほ?」
「ほ、本当に、王家の期待には応えねばなりませんね。まさか、ここまでの人材を送ってくださるとは」
正直に言えば、そう、許されるならば今すぐに、微笑み騎士だけでも返品したいクレインではある。
しかし彼女は護衛兼、秘書官兼、監視として派遣されたのだろうと察して、すぐに抗議を諦めた。彼はそのままブリュンヒルデから視線を外して、横に居たトレックの方を向く。
「……なぁ、トレック。確か薬の販売網も持っていたよな?」
「難病の治療薬から精力剤まで、何でも仕入れますよ」
不穏な動きや無能な動きを見せた瞬間、背後に居る秘書が何らためらわずに、クレインの首を胴体と泣き別れにさせてくるだろう。
これから先は、背後には常に処刑人――美人の死神――を置いて進むのだ。
クレインは先ほどまで過労で死にそうだと考えていたが、今はストレスによる胃痛か、打ち首で死ぬ未来しか見えていない。
「それなら次からは胃薬を頼む。……定期購入するからさ」
「承知しました。毎度ありがとうございます!」
何はともあれアースガルド領は順調に成長を続けている。
内政を回せる有能な人材が集まり、兵力や財力も増し、全てがいい方向に転がっていた。
美人でスタイルが良くて優しげな雰囲気があり、護衛、暗殺、諜報、秘書、内政官など、何でもできる万能近衛騎士。
隙あらばクレインを殺す点を除けば、非常に有能な配下です。