第十話 今すぐもう一度死ね
「なるほど、な」
初回の人生から始まり、各勢力がどう動くのかを掻い摘んで語ると、王子は目に見えて落胆していた。
床に座って項垂れる光景にはどこか哀愁が漂っているが、クレインとしてはかなり不敬なことも言っている。
例えば、東側勢力の操り人形――というか玩具にされていること。
北侯から全く相手にされていないこと。
南伯ですら、義理は特に無いとあっさり言い切ること。
普通ならば怒るだろうと思う事実を述べた結果、王子の反応は落胆だ。
これにはクレインも首を傾げた。
「やはり、私では……その程度か」
「やはり?」
初対面の時からずっと険しかった顔も、目も、気づけば失意のどん底にいるかのように色を失っていた。
放っておけば廃人にでもなりそうな雰囲気で、これまたクレインの思い描いていた流れとは、かなり違った方向に進んでいる。
「クレイン・フォン・アースガルド。貴様が私の立場にいたなら、どうする」
下を向きながら言う王子を前に、クレインは考えた。
自分が王子なら、この盤面でどう動くか、それは簡単と言えば簡単な方針にまとまる。
「細かい手段は別として、陛下や北侯と協力しつつ、反乱軍を倒すことを目標にしますが」
「……倒して、それでどうする」
「どうするも何も。倒せば平和になるので、数年もすれば自分の治世でしょうに」
クレインが王子の立場なら、国が強いまま譲渡された方がいいに決まっている。
反乱などさっさと鎮圧して、不作や戦火の影響を可能な限り小さく収めたいところだ。
しかし少なくとも今後3年は譲位されないので、世襲はまだまだ先の話だ。それが確定しているので、国造りよりも先に戦いのことがくる。
クレインはその認識だったが、王子は絞り出すような声で続けた。
「そうか。では、私は、何故王子だと思う」
「哲学の話……ではないか」
「当たり前だ」
王の子に生まれれば当然、その身分は王子だ。
それ以外の何があると考えれば――もう一つ、身分はある。
むしろ今の段階でそう名乗っていないことが、不思議な名前があった。
「どうして、王太子の位に就いていないのか。その話ですか?」
「……そうだ」
次代の王を正式に拝命すれば、身分は王子から王太子に変化する。
しかし王族がまとめて暗殺され、国王と彼以外の直系親族が全滅して、現時点で唯一の王子となったにもかかわらず、事件から数か月が経っても彼は王子のままだ。
「何故と言われても。まだ陛下が健在で、急ぐ必要が無いからでは」
「違うな。いつ譲るかは別としても、本来ならとうの昔に指名されている」
「年齢的にはそうですが」
王子はクレインよりも2つ年上だ。成人を済ませているどころか、後継者選びが早い方が地盤を固めやすいので、早ければ幼少期の段階で指名されることもある。
それが今になっても王子のままだ。言われてみれば不可解かと思い、更に首を傾げたクレインに王子は言う。
「正式な指名が無かったのは、私が期待されていないからだ。弟が育つまで保留にされていた」
王に必要なのは民を直接動かす資質ではなく、貴族をコントロールする資質だ。
民を治める貴族を束ねること。そこを期待されていないと言われれば、クレインにも大いに納得ができてしまった。
「なるほど。王都はいざ知らず、地方への求心力はゼロに等しいですからね」
「……はっきりと言うな、貴様は」
第二王子がどのような人物かは知らないが、死んでからも悪評を聞き続けた第一王子に比べれば優良だったのだろう。
そう考えると共に、クレインは察する。
長子相続の方が面倒は少ない面もあるのに、弟の成長を待った。第二王子が王位を争うと真正面から宣言した辺り、勝ち目もあったのだろう。
兄よりも数歳年下の弟と天秤にかけるため、数年待たれたということは。裏を返せば相当期待されていなかったということだ。
「期待というのは、陛下も?」
「むしろ陛下が、だ。……王の責務に耐えられないかもしれない。王になれば不幸になると」
「それは、何とも」
初対面では切れ者のような雰囲気もあったが、それはクレインが田舎貴族で、王族と言葉を交わせるほどの身分で無かったことも大きい。
王族というだけで、雲の上の人という認識だったのだ。ましてや子爵家の次期当主として、「王家に忠誠心を持ちなさい」という当たり前の教育を受けたクレインにとっては、敬う対象でもあった。
今にして思えばそれは色眼鏡であり、王子は自ら自覚するほど出来が悪かったが、彼は一つだけ訂正する。
「勘違いをするなよ。私の能力は高い」
「……それを、自分で言います? それならどうして、こんな状況に」
「……昔から、人に好かれんのだ」
カリスマ性の無さ。何となく敬遠され、軽い扱いを受ける。
この点でも、何となくクレインには理解できた。
カリスマ性という意味では王子よりも、私塾の先生であるビクトールの方が余程あるくらいだ。
それかランドルフ将軍の方が、付いて行きたいと思えるかもしれない。
いっそピーターを主人にした方が、まだ安心感があるだろう。
一介の武将と比較できる程度なのだ。紐解けば、納得以外には無かった。
「他の王族にはそれがあったと」
「いや、正直に言えば弟も大差は無かったはずだ。あるとすれば……いや、それはいいとして」
言葉を区切った王子は、溜息を吐きながら天井を見つめた。
ややあって、相も変わらず暗いトーンで、彼は続ける。
「今になっても正式に指名しないのは、王家の血を引く有力貴族から、私の代わりに後継ぎを呼ぶ選択肢もあるからだ」
「……もしかして、そこでも派閥争いが?」
「入り乱れ過ぎて、もう私にも分からん。敵の敵も敵で、そのまた敵も敵だ」
クレインは初回の人生からして知っている。跡目争いのために、王都では暗殺事件など日常茶飯事だったという風説を。
領地に引きこもっていたため詳細は知らないとしても、かなりの陰謀が渦巻いていたと聞き及んでいた。
であれば、敵の敵を味方とできないほど荒れている中で、彼が信頼できた勢力はどこか。
自分と領地の利益しか考えない地方貴族は論外。敵対派閥の者も論外で、味方の派閥以外は敵だ。
しかも細分化され過ぎていて、小勢力が足を引っ張り合う泥沼でもある。
信頼できるのは身内と、古くからの子飼い。そして王族を敬い、王家に忠誠を尽くす家臣たちだけだ。
「ラグナ侯爵家が矛先を向けてこないことをただ祈り、気が変わった瞬間に殺されると、毎日思った。それ以外にも、襲ってきそうな勢力ならいくらでもある」
暗殺を目論んだ容疑者の筆頭は国内最大級の勢力で、強大な力を持つ相手だ。
味方が集まらないので、身を守る術すらない。それどころか周囲は敵だらけ。
彼は状況をそう判断していた。
すなわち、情勢の変化一つで吹き飛ぶ命だと。
「いつ暗殺されるかも分からず、熟睡できた日など久しく無い」
彼は親戚一同を一斉に失っている。父以外の家族を全員失い、中央も地方も信頼できない人間ばかりだ。
兄弟が死んでも、他の選択肢があるので暗殺や謀略の計画は止まらない。
身辺を警戒して神経を尖らせ続け、睡眠障害で思考能力が低下し、心も摩耗していった。
しかも蓋を開けてみれば、数少ない身内であるアクリュース王女が真っ先に裏切っていたのだ。
これには王子も投げやりになった。
「はっ……お笑いだな。私に優しかった叔母も、頼りになる叔父も失い。親族全員を一夜にして殺されたかと思えば、それが妹の策略とは」
しばらくして、死んだはずの妹が生きていたと知り、再会を喜んだのも束の間。即座に暗殺を仕掛けられるのだ。
よくよく考えてみれば、王子も中々過酷な環境にいるなとクレインは頷く。
「同情はします。その結果、起こした行動については許しませんが」
「貴様は本当に……いや、もうそれもいい」
親しい人の全てを失った上に、いつでも始末されるような立場へ陥った。
クレインも王子の状況を察して、可哀そうだとは思った。
しかしそれと、その後の行動は話が別だ。
身を守る盾となる人材を何とか集めようとして、焦って精査を怠り、結果として得たのが味方のフリをした内通者では何にもならない。
「聞いた話の通りならアクリュースの遺臣は皆間者で、アクリュースも生きているか。国を滅ぼし、新たな王朝を建てる気なのだな」
「そのようです」
「……陛下がそのことに気づいているかは、分からん。だがそれが本当なら防ぐしかない」
彼も王子である以上、国を守るという義務感は持っていた。
心を病んで、優しく煽ててくれる間者に騙され、古くからの取り巻きに依存してはいた。
しかし次期国王となるために優秀な教師を何人も雇い、最高の教育をされていたのだ。
自ら言うだけあり、作戦を組み立てる能力ならばある。
「私には何の力も無い。本来の歴史で、恐らく反乱は成功する。何が一番、敵の嫌がることかと言えば……」
クレインの持つ力を信じるならば、未来で敵が取る手は限られてくる。
敗北条件は現在も王都に潜伏しているであろう、アクリュースの逃亡。
そして時渡りの術を発動させること。
アクリュースが自由に過去へ跳べるようになった段階で、クレインが王都に来られることすら無くなるだろう。そのことにも理解は及んだ。
暗殺への恐怖や派閥間の争いで荒れた心は、既に落ち着いている。
殴り合いをして、後半は一方的に殴られて。自分が無能だと罵倒されて。
何だか全てがどうでもよくなった王子の頭は、ようやくまともに機能し始めた。
精神面に足を引っ張られて空回りしていた、国内最高峰の頭脳。
それが導き出した、この状況における最適解とは――
「よし、クレイン・フォン・アースガルド。貴様は今すぐに、もう一度死ね」
「は?」
それは、クレインが乱闘の第二幕を始める気になるくらいには、無神経な発言だった。
口から出てきた言葉は驚きによるものではなく、言ってしまえば怒りの、威圧の意味を持つ。
「い、いや。死ねばどうせ、過去に戻るのだろうが」
「そういうところだぞ、お前……」
「……すまぬ」
確かに王族の立場から考えれば、許される発言ではある。地方領主に無神経な言動をしたところで、誰に咎められることも無いが、無礼が過ぎるきらいはあった。
理屈の上では正しいことだとしても、その発言を聞いたクレインがどういう気持ちになるのかについて、ヘルメスやアクリュースのレベルで理解が及んでいない。
「この兄にして、あの妹ありか……」
もうやり直しでもいいからと、追加で一発殴りそうになった拳を抑えつつ。
クレインも、何故王子に人望が無かったのかだけは、心から理解し始めていた。