第七話 顔面をぶん殴らせろ
時渡りの術を知っているか。
そう聞かれた刹那、王子の頭には無数の考えが浮かんだ。
「時、渡り? ……王家に伝わる禁術だぞ。何故、貴様が」
王子は信じる相手を間違えて、謀略の具として利用されてきた男だ。
しかし次代の王となるべく教育されただけあり、物事に対する理解力はある。
だから、彼が何をどう考えても結果は同じだ。
クレインが放った言葉の意味は、一つの事実しか示さなかった。
「ええ、それが私に掛かっています」
「バカなことを言うな。それを掛けられるのは父上だけだ! それがどのようなものかも知らず――」
「殿下」
王子は体面を取り繕うこともせずに立ち上がり、焦りと恐怖が半々の顔で――人外の者を見る目で――クレインを見た。
しかしクレインは依然として余裕だ。
紙を一枚手に取ると、それを王子に向けて差し出した。
「殿下の、次のお言葉を当ててご覧に入れます」
「何だと」
「どんなに予想外のものでも構いません。当てます」
堂々とそう言い切られては、王子としても言葉に詰まる。
何故このタイミングで打ち明けてきたのか。
仮に本当だとして未来で何があるというのか。
様々な考えは頭に浮かび。浮かんでは消える。
しかし既にクレインは提案を終えているため、ボールは王子側にあった。
何かは考えなければならないし、反応を見る必要もある。
だから王子は、言葉を絞り出した。
「昨年の秋。私の弟が、誕生日を迎えた時に言った言葉は?」
「答えまでお教えください」
「……王位を、争う」
不敬な発言であり、跡目争いに関するものだ。
最悪の場合は口に出すだけで極刑が待っているだろう。
クレインが第二王子と接見できたはずがなく、まともな思考回路をしていれば当てられるはずがない言葉だ。
「ありがとうございます。確認できたので――」
答えを確認したクレインはナイフを抜き、ブリュンヒルデが反応するよりも早く、己の首を切り裂いていく。
「なっ、な、何をしている!?」
「やり直します。紙を手に取ったところから」
最後の言葉を言ってから、喉を突いた。
驚愕と恐怖で顔を引きつらせた王子の姿を目に焼き付けて、クレインは死んだ。
そして場面は、二分ほど前からまた始まる。
「殿下の、次のお言葉を当ててご覧に入れます」
クレインは先ほどのやり取りを書面に起こした。
紙を伏せた状態で差し出してから、再び王子に向かい合う。
記入の手間があっただけだ。
やり取り自体は当然、何も変わらない。
「……昨年の秋、私の弟が誕生日を迎えた時に言った言葉は」
「王位を争う。どうぞ、紙をご覧ください」
軽く答えてから、クレインは質問と答えが書かれた紙をめくらせた。
あらかじめ、アレス王子が何を言い、何が答えになるかを記入してから問答を始めたのだ。
当てられた王子は驚いて、動きを止めた。
過去に戻ることで、未来予知に近いことはできている。
しかし一度では足りない。
この疑り深い王子はすぐに信じないかもしれない。
だからクレインは、同じことを繰り返す。
「では、もう一度。絶対に当てられないと思うお言葉をどうぞ」
「……私はラグナ侯爵を、忠義の心に溢れた名臣だと思っている」
事情を知っていれば絶対に出てこない発言だ。
そうと認識した上で、クレインはもう一歩踏み込む。
「あと一言、続けてください」
「貴様……。いや、いい。……そして陛下はラグナ侯爵と同世代で、彼を盟友と見ている」
前半は第一王子の認識とまるで違い、後半は本当のことだ。
これも普通に会話をする分には出てこない、文脈が出鱈目な発言だった。
「次は、殿下に最初の答えを伝えた直後から」
手慣れたもので、あっさりと、果物でも捌くかのようにクレインは自ら命を閉じる。
恐怖と驚愕、そして焦りの表情を浮かべる王子を目に焼き付けたまま、クレインは死んだ。
そして蘇り、再び王子を追い詰めていく。
場面は王子が絶句している場面から始まるが、クレインが発する言葉は同じだ。
「では、もう一度。絶対に当てられないと思うお言葉をどうぞ」
今の発言を一言一句違わずに記載した紙をテーブルに伏せて。
王子が全く同じ発言をして。
紙をめくったところで、クレインは笑う。
「ラグナ侯爵家は忠義の心に溢れた名臣で、陛下の盟友……ですか」
「バカな、なんだこれは!?」
王子からすると、ここまで来れば三択だ。
思考を完全に読まれているか。
何らかのトリックか。
本当に王家の秘術――眉唾物の魔法――が掛けられているか。
いずれにせよ厄介ごとでしかない。
判断に窮した王子はブリュンヒルデの方を見たが、それはクレインも想定していた。
「ブリュンヒルデに暗殺を命じたところで、無駄です。やりようならいくらでも」
「ぐっ……」
数年ぶりに王都へ来たような田舎貴族が、近衛騎士の名前を知っている。
事前に調べておけば出ただろうが、アースガルド子爵家に宮中を調べる手段は無い。
それは接触前に確認済みだったので、王子は余計に混乱していた。
「殿下にとっては信じ難い未来が訪れます。それを信じていただくためなら、もう少し証拠を積み上げたく思いますが」
「先に言え。未来とはなんだ」
動揺と混乱を繰り返し、王子の内心はパニックに近かった。
しかしクレインは何でもない風に、軽い口調で言う。
「王国歴501年末か、502年初頭の予定ですが。殿下は手勢諸共に暗殺されます」
王族が死ぬという予言。
しかも表向きは国王の最後の子で、次代の王になることが確定している相手に向けた一言だ。
本人を前にしているのだから、今すぐに不敬罪で殺される確率の方が高い。
だが、その言葉を告げることで、クレインが得られるメリットは何か。
そんなものは王子には考えつかない。
教育されてきた嘘を見破るための術も全て活かし、王子はクレインを冷静に観察するがそれも無駄だ。
仮に本来の歴史で死んでいなくとも、手違い一つあれば王子は死ぬ。
クレインは一切の嘘を言っていないのだ。
当然、何も不審な様子は見えない。
「それは、本当のことか」
だから返答は気の抜けたものとなった。
クレインが騙そうとしているのであれば、既に半分引っかかってしまっている。
開幕から揺さぶられっぱなしの王子は、何とか落ち着こうとしたが、冷静になる間を与えず、クレインは言い募る。
「細かい状況はまだ調べていませんが、私が協力すれば殿下の死は回避できるはずです」
「では何が望みだ。それを伝えて何を狙っている」
「……ふむ。では、一つ願いが」
ここに来てようやく、クレインがこの話で何を伝えたいのか。
その結論が出てきた。
メリットも目的も伏せられていた中で、ようやく王子に理解できそうな分野が来たのだ。
ここで挽回しようと、彼は最大限に頭を回す。
「願い、か。これが単なる脅しならば、もっと効果的なやり方はあるはずだな」
「左様でございますね」
クレインとしても。そろそろ本題に入っていい頃だとは思っていた。
しかし王子とはまともに取り合わず。
何一つ、彼が理解できない流れで進めようとしている。
「死なない方法を伝える代わりに、利益を引き出すというのもあり得ない」
「はい。儲ける手段ならいくらでもあります」
大商会に声を掛けてハイリスク・ハイリターンの投資話をいくつか見繕い、その中から成功するものだけを選んで金を出していれば、大富豪になれる。
王子から引き出せる金銭的なメリットなど無い。
むしろこのままいけば、クレインが金銭を援助する立場となる。
ではクレインは、何を目的にこの話を始めたのか。
「政治的なしがらみを抱えているわけでもあるまい。……貴様の目的は何だ?」
「前提として、最終的な目標は殿下と北侯に友誼を結んでいただくことです」
結論であるクレインの願いを述べる前に、前提が出てきて焦らされた。
これには思わず舌打ちをする王子だが、反応を返さないわけにはいかない。
「事情を知った上で、貴様はそう言うのか」
「はい。それが全員幸せになれる、唯一の道へ通じますので」
過去へ戻れるというのが与太話だとしても、仔細を聞いてから処理を考えるべきだ。
王子はそう判断した。
仮に全てが出まかせだとしても、王族を相手に揺さぶりを仕掛けて、何がしたいのかは確認しておきたい。
そう思い、王子は沈黙を経てから答える。
「……貴様の利益は、一体どこにある」
「領地が平和になればそれでよく、利益は考えていません。しかし、そうですね……ここで先ほどのお話に戻りますが」
そう言って、クレインは一本。
人差し指を立てて、天井に向けた。
「強いて言えばただ一つだけ。個人的な願いがございます」
「今の私に出せるものは、そう多くもないが」
「いえいえ。殿下のご承諾さえあれば、すぐにでも叶う願いです」
今のクレインは完全に不遜な態度だが、もう王子にはそれを咎めるでもなく、先を促すことしかできなかった。
対するクレインは、やはり余裕の笑みで言う。
「その願いさえ聞き入れていただけましたら、決して裏切ることなく協力するとお約束致します」
「……」
王子にとって、流れは予想外の展開ばかりだ。
しかし王子としてもクレインが味方になるか否か。それを確かめるためにやって来た。
現状ではかなり怪しい男だが、味方になると言うならば使い道はあるだろう。
彼はそう計算した。
しかし対価は何か。内容を聞かずに承諾はできない。
「迂遠な言い方はよせ。何が望みかと聞いている」
「その前に、ブリュンヒルデも退室を」
「……」
「何があろうと。こちらから命じるまで、絶対に扉を開けるなとご命令を」
護衛は彼女が最後だ。
彼女が退室すれば、得体の知れないクレインと二人きりになってしまう。
だから王子も迷ったが、最終的にはその言い分を飲んだ。
「……くそっ。下がれ、ブリュンヒルデ。言う通りにしておけ」
「承知致しました」
正直に言えば王子とて、下がらせたくはない。
しかしここまでやられっぱなしで、怯えているような様子を見せるのは許されないと思っている。
だからこそ彼は、素直にブリュンヒルデまで部屋から追い出した。
「これで場は整いましたね」
「それで貴様は、一体何がしたい。先ほどから何一つとして分からん」
確かに部屋に入ってからのクレインの言動は意味不明だ。
明瞭に目的を導けるような、一貫的な発言はしていない。
だから王子は当然聞いた。
聞かれたのだから、クレインも答える。
「私の望みはごくシンプルで、すぐにでも叶う小さな願いですよ。つまりですね、殿下」
クレインが咳払いをして、一呼吸置いてから願い出ること。
彼の要求とは宣言通りに、この場で、今すぐにでも叶うものだった。
「――顔面を、ぶん殴らせろ」
「は?」
承諾を待つまでもなく、クレインは握りしめた拳を振り上げた。
そして、唖然とした表情で固まる王子の横っ面を、全力で殴打する。