55回目 押し寄せる違和感
「クレイン先生、こっちです」
「遅かったですね」
集まるのは名家の者ばかりということで、待ち合わせ場所は少しグレードの高い酒場だ。
クレインが店に着くと既に、送別会に参加する生徒たちは全員待っていた。
「これは僕らから」
「まあすぐに戻って来るのでしょうけど」
「ああ、ありがとう」
彼らは律儀に花束を用意して、クレインのことを見送ろうとしている。
旅の祈願を祈るお守りも添えられているが、これは別に媚び売りではなく、卒業する先輩を送る会のようなものだ。
「先生の席はここです」
「今日は貸し切りにしておきましたから」
主役であるクレインは基本的に接待を受ける立場だが、そう固い集まりではない。
生徒たちも各自で好きなものを注文して、好き勝手に思い出話を始めた。
「先生がこんな歳で、最初は驚いたよな」
「ああ。バカにされてるのかと思った」
名家で教育を受けてきた者たちに教える先生は、地方領主の従者だと言う。
しかも年齢が自分たちとそう変わらない。
苦労して名門の私塾に入ったにもかかわらず、ビクトールの教えを受けられないこともあり、最初の頃はクレインに反抗する者もいた。
そんな騒動も今では笑い話であり、振り返っても特段悪い雰囲気ではなかった。
生徒たちの中でも年かさの者に酒が入り、お代わりを頼んだ辺りでクレインは切り出す。
「最近はどこも情勢が怪しいからね。生きて帰ってはこれないかもしれない」
「縁起でもないことを」
「事実だよ。北候も今は西方に兵を送っているけど、そのうち南方にも送ると思うし」
クレインは弱めの酒を煽り、冗談めかして言う。
しかしこの言葉を受けた生徒の一人は、意外そうな顔をした。
「先生はご存じないのですか?」
「何を」
「討伐隊はもう王都に到着していて、雪解けを待って進軍の予定ですが」
怪訝そうな顔で言うのは、武門の家の三男だ。
兄弟が従軍しており、数週前に5000ほどの兵と共に王都へ向かったと、彼は語った。
「そんな話、聞いていないぞ」
「本当なのかよ。西だけでも苦戦してるのに」
本来の歴史に近い今でも、北候は西で苦戦している。
その話も生徒たちの間では共通認識であり、ごく当たり前のように出てきた。
政治の世界から身を置き、一介の指導者となっていたクレインからすると、にわかに飛び込んできた情報は信じ難いものだ。
「……西の戦いが、上手くいっていない?」
「ええ。緘口令というか、口止めされてはいますけどね」
有利になり過ぎたラグナ侯爵家を、ヘルメス商会が妨害していた。
それが前回の人生で得た情報だ。
しかし生徒たちの話を聞くに、元からそう有利な状況でもなかったと言う。
それなら何故。無理をしてまで、アースガルド領に出兵する理由は何か。
横で聞いていた生徒たちからも、疑問の声が上がった。
「兵站の問題もあって、北侯軍は身動きが取れていないはずですが……」
「もうすぐ西侯陣営と決戦って話だし、南に兵を出すなんてあり得るのか?」
戦況に照らせば考えられない出兵だ。クレインからしても同じ認識なので、彼は黙って続きを待った。
すると言い出しっぺの青年は、少し不満気にして答える。
「本当だって。南寄りの家から兵が出ているから、皆には伝わってないだろうけど」
戦力は南方の寄子を中心に集めたものであり、ラグナ侯爵家からの軍勢はあくまで中核を担う部隊のみで構成されている。これも新たな情報だった。
今は王国歴502年の12月だが、時期と状況を照らせば、王都へ向かった軍勢はアースガルド領に差し向けられる可能性が高い。
雪解けを待って進軍する予定であれば、軍勢がアースガルド領に到着する時期は、初回の人生で彼らがやって来た3月末に符合するからだ。
「そういうこと、か」
この話を聞けば、傘下入りが断られたことにも納得がいった。
ラグナ侯爵家は、アースガルド領が滅びる日の3ヵ月以上も前から、領地を滅ぼすための軍隊を送っていたことになる。
既に動員が発令されて、徴兵も終わり、いくつかの家が集めた軍勢が王都に集結済みなのだから、この段階で傘下に入りたいと申し出てたところで無駄だ。
断られた理由に納得しつつも、クレインの胸中には凄まじい違和感が押し寄せていた。
「王都に送ったってことは、西街道経由で西候と戦うんじゃないのか?」
「あ、いけね」
「……止めろよ。その口を滑らせて、言ってはならないことを言った。みたいな顔」
一度水を向けると、生徒同士で勝手に深掘りを始めていた。
最大限に頭を回しながら、クレインはその情報を拾って、処理していく。
「ああ、もう。どうせすぐに分かるけど、絶対内緒な」
「もったい付けるなよ」
「何があったんだ?」
絶対に内緒。そう前置いて、青年が漏らした内情。
それはクレインの認識からは、かけ離れたものだった。
「アースガルドって家が、北侯と戦うらしいぞ」
「えっと……東部寄りの子爵家だっけ?」
「そうそう。敵対を表明したらしい」
アースガルド家が北候に対して、敵対を表明したこと。
それが戦争の原因だと彼は言う。
しかしクレインはもちろん、そんなことをしていない。
しかも初回の人生で攻め寄せてきた理由は、「交易路の構築を妨害した」という名目だった。
予想よりも過激な形で戦いの理由が伝わっていたことに、彼は驚くばかりだ。
しかしそんなことはお構いなしで話は進む。
「どうしてアースガルド子爵は、敵対表明なんてしたんだよ」
「勝てるわけがないのにな」
どうせ滅ぼすのだから、配下への名目説明も適当でいいと思ったのか。
それとも本当に何か事件があったのか。
どこかで話が捻じ曲がったのか。
クレインは様々な推測を立てるが、答えらしきものは出ないまま会話は流れた。
「さあ? あんな位置にいる子爵家の考えなんて知らないよ」
「まあ、そうだよな」
「にしても、喧嘩を売る相手を間違い過ぎだ」
まだ仕官もしていない青年に、詳しい軍事機密は話せないだろう。
なので詳細までは分からず、話はこれで終わりかとクレインも諦めた。
「というか、兵を向けるほどか? 放っておいても構わないと思うけど」
「今すぐ倒す必要も無いよな。間に領地が幾つあるのかって話だし」
「兄上からの手紙でも、そこはよく分からないと言っていたな」
秋に二度目の粛清が起きたばかりで、いくつかの貴族が領地を没収された。
その多くを接収したラグナ侯爵家には飛び地ができ、間にあるアースガルド領が邪魔という理屈はクレインにも分かる。
だが西候との対決を目前にして、3万もの兵力を割くのはどう見ても悪手だ。
一体何が目的か。これまでの材料を基にクレインが思考を続けていると、最後に青年は、思い出したかのように付け加えた。
「あ、でも結構本気っぽいぞ。将軍が剛槍様だし」
「剛槍のランドルフが?」
「そうそう。あの人が総大将だって聞いたよ」
「は?」
生徒たちは何気なく話しているが、クレインには一瞬理解が追い付かなかった。
急に見知った人物の名前が挙がった上に、予想外の地位についていたからだ。
「ラ、ランドルフが北侯の配下で、将軍にまで出世しているだって?」
「西部戦線で凄い手柄を挙げたそうですね」
「小隊長から将軍まで1年半で到達。今や伝説の人ですけど、知らないんですか?」
確かに彼は軒並み、周辺の貴族家から仕官を断られていた。
そのため残る選択肢は、北候や北伯といった大貴族だけだった。
「ええと、いや、でも」
「もしかしてお知り合いですか?」
仕官に成功したばかりか、異例の出世街道に乗っているというのだ。
そんな場合ではないと知りつつ、クレインの口からは変な笑いが漏れていた。
「ああ、少し前だけど一緒に飲んで、奥さんへの薬をプレゼントした」
「あれ、先生だったんですか!」
「あれ、と言うと?」
ある日唐突に現れた少年が妻の治療薬を渡してきて、病状が劇的に回復した。それで家を空けられるようになり、少し遠出をしてラグナ侯爵軍の選抜試験を受けられた。
見事合格して、今や将軍だ。全てはあの少年に出会ってから始まった。
しかし恩を返したくても名すら聞いていない。だから彼を探している。
聞けばランドルフ伝説の中には、そんな1ページがあった。
それは取りも直さずクレインのことだ。
「探しているみたいですから、一度会いに行ってみては?」
「それならサインを頼もうかな」
「先生に何をお願いする気だよ、お前……」
生徒たちはまだ重要な情報を知れる立場でもないので、期待はしていなかった。
しかしクレインはいくつかの材料を得ている。
西候との戦いは苦戦中で、恐らくヘルメス商会からの嫌がらせが継続していること。
アースガルド側が戦いを仕掛けたことになっていること。
ランドルフが将軍になり、恐らく彼の軍が、アースガルド領を滅ぼすこと。
それらの情報は、一市民として過ごしていたクレインに知れるものではない。
私塾で名家の子息たちと関わりが持てた幸運に感謝しつつ、彼は顔を上げた。
「そうだな、まずはランドルフに会ってみるか」
元配下。現、敵軍総大将。
そんな存在となったランドルフと、もう一度会うことを決めた。
クレインは彼に会い、侵攻の理由を確かめることを目標に据えて、動き出した。