55回目 北の街と父の旧友
「あれが目的地ですか?」
「あぁ。北候のお膝元ってやつだぁ」
二人の声を聞き、クレインも荷台から身を乗り出して前方を見れば。
そこには城塞都市があった。
到着まで数時間の距離でも見えるほど高い防壁が、街をぐるりと囲んでいる。
「わぁ、大きい街ですね」
クレインの横で馬車から身を乗り出したマリーは、風に髪をなびかせつつ歓声を上げている。
彼女は見たこともないような異文化の景色にはしゃいでいるが、一方のクレインは至極冷静だった。
「あれを攻め落とすとしたら……どうしたらいいかな」
「ちょ、物騒なことを言わないでください」
「冗談さ」
もしも北候と敵対する道を選べば、あそこに攻め込んでいたかもしれないのだ。
そんな考えが頭を過り、彼は一瞬シミュレートをしてしまった。
しかし見るからに防御力は高い。
まともな攻城戦を仕掛ければ、落とすのに年単位の時間が必要になりそうと見たクレインは――過去の自分に呆れる。
「あれを見て、敵対しようと思う人間なんかいないだろうな」
「それはそうですよ」
城壁の上から矢を射かければ大抵の軍隊は撃退できるだろう。
特に騎兵が主戦力の東方軍など相性は最悪だ。
しかしそれは本拠地まで攻め込まれた場合の話であり、北候の兵力があれば野戦でも危なげなく勝つだろう。
保有者のことまで含めた、第一印象はそんなところだ。
「でも、何でまたここまで? トム爺の買い付けだけなら途中の村や街で済ませても良かったと思うけど」
「坊ちゃんたちの送り先がここだったもんで。ついでにコレ、預かってきた紹介状」
トムが懐から取り出した手紙を見れば、アースガルド家の封蝋が押されていた。
クレインの他に使えるのはノルベルトだけなので、恐らく彼が書いたものだろう。
そう思いつつ宛名を見れば、そこにはクレインの見覚えのない貴族の名前が載っている。
「先代様と仲の良かった方が楽隠居しているってんで、住処の手配を頼むとか」
「それはありがたいな」
生家の屋敷でずっと暮らしていたクレインは、宿暮らしではどうしても人の目が気になっていた。
護衛がいないと落ち着かない面もあるので、ハンスでも連れてくれば良かったと思ったが――道中で山賊に襲われたとしても、ハンス一人ではどうしようもない。
それに護衛が付く身分だとバレると、色々と不都合が出るのだ。
貴族だと知られれば山賊から身代金を要求される可能性はあるし、圧政の結果身をやつした者が相手なら、問答無用で殺される可能性すらある。
だから行商人と孫二人、そういう設定で今までやってきた。
トレックを相手にしたときは身分を匂わせたが、他では商人の息子役をしていたのだ。
「折角だから、名家の息子……だけど貴族じゃないって立ち位置でいこうかな」
この街に滞在する間も、「いいところのお坊ちゃん」という設定で過ごす。
そう呟く彼に、横のマリーは不思議そうな顔をしていた。
「どうしてそんなことをするんです?」
「何となくさ」
前回までの人生では同盟の要、要人のアースガルド子爵と見られることが多く、政治的な駆け引きばかりで疲れていたところでもある。
今回の人生を静養期間に充てて穏やかに暮らしたいだけなら、むしろ貴族の肩書は邪魔だ。トラブルの元にしかならない。
だから身分を伏せて大人しく過ごすとしても、クレインは今生を無策で送るつもりではなかった。
「まあ、まずは学問の師匠を探そう」
「せっかく旅行に来たのにですか」
「大都市なんだ。ウチよりも優れた人材はいくらでもいるだろ」
クレインの腕は普通だ。
戦働きは期待できないが、知略だけは無限に集積できる。
二回目の人生から十回目の人生辺りまでは、彼自身でも信じられないくらい記憶力が落ちていたが。やり直しに慣れた今では、知識だけが次回へ持ち越せる武器になっている。
「そうだな……経済学か、軍略か。まあ何でもいいや」
「頑張りますねぇ」
「一応これは、勉強の旅だしな」
今回がどのような人生になろうと、新しく得た知識が一つでもあればプラスになる。何か一つでも得ていこう。
そう考えながら、クレインは街へ向かった。
◇
「おお、クレイン君か。よく来てくれた」
クレインは楽隠居という単語から、ノルベルトが紹介する人物は老人と想像していた。
しかし出てきたのは、三十代後半くらいの陽気な男だ。
「私がアイテールだ。君の父君とは古い友人でね」
街に到着してから一度郊外の屋敷を目指し、暫く進んだ少し外れのお屋敷に、紹介された人物が住んでいた。
明るく笑うアイテール男爵は、まだ若々しい見た目をしている。
特に不健康そうという印象も無いので、隠居をするにはまだ早いのでは。
そう思ったクレインだが、考えを見越したようにアイテールは言う。
「領地に置いてきた代官と、その補佐が優秀なんだ。今では年に一度、里帰りするくらいかな」
「左様でしたか」
「ああ、彼は私の小さな領地にはもったいないくらいさ」
アースガルド領から西に四日ほど進んだ位置にある、アイテール領。
そこは王都ともヨトゥン伯爵領とも近く、豊かな領地だ。
しかしその反面、狭い。
王都に近づくほど土地の価値が上がり、大きな功績を残しても小さな土地が褒美として与えられる。
わずかでもあれば名誉としては十分なのだが、領地貴族というよりは法衣貴族に近いところが多いのが現状だ。
そして例に漏れず、アイテールも似たようなものだった。
確かに王都寄りの小領地ならば管理は容易い。年に一度、或いは数年に一度帰るくらいだとしても、十分に回していけるだろう。
クレインがそんなことを思っていれば、笑顔のままでアイテールは聞く。
「それで、住むところは決まっているのかね? 屋敷に部屋を用意することもできるのだが」
「どこかに家を借りようと思っています。自立した生活をしたいので」
「うむうむ、向上心があるのはいいことだ」
それを聞いたアイテール男爵は、少し考え込み。
手を打ってから言う。
「それなら近くに空き家がある。管理をするという条件でそこに住まないか?」
「空き家ですか?」
「ああ。商家の大旦那が避暑地として使っていたのだが、今は使われていなくてね。私も買い取ったはいいが、手に余っているんだ」
別荘とは言え、それなりの商人が持っていた屋敷ならば、住むのに不都合は無いだろう。
特に断る理由も無く、クレインはその提案を受け入れた。
挨拶を済ませて、当面の間住むところも決まったのだ。
クレインは住所を確認して、早速荷物を降ろしに行こうとしたが。ここでアイテールが待ったをかけた。
「まあまあ、そう急がなくてもいいじゃないか。クレイン君と会うのも十年ぶりくらいなんだ。夕食でも取りながら話をしよう」
突然訪ねた上に住居のお願いをして、住処を快く提供したあとに、笑顔で食事のお誘いだ。人の好い男爵は、親友の忘れ形見であるクレインを前にしてニコニコと笑っていた。
「なに、会食というわけでもない。使用人と……行商のお爺さんも一緒にどうかね」
「折角のご厚意なので、それではご一緒させていただきます」
しかも後ろで控えていたマリーとトムまで同席させるのだから、マナーにうるさい方でもないだろう。
特にトムは着ている服からして古ぼけており、佇まいを見ても、見るからに教養が無さそうな風体だ。
それを一緒に食事へ誘うような人物なら、細かいことは気にしない性格と見える。
なるほど、父と仲が良かったわけだ。
と、変なところで納得をしながら。
彼らはこの日、男爵邸で一泊することになった。