ジルコンと星屑の魔法使い
静まり返った夜の公園。ところどころで光る街灯は時折明滅して、どこか物寂しい。賑わう駅前から少ししか離れていないが、人気がないからまるで別世界だ。
白いため息が一つ、宙に散る。それでも、頭を埋め尽くす悩みは消えはしない。
氷のように冷えきったスマホに触れる。液晶から眩しい光が漏れて、音楽を再生していることを表示した。
イヤホンから流れるこの曲は、まだタイトルも歌詞もなくて、メロディすら未完成のもの。しかし僕は、それから『本物』の輝きを感じずにはいられなかった。
それに比べて、こちらはどうだろう。ロックを解除して開いた画面には書きかけの、小説とも呼べない文字列。彼は「いい」と言ってくれたけれど――。
「こっちは、まるでジルコンだ……」
それは、ダイヤモンドに似た輝きを持つ宝石。そのせいか、ダイヤモンドの偽物というイメージが定着してしまっている。
本物のふりをしている、偽物。自分で書いた文を、そうとしか思えなかった。以前なら、ジルコンも綺麗だと思えていたのに。
「ジルコンは嫌い?」
「びゃあっ!?」
突然視界に現れた少女におどろいて、変な声が出る。のけぞった背中が、ベンチの背もたれにぶつかった。
「痛ぁ……」
「そんなにびっくりしなくてもいいのにー」
覗き込んだままの姿勢で、少女は僕を見てくすくす笑う。恥ずかしいところを見られたけど、悪意などは感じられない。
「ジルコンは、嫌いじゃないよ。そう、ジルコンに例えるのも失礼かも……」
答える声が、だんだん小さくなっていくのが自分でもわかる。
「どうしてそう思うの? ジルコンは、よく採れる石でもあるんだよ。ありふれてるとも言えるよね」
「そうなの?」
「うん。だからこそ、希少なダイヤモンドの代わりとして、アクセサリーを輝かせたんだ」
彼女は、自分のことのように胸を張った。その頭上で、ヘアアクセだろうか。小さなティアラが煌めく。こんなに暗い場所なのに、わずかな光でも反射して華やかだ。
「あの、君は?」
「わたしはジルコン。お兄さんは、何か悩み事でもあるの?」
「ん……、そうかも」
高校生の僕よりも、明らかに年下のジルコンと名乗った少女。なのに、吐くつもりもなかった弱音がこぼれた。自覚しているより、落ち込んでいるのかもしれない。
「聞かせてよ。何か力になれるかも」
「大したことじゃないよ。友達と比べて、自分は駄目だなって思っただけ」
彼は、僕とは違う方法で創作活動をする仲間であり友人だ。この前、僕の新しい作品のアイディアを見て、それをすごく気に入ったのだった。
『お、これいいな! なあ、合作みたいなやつしてみないか?』
『合作?』
『ああ。俺もこれをモチーフにして曲作るから、お前は小説の方書き上げてくれよ。それで、できれば作詞にも参加してほしい』
『あー。なんとなく、わかってきたかも。メディアミックスみたいな感じかな』
『そうそう! おもしろそうだろ』
『そうだね』
そのわずか二日後、彼が音源を送ってくれた。放課後の帰り道、彼とイヤホンをシェアしてその曲を聴いた。
『俺はこんなイメージだと思ったけど、どうだ?』
『すごいよ、想像以上。曲にしたらこんな風になるんだ』
『じゃあこれをベースに進めるか。そっちは?』
『んー、一応中盤まで書けたけど。この曲に合わせるなら……、もっと表現を工夫しないと』
正直、打ちのめされた気分だった。明らかに格が違いすぎる。
彼と別れてから読み返した小説は、とても安っぽく見えた。単純な文、目を惹くものがない展開。ありきたりな表現に、ぼんやりしたキャラクター像。
僕には、何もかも足りない。
「ほんとに、それだけなんだ。わかってる、隣の芝生は青く見えるものだって」
もともと、僕の書きたかったテーマは音楽やイラスト向きだ。不思議な魔法使いと、幻想的な星空を巡る物語。
でも僕は、書くことしかできない。彼の曲を聴いて以来、それもできなくなっているけれど。
「ジルコンに、いろんな色があるのは知ってる?」
「ううん、初めて聞いた」
「ダイヤモンドみたいな透明なものに、青色も有名かな。黄色に赤や緑、他にももっと」
言葉を連ねながら、ジルコンはくるくると回ってみせる。シンプルなドレスのようなワンピースがひるがえる。頭上の小さなティアラが、揺れるイヤリングが、光を受けてきらきら輝く。
彼女が身につけているアクセサリーには、どれもジルコンがあしらわれているようだ。色とりどり、それぞれに煌めく。
「色も多彩で、それぞれ魅力的でしょ? ジルコンは、ダイヤモンドの偽物なんかじゃないよ」
振り返ったジルコンが、にっこり笑う。僕の方へと歩み寄ってきて、ぎゅっと手を握られた。
「それを見せてあげるから、ちょっと手伝ってくれるかな」
「よくわかんないけど……、いいよ」
「よかった、ありがと」
彼女は僕の手を離して、細いベルトにつけてあった小瓶を取る。ポンと軽い音がして蓋が開くと、蛍のような光がふわりと出てきた。
いくつかある光が、僕と彼女のまわりを回る。何周かしてから彼女の手元に戻ってきた光は、色とりどりの宝石へと変化していた。
「やっぱり、お兄さんの石はジルコンだね」
やっぱりということは、彼女は僕がジルコンのようだと思って石の説明をしてくれたのか。その前提で思い返すと、彼女の言葉は僕を励ますものばかりだった。
「まだ粗削りだけど、磨けばきっと綺麗に輝くよ」
「そうだと……いいな。うん、そうなれるようにがんばるよ」
「その意気だよ。じゃあ、見ててね」
ジルコンの手の中で、宝石が輝いた。どこからともなく、ラムネくらいの大きさの瓶が現れる。それも開けて、彼女は瓶を大きく振った。
とたん、あふれだす細かな光の粒。ジルコンの手の動きに従って、上空に散る。
「今のは?」
「天の川の下流に流れ着く星を、砕いてかけらにしたものだよ。ちなみにさっきのは、流れ星なんだ。どっちも、魔法の素材や触媒としても使えるから」
「君は……、何者なの? 魔法だなんて言うし、それにこの光景。僕の小説のイメージにぴったり過ぎる」
「わたしは、ただの魔法使い。流れ星の魔法で、このジルコンを通してお兄さんのイメージを借りただけ」
舞い散る星屑の中で、魔法使いが神秘的に微笑む。何もかもが、物語の世界のようだ。
「そんな僕にだけ都合のいいこと、起こる訳ないよ」
「わたしが魔法使いだったのは偶然だけど、それ以外は違うよ。ジルコンを悪く言わなかったお兄さんのこと、いいなって思ったの」
都合がいいのは確かだけど、僕のためにといろいろしてくれているのは、どうやら本当だろう。こくりとうなずくと、ジルコンはほっと息をついた。
彼女は振り返って、星屑に向き合う。ジルコンがそれぞれの色でひときわ強く輝くと、星の色も変わった。
少しずつが数ヶ所で集まって、ぱっと花火のように咲く。
「わあ……!」
感動してベンチから立ち上がった僕の膝から、スマホが落ちる。その衝撃でイヤホンが外れ、友人の作った曲が夜の空気を揺らした。
ちらりとそれに視線を向けたジルコンが、いたずらっぽい笑みを浮かべる。指揮者のように彼女が手を振ると、曲に合わせて星が動きながら明滅する。
曲が終わると、小さな星のかけらたちはきらきらと降り注いだ。
「すごく、綺麗だ」
「形にしたのはわたしの魔法だけど、それはお兄さんの中に最初からあったものだよ」
「今なら、書ける気がする。ありがとう、ジルコン」
「わたし、お兄さんのジルコンが好きだよ。もっと輝くのが、楽しみだな」
それ以上声をかける間もなく、ジルコンの姿は消え去った。それでも、僕の心にはあの美しい景色が残ったのだった。
『今日の帰り、ちょっと様子変だったけど大丈夫か?』
端末に光が灯って、友人からのメッセージを映し出した。
『俺、お前の小説、ほんとにいいと思ったんだぜ。完成するの、楽しみに待ってるからな!』
待ってくれている人がいる。彼も、ジルコンも。
僕にはきっと、僕にしか書けないものがあるはずだ。題材が誰かと同じでも、僕なりの言葉で、表現したいものがあるなら。
『任せてよ。さっきいいアイディアをみつけたから、書き上げたら一番に見せに行くよ!』