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赤いトカゲ


叫び声の主は、やはりアレスだった。

魔法陣の上でゼッタと手を繋いだ彼もまた、こちらの空間に来れたのだろう。



「お前さ、俺が折角気を利かせて向こうに戻れるところに飛ばしてやったのに、何でここまで来れてるわけ?

俺はこいつと契約したかったからお前はお呼びじゃないんだけど」

イフリートが赤い髪をザッとかき上げて立ち上がる。

彼のその切れ長の赤い瞳はアレスを射抜くように見ている。


ゼッタの背後少し離れたところにいるアレスとゼッタのあいだに入るように歩く。

イフリートはその背中でゼッタを隠してしまったような格好だ。




「ゼッタに何かしたなら、ただじゃおかない…」

空気をも切り裂くような鋭いイフリートの視線を正面から受け止めて、アレスは低く言った。



武器も何も持っていない非力な少年のはずなのに、そのいでたちはどこか説得力があって、信頼に足る強さがあった。





「あー、そっか。こいつが…

お前も散々な運命背負ってるっぽいな、ゼッタ」


ああ、と何かに気が付いた様子のイフリートはゼッタに振り返って、可笑しそうに眉を下げた。

彼はアレスが将来の勇者で、私が将来のラスボスなことを言っているのだと思う。


そう。散々なんですよ。

あの小さな狩人の村から世界を救う英雄と、勇者の故郷を滅ぼすラスボスが同時に生まれているんですから。

しかもおさななじみ。

本当に散々な運命です。



…というか、名前を名乗るのを忘れていた!

とゼッタが気がついたのは、名乗り忘れた相手であるイフリートがゼッタの名前を呼んだ時だった。





ゼッタが何か言う前に、身構えるアレスに向き直ったイフリート。


「じゃ、元の場所に戻してやるよ」

そうイフリートが言い終わる前に、アレスが燃え上がった。

突然、何の前触れもなく。


ゼッタは人が燃えるのを初めて見た。

炎が人を包むのを初めて見た。


そして、アレスは骨はおろか灰も残さず消え去った。



一瞬だった。


アレスという液体が蒸発したかのようにしか見えなかった。


しかしその炎の波間に見えたアレスの目は、イフリートを臆すことなく強く見ていた。

そのことに、イフリートは気に食わないとばかりに鼻を鳴らす。



「イ、イフリートさん!!!!」

棒立ちだったゼッタは必死にイフリートに駆け寄る。

口をパクパクさせて、続く言葉を絞り出そうとする。



「じゃ、ゼッタ、お前も帰れ」

イフリートは玉座に戻り、あくびをしながら言う。


「イフリートさん!アレス、死んじゃったんじゃ…!?」

人を焼き殺して何食わぬ顔のイフリートに、ゼッタの動悸は収まらない。



アレスは人の運命を握る勇者なのに、こんなところで倒れたら誰が世界を救うのだ。

確かにこれでゼッタはラスボスにならずいられるかもしれないが、やがて来る混沌の闇に村人として殺されて結局終わる。

村も両親も皆、勇者のいない世界で混沌の闇に殺されて結局終わる。




「…お前何にも知らないんだな。

精霊の試験の間に入ると、ここで死ぬか精霊と契約するかしねーと出られないんだぜ。普通精霊の試験っつたら死ぬほどの苦痛に耐え切れたら合格だろ。んで、耐えきれなくてここで死んだら不合格。精霊との契約は無しで強制送還だ。

ま、お前は本当幸運だったな。俺がそんな試験に頼る必要がない見る目がある精霊で」


「や、やっぱり、アレスって死んじゃった…!?勇者なのに…!」

飄々としているイフリートを、ゼッタは青い顔で見上げる。


「おいおい。人の話聞いてたか?こっちで死んだら強制的に元の場所に帰れるんだよ。あのガキは痛みを感じる間もなく焼き殺してやったんだから感謝しろよ」


「えっと、それは…ここで死んでもほんとには死なないってことですか…?」

ゼッタは絡まる舌を懸命に動かして確認する。


「そう言ってんだろ」


呼吸を忘れていたゼッタは小さく息を吐いた。

「そうなんだ…え、じゃあ、イフリートさん、ありがとうございました…?」


勇者を瞬殺してくれてありがとうございますと聞こえて本当のラスボスみたいだけど、正確にはいろいろな気遣いありがとうございます、の意だ。




…ありがとうございます。



「これから、よ、よろしくお願いします」


「早く帰ってメシ食って寝ろ」

再度深々と頭を下げたゼッタを横目で一瞥して、イフリートは言う。


「もうメシは食べましたけど、早く寝ます」


「もう一回食うんだよ。で、さっさと大きくなれ」



…夜寝る前に二度目の夕食を食べられる蓄えの余裕などうちの家にはない…

そんな意味を込めて渾身のジト目を繰り出すと、イフリートがはははと笑っているのが、横目にぼんやりと見えた。







ゼッタとアレスは手を繋いで床に転がったまま目を開けた。

目の前に見えるはずの天井はなく、不安そうに覗き込むおばばとセリカの両親の顔が眼前いっぱいに見えた。


しまったと思って飛び起きようとすると、おばばに優しく遮られた。


「お前、権利もなんもかんもすっとばして、契約してきたんじゃの」

おばばの声がする。

地鳴りのような怒りの声を予想していたので、この穏やかな声に少し戸惑う。



ゼッタが声のする方に体を動かすと、おばばと、その後ろに深緑色の苔むした亀のような精霊が見えた。



「あ…山の精霊さん、粗相して、ごめんなさい」


ゼッタは直感的に気が付いた。この大亀が山の精霊で、おばばの一族と契約しているものだと。

そしてゼッタが試練の権利も持たず手順もすっ飛ばして会おうとしたことに怒っていた精霊。

ゼッタは床からばっと飛び起きると、おばばのうしろの大亀に向かって頭を深く下げた。

大亀の返事は瞬きだけだったので、それが何を意味するのかゼッタには分からなかったが、おばばが優しい目で代弁してくれた。


「もう今後はこんなふうに勝手にしちゃあいかんからの。お前の精霊様がおばばたちの精霊様を嗜めてくれなんだらおばばが精霊様に見限られるところじゃったんやで。

今回はおばばの精霊様が、お前たち二人には罰を与える必要はないとおばばに言ってくださったのじゃ、感謝せいよ」


きっと、勝手に試験に乱入したゼッタに怒っていた山の精霊をイフリートが黙らせたのだろう。

そしておばばからのお叱りも免除させてしまう精霊は凄い。

が、村にもおばばたちにも迷惑を掛けて大惨事になるところだったことを猛烈に反省した。

ゼッタはおばばにごめんなさいと平謝りをし、一緒に頭を下げてくれるアレスに、アレスは関係ないからと言いながらも感謝した。


見ると、大亀の精霊も細めた視線をゼッタに送ってきた。

その視線の意味は『仕方がないガキめ』と言ったところだろうか。

ゼッタは再度頭を下げる。


この精霊は、今までもずっとおばばの傍にいたのだろう。

今までは認識することなどできなかったが、今ならコミュニケーションが取れる。

イフリートが言っていた、これから精霊に会うようになるだろうと言うのはこういうことだったのだ。

精霊を宿すと、精霊が認識できるようになるというわけだ。



「それよりお前、儀式もなしにもう宿してきたんか。せっかちな精霊様にあったと見えるが、何の精霊様じゃ?見たところサラマンダーかのう?それにしては小さいのう」

おばばは、ゼッタの肩にちょこんと載っている小さなサラマンダーを訝しげに見つめた。


「うん、炎の…」


おばばの精霊と違って、イフリートはゼッタの傍にはいない。

その代わりに大きめの赤いトカゲを寄越した。

イフリートに用があったらこのトカゲにお願いすればよいのだろう。


だが、イフリートが直接村に来るようなことがなくてよかった。

あの絶世の美形がいつも隣にいるとなると何かとやりにくくて仕方がなさそうだ。




「ゼッタ、あの男はゼッタと契約したの?」

アレスが横から割り込んでくる。

彼は珍しく不機嫌を隠しきれていない。


「うん、そうだよ。アレスのことも気遣ってくれてたよ、あ、あの人なりに…」


ゼッタがそう言うとアレスは黙りこくってしまった。


アレスは、ゼッタが「大丈夫か」と聞いても黙ったままだ。

黙ったまま、苛ついているような顔をしている。

普段は機嫌が悪いのを表に出したりしないし、そもそもあまり機嫌を損ねることがないアレスだが、まあ今回ばかりは怒るのも無理はない、とゼッタは思う。

イフリートには出会って間もなく焼き殺されたのだ。

彼にはもれなく良い感情を持たなかったに違いない。



そんな二人の様子も意に介さずおばばが口を開いた。

「ゼッタよ。その精霊様は、人の形を模しておったのか。ならばそれは上位種の精霊様じゃ。おばばの精霊様がお前を許すのも無理はないということかの。

しかし、よくまあこの何の変哲もない村人の子が…上位種の精霊様は型にはまらないというのはその通りみたいじゃの」

おばばは眼をしょぼしょぼさせている。





「さ、今日はもう遅いから送ってやろうかの。ゼッタよ。お前には知っておくべきことがある。おばばは精霊様の上位種には会った事はないが、少しの知識はあるでの、教えておいてやろう。明日またここへ来るとよい」


「ありがとう、おばば」

おばばの目を見て、ゼッタは礼を言う。


勝手に家に忍び込んで試験に乱入したことに目を吊り上げて怒る事も無いばかりか、新たな知恵を授けてくれるという。


ゼッタは申し訳ない気持ちと感謝でいっぱいだった。








その帰りはセリカの父親が二人を家まで送り届けてくれていた。

よく喋るセリカの父親が二人を気遣って、いつにもましてたくさん喋ってくれた。


彼によると、セリカの母は精霊の試験に落ちているらしい。

試験では、自分が死ぬ体験を何度もさせられて何度も痛みを我慢しなければならなかったが、その途中でこんなに痛いならもう死んでもいいやと思った瞬間にこちらに戻ってきたらしい。

不合格だったということだ。


ゼッタはひやりとした。

セリカの母のように、攻略法を知らされて覚悟を決めてきた人でも耐えきれないのだ。

もしもゼッタがその試験を受けていたら、きっと不合格だった。

そう考えると自分が不正に合格した気もしてきて、少しいたたまれなくもなった。





ゼッタとアレスは静かに相槌を打ち続けて、気が付いたら3人はゼッタの家に到着していた。



家の扉を開けると、ゼッタの両親が顔面蒼白で彼女を探していた。

暗くなったら家を出ないと約束していたゼッタが、家のどこにもいなかったことに気が付いたらしい。


そして突然開いたドアの前に立つゼッタとアレスに振り返り、そこにいたと分かるとまとめてぎゅうっと抱きしめてくれた。

それから何も告げずに夜外出したゼッタは説教を食らった。

アレスが一緒に説教をされてくれていなかったら朝まで説教されたかもしれなかったが、今回は小一時間ほどで終了した。

ゼッタとアレスはここでも謝り倒した。








色々あったが最後に両親に怒られたことで、家に帰って来たのだなあとゼッタは改めて安心する。




布団の上に座り込み両手を何かを掬うように丸めると、その手の上に注がれたみたいにサラマンダーが入り込んできた。

熟れたトマトのように真っ赤に光る鱗を持った小さな竜は、愛嬌があってかわいい。

そして湯たんぽのように温かい。




今日はもう遅い。

ゼッタは瞼をゆっくりと閉じた。






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