深緑色の石
「ゼッタ、大丈夫?立ち眩み?」
私の背中をしっかりしたものが支え、私の腕を何か温かいものが掴んだ。
その後ろで私の体を支えてくれた男の子が、視界の隅からひょこりと顔をのぞかせる。
心配そうな顔。
その子は私の背中は胸で受け止め、腕を掴んで支えてくれている。
『大丈夫だよ』と言いながら足に力を込めて、私は改めて支えてくれた男の子の顔を見る。
きれいで柔らかそうな肌に、夏の空のように鮮やかな青い目。
印象的な色。
記憶に残るような色。
一度見たら忘れられないような色。
でも、なにか忘れているような気がする色。
何か忘れている?
どうしたんだろうと私が首を傾げると、男の子が微笑む。
『何ともないのならよかった』と笑った顔がお日様のようだ。
なにか思い出したような気もするけど、分からないからいいやと私は笑う。
この子が笑顔だと、自分も笑ってしまう。
この子が傍にいてくれると安心する。
全てうまくいくような気がしてくる。
そうだ。
彼と初めて会った時からずっと思っていた。
何故だか素敵な子だなあ、と。
なんだか目が引き寄せられるなあ、
もっと一緒に話していたいなあ、
ずっとそばにいて私に朗らかに笑いかけていて欲しいなあ、と。
改めてその男の子を見る。
彼の名前はアレス。
アレスは私、ゼッタの幼馴染だ。
ゼッタとアレスは村で一番仲がいい。
ここは小さな狩人の村で、村から一歩出ればそこは山と林。
山の精霊の加護を受けた村長であるおばばを中心に、村人は100人もいない。
もちろん皆顔見知り。
だけどもしアレスと出会ったのが人が溢れかえっている王都でも、絶対に一番の親友になれている自信がゼッタにはある。
幼い頃に兄を無くしたゼッタと、父を幼い頃に無くしたアレスは親友として仲がいいだけでなく、家族のように仲がいい。
ゼッタの父や母はアレスをまるで我が息子のようにかわいがり、アレスの母もゼッタを我が娘のようにかわいがってくれた。
アレスもゼッタを守るのは僕の役目だといつも言ってくれる。
最近のアレスはゼッタを守れるように強くなるんだと大人たちに交じって朝から畑に行ったり、狩りについていったりもしていた。
小さい頃は子犬みたいに可愛くて純粋だったアレスに、最近はたくましさとカッコよさがプラスされてきたように思う。
ふうと息を吐いて、先程の立ち眩みもすっかり治まったゼッタは改めて周りを見回した。
村のはずれの森との境にある小さな小屋の秘密基地にアレスとゼッタはいる。
二人だけの秘密の場所だ。
今日はここで花を集めてきて干した後に、石を削ったりして武器職人のオジサンのまねごとをして遊んでいたところだった。
「あのさ…ゼッタ」
その声に我に返ると、アレスがゼッタの手を小さく引っ張っていた。
「ゼッタ、こっちの石とこっちの石どっちが僕でどっちがゼッタだと、思う?」
隣にいるアレスがいきなり、唐突に、ポケットの中からごそごそ薄緑と深緑の綺麗で小さな石を取り出した。
二つとも上品に光る不思議な色の石だった。
どこで手に入れたのだろう。
「え?うーん、どっちも綺麗な石だね…」
アレスの両手に載っている二つの石を見ながら考えていると、ゼッタはハッと何か思った事があった。
この石のうちの一つが、勇者アレスが耳に付けていた装飾品の色と酷似している。
…勇者アレス?
この石のうちの一つが、チュートリアルに出て来た勇者の幼馴染の女の子、ラスボスのゼッタが耳に付けていた装飾品の色と酷似している。
…ラスボスのゼッタ?
アレスって、このアレス?
ゼッタって、私?
ゼッタは自分の中にある誰かの記憶に気が付いた。
一度記憶の存在に気が付いてしまうと、その中に自分が落ちて落ちて落ちて、自分の体積が押しのけた分、記憶の中にある情報が溢れ出てくるような不思議な感覚に陥った。
生暖かいものが脳みそを駆け巡って、垂れてくる。
ボタリボタリと落ちるように全部鮮明になってくる。
気づいてしまった。
自分の将来。
見えてしまった。
自分が今後どうなるか。
「ラスボスって…」
そりゃないよ。
勇者とヒロインの噛ませ犬チュートリアル村人という惨めな役割で留まっていた方が数百倍よかった。
嫌だ。
なんで私、両親とおばあちゃん、村の皆を殺して村を壊滅させるラスボスにならなければいけないんだ。
あんまりだ。
勇者のパーティメンバーを1ターンに一人は確殺して、彼らに次の犠牲を選ぶことを強いるような非道なラスボスになるなんて。
勘弁してほしい。
がくり、とゼッタは地に手をついてうなだれた。
記憶は、何の根拠もないが真実だと分かった。
何の証拠もないが、これはこれから実際に起こることだと知った。
「ゼッタ?大丈夫?やっぱりどこか具合でも…」
アレスが心配そうに声をかけ、丸くなっているゼッタの小さな背中に手をおずおずと置いた。
自分の体調など、ゼッタはそれどころではなかった。
…私、絶対将来変えなきゃ。
私、絶対ラスボスなんかにはならないから。
絶対村の皆を殺したりなんかしないから。
絶対アレスの仲間を殺したりなんかしないから。
振られたって絶対絶望しないから。
それに、勇者になったアレスのことを待っていなければいいんじゃ?
っていうかアレスの言葉を真に受けなければいいよね?
…早い時期に気が付けて良かった!
今からアレスには運命の人が待っていることを肝に銘じて、絶対両思い的なアレだと浮かれないようにしなきゃ!
アレスの思わせぶりな態度も、軽くいなせるようにならなきゃ。
あとは…そうだな、強くなる努力でもしてみようか。
弱いよりは何かの役に立つかも。
…絶対、将来変える!
ゼッタはばっと顔を上げた。
目の前に心配そうな顔のアレスが急に現れる。
いきなり顔を上げたゼッタの顔の近さに驚いたようで、彼の目は丸くなっている。
「ゼ、ゼッタ…」
ばっと顔を背けるアレス。
顔を手の甲で隠しているが、もう片方の手の平には二つの綺麗な石をしっかりと乗せていた。
ゼッタはゲームで勇者アレスが付けていた耳飾りと同じ色の石を取り上げた。
この石は何かしらの過程を経て耳の装飾品になるのだと予想がついている。
ゼッタがこの深緑の石をゼッタに似合うだろうと選んでしまえば、アレスはゲーム通りではない薄緑色の装飾品をつけることになるだろう。
小さな変化だが、バタフライ効果ともいうし。
変えられるところから変えて、ゼッタはゲーム通りのエンディングを回避する一歩を踏み出した。
…かのように思えたが。