レイフォン
「それが私、文字は書けるんです!」
ゼッタの中に沸いた記憶のおかげでゼッタは文字か読めて文字が書ける。理屈は分からないが、文字を昔から知っているみたいに書けるのだ。
差し出されたペンを受け取ったゼッタは、サラサラサラリと受領書の空欄に大きく名前を書いて見せた。
ふふんと得意顔でレイフォンに紙とペンを付き返す。
「サルのくせにすげーな……ってそこ、サインするところじゃないけど」
「えっ」
「お前、文字は書けるのに読めないの?そういうのあり得るの?」
受領書をゼッタの眼前にズイッと押し出したレイフォンは、署名と書かれた小さめの空欄を指さした。
何も考えずに大きな空欄に吸い寄せられるようにサインをしたゼッタは、小さく書かれていた署名の文字には全く気が付かなかった。
「あの、読むことも出来るんですけど、署名って書いてあるのには気が付きませんでした。書き直します」
「いーよ、別に。これだけでかでかサインしてあれば問題ないだろ」
イマイチ決まり切らず、気まずそうな顔をしているゼッタをレイフォンは一瞥し、受領書を畳んでポケットに雑に突っ込んでいた。
「ってか、サルのくせにどうやって文字習ったんだよ」
「ほ、本を読んで習いました。山で拾った文字の本で練習してみたらなんと、読み書きができるようになりました」
不思議な記憶を見てから読み書きができるようになりました、などと誰かに言う気は無い。
村の大人に聞かれたときもそのようなことを言って適当に誤魔化した。
「へー、サルにも分かる本って何か気になるな。なんて本?」
「え、えーと、その、題は忘れてしまっていて、確認しようにもたまたま火を焚いていたところに偶然落としてしまって、もう燃えてなくなったので本も持ってません」
本に興味のない村人たちには聞かれなかった質問なので、本の行く末は全く考えていなかった。
3つの袋をぎゅっと抱えたゼッタは、レイフォンの視線から逃げるように身を縮めた。
「ふーん。すげー目が泳いでるけど、それ信じればいいの?」
「えっ!あ、はい……そういうことにしておいてもらえたら嬉しいです……」
「ま、いいけど」
ゼッタのばつの悪そうな顔が面白かったのか、レイフォンが少し笑った。
彼はその場で木箱に入った鉱石を見ながら記録をつける作業に戻ったので、会話が終わったことを察知したゼッタはそそくさと出口の扉に向かった。
「じゃあな、サル」
礼をしたゼッタに、レイフォンから挨拶が返ってきた。とりあえず嘘つきの村人だと罵られなかったことに胸をなでおろしながら、ゼッタは扉を閉めた。
そしてゼッタは3つの小袋に入った鉱石を落とさず壊さず盗まれず、しっかりクラウドに届けたのだった。
それを受け取ったクラウドは作業台に3種類の鉱石を広げて、早速作業を開始したようだった。
作業台で集中するクラウドを横目に、ゼッタは薄暗い店の扉の鍵を開けた。
開店して何分も経たないうちに、本日最初の客として例の話の長いお爺さん魔法使いが店に入ってきた。
彼は超常連客のうちの一人である。それなのに彼が入ってきてもクラウドは顔も上げないし、いらっしゃいませと声を出すことさえしない。
客が店内にいるときのクラウドはもはや店の内装の一部のようだ。作業台で黙々と作業する創業者の像。
お爺さんの誇張された武勇伝を聞き流している間にも、修理に出していたものを取りに来る魔法使いや魔法道具をポツポツ買っていく魔法使い達の対応でゼッタは忙しくしていた。
今日は客が多い。いつもはもう少し静かで、店番をしながら魔法陣の暗記をする時間もあるのだが。
昼どきになってお爺さんが昼ご飯を食べに帰り、ようやく客足も途絶えたところで、ゼッタは店の扉の鍵をかけた。
日課である買い物に出かけるためだ。
パン屋で白パンを買うことから始まり、夕食の煮物用の野菜を買い、木苺ジャムを求めてジャム屋で終わる買い物だ。
「買い物に行ってきます」
「気を付けて…」
来たばかりの頃は「行ってきます」と挨拶をしても、クラウドには「はい」としか返してもらえなかったが、最近は少し長い返事もしてもらえるようになった。
どんな厄介な客にも泣き言を言わず、魔法の練習も真剣に取り組み続けて信頼度が少しづつ上がって来たらしい。
ゼッタは籠を持って外に出た。
「あ、サルじゃん」
香ばしいにおいが充満したパン屋の店内で、白パンを抱えて会計待ちをしていたゼッタは声をかけられた。
ついさっき聞いた覚えのある声だった。
「田舎者のサルのくせに、もう街の美味しいパンの店知ってるのかよ」
会計を済ませて、パンの入った紙袋を片手で抱えたレイフォンだった。
「昼飯、その白パン?そんなに食べるの?」
「これは明日の朝ご飯です。クラウドさんのと二人分です」
「あ、そう。ゼッタは昼飯食べた?」
「まだです。でも、買い物が終わったらお店で昨日の夕ご飯の残りを食べます」
「ふーん」
何故かレイフォンはゼッタと一緒にレジ待ちの列に並び始め、ゼッタが紙袋に入った白パンを受け取ったあと、八百屋に向かう道中も横に並んでついてきた。
第一印象は馴れ合いを好む感じではないと思ったが、実は結構親しみやすい子なのかもしれない。
彼は昼ご飯だというコーンパンを紙袋から出して頬張りながら、ゼッタに村について聞いてきた。
他の賑やかな街を訪ねたことはあれど、村には行ったことはないというレイフォンは村の質素な暮らしにも興味があるのかもしれない。
他の街の子供たちは村は街より劣っていると考えているようだったが、彼は少し違うらしい。
「へー、お前芋育ててたんだ」
「はい、結構上手に育てたねってみんなに褒められたこともあります」
「上手に育てるとか、どういう基準なわけ?芋は育つか育たないかじゃないの?」
「上手くできると大きくて萎びてない芋とか、味が濃い芋になります」
「ふーん。サルの世界は奥が深いんだな」
「いやいや、街の方が奥が深いです。お店もたくさんあるし学校もあるし、病院も港もあるじゃないですか」
芋畑が広がるだけの小さな村と、建物も人も物も溢れる大きな街。明らかに村は単純で、街は奥深い。
ゼッタはそう主張したが、街は複雑なだけで薄っぺらいぞとレイフォンは困ったような顔をした。
レイフォンはいかにも都会っ子な風貌をしているのに、都会があまり好きではないのだろうかとゼッタは首を傾げたが、脱線させずに芋の話を続けることにする。
「それより、街にある芋は村の芋と全然違いますね」
「はー?俺、芋は詳しくないから分かんないけど、そうなの?」
「種類も全然違うのですが、街の芋は形が綺麗だけど味が薄くて、村の芋は不細工だけど味が良くて、ちょっとネトネトしています。街の芋はすぐ煮崩れてシャビシャビのスープになってしまうので村でよく食べていたような煮物には全く向かないんです。あと街の芋は干し芋にも向きません」
「ふーん。じゃ、サルはやっぱり村の芋が恋しいわけ?」
芋の話を聞いてくれる街の子供などいないと思っていたので話すことなど一生ないと思っていたが、とりあえず相槌を打ってくれるくれるレイフォンには熱く語りたくなってしまった。
「あ、もちろん街の芋も美味しいですが、村の芋煮は時々すごく恋しくなります。でも幼馴染が毎月山を下りて私のお母さんの芋煮を届けてくれるので、頑張れます」
「山を下りて芋煮届けてくれる幼馴染……?って猿?なんかよく分かんないけど、よかったな。いい友達がいて」
猿が芋煮を背負って山を下りる図を想像したのか、変な顔をしたレイフォンだったが今度は深く追求はしてこなかった。
それから畑のことや狩りのこと、村の暮らしについて話していたら、ゼッタはあっという間にジャムも買い終えていた。
ゼッタはパン袋とジャムの瓶を右手に持ち、野菜を左手に抱えている。
買い物はこれで終わりだ。
俺もそろそろ戻らないといけないと言うレイフォンと別れ、ゼッタはクラウドの店の方向に歩き出した。
「ただいまです、帰りました」
ゼッタが裏口から店に帰ってきて挨拶をすると、クラウドの丸い背中からゆっくり声がした。
「…おかえり…いつもより、時間かかった…?」
「あああ、ごめんなさい!」
バッと時計を確認する。
歩く速度はいつもと違わないと思っていたが、やはり誰かに気を使いながらだと時間が掛かってしまっていた。
おずおずと様子を窺うが、クラウドは特に怒った様子もなく作業を続けている。
申し訳なく思うと同時にホッとしながら、ゼッタは急いで店の扉の鍵を開けた。
店が開いてしばらくしても店内は静かなままだった。
午後は特に忙しくなることはなさそうだ。
暇な時に済ますようにしている店内の掃除を一通り終わらせてからあの、とゼッタはクラウドに話しかけた。
「買い物の途中でラグナド商会の一族の人に会ったんです」
「誰…?」
クラウドは興味のなさそうな声を出したが、顔をあげてゼッタの方を見た。
「レイフォンさんっていう人です」
「ああ…跡取り息子…」
「他の子は田舎者とあまり話そうとしないから、街の子としっかり話したのはこれが初めてでした」
「よかったね…」
「はい」
ゼッタはコクリと頷いた。
思えば街での話し相手はクラウドか客のお爺さん魔法使いか、月に一回会うだけのアレスしかいなかった。
それに不満はなかったが、街の同年代の子と普通に話せたのは思ったより嬉しかった。しかも芋の話も聞いてもらえた。
もしかしたら、田舎者にも話しかけてくれたレイフォンとは友達になれるかもしれない。
あわよくば、街で最初の友達ができるかもしれない。
村から出ないままだったら、一生出会わなかったであろう友達。
シナリオ通りの人生を過ごしていないから出会えた友達。




