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ラグナド商会




それからアレスは毎月芋煮を背負って山から下りてくるようになった。

最初は瓶に入るくらいの少量の芋煮だけだったが、山道に慣れ体力もついてくるに従って段々大量の芋煮を持ってきてくれるようになった。

そんなアレスに、芋煮はもういらないから会いに来なくてもいいと言える勇気はゼッタにはない。



アレスに会う理由は、アレスが芋煮を運んできてくれるから。

アレスに会うのはついでで、メインは芋煮。芋煮に会うのが楽しみ。芋煮を食べられるのが楽しみ。

芋煮が欲しいだけ、芋煮が欲しいだけ、芋煮が欲しいだけ。

そういうことにしておけば、一か月に一回会うくらいなら大丈夫なはず。


結局アレスに会いたいと思ってしまうゼッタは、芋煮を口実に自分を甘やかしてしまっていた。



新しい怒涛の生活がようやく落ち着いて、街の風景にもやっと慣れてきた。

他のことを考える余裕の出てきたゼッタは、無意識にアレスのことを考える頻度が多くなっている。


クラウドに頼まれた買い物籠を片手にぶら下げて市場に出かけ、太ったパン屋のオジサンに勧められた試食を食べて美味しかったら次にアレスとパンを買いに来ようと思ってしまうし、図書館司書のおばさんに古本を貰った時はアレスにも貸してあげようと考えてしまうし、雨の後の街の時計台に掛かる虹を見た時は隣にアレスもいたらと想像してしまう。






「ゼッタさん…ジャム…零してるよ…」


「えっ!」


朝起きて、顔を洗って着替えてお店を開ける準備が整ったところでゼッタはクラウドと朝食を摂る。

その朝食の席で、ゼッタは白パンの上に乗った木苺のジャムを丸ごと服の上に零していた。


柔い白パンと甘い木苺のジャムといえばクラウドの毎朝の食事で、ゼッタも毎日ご相伴に預かっている。

ゼッタが街に来たばかりの最初の数週間は、おおよそ食べ物とは思えないほど美しい姿形をした、この朝ご飯を無料で提供してくれたクラウドを崇拝した。

クラウドは毎日飽きずにそれを朝食として食べるので、ゼッタの定番のお使いルートはいつもパン屋で白パンを買うことから始まり、木苺のジャムを買うためにジャム屋に行って終わる。


今は流石に毎朝クラウドを崇め奉ることはしないが、それでもこの素晴らしい朝食を前にしてジャムを零すまでぼんやりしたのは今日が初めてだ。


我に返ったゼッタは「服は洗ってあるので綺麗です」とクラウドにアピールしながら、服の上に落ちたジャムをさっと食べた。

意地汚いと思っているのか貧乏者めがと思っているのか、それとも何を食べようとゼッタの自由だと思っているのか全く分からないが、クラウドは小さく首を傾けただけで何も言わなかった。


店舗とは違い小窓から朝日が入って明るい小さなダイニングの中にある木の丸テーブルで、ゼッタの対面に座っている彼は木苺ジャムをてんこ盛りに載せた白パンをモソモソと食べている。




「今日は…食べたら…頼んである材料取ってきて…ラグナド商会…まで」


ゼッタの服に木苺模様の大きなシミができたことはもうクラウドにとってどうでもいいことらしく、話題を変えた彼は注文書をすっと出してきた。


ラグナド商会の印が大きく押してある注文書だった。ラグナド商会はクラウドが贔屓にしている商会の一つで、主に鉱物を扱っている。彼はそこから魔法道具の作成に使う特殊な鉱石を買っていた。


「ひ、一人でですか?」


「うん…これからは一人で、行ってきて…」


ラグナド商会にはクラウドの供をして何度か行ったことがあるので、行き方も分かっている。道も安全な大通りだけを通って行ける。

一人で外に出るのはまだ少し緊張してしまうゼッタだが、それでも毎日一人で買い出しも済ませているのだし注文書を持って品物を受け取ってくるくらい朝飯前の筈だと思い直す。


「はい、一人で取ってきます。任せて、ください!」


「…うん…落としたり…壊したりしたら…弁償だから…」


「は、はい!絶対絶対落としたり壊したりしません!」


ゼッタはコクコクコクコクと壊れたように首を振った。

彼は冗談だとは言ってくれないので、絶対絶対絶対落とさないようにしようとゼッタは心の内で誓う。


「盗まれても…弁償だから…」


「は、はい!絶対絶対盗まれたりしないようにします!」


ゼッタはとりあえず受け取った品物は死守しようと決めて、首を振り続けた。


「なーんて、ね…冗談だよ…盗まれたときは、盗んだやつに弁償してもらうよ…加工しないと使えない石なんて…誰も盗まないと思うけどね…」


クラウドはパンをモソモソし終わって、無表情のまま食後のミントティーのカップを取り上げている。


「店は…ゼッタさんが帰ったら、開けてね…」


クラウドは、ゼッタが不在の間接客をする気はないらしい。ゼッタはなるべく早く帰って来ると言って頷いた。


朝食を食べ終わりシミ抜きを高速で終わらせて、ポケットにもしもの時の為の防犯用の魔法道具を突っ込んでからゼッタは注文書を手に取った。

代金は月の終わりにまとめて請求書が来るので、今日は品物を受け取って来るだけだ。






朝の街は、職場へ向かう忙しない人で溢れている。

小さめの荷車を引いた人がひっきりなしに行きかっているし、店の店員は店先の掃除をしていたり、看板を立てかけたりと開店準備に追われていた。

大人だけでなく新聞を肩から下げた袋に入れて売り歩く少年も、ミルクが入った箱を首から下げた少女の売り子も元気に朝から働いていた。



青い空が気持ちの良い朝だった。

一日が始まる。皆で働いて、皆でこの一日を回していく。

皆が自分の役割を紡いでいく。

街にいても村にいても何となく感じる朝の一体感だった。


仕事モードのスイッチが入ったゼッタは、跳ねるように速足で歩きだした。



ラグナド商会はたくさんの特殊な卸の店が軒を連ねる通りの一角にある。朝から珍しい素材を買い求める人がちらほらいて、穏やかに賑わっていた。

ゼッタは朝の始まりの空気を堪能しながらずんずん歩いて、目的のラグナド商会に到着した。

濃い青の艶々した煉瓦でできた建物だ。


大きな木の扉を押して中に入ると、カランカランと大きなベルの音が鳴る。

中に入るとこじんまりとした空間が広がっていて、いたるところに木箱が積まれていた。


大人は見当たらず、ゼッタより少し歳上に見える男の子が一人、箱に入った鉱石を見ながら紙に何やらガシガシ書きこんでいるだけだ。

忙しそうにしていたが、利発そうな顔のその男の子はベルの音に顔を上げた。

ゼッタの顔を数秒調べるように見つめてから、鉱石を触って汚れた手を大きな白いエプロンで拭きながらゼッタに近づいてきた。


「何の用?」


「あの、商品を受け取りに来ました」


ゼッタに突き出された注文書を受け取った男の子は一目でどこに商品を保管しているか分かったようで、箱ではなく袋が積まれている部屋の角に歩き出した。

ゼッタは思わずその後ろに続く。




「ってか、クラウドさんが最近変なサルを使い魔にしたって聞いてたけど、お前のことだったんだな」


男の子は床に置かれた袋のタグを一つづつ確かめながら、ついでのように言った。


「あっ。多分私です。確かに使い魔のサルと言われれば、そうかもしれないので」


ラグナド商会にはクラウドと共に何度も来ているので、彼は誰かから村人がクラウドの弟子になった話を聞いたのだろう。

ゼッタは、村人だの田舎者だのと街の子供にからかわれるついでにサルと比喩されるのはもう慣れたし、クラウドの使いっ走りをしているのだから使い魔でも語弊はないなと妙に納得さえしてしまう。


「お前、名前なんて言うの」


「ゼッタって言います」


「ただのゼッタ?やっぱりサルに家名はないんだ?」


「えーと、はい。村で家名があるのは村長だけでした。ええと、あなたのお名前は」


「レイフォン・ラグナド」


「ラグナド……ここの商会を作った人の一族の人ですか?」


「そ。商会を作った人の一族の人」


賢そうだが少し意地悪そうな青いような黒い目をしたレイフォンはゼッタに小袋を3つ突き出した。

ゼッタは両手でそれを受け取る。


「よ、よろしくお願いします、レイフォンさん。私、多分これからたくさん品物を取りに来ることになると思うので、よろしくお願いします」


ただの雇われの少年ではなかったレイフォンに、ゼッタはペコリペコリとお辞儀をした。


「ふーん。俺はあんまり店に出ないだろうから、お前に二回もよろしくされても意味ないけどね」


「べ、別のところでも働いているんですか?」


「いや。学校あるからそんなに手伝えないだけ」


問いにけだるげに返事をしたレイフォンは、着ている長いエプロンのポケットから引っ張り出してきた受領書にゼッタのサインを求めてきた。

ペンをズイッと突き出して、顎で受領書をしゃくる。


ゼッタはいつもクラウドが書類にサインをしているところを横で眺めていた。

「これがその書類か。ついに私にもササっとかっこよくサインする時が来たか」とゼッタがごくりと喉を鳴らすと、レイフォンは何かに気が付いたようだった。


「あ、ゼッタは村から来たサルだから文字は書けないか」





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