来訪
結論から言うと。
ゼッタは自力で白い紙を燃やすことに成功した。
イフリートの魔力を体に流してもらって一度紙を燃やしたら「ああそこか」と魔力の通路なるものがわかった。そこから紙を燃やすまでは早かった。
魔力を体外に出すというのは、なんというか声を出すのと感覚が似ている、とゼッタは思う。
体の中を震わせるというか、体の中から声を押し出すように魔力を押し出すような感覚だ。
しかし、今のゼッタはまだその音量も音調もメロディーも抑揚も何を発音しているのかも全くコントロールできていない状況だ。
いうなれば、赤ん坊が意味を伴わない声を発しているだけのようなものだろう。
精密さを伴わない魔力を、ただ出しているだけなのでゼッタの目の前にある紙は何回やっても容赦なく炭になった。
それでも、これはゼッタにとって大きな一歩だった。
丁度ひと段落したところでクラウドが帰ってきたので、炭になった紙の山を見せたら「…大丈夫…」とボソボソ言っていた。
仏頂面だったが、少しほっとしたような顔をしていた。
永遠に白紙を提出するという恥ずかしい事態には何とか終止符を打つことができた。
ゼッタもよかった、とホッと息を吐く。
ゼッタの訓練は次の段階に進んだ。
次は魔力の出力を調整する。紙を炭にせず焦がすだけにするのだ。
ゼッタは抱えてきた古新聞の山を、カウンターにドンッと置いた。
高級品の白い紙を訓練に使い続けるのは気が引けたので、捨ててしまうために束ねたという新聞を店の裏からとってきた。
この山がなくなるまで位には焦がすこともできるようになるはず、と仁王立ちのゼッタは古新聞の山を見上げた。
気合を入れなおしたゼッタがその訓練と店番にとてんてこ舞いでいたら、あっという間にアレスが街に降りてくる日が一週間後に迫っていた。
街に来てからはめぐるましい毎日の終わりに「アレスはどうしてるかな」と少しの間想いを馳せるくらいしか余裕がなかったが、いざアレスに会える日がもうすぐそこに迫っていると意識すると変に緊張してくる。
嬉しいような、楽しみなような、でも怖いような。
会ったらきっと、好きだなあと思うのだろう。
本物のアレスに会った時、今まで忙しすぎて恋しく思う暇がなかった反動で「帰らないで」とか「村に帰りたい」とか口走ってしまったらどうすればいいのだろう。
そんなことを言おうものなら絶対アレスに優しくされる。
優しくされて「村に帰ろう」なんて言われたら、またラスボス確定ルートに逆戻りだ。
断る選択肢はあったのに、一回だけならば大丈夫なんて根拠のない自信を持って会うことを承諾してしまった。
アレスがゼッタに優しいのも、アレスが勇者として村を発つ前までだ、と改めて肝に銘じてからゼッタは薄くため息をついた。
ボッ
ため息をついたら、紙が焦げた。
炭になるのではなく、少しだけ焦げた。
「あれ……できた!」
ゼッタは意図せず2つ目の課題をクリアしていた。
積み上げた古新聞が全て灰になって消え去った今、ゼッタの前に残ったのは店の備品であるメモ用紙だけだったが、それが焦げた。
試しにもう一度ため息をつくように魔力を押し出してみると、正方形のメモ用紙の別の端が少し焦げた。
目を輝かせたゼッタは急いで店の裏から古新聞を担いできて、焦がす感覚を忘れないように何度も繰り返し紙を焦がした。
段々焦がせるスピードも速くなってきて楽しくなってきたゼッタは、売り物にできるくらい大量の焦げた新聞紙を生産した。
夕方帰ってきたクラウドに焦げた紙の山を見せたら無表情で拍手してくれた。
こんな初歩的なことで喜ぶしょぼい弟子も褒めてくれる、いい師匠である。
どんどん難しくなる訓練とどんどん慣れていく店番に明け暮れていたら一週間などあっという間に過ぎ、息つく暇もないままアレスがゼッタを訪ねてくる日になった。
店の扉は叩くべきなのかそのまま押して入っていいのか悩んだような控えめなノックの音と共に、店の正面の扉からアレスが入ってきた。
薄暗い店内に沈みかけた日の光も細く入ってくる。
アレスは一人だった。ガークやジェリコと一緒に来たわけではなさそうだ。
「ゼッタ」
真っ先にカウンターで古新聞を睨みつけていたゼッタに声をかけたアレスは、笑い方も声も何一つ変わっていなかった。
ゼッタは彼を見てとても懐かしい気持ちになった。
「仕事があったのに、無理言ってごめん」
「大丈夫大丈夫、クラウドさんにも事前に許可は取ったから」
今日、幼馴染と会いたいことはクラウドに既に伝えてある。
クラウドもガークたちからアレスについて聞いているのか、特に詳細を聞くことなく承諾してくれた。
ただ、完全に陽が落ちる前に店に帰ってくるように言われた。
村でも街でもゼッタくらいの年の子が大人と同等に働くのは珍しくないが、陽が落ちてから子供が大人と同等に出歩くのは好まれない。
昼間でも拉致されることがあるのだから、とゼッタは陽が沈み切っていなくとも二時間で帰ってくると宣言していた。
アレスはゼッタと二言三言言葉を交わすと、作業台で黙々と作業をしていたクラウドに駆け寄って挨拶をした。
丁寧だったが、アレスが猫背のクラウドを見定めるような視線を投げたのは気のせいだっただろうか。
クラウドと挨拶を交わし終わったアレスは、暫く店の棚に並ぶ魔法道具を眺めて驚いた声を出したり、感動したりしていた。
ここに来たばかりの頃のゼッタと同じ反応だ。
村に籠ったままだったら到底想像もできなかったような不思議な道具が所狭しと並んでいるのだ。必然的にそうなる。
ゼッタが一か月この店で働いて常連客から聞きかじった魔法道具に関する知識を披露すると、アレスは楽しそうに耳を傾けてくれていた。
アレスの近況も聞いてみる。
アレスは4日前に街に来て、ガークとジェリコについて回って時々稽古も付けてもらっていたらしい。
そして最終日の今日、ガークとジェリコに稽古をつけてもらってからゼッタの元に来たらしい。
宿はどうしていたのかと問えば、ガークのところで寝泊まりしていたらしかった。
ガークは面倒見がいいんだなと感心した後に、もしかしたら勇者の隠しスキルで人がやたらアレスに好意的になるのだろうかと推測した。
ゼッタにはよくわからないが、とりあえず言えるのは5年後にアレスが勇者になったらガークとジェリコは勇者の師匠と呼ばれることになるだろう、ということだ。
「そうだゼッタ。街、案内してくれる?」
店内をぐるりと一周したあたりで、アレスが提案した。
「うん、もちろん」
ゼッタは首を大きく縦に振る。
ゼッタはクラウドの店のある路地を出たらすぐにある治安のよい大通りにアレスを案内した。
沈みかかった日の弱い光が照らす街には大勢の人が行きかっている。
仕事帰りの人だけでなくこれから仕事に行く人、上品な服に身を包んで劇場にでも行こうとしている人、これから酒場に繰り出していく元気な人、そんな人たちを呼び込む威勢のいい酒場の店員。
日が暮れた途端に静かになってしまう村とは大違いだ。
ゼッタとアレスは昼間とはまた違った雰囲気を醸し出す街の喧騒と隙間なく並ぶ建物にキョロキョロしながら歩き始める。
上を見ればオレンジの街灯が灯り始め、道を見れば不思議な二輪の乗り物も走っている。
街を歩くのがほぼ初めてのアレスはもちろん、ゼッタも忙しなく首を動かしている。
二人は上を見たり横を見たりしながら、人にぶつからないように器用に歩いた。
ゆっくり歩いて明るい大通りが別の道を交差しているところにまで来たので、ゼッタは引き返そうと提案した。
交差点から向こうへはまだ行ったことがないのだ。
街は危ないから余計な冒険はしない、とゼッタは決めている。
アレスは頷いた。
ゼッタが踵を返すと、後ろから腕をチョンと突かれた。
振り返るとアレスが少し困ったような顔をしている。
「ゼッタ、手繋いでもいい?」
「あ、手、えっと、そうだねぇ……」
ゼッタの返事を予想していたが故の困った顔だったのか、そのままの表情でアレスは笑った。
「大丈夫だよ。はぐれると困るからってだけだから」
「あ、そうだよね!
こんなに人が多いとはぐれちゃうかもしれないしね。うんうん」
「……そうだよ。だから繋ごう」
構えすぎてアレスを嫌な気分にさせてしまったのではないかと思ったゼッタは、露骨すぎたかなと反省した。
申し訳なかったなと思って、アレスに掬い上げるように握られた手を握り返したら彼は目を細めてふわっと笑った。
嬉しそうに笑ってくれるその顔にゼッタもつい嬉しくなったが、ハッと気づいてこっそり自分で頬をつねった。
「アレスは友達友達友達」と心の中で唱えて平常心を保つ努力をした。
「ゼッタは村に帰りたいとは、思わない?」
他愛ない話に一区切りついたところで、アレスが質問と共にゼッタの顔を覗き込んできた。
「うーん。今はやることがあるし、帰りたいか帰りたくないかの前に帰れないな」
本心だった。
帰りたいか帰りたくないかの前に、このチャンスを棒に振って帰ることはできない。
ラスボス回避のため最後までやれることをすると決めたのだ。
「そっか、そうだよね。ゼッタにも目標があるもんね」
「そうだよ。せっかくガークさんたちがクラウドさんを紹介してくれて、折角魔法もちょっとだけだけどできるようになったんだから」
「ゼッタはすごいね。僕の自慢の幼馴染だよ」
「う、うん。頑張るね」
それは勇者が幼馴染の私の台詞なんだけどなあ、とゼッタは苦笑いした。
「頑張って、応援してる。村のみんなもゼッタのことすごく応援してた」
アレスが朗らかに笑ったので、ゼッタもつられてニコッと笑った。
実は村のみんながちょっと恋しい、という言葉は飲み込んだ。
「ありがとう、みんなにもありがとうって伝えてね」
「しっかり伝えるよ。
あ、今度村から持ってきてほしいものとかある?」
「あー、お母さんの芋煮とか食べたいな……」
急に喉が渇いたように母親が恋しくなった。
初めて見る移動式の屋台で売られている串にささった揚げ物を頬張った子供と、その母親が丁度目に入ったからかもしれない。
母親の優しい手や父親の笑った時にできるえくぼも思い出してしまった。
「芋煮だね、分かった。来月もまた月末に来れそうだから、その時持ってくるよ」
アレスは何となくしんみりした空気をゼッタから感じ取ったのか、つないだ手をぎゅっと握って笑いかけてくれた。




