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訓練




クラウドはぶっきらぼうな第一印象より随分良い師匠だった。

無気力だが、アドバイスが具体的だった。

声は聞き取りづらいが、マメに毎日仕事の合間にゼッタを指導してくれた。


最初の訓練は、ゼッタが暗記したいくつかの初歩の魔法陣のうちの一つに黒属性のものがあったので、それを紙に書くところから始まった。


ゼッタがそんなの簡単簡単、と机の上に置いてあった鉛筆を拾い上げたら「筆記具なしで」とボソボソした声が飛んできた。


「えっ」


そんな無茶なとゼッタは半笑いになったが、クラウドは眉一つ動かさずお手本を見せてくれた。

魔力で紙を焼く。焼いて描く。

魔力で紙に色を付ける。染みこませるように描く。

魔力で紙を溶かす。穴を開けるように描く。

クラウドはどんなやり方でもいいと言っていた。


お手本を見て、魔力の使い方を詳しく説明されてもゼッタは半笑いのままだった。


……できない気がする。

そんなのできない気がする。

ちょっとクラウドさんが言ってることがよく分からなくなってきた。




四時間経っても、ゼッタの目の前にある紙は白紙のままだった。


「…まあ…大丈夫…」

真っ白で綺麗なままの紙を摘まみ上げたクラウドは、少し眉をひそめて言った。


コントロールが上手くできないのだから魔法陣が描けないのは当たり前だとして、やはり魔力があるのに穴もあけられないのは異常なのかもしれない。



ちなみにイフリートは、ゼッタが流れに身を任せてクラウドに師事することを決めた時、不機嫌になっていた。

そりゃそうである。

教えてくださいと頼んできた奴が、手のひら返して他に先生見つけましたと言い出したのだ。

だが最終的に、村の意向があるのでゼッタが断れないことを分かっていてくれた様子の彼は「まあ頑張れば。でもあとから俺に泣きついてきてもなーんもしてやらねーから」と言っていた。

ゼッタは後から泣きつかねばならない事態も想定して、謝り倒した。







村から出てきたばかりのゼッタは訓練以外にも、何もかもが新しい怒涛の毎日を過ごしていた。

どこでも寝られるはずのゼッタだが、布団がふかふかすぎて寝られなかった。

朝から芋ではなくパンを与えられて戸惑った。

店の前を掃除していると見かけるお洒落なお兄さんやお上品な娘さんたちにも驚かされた。

クラウドの買い出しを手伝って訪れた市場やお店には見たことのないものがたくさん並んでいて、目が回りそうだった。



クラウドの薄暗い店はといえば、思っていたより忙しかった。

ダンジョンから帰ってきた魔法使いのお姉さんたちが連れ立って来たり、これから任務に行くという魔法使いのお兄さんたちが早朝に来たりする。


日中魔法道具の修理をしたり新しい商品を作ったり、技術提供している商会の人と会ったり忙しそうなクラウドは、初日から接客をゼッタに丸投げしてきた。

勇者のコミュニケーション能力も勇者の無条件に好印象を与えるスキルもない、ただの村人をそこまで信用するのもいかがなものかと思ったが、ゼッタは数日店に立ったらすぐに仕事に慣れてきた。


常連が多いこの店で、ゼッタに商品の説明などは求められなかった。

ゼッタの仕事はただ代金をきちんと受け取って、商品をきちんと渡し、修理に出した魔具を取りに来た人には名前を間違えないように品物を引き渡し、商品棚を綺麗に保つことだけ。

簡単だった。

もしかしたら畑仕事よりも簡単かもしれない。


とゼッタは初日に思ったのだが、それは甘かった。

この店の常連には面倒な人がたくさんいたのだ。


魔法道具を見ながら連れの男の人とイチャイチャするボインの魔法使いのお姉さんは、結局2時間くらい買うものを決められずに居座ったりするし、早朝酔っぱらったまま店に寄る魔法使いのお兄さんはその辺で吐くこともあるので後始末が大変だ。

それから2日に一回くらい来店する小さいお爺さん魔法使いは、ゼッタに延々と武勇伝を聞かせてきたりする。彼が楽しそうなので「せめて3日に一回くらいの頻度で来てくれ」とは言えないゼッタは延々と相槌を打っている。


生意気にならないようにクラウドに常連客の不満を言ったら「だから…僕も接客がしたくない…」と言われた。

ゼッタはアーと声にならない声を発して、それ以上何も言えなかった。





そんな感じで訳が分からないなりに精一杯過ごして、今日でやっと2週間だ。

フェデラルの街にやってきてから二週間。

訓練と並行してクラウドの店を手伝って2週間が過ぎた。


クラウドは素材を仕入れに行って店におらず客も一人もいない、珍しく暇な日の昼下がり。

ゼッタが白い紙とにらめっこしながら店番をしていたら、イフリートが突然出てきた。


「あの男、ヒョロヒョロ陰気もやしのくせに結構器用じゃねえか」


イフリートは出てきたと思ったら、座っているゼッタにまとわりつくようにしながらカウンターに置いてあった魔法道具の一つを摘まみ上げている。


あの男とはクラウドのことだ。

最近イフリートのクラウドに対する評価が上がってきているように思う。

最初はクラウドのことを「ヒョロヒョロ陰気ボソボソタレ目ボサボサもやし」と呼んでいたのが、今では悪口が大幅に削られて「ヒョロヒョロ陰気もやし」なだけである。

ただ面倒になって短くしただけかもしれないが。



「ああ、イフリートさん。そうなんです。常連さんもたくさんいるし結構評判がいいんです、クラウドさんの魔法道具……」


言い終わったゼッタはアアーとおもむろに欠伸をした。

紙に魔法陣を描くのに悪戦苦闘しているゼッタはここ最近寝不足だ。

布団の中で白い紙を見つめていると、呪いのように寝られなくなってしまうのだ。

どうしたらできるのだろうとぐるぐる考えすぎて興奮してくるのかもしれない。



「おいおい。そんな不細工な顔して欠伸すんな。びっくりするだろ」


「す、すみません…つい…」


ハッと口を押えてゼッタが謝ると、イフリートがカウンターに頬杖を突き始めた。

綺麗な顔と焼け付く赤い瞳ががゼッタの目の前にある。

唇を三日月のように歪ませて、何故かにんまりと笑っている。


「だがな。今この瞬間の俺はすこぶる機嫌がいい。お前の不細工な顔見たからだろうな」


「えっ……よかったですね…」


ゼッタは少し身構える。

この精霊の機嫌がすこぶるよかったことなど今まで一度もない。

それになにより、人の不細工な顔を見て機嫌をよくするなんて変態である。


「だから、手伝ってやろーか?」


「何をですか?」


「そりゃお前、そろそろ魔力で紙に魔法陣描かなきゃ、あの陰気もやしに捨てられちまうかもしれねーだろ」


イフリートは、猫でも撫でるかのようにゼッタの頭をゴロゴロ撫でていた。

村にいた時より格段に良い石鹸を使わせてもらっているので、ゼッタは自信を持って撫でられていることができる。

いやいやそんなことより、そろそろ魔力で紙に何か描けるようにならないとまずい。


クラウドはいろいろな道具を貸してくれたり魔力の練り方を懸命に説明してくれたが、ゼッタは薄い紙に傷一つ付けられないままでいるのだ。

最近クラウドの表情が何となく読めるようになってきたゼッタは、毎日白い紙を手渡され続ける彼の無表情が険しいのに気が付いている。


「一回だけ、俺の力を使って描かせてやるよ。そうすればお前はどこに魔力の通り道があるのか分かるはずだ。一度分かれば後は力を加減するだけ」


「そ、それは、私も紙に魔法陣が描けるようになるということですよね!」


ゼッタは提案にすぐ飛びついた。

凄い裏技である。

「もっと早く教えてくれればよかったのに」とゼッタが口を尖らせたら「教えるまでもねぇはずなのに」とイフリートに呆れられた。



「とにかく、とても助かります。ありがとうございます。ぜひ」


「じゃ、紙取ってこい」


「あ、い、今ですか?今は店番中なので後では駄目ですか…?」


無意識にゼッタの片手は時計を指し、もう片方は扉を指していた。

まだ開店中だし、客が来るかもしれないしという意味である。


「お前さあ、俺の話聞いてた?今の俺しか機嫌よくねーんだよ」


「きょ、今日の仕事が終わってからでは機嫌はよくないんですか…?」


「夕方なんて最悪に決まってんだろ」


ゼッタはちらりと時計を見る。

クラウドはまだ帰ってこないだろうし、このまま客も来なければ大丈夫だろうか。

ウムムと首をひねり、ため息をつき、腕を組み、体を曲げてグネグネ考えてから決断した。


「じゃあ今紙を取ってきます。けど、お礼要りますよね……?」


「んー?そりゃ、相応のものをもらわなきゃなぁ」



ゼッタはいいから早くとってこいと急かされて、弾かれたように紙を取りに走った。

多分今回のお礼というのもなんだかんだ手の甲にキスするくらいで許してくれるだろう、とゼッタは信じることにする。










読んでくださって、ブックマークしてくださって、評価もくださってありがとうございます。

感想も誤字報告もありがとうございます。


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