師匠
「そう…君がゼッタさん…」
目の前にいる、銀髪をぼさぼさにしたタレ目の男性が掠れ声でそう言った。
じゃあよろしくな、とガークにバシバシ背中を叩かれて数泊遅れて肩をすくめている。
「はい!よ、よろしくお願いします、クラウドさん!」
「はあ…」
ゼッタが全力で頭を下げて、クラウドは無気力そうに返事をした。
熱というものが全く感じられない彼に、ゼッタはこれからお世話になる。
おばばから説得されて精一杯笑顔を作りながら見送ってくれるゼッタの母と、少し寂しそうに笑うアレス、頑張れよと励ましてくれる村人たちに見送られてゼッタは村を出た。
荷物はとても少なかった。少しの衣類と本、細かい雑貨とふかした芋くらいだ。
ゼッタの父親が村人数人と一緒に山を下りて、ゼッタをフェデラルまで送ってくれた。
山を下りるのにまる一日かかった。
自分で山を下りてみて改めて分かった。
こんなに危なくて険しい道のりを結構簡単だったと言えてしまう子供は、どこを探しても勇者アレスだけである。
ようやくたどり着いた都市フェデラルは見上げても足りないほど高くて、見渡しても足りないくらい大きかった。
門の向こうに、人が大勢行きかっているのが見える。
街に足を踏み入れる前から村とは全然違う景色に、ゼッタは自分の心臓が早鐘を打っているのを感じていた。
村でラスボスになるまでに過ごす毎日とは、全然違う世界に来ることができた。
確かにアレスとは完全に離れたわけではないし、毎月の会える日まで一日づつ数えて過ごしてしまうことは目に見えているから、それはそれで苦しくなったといえばそうだが。
でも、シナリオ通りには進んでない。
記憶の中にラスボスゼッタの過去のエピソードは少ししかなかったから分からないが、多分ラスボスゼッタは無知なまま、魔力の暴走なんかとは縁のない村でヌクヌクと穏やかな毎日を送っていたはずだ。
精霊と契約だってしなかっただろうし、魔法陣の勉強をしていて誘拐されたこともないだろう。
そして、フェデラルに修業をしに来たことももちろんないだろう。
楽天的になるには早すぎるけど、自分は頑張っているぞとゼッタは自分の頬をパシパシ叩いた。
そんな経緯を経て足を踏み入れたフェデラルで、ゼッタたち村人一行は道に迷いながらガークたちが待っている冒険者ギルドに到着した。
冒険者ギルドは大通りにあって、酒場が併設されているからかとても賑わっていた。
変な服を着た人や、鎧で顔が見えない人、記憶の中のヒロインと同じように肌を露出した綺麗な人もいる。
村人一行が恐々ギルドの中へ足を踏み入れると、個性的な人たちの中でも村人軍団という個性は珍しいのか、ガークとジェリコがゼッタたちをすぐに見つけてくれた。
彼らと合流したらアッという間に裏路地にある小さな魔法道具店に連れてこられ、魔術師のクラウド・ヴェルヘイムに引き渡されて今に至る。
ゼッタの父親や村人たちもそこまでついてきて、ゼッタの為に代わるがわる頭を下げてくれていた。
クラウドは相変わらず低温で「はあ…」と呟いていただけだったが。
そしてガークが「じゃ、またくるわ」と軽く言って踵を返し、村の皆がクラウドの魔法道具店の扉を閉めて、ゼッタはクラウドと二人きりになった。
しん、という効果音がとてもよく似合う小さな店内。
ガークたちがいて開け放たれていた扉が閉められた今、そこは昼間だというのに薄暗かった。
壁に目をやれば、クラウドが作ったのだろう魔法道具が所狭しと並べられていた。
一つ一つは丁寧に飾られていることがわかる。
クラウドは作業台に戻って、すでに何かを組み立て始めていた。
ゼッタは一瞬途方に暮れたが、すぐに持ってきた小さな荷物を床に置いた。
「何か、手伝うことはありませんか?」
「ちょっと休めば…?夜は山で寝たんでしょ…」
クラウドはゼッタの方を見ることなく呟くように言った。
ゼッタは自分の膝を見つめる。
そうだ。すごく疲れている。
ゼッタは引き寄せられるように床の荷物の隣に腰を下ろした。
「床に座るのは…やめたら…?」
「あっ、はい!そうですよね、お行儀悪いですよね!
……でも私汚れてるから床くらいしか」
我に返ったゼッタはバッと立ち上がって、それから汚れた自分の服を見つめた。
「…着替えある…?」
「あ、あります!そうですよね、着替えてきます!
どこか…脱衣所とかどこですか?!」
「奥の扉開けて…突き当りまで行って右…」
手元ばかりを見ているクラウドは、ゼッタが焦って赤くなっていることに気づいていない。
村で暮らしていた時は服が汚れたら汚れてもいいところに座っていた。
今日が初対面の日だというのに、服装にも気を配らないまま家に押しかけ挙句床に座り込むなんて、村人感丸出しである。
呆れられただろうなぁ、と心の中で泣きながらゼッタは店の奥にある重い扉を押した。
ゼッタはサササっと奥の脱衣所にお邪魔してササっと着替えて、汚れた服をカバンの中に突っ込んだ。
一直線にお店に戻る。
お店へ繋がる扉を開引くと、薄暗い店内にクラウドの丸まった背中が見えた。
クラウドは顔を上げず、無造作にその辺に転がっていた椅子をゼッタに勧めてくれる。
ゼッタは椅子を持ち上げ、部屋の隅に運んだ。
客が入ってきてもあまり目につかないような位置を選んだ。
そしてその上に座り、ゼッタは何となく息を殺していた。
クラウドが作業をしている音だけが聞こえる。
うん。全く休まらない。
「あ、あの…クラウドさんは、ガークさんとジェリコさんとは、仲がいいのですね」
言ってから、答えやすいように疑問形で話しかけるべきだったとゼッタは後悔した。
「二人は…幼馴染…」
「そうなんですか。わ、私も幼馴染がいます!」
「二人は、幼馴染みたいな、兄、みたいな…」
ひょろりと細くて、背も二人ほど高くはないクラウドはガークとジェリコより少し若く見えると思っていたが、どうやら実際に若いようだ。
「そ、そっかぁ。素敵なお兄さんが二人もいていいですね!」
「…そうだね」
クラウドが少し笑った気がした。
それが薄く儚い笑顔に見えたので、勝手に想像力を働かせたゼッタは少し居たたまれない気持ちになった。
「あの、今回弟子にしてくださったのは、お兄さんたちに無理やり頼まれたから、とかでしたか…?」
クラウドは、兄と慕う人に見ず知らずの貧乏人を押し付けられて悲しいと思っているのではないだろうか。
幼馴染として仲の良い人に、ただの村人の受け皿として雑に扱われたと傷ついていないだろうか。
「…別に…逃げない店番が欲しいって二人には前から言ってたから…」
心配していた気持ちは吹っ飛んで、ゼッタは笑顔のままウン?と口を結んだ。
なんだかのっぴきならないことを言われた気がする。
「…それに魔力が多い実験台も欲しかったから…」
「ウンッ?!」
今度のゼッタは口を結んだままではいられなかった。
「…嘘だよ…」
「う、嘘かあ…。
でも、信じかけてしまいました。だって、そうでもなかったらクラウドさんが見ず知らずの私を受け入れてくれるなんてまだちょっと信じられないので…」
「ガークが…君は魔力がたくさんありそうだって…ジェリコが…最近の村人は凄いぞって…言うから」
「ジェリコさんまで…!」
「うん…それに山で育ったような何にも分からない子なら、従順かなって思って…」
「ウンッ?!」
クラウドを二度見してしまった。
やっぱりゼッタは魔力が多い実験台になるのだろうか。
魔法道具の開発者なら、実験台は例え汚れた村人でも欲しいだろう。
ガークさんは冒険者としての身分もあるしいい人そうだし、みんな信用しているようだし大丈夫と思っていたけど、実は違ったのだろうか…。
「…冗談だよ…」
「よ、冗談だったらいいなと思っていたので良かったです…」
「確かに、生意気な街の子供は嫌い…だけど」
自己申告されてみれば、たしかにクラウドは子供が嫌いそうな顔をしている。
ゼッタは「決して生意気は言わないぞ」と小さく決意した。
そして話しかければ答えてくれるクラウドに、生意気にならないようにもう少し質問をしてみることにする。
「あの、前に弟子は取ったことがあるんですか…?」
「ないよ…でも僕も師匠にいつか弟子を取れって言われてきたから…いつかは取らなきゃと思ってた…」
「えっと、わ、私が最初の弟子なんですね。私頑張ります!」
「うん…」
ぎゅっとこぶしを握り締めたゼッタに、クラウドが適当に返事を返した。
返事は適当だったけど、彼はただの村人を弟子にしてもいいと言ってくれた。
怖い冗談を言うが、悪い人ではなさそうだ。
ゼッタは自分の理不尽な運命の中にも、まだ少し残っているらしい幸運さに感謝した。
大雨にどうか気を付けてください。




