フェデラルの大門
アレス、ガーク、ジェリコは夜通し走り、大都市フェデラルの大きな門にたどり着いていた。
日が昇り始め、暗かった辺りは染みるように朝日に照らされ始める。
「よくついてきたな、坊主。途中でへばったらおいて行ってやろうと思ってたけどさ」
明るくなってきた周辺に目を細めたガークが感心しながら言う。
冒険者二人の容赦ないスピードについて走ったアレスはボロボロで、返事もできずゼーハーと肩で息をしていたが、流石将来の勇者である。
並みの少年には到底できないことをやってのけた。
しかし、山を下ることなどほんの序章でしかない。
助けを待っているゼッタにはまだ遠い。
フェデラルに到着して、ここからがようやく本編だ。
「よし。早速だがまずは護衛にそれらしい奴が通ったかどうかを確認してくる。犯人がフェデラルに入るためにはこの大門を使うしかないからな」
ガークはそう言って、激しく疲れた様子のアレスの肩をポンと叩いて門に向かって行った。
身分が保証されている冒険者の名前を使って護衛と対等に話すことができるらしい。
大きく深呼吸をするアレスはジェリコと二人、ガークを待つことになる。
二人は巨大な壁に囲われた都市フェデラルの大門に続く広い一本道の脇の木陰で、ガークの帰りを待っている。
今はまだ早朝で人通りはまばらだが、二人は大門に歩いて向かう人を抜かりなく観察していた。
広い一本道の脇には大道芸人が芸の準備をしていたり、都市には入らず人が馬と共に道のわきで休んでいたりもしているので、アレスたちは特に目立つことなく観察を続けることができている。
「お前、水も持っていなかったのか」
アレスが道行く人を目で追っていたら、隣にいるジェリコがおもむろに言った。
明るくなってきたので、腰に短剣をぶら下げただけのアレスの恰好に改めて気が付いたのだろう。
「あ、はい。捜索隊は時間になったら村に帰る予定でしたから」
「水も飲まずに夜通し俺たちについてきたっていうのか?
…最近の村人は凄いんだな」
殆ど無表情のジェリコは自らの飲み水をスッとアレスに分け与えてくれた。
最近の村人が凄いのではなく、凄い勇者になる予定の人物がたまたま村人だっただけであるが、今ここにその将来を知る者はいない。
アレスは礼を言ってから水を受け取る。
「水は休憩した時に泉で少し飲みましたし、山は下りる時は落ちるように走ればいいから楽なんです…」
ゴクリ。
水が美味しい。
泉で少し飲んだが、今改めて考えると喉が渇いている。
言われるまで気が付かなかった。
ジェリコとアレスの会話はそのまま終了し、しばらく二人は無言でガークの帰りを待っていた。
「お待たせお待たせ。多分奴らはまだ街には入ってないぜ」
言いながら、ガークが大股で帰って来た。
「そうですか。ガークさんは奴らの顔が分かるのですか?」
ガークを見上げたアレスは、あれっと思いついた質問をしてみる。
「いいや、分らん。
ここの入都審査もあってないようなものだが、護衛の話では昨日の夕方から大荷物で街に入ったやつも、薬師のナリをした奴も見なかったらしい。人を二人隠して門をくぐるにはそれなりの大荷物で偽装しなきゃならないだろ。だから奴らはまだ門をくぐってない。で、奴らよりここに早く到着できた俺らはこの門を見張る。
やっぱり周辺の山に詳しい坊主がいたのは大きかったな」
「よかったです。
他の村の子を誘拐したことがあるのなら犯人たちは山道には慣れているかもしれませんが、近道の知識はなかったみたいですね」
ガークはゴシゴシとアレスの頭を撫でてくれた。
無理を言ってついてきたのに、嫌な顔一つしないどころか褒めることまでしてくれて少しくすぐったい。
ガークは父親にしては若すぎるので、少しだけ年の離れた兄に褒められたような気分になった。
しかしアレスの意識はすぐに犯人たちの所在に戻る。
「…必ず捕まえないと」
「そうだな。
それより坊主、気張り過ぎじゃないか?大丈夫か。倒れるなら事前申告だからな」
ガークの気遣いに感謝しながらアレスはそれを否定する。
「特に眠たくも無いし疲れても無いんです」
山を下り切った直後は確かにつらかったが、今は疲れは感じない。
ゼッタがいなくなったと知った時の行き過ぎた焦りも不思議と薄れていて、今はすべてを通り越して覚醒している。
視界がいつもより広いし、手が先の肉と血は燃えるように熱いのに髄にある神経は氷のように冷たい、そんな感覚がある。
「あー、なるほどね。それは相当興奮してるな。俺もあったね、そういうこと。
大きい勝負の前とか、強い敵に向かってく時とか、神経がバグるんだよな。分かる分かる。
分かるだろジェリコも」
「さあ」
ジェリコがそっけなく呟く。
「お前はサアかもしれないけどな、俺はしょっちゅうだったぜ。そうさ、あの時の俺もそうだった…
好きな女の子助ける時とか何日でも寝なくても、何にも食ってなくても大丈夫だったからな…」
大げさに頷いて半場独り言のようにガークが呟き、
それを聞き流したアレスは、少しだけ視線を落とす。
ゼッタのことを考える。
そういえばゼッタは昨日の昼からご飯を食べていないんじゃないだろうか。
ひもじい思いをしているんじゃないだろうか。
夜だって冷えるのに多分暖は取らせてもらってはいないだろうし、ずっとどこかに閉じ込められたままなのかもしれない。
絶対、ゼッタを助け出したら温かい布団に入れて、温かいご飯を食べさせる。
それで脇にずっとついていて安心させてあげよう、アレスはそう思った。
3人は、大門へと続く一本道の脇で犯人たちの到着を待つ。
日が昇るにつれてだんだんと街に入る人が増えてくる。
ガークが何か腹に入れておけと渡してくれたレーションをアレスが齧っていた時、薬師風の男と冒険者らしき風体の何人かが門へ向かって歩いてきた。
…犯人かもしれない。
あの薬師風の男が背負っている木箱は丁度女の子が一人はいるくらいの大きさだし、後ろの冒険者たちの荷物も大きい。
睡眠薬でも飲ませて眠らせたゼッタとセリカを隠して運べそうな男たちだ。
「あいつらだ」
アレスが口の中にあるものを飲み込んで走り出そうとすると、同じくその男たちを睨んでいたガークに止められる。
「もしかしたら犯人じゃあないかもしれない」
アレスは肩を掴むジークをキッと睨む。
「犯人かもしれない」
もしかしたら犯人じゃないかもしれないことくらいは分かっている。
だが悠長なことは言っていられない。
怪しい奴らはみんな捕まえるべきだ。
「うん。だから、坊主に出番を与えてやる。あの薬師に話しかけて母親の肌に赤と紫の湿疹と鼻血の症状があると言って薬を持っているか聞け。これで薄桃色の液体の薬品を薬品箱から取り出してくれればそいつはしっかり商売してる薬師だ、多分」
ジークはそう言ってからアレスの肩を捕まえていた手を離してくれた。
「ヘマするなよ」
ボソッと耳元で呟かれる。
アレスは振り返ることなく頷いて走り出した。
「すみません、旅の薬師さん!」
「母さんの、肌に、赤と紫の湿疹ができて、鼻血も、出るんです。薬を分けて、もらえませんか」
道を談笑しながら歩いていた薬師の男の前に転がるように立ちはだかって、アレスは聞いた。
演技の方は大根といい勝負だった。
振り下ろされた大根の如く単調で瑞々しい棒読み。
しかしその薬師はいくらアレスが演技下手でも気にした様子はなく「それは大変だ」と言って大きな木箱をアレスの目の前で開けた。
整頓されて綺麗に並べられた薬がびっちり入っていて、女の子が入れる隙間はどこにもなかった。
「ハイこれで君のお母さんは治るよ」人のよさそうな笑顔と共に薄桃色の液体を渡されてアレスはハッとする。
この人は普通の薬師だ。
誘拐犯ではない気がする。
そして自分がお金を一文も持っていないことに気が付き、「おおお、お金を何処かに落としてきてしまったみたいです」とガークとジェリコのところに脱兎のごとく逃げ帰ってきた。
「あの人は本当に薬師みたいでした。
…でも、犯人が本当の薬師かつ人攫いだったら。見分けられるんでしょうか」
息をついて渋い顔をしているアレスが、ガークに問う。
「そうだなあ…その時はどうしようもねぇな」
「ッ…」
「あの桃色の薬品は最近大量生産する技術が薬師協会で開発されたらしくて、それ持ってるやつは信頼できる登録された薬師かなって思ったんだが、最後はやっぱり勘だな」
そうはっきりと言いきったガークに、アレスは眉をハの字に下げた。
…勘に頼って、万が一犯人を取り逃がしたらどうする。
よく考えたら、何人もの女の子を攫った犯人が巧妙に姿を隠せないわけがないじゃないか。
アレスはハアとため息をついた。
ぱっと顔を上げると、遠くの方に大荷物を持った別の薬師を発見する。
どうすれば見破れるのかは分からないが、とりあえずアレスは声をかけに大門に続く道に駆け戻った。
何回か薬師や明らかな大荷物を持った人たちに、何かと難癖をつけて話しかけて小一時間が経った頃。
大きな傘を被って薬師の木箱を背負った旅人風の服を着た男と、同じく大きな傘を被り大きなマントで体を隠した数人の男が目に入った。
マントを着た男のうち一人だけが、旅人風の男と同じく木箱を背負っている。
皆似たような山登り用の靴を履いていた。
その靴にはまだ湿った土もついている。
アレスがばっと顔を上げてガークとジェリコを見る。
ガークが頷いた。
ジェリコの眉もピクリと動く。
彼らの出で立ちからは、彼らの間柄と職業が見えてこない。
雑な彼らの変装は、身を隠すことよりも山を早く降りることに特化させたもののように見える。
そして4人の男性の集まりなのに、二つの木箱以外の大きな荷物が全くないのが怪しい。
アレスが彼らの前に転がり出た。
「すみません、旅の薬師さん!母さんの肌に赤と紫の湿疹ができて、鼻血も出るんです。薬を分けてもらえませんか?」
何度も同じセリフを道行く人の前で繰り返したので、もう完璧だ。
鬼気迫った感じの母親思いの男の子が良く演じられている。
アレスの持つ凄まじい勇者の学習能力は、彼の演技力も開花させたようだ。
「ごめんね、私は旅の薬師ではないんだ。他をあたってくれるかな?」
切羽詰まった表情をしているアレスに、先頭を歩いていた無精ひげの顔の男が申し訳なさそうに言った。
「そっか、薬師さんではなかったですか」
アレスは悲しそうな顔をして見せる。
しゅんとうな垂れてから、
顔を上げる。
そして続ける。
「…あ、母の薬のほかに、女の子を二人探しているのですが、見ませんでしたか?薄灰色の髪の女の子と、青黒い髪の女の子なんですけど」
にっこりと笑顔を作っている無精ひげの男の顔から、一瞬さっと血の気が引いたのを、アレスは見逃さなかった。
「知らないなあ。じゃあ私たちは急ぐから」
男は無理やり笑顔を作り二三歩ゆっくりとアレスから離れると、弾けたようにばっと走り出した。
他の男たちもそれに続く。
…黒だ。分かりやすすぎる。
アレスは無精ひげの男に後ろから飛び掛かる。
アレスが男の背負う木箱に強引にしがみつくと、バランスを崩した男は道に顔からつんのめって転がった。
バンッ
木がきしみ、大きくはぜる音がして叩きつけられて開いた箱の中から、気を失った状態のセリカが転げ出て来た。
「…ッはっ…!」
叩きつけられて体を打ったセリカは痛みに顔をしかめて目を覚ます。
口を封じられて腕にも何やら得体のしれないものが巻かれていて、身動きはおろか声も出せないようだ。
いきなり後ろから襲い掛かった男の子と、襲い掛かられて転がった男、更に箱の中から転がり出て来た女の子に、大門へと続く道は騒然となった。
アレスは再び走り出そうとする。
セリカがこちらの木箱の中にいたなら、ゼッタはもう一つの木箱の中だからだ。
もう一つの箱を背負った男の後ろ姿を視界の端に捕らえたが、その男は次の瞬間人込みに混ざる。
何事か何事かと集まってくる人の壁が、もう一つの木箱を背負った男と起き上がったアレスの距離を開かせる。
もう一人の木箱の男は、騒ぐ人々の間に姿を消してしまいもう跡形もない。
アレスは唇を思いきり噛んだ。
血が広がる味がする。
「俺に触れるな!そのまま道を開けろ!!」
茫然と悔しがる余裕も碌に与えられず、セリカの長い髪を鷲掴みにして立たせた無精ひげの男が叫び、セリカにナイフを突きつけてフェデラルの大門へと後ずさっていく。
セリカは苦しそうにもがくが、突き付けられたナイフに息を飲んで大人しくなった。
乱暴に掴まれて揺れる彼女の首に、既に少しナイフが傷を作っている。
それに耐えるセリカの涙で濡れた目が、アレスに助けを求める。
アレスはじりっと足に力を込めて無精ひげの男に隙ができるのを窺うが、男に隙といった隙は無い。
その間にも人々がおずおずと道を開け、男はアレスたちからどんどん距離を取っていく。
アレスが男を睨みつけたまま動けないでいると、
「逃がそう」
組み伏せて縛った犯人のうちの一人をその辺りにいた男性に押し付けたガークが、後ろからアレスに耳打ちをした。
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早くゼッタを甘やかしてあげたい




