聖女
視界が柔らかく歪み、まるで絵具を溶かしたようにグルグルと回る。酔いそうな景色はすぐに違う景色に変わった。その後、お城のような大きな建物の前に俺達は立っていた。
転送石は、目的地に着くと砂のようになって消えていく。魔法石は使用回数に達すると消滅するよう作られているようだ。数が少ない貴重な魔石を使っている転送石を、遅刻の為に使うのはかなり珍しいと、リアンに呆れられてしまった。
そんなリアンの声に気付いたのか、前にいた生徒の一人が振り返って手を振った。
街に居た時にも思ったが、この世界の住人はみんなカラフルな髪色をしている。
「あれ、リアンじゃない。私が最後だと思ってたのに、今日は遅刻じゃないんだね。」
「可愛いベティの顔が見たくなってね。」
歯の浮くようなわざとらしい言葉も、リアンが言うとなかなか様になっている。思わずドキッとしてしまった事は秘密にしておこう。
今は男だが、まだ女性である感覚は残っている。今後自分が好きになるのが、男なのか女なのか。鏡に映った自分の姿を見て、少し心配になってしまった。
「どうしたの?せっかく時間通りに来たんだし、早く教室に行くよ。」
お城に入ってすぐの廊下を進むと、立派な扉が見えてくる。
リアンに促されるように、二人は教室に足を踏み入れた。
騒ついたクラス中の視線が、一斉に向けられる。男の目線はティアに釘付けなので、若干の苛立ちを覚えた。
所詮男は馬鹿な生き物だな。
ティアの前世は、誰もが振り返る程の美少女になる事を望んでいた。女神がその思考を読んでティアの身体を造築したのなら、この世界の人間がティアを美しいと思わない訳がない。
そんな悪くない俺達の印象は、次の瞬間から崩れ出した。
「おい、コイツらLv.1だぞ。」
冴えない男、仮にモブ男としよう。モブ男は馬鹿にしたように俺達の胸の辺りを見る。
見ると、胸ポケットには校章らしい花の絵と、その中央に堂々と1と書いてある。
リアンは78と書いてあるので、これはレベルで間違いないだろう。
なんでこんなに堂々とレベルを晒して歩かねばならんのだ。
その瞬間、このクラスのザワつきは一気に気分の悪いものに変わった。
笑う者、嫌がる者、訝しむ者…良い意見などありはしなかった。
「…高レベルがそんなに偉いのかよ…。」
俺は思わず呟いた。怒鳴りたい衝動をなんとか抑えて、深呼吸する。その呟きが聞こえたのか、ティアがそっと手を握ってくれた。
そういえば、俺って短気だったな。ティアが慰めてくれなかったら、やり方の分からない魔法でもぶっ放している所だった。
「転校生が怖がってるから、みんなそんな怖い顔向けないでよ。」
意外にも、庇ってくれたのはリアン。
思い返せば、リアンは俺達のレベルを目にしても決して馬鹿にしなかった。レベルの差故の余裕なのかもしれないが、その言葉に救われたのは事実だ。
リアンの発言には影響力があるようで、ザワつきは徐々に落ち着いて行く。
改めてクラス全体を見ると、 このクラスの人数はそれほど多くない事がわかる。最低でも30人くらいかな?
そんなに広い訳ではないし、テレビでよく見る、階段状に長机が並んだ大学の教室のような教室だ。
ピコンッ
音を立てて、突然“クラス名簿”なるアイコンが出現した。パソコンみたいだな。
タップすると、レベル順でクラス全員の名前、現在地がログ状に出て来る。更に名前をタップして、ステータスが現れる。
なるほど、これは便利だ。
[31/35]
出欠の欄を見ると、35人中31人出席しているという事だ。それにしても…
[Lv.90 ルーク・フォン・テートス コーリン遺跡
Lv.88 ロキ・サウス・マリンフィード コーリン遺跡
Lv.83 レオン・アイズ・チューン コーリン遺跡
Lv.80 ムイミ・モーリス・リン コーリン遺跡
Lv.78リアン・ミル・インフィニート エスポワール学園]
一番上のレベルが90とは。この世界の最高レベルは分からないが、一般の平均からすると雲泥の差がある。
Sクラスのトップなのだから、学園一強いと推測する。出来れば絡みたくない奴らとして、この四人の名前は覚えておこう。
この五人がズバ抜けて高レベルだが、後の生徒は平均50~60。それでも一般より強いのが厄介だ。流石に全員は覚えられん。
せめて、俺達のレベルを馬鹿にした最初の奴だけでもステータスを…。
[ロン・ド・カーニバル 17歳
人間族 Lv.50 エスポワール学園 2年 Sクラス
HP/25000 MP/25253]
なんともお祭り騒ぎな名前だ。
しかもコイツ、クラスではレベルが一番下じゃないか。
今まで一番下だった人間が、更に下を見つけた事によって安心しているのかもしれない。
ここは俺が大人にならないとな。そうとも、俺は大人なのだから。うん。頑張ろう。
「皆さん、お静かに。」
後ろから、眼鏡をかけたグラマラスな体型の女性に声をかけられた。恐らくこのクラスの担任的な人だろう。ステータスを見なくても、彼女が強い事は分かる。
その妖艶な瞳に、思わず息を呑んだ。
一旦俺達を廊下に避難させ、向き直る。
「ワタクシはロゼッタ・クォーク・アーチア。Sクラスの担任を務めております。」
[ロゼッタ・クォーク・アーチア 27歳
人間族 Lv.100 エスポワール学園 Sクラス担任
HP/57842 MP/72136
スキル/魅了、増幅、危険察知]
この世界で初めてであったLv.100。一体この世界のレベルの最大値はどうなっているんだ?しかも、スキル持ち。
ロゼッタ先生…ロゼ先生に言われるままに、俺達はステータスプレートを見せた。しかし彼女ですら、レベルを目にして驚いていた。
「少し、調べさせて頂きますね。」
ロゼ先生は手を突き出すと、その手が淡く光り、彼女の目の色が変わる。その光景は、女神が俺達の身体を創った時と似ていた。
「まさか、ここまでとは…。」
「あの、何か…?」
「失礼致しました。ワタクシは自分の魔力を捧げ、女神様の力を少しだけ使う事が出来るのです。」
エスポワール学園の教師になる前は、“聖女”として崇められる存在だったというロゼ先生。
昔、勇者と一緒に旅をした事があると言う。是非詳しく話を聞きたいところだ。
「今のは、ゼロさんの持つ神眼と同じ。魔力を消費しますから、ワタクシはすぐに効果は切れますが。」
俺達のスキルはただのスキルではなく、“女神のスキル”だ。つまり、女神の力をスキルとしていつでも使えるという事。スキルとは、魔力を消費せずに使える特殊能力の事だ。
ロゼ先生達はどれだけ強くても、その効果は少しだけしか使えないらしい。
「その強さなら大丈夫だと思いますが、気を付けてください。Sクラスはかなり自尊心の高い者が多いので。」
Sクラスと名乗っている以上、実力やプライドも波ならないだろう。あのモブ男…名前は確かロンド…いや、ロンだ。アイツもプライドは高そうだ。
強さがモノを語るこの世界では、ゼロとティアは最弱。下手をすると、子供より弱いと言われているようなものだ。
「貴方達にとって最高のパーティーを、この学園で見つけて下さいね。」
まだ魔法すら使った事がないので、Lv.1と言われてもあながち間違いでもない。
でもせめて、ティアに色目を向ける奴等とは付き合いたくないな。
それに、仲間や友達を作る気持ちの余裕なんて、俺にはもうない。
せっかく憧れの異世界に来たのだから、冒険者になるという選択肢も出来る。しかし、信用出来るかも分からない“仲間”を作るくらいなら、将来は安定職に就いても良いかもしれない。
等と考えながら、俺はロゼ先生に「ありがとうございます。」と頷いた。
こんな上辺だけの言葉でも、言わないよりマシだ。
もう“あの時”のように後悔したくない。
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