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9話 ちょっと飲み過ぎているような気がする。

 実家に戻るたび、京子はいつもの店に顔を出す。

 二十歳の祝いに忠雄(ただお)に連れて来られたのがきっかけで、京子はこの店に足を運ぶようになった。

 駅前のアーケードから小道に入ってすぐの店だ。

 一年以上振りなのに、暖簾(のれん)を潜って中に入ると、一番近くに居た若い男の店員が「京子さん、お久しぶりです」と声を掛けてきてくれた。


 二階では地元高校の同窓会が行われているらしく、外の寒さを忘れてしまうくらい店内は賑やかだった。

 もう一人来る事を伝えると、一番奥のテーブル席に通される。久々の店内だが、カウンターにある生簀も年期の入った茶色のテーブルも記憶と変わらない。


「馬刺しとレモンサワーをジョッキで。あと串盛りも。唐揚げも食べたいし。綾斗は何飲む? コーラ?」

「えっと、牛乳ありますか?」


 看板娘の老齢女子に注文をすると、「えっ牛乳かい?」と驚かれたが、「持ってきてやるよ」と気さくな笑顔で店の奥へ戻っていった。


「ちょっと綾斗、居酒屋でまで牛乳って」


 ランチ時は毎回牛乳を飲んでいるが、外でも徹底しているのには驚かされる。


「そんなに牛乳ばっかり飲んで、身長でも伸ばしたいの?」


 何気なく言った言葉に綾斗の表情が固まるのが分かった。確かに彼は身長が高いほうではないが、一六三センチの京子が制服用の三センチヒールを履いても若干見上げる余裕があるのだから、そこまで気にすることではない気がする。


 しかし綾斗は改まった顔をして、京子から視線を逸らした。


「成長期なんですよ。今がラストチャンスなんです」


 本気だ、と京子は悟ったが、返答に困る。

 高校の入学式、周りの男子はみんな京子より低かったのに、卒業時には逆転されて驚いた記憶があるので、本人の言う通り成長ゲージは最終局面を迎えているのかもしれない。


「キーダーの男はモテるんでしょ? 少しくらい低くたっていいじゃない。顔もまぁまぁなんだから」

「一八〇センチの彼氏が居る人に言われても説得力がないですよ!」


 フレームの奥の瞳が静かに京子を見据えている。


「たまたまだよ。身長で桃也のこと好きになったわけでもないし。卑屈になることないよ」


 桃也は確かに身長は高いが、背だけで言えばマサのほうが上だ。


「別に高望みしてる訳じゃないんですよ」


 熱々のおしぼりで手を拭きながら、綾斗はつんとスネた表情で訴える。


「あと一センチ上げて、俺のパーソナルデータを一七〇にしたいんです。必死なんですからね」


 一センチ増えたところで大して変わらない気もするが、京子が考える何倍もその一センチへのこだわりは大きいようだ。


「分かったよ。もう頑張ってとしか言えないけど、頑張って!」


 綾斗はスッキリしない表情で、「ありがとうございます」と礼を言う。

 運ばれてきたお通しや酒と一緒に、タイミング良く知恵が現れた。


「ごめん、遅くなって」


 脱いだダウンコートを丸めて空いた椅子に乗せ、知恵は店員にビールを頼む。


「今来たとこだよ。久しぶり。髪切ったんだね」

「だいぶ前だよ。楽ちんラクチン」


 前会った時は黒のストレートロングだった髪が、明るい茶色のショートヘアになっていた。

 綾斗が会釈すると、知恵は「あれ」と首を傾げた。


「仕事の人連れて来るって、彼氏だったの?」


 忠雄に続いて二連続の反応。途端に綾斗の機嫌が悪くなるのが分かる。


「違うの。本当に出張で来てるんだよ。彼氏じゃないよ。綾斗はまだ高校生なんだから」


 むっすりと頭を下げる綾斗。そんな彼の機嫌も知恵は全く気にする様子がない。


「そうなんだ。キーダーって大変だね。京子も中学出てすぐ東京に行ったんだもんね」

「さっきもうちのお父さんに彼氏と間違われてご機嫌斜めだったんだよ」

「そっかぁ。でも君イケメンだし。間違われても仕方ないね」


 満足そうに頷く知恵。忠雄もそうだが、独特の地方(なま)りが落ち着く。周りから聞こえてくる会話も、京子には心地良かった。

 運ばれてくるビールを待って、三人で乾杯する。


 レモンサワー片手にご機嫌な京子をよそに、知恵が綾斗にこっそりと声を掛けた。


「着いて来ちゃった事、後で後悔するかも」


 悪戯っぽく笑う知恵に、綾斗は「え?」と眉をしかめる。そんな二人のやり取りも耳に入らない様子で、京子は一杯目を豪快に飲み干し空のジョッキをデンとテーブルに置いた。


「ちょっ、京子さん。大丈夫ですか? そんなに急いで飲んで」

「いつも通りだよ。全然平気」


 真面目な顔で返事して店員に同じものを追加オーダーする京子に、綾斗は一抹の不安を覚えるが、勢いは徐々に加速していく。


「そうそう知恵、私この間、彰人(あきひと)くんに会ったんだって!」

「えっ本当に? 連絡できたの? まだ電話番号教えてなかったよね?」


 驚く知恵を前に、京子はお通しの枝豆をひと房食べてふるふると首を振る。


「連絡先なんて知らないって。あの電話のすぐ後だよ。偶然、だったの」

「そんな偶然なんてことあるの? 東京でしょ? 運命なんじゃないの?」

「私もまさかとは思ったけど。偶然以外考えられないんだよ」


 追加のレモンサワーも半分をグイグイと流し込み、京子はぽっと赤く頬を染めて訴える。


「それで、何か言ってた?」


 言われて京子は頭を捻る。そう言えば何を話しただろうか。

 動揺していて会話など殆ど覚えていないが、綾斗の視線を気にしつつ記憶を辿りながら説明すると、知恵は表情を思い切り歪めて仰天した。


「泣いた、って。それは京子が酷いよ」

「だって。突然だったし、何話していいかわかんないし、勝手に涙出て来るし」

「そうか。彰人がそんなに好きだったのか。彼氏さん登場じゃ災難だったね」


 もう、と半分呆れ顔で、知恵は七味を振った串盛の中から皮をチョイスして京子に渡す。


「これ好物でしょ? 食べて元気になって」


 「うん」と強く返事して、京子は鶏皮片手に再びジョッキを空にする。


「私ね、小学校の頃アンタの気持ち知ってから、二人がくっついてもいいなって思ってたんだよ。彰人のパパも京子のこと気にしてたよ?」

「彰人くんのお父さん?」

「そう。この間たまたま家の前で会った時、京子ちゃんは元気? って。相変わらずのダンディっぷりだったよ」


 どんな人だっただろうか。彼の母親の顔は浮かんでくるが、父親に関してはそのダンディなイメージすら出てこない。


「京子は地元じゃ有名人だし、私が仲良いのも知ってるから聞いてきたんじゃないかな」


 京子は腕を組み、大袈裟に首を傾ける。酔いのせいか仕草がどんどん大きくなっていく。


「顔が出てこないよぉ」

「お父さんなんてのは、学校行事なんかもあんまり関係ないしね。結構似てると思うけど、私は彰人よりパパの方が好みだな」


 ここに来る時、おじさんは連れて来るなと言った口が、そんなことを言っている。

 テンションの上がる女子二人を横目に静かに枝豆をつまんでいた綾斗が、小さな瞳をぱちくりと開いて、感心するように大きく頷く。


「京子さんにもそんな人がいるんですね。桃也さん一筋だと思ってたら」

「今は一筋だよ! 彰人くんは昔好きだっただけだもん」


 京子は目を潤ませ、馬刺しを掻き込んだ。知恵が「もったいない」と止めるが、既に京子の胃の中へ入ってしまっている。

 一人テンションの高い京子を置いて、知恵は綾斗にメニューを勧めた。綾斗は物珍しそうに一通り目を通し、軟骨の唐揚げとサラダ、鮭のおにぎりを頼んだ。


「京子はね、本当に小学校の頃から彼のこと好きだったんだけど、結局何年も片思いして、告白せずに上京しちゃったの。中三のバレンタインにチョコ贈ったんだけど、結局答えはもらえなくて。答えを出さなかった恋愛は、後引くからねぇ」

「引いてるんですか?」

「引いてないってば! 知恵もそんなことまで教えなくていいから!」

「その相手の人は京子さんのことどう思っていたんですか?」


 京子はごくりと息を呑み、背中をピンと伸ばす。そんな話聞いた事もなかった。


――「最後なんだから」


 知恵に推されて前日慌てて買ったチョコレートを通学途中の彼に渡し、猛ダッシュで逃げてきた。

 ホワイトデーを待たずに上京したせいか、それとも彼の返事なのか、何もないままこんなに時が経ってしまった。


 しかし知恵は京子の緊張を裏切って「それがね」と溜息をついた。


「彼、私の幼馴染だから聞いてみた事あるんだけど、はぐらかされちゃったの」

「へぇ。ってことは、嫌いでもなかったってことですかね」

「そうだねぇ。彼もちょっと変わってるから。勉強もスポーツもトップクラスだったし、顔も大分イケメンだから、彼のこと好きだったのは京子だけじゃないんだよ。けど、いまだに誰か特定の人と付き合ったって話は聞いたことないんだよなぁ」

「あ、じゃあ俺と同じタイプですね」

「一緒にしないで!」


 京子は吠えるように綾斗を睨んだ。もう空にしたジョッキの数は分からないが、いつの間にか注文した日本酒の二合徳利(とっくり)が既に軽くなっている。


「京子さん、そろそろヤバイんじゃないですか?」


 あははと陽気に笑ってお猪口をすする京子を警戒し、綾斗は知恵に目で助けを求めるが、彼女もまたコロコロと笑うばかりだ。

 すると突然京子が「あっ」と声を上げ、足元に置いていた二つの紙袋のうち、黄色い方を取り上げ、「お土産だよぉ」と知恵に渡した。


「ありがとう。東京ばな奈だ。美味しいよね、これ」


 忠雄から奪い返したものだ。何も知らずに喜ぶ知恵を横目に、綾斗は一人素面で鮭のおにぎりにかぶりついた。



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