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8話 彼は何か勘違いをしていたようだ。

   ☆

 郡山で新幹線を下りると、空気が変わった。

 ただ寒いと思っていた東京の温度が恋しくなるような、ピンと張った冷たい空気に全身が震え、京子は慌ててバッグからマフラーを引っ張り出して首にグルグルと巻き付ける。


 帰郷ごとに少しずつ変化する駅前。けれど、駅舎の青いガラス壁と緑文字の大きな時計は昔から変わりなく、たまに帰る京子を「おかえり」と迎えてくれているような気がした。


 雪は大分溶けているが、建物の端に追いやられたものは塊となって黒く汚れて残っている。


 駅前広場のまだ点灯前のイルミネーションを横目にタクシーに乗り込むと、十分程で京子の実家に着いた。

 純和風の二階建てで、そろそろ築四十年を迎える家だ。道路拡張の区画整理に引っかかった土地で、祖母が生前に良く「昔はもっと広かったんだ」と言っていたことを思い出す。それでも5DKの庭付き一戸建ては、幼少時代を過ごした京子にとって広すぎる家だった。


 横開きのガラス扉をガラガラと開けると、「ただいま」の声と共に父親の忠雄が「おかえり」と迎えた。


「久しぶり。明けましておめでとう」

「おぅ、おめでと。ほら、上がりな」


 記憶よりまた髪が薄くなっているが、いつもと変わりない様子にホッとする。上に羽織ったかすり模様の半纏(はんてん)は、去年の誕生日に京子が贈ったものだ。


「お邪魔します。すみません、僕まで泊めていただいて」

「気にすんなって。俺今日組合の新年会に出っから、適当に使ってくれればいいよ」


 綾斗は「ありがとうございます」と頭を下げ、中に入る。


 二階に荷物を上げ、茶の間に下りて仏壇に手を合わせる。京子の祖父母と母親のものだ。母親は京子がキーダーとして上京する少し前に病気で亡くなっていた。

 綾斗も習って線香をあげてからテーブルに着くと、忠雄がお茶を出してくれた。


 コタツを勧められ、綾斗が「ありがとうございます」と力の入った正座を崩す。


「うちの実家で何緊張してるのよ!」

「こういうの初めてなんで」

「んもぅ! 来たいって言ったのは綾斗なんだから。あ、お父さん、これお土産」


 東京駅のホームで慌しく買った箱を渡し、京子もコタツに足を入れる。東京の部屋にはないので久しぶりの温もりが気持ち良い。


 忠雄は受け取った黄色い包装紙を見て「これかぁ」と黒い太眉をしかめた。


「甘いのいいわ、オレ。煎餅とかが良かったな」

「そういうこと言う? いいよ。食べなくていいよ。私食べるし。東京ばな奈好きだもん」


 ぷっと頬を膨らませ、京子は忠雄から東京ばな奈を奪い返した。


「悪いな。まぁ、元気そうで良かったよ。大舎卿(だいしゃきょう)さんも元気か? いつもの買っといたから、宜しくって渡しといてくれ」


 忠雄は部屋の隅に置かれた紙袋を視線で指し示す。帰省の度に忠雄が大舎卿へと用意してくれる地酒だ。

 生まれたばかりの京子に銀環を結びに来た大舎卿へと忠雄が贈ったものだという。京子が十五歳でアルガスへ入り、大舎卿が「うまかった」と懐かしんだことを伝えたことがきっかけで、毎回の帰省土産になった次第だ。


「いつもありがとう。喜ぶよ。まだまだ元気で日本中飛び回ってるんだから」


 「そうか」と答える忠雄は、小さな印刷工場の社長だった。小柄だが六十三歳にしては大舎卿並みの筋肉で、昔知恵が「野生児って感じだね」と目を丸くしていた。


「お父さんも元気そうで良かった」と京子が安堵すると、忠雄は急に落ち着きなく綾斗と京子を交互に見つめる。


「で、お前たち、話は?」


 「は?」と首を傾げる京子に、忠雄はにやにやと口元を緩めた。


「は、って。結婚の挨拶に来たんだろ?」

「ええええっ!!」


 驚愕する京子の隣で、今まで黙ってお茶をすすっていた綾斗が、悲鳴に近い声を上げた。


   ☆

「ごめんね綾斗、お父さん変な事言って。怒ってる?」

「別に怒ってはいないですけど。びっくりしたって言うか」


 忠雄は勘違いの一件後、早々に新年会先の温泉へと出掛けていった。

 二人きりになった茶の間で、京子の煎れ直した緑茶をすすり、綾斗は肩を落とす。


「俺、京子さんといるとそんな風に見えるんですか?」

「不服そうに言わないでよ」

「だって俺、高校生ですよ?」

「年下の彼がいるって話はしてたから。コレのせいでそうだと思ったのかな」


 左の掌を広げて、京子は指輪を見せる。


「左の薬指に指輪なんて、お父さんじゃなくたってそう思いますよ」


 トンと湯飲みをテーブルに置き、綾斗はスネた表情でじっと京子を見つめる。


「えっ……そういうもの? 綾斗も思ったの?」


 京子は慌てて左手に視線を落とす。指輪の場所なんてあまり気にしていなかったが、言われてみると意味のある場所だ。

 彼の指輪を見ていた視線が物欲しそうに映って買ってくれたものだと勝手に解釈していたが、他に何か深い意味があるのだろうか。


「だって、ぷ、プロポーズとかされた訳じゃないし。桃也、まだ大学生だし。大体、他の指には入らないんだもん」

「動揺してますよ、京子さん。まぁ今はペアリングを左の薬指にする人もいるから、何も言われてないなら深い意味はないのかもしれませんね」


 それはそれで、はっきり否定されると寂しいものだ。


「それと京子さん、これから飲みに行くって言ってましたよね。俺も連れてって下さい」

「え、綾斗高校生でしょ? お父さんも居ないし、この家でのんびりしてればいいよ」


 面倒そうな京子に、綾斗は「そんな」と抗議する。


「京子さんは、高校生の俺に知らない土地で孤独な一人飯しろって言うんですか」


 着いて行きたいと言って京子の実家に前泊した綾斗だが、それだけでは満足できなかったらしい。好奇心が人一倍強いのは知っているから、こうなる予感はしていた。


「わかったって。連れてってあげる」


 綾斗は途端ににっこりと笑顔になり、小さく「やった」とガッツポーズを決めた。



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