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35話 花束を手に

 アルガスを震撼させた事件から三日後の昼前、彼等四人に辞令が下りた。


 食堂前の掲示板には人だかりができている。松葉杖を抱えた京子は、貼り出された四人の中に桃也の名前を見つけ、愕然として声を震わせた。


「ちょっと、何でこんな……」

 全員、能登の訓練施設へと異動か決まったらしい。

 浩一郎の襲撃から三日間を病院で過ごした京子は、ベッドの上でこれから訪れるであろう訓練の日々を思い描いていた。

 それはもちろん、桃也と一緒にこの東京本部で、というのが前提の妄想だ。それだけにこの突然の発表は、京子にとって崖から突き落とされたような衝撃だった。


「お前、良く考えたら分かるだろう? バスクからの成り上がりは一年間施設に入らなきゃいけねぇことくらい誰でも知ってるぜ」


 横でマサが湯飲みを片手に、呆れ顔で辞令を指差す。

 いや、本当は京子も分かっていた。アルガスの硬いルールを破るには、隕石を動かすほどのパワーが欲しいことは重々承知している。桃也にはきっと辞令は下りないだろうと根拠もなく高を括り、考えないようにしていただけだ。


「自分に都合良いことばっか考えてただろ。ちゃんと桃也のこと送ってやれよ」

「……わかってるよ」


 突然の別れに全く頭が納得してくれないが、京子は掲示板に並ぶ名前を順番に目で追い、最後にあるマサの名前に彼を振り返った。


「マサさんのこれは、『大晦日の白雪』が原因?」


 マサは諦めの混じる声で「まぁな」と返事する。


「俺の力に興味持ってる研究員が居てな。今までずっとオファーを断って来たんだよ。まぁ今回のこともあるし、新人訓練もやよいだけじゃ足りないからって呼ばれた訳だ」

「そう……なんだ」

「こんなんで許してもらえるなんて、アルガスも太っ腹だろ?」


 バスクである桃也の能力と『大晦日の白雪』の真実を隠蔽しようとしたマサへのお咎めと考えると確かに太っ腹な処分だが、いつも近くに居て当たり前だと思っていた彼が居なくなるということに、桃也への思いとはまた別の虚無感に駆られてしまう。


 廊下の奥からやってくる制服姿の桃也を見つけ、京子は緊張を走らせる。

 不安げな表情を送ると。桃也は「さっき、長官に呼ばれて聞いてきた」と、説明した。


「淋しい? 京子ちゃん」


 桃也の後ろから顔を覗かせたのは彰人だ。桃也や平野、そしてマサと並んだ四人目が彼だった。

 彼もまたキーダーの制服を着ている。

 セナが大急ぎで発注したもので、マサのお下がりを着ていた桃也にも新しいものが支給された。


 彰人の手首に光る銀環は、今朝京子が結んだものだ。入院明けから大舎卿、平野と三回も同じ手順をこなし疲れ果てた末の辞令発表は、京子にとってダメージが大きかった。


「淋しいけど……一年なら大丈夫」


 四人とも一年間の期限付きだ。それくらいなら我慢できると、笑顔を装って感情を堪えた。


「そっか。大人だな京子ちゃんは。そういえば、さっき長官と話してたんだけど、京子ちゃんが僕に投げつけたアレ、本人滅茶苦茶怒ってたよ」


 そう言って彰人が左眉の横を撫でた。赤い傷跡がまだ強く残っている。

 アレ、というのは他でもない、入口に飾られていた長官お気に入りの胸像だ。咄嗟に思いついた攻撃だったが、結局大したダメージを与えることが出来ないまま砕け散ってしまったのだ。

 ただでさえ苦手な長官に謝ることを考えただけで、腹の傷より胃が痛んでしまう。午後には地獄の「法廷」に呼ばれていて、そのこともきっと聞かれるだろう。


 溜息混じりに、京子は再び掲示板の貼り紙に視線を返した。

 移動日は一ヵ月後の水曜日。その数字に実感が沸かず、京子はぼんやりと首を傾げた。


   ☆

 出発の前日、京子は桃也と共に早朝のバスに揺られ、丘の上を目指した。

 もう何度も訪れている場所なのに、誰かと一緒である事が不思議でたまらなかった。いつもの花屋はまだシャッターが閉まっていたが、窓を覗くと開店準備中の店主が少し驚いた顔で二人を迎えてくれた。


「お客さんすみません、今日はカサブランカ入っていないんですよ」


 申し訳なさそうに頭を下げる店主に、


「いえ、いつも予約なしに準備していただいて……えっと。ありがとうございます」


 あたふたと落ち着きなく広げた両手を振り、京子はぺこりと頭を下げる。

 『大晦日の白雪』から毎年用意されたカサブランカの花束は、最初の年に白の花束がいいと言う京子に店主が見立ててくれたものだ。


「二人はお知り合いだったんですね」


 そう笑んで、店主は足元に積み上げられた箱を二人の前に開いて見せた。


「ガーベラはたくさんありますので。作りましょうか」


 桃色、橙と、色とりどりのガーベラに京子は思わず顔をほころばせる。それは桃也の姉が好きだったと言う、彼が毎年家族に贈る花だ。


 「お願いします」と桃也が注文すると、店主は箱の中を見繕いながら、花を手に重ねていく。一緒に束ねられたかすみ草に引き立てられたガーベラの花束は、カサブランカのそれと比べ大分可愛らしいものに仕上がった。

 ピンク色のリボンが結ばれた花束を受け取り、桃也は「あの」と店主に声を掛ける。


「すみません、帰りに同じ物をもう一ついただけますか?」

「これと同じでよろしいのですか?」

「はい、お願いします」


 満足そうに花束を見つめる桃也に、店主は「分かりました。では、お待ちしています」と、二人を見送った。

 二人は桃也の家族の墓を目指した。ついこの間の大晦日に、一年後はと決意していたが、こんなに早く実現するとは思っていなかった。


 ――「彼の胸で泣いて来れば良かったじゃない」

 墓碑に手を合わせるとセナの言葉が蘇り、こっそり桃也を振り返る。けれど涙の衝動は起きなかった。墓参りに来る度にいつも一人で泣いていた自分が子供のように思えて急に恥ずかしくなる。


 「どうした?」と背を低くして手を合わせていた桃也が視線に気付いて立ち上がった。


「ううん、何でもない」


 浩一郎との戦いが終わり、桃也たちへの辞令が出てから一月が過ぎていた。引越しの準備や大学の手続きなどに加え、日々の訓練を前代未聞の大人数でこなした日々はあっという間で、迫る出発を寂しがる暇さえ与えてくれなかった。


 アルガスの破損箇所の修繕も終わり新しい鉄塔が建った頃、季節は春を迎えようとしていた。


 もう一つの花束を手に、二人は徒歩で丘を下りた。

 墓地からはすぐそこに見えていたが、銀色のモニュメントまで実際歩くとなかなか距離が縮まらず、すっかり治ったはずの右足がじんわりと痛んだ。心配顔の桃也に「もうすぐだね」と強がったのは、ようやく住宅街の建物が途切れた位置だ。


 京子にとっては七年振りになる『大晦日の白雪』が起きた場所だ。

 ここに桃也の家があった。焼失した半分の土地を国が買い上げ、慰霊碑を建てた。

 あの日ここで見つめていた灰色の空虚の面影はまるでない。

 慰霊碑のある広場まで伸びた木々の道を、のんびりと歩いた。


 まだ時間の早い平日のせいか、人も少なく静かだ。二度と起こらないようにと祈りを込めて建てられた慰霊碑の前には、常設された献花台がある。

 京子はガーベラの花束を乗せて手を合わせ、慰霊碑を見上げたまま黙り込む桃也の手をそっと握り締めた。家族の死を目の当たりにし『大晦日の白雪』を起こしたこの場所で、彼は何を思っているのだろうか。


「すっかり変わっちゃったね」

「でかい家だったんだぜ。ガキの頃は自慢だったけど、そのせいで狙われたんだよな」


 彼の目にうっすらと涙が光る。自分はいつも受身で、こんな時どうして良いのか分からず、繋いだ手に力を込めることしかできなかった。抱きしめようかと手を伸ばすと、「大丈夫だ」と桃也は親指で涙を拭い、「ありがとな」と笑った。

 辞令以来、彼との毎日がどこかよそよそしく感じてしまう。

 アルガスでは二人きりになることがまずないのは仕方のないことだが、家でも何処か距離を感じ、改善策を見つけられないまま出発の日を迎えてしまった。



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