34話 戦いの終わりに
桃也は京子を抱え、「行くぞ」と声を掛けて立ち上がった。
全身に響く痛みを堪えつつ建物の下へ移動したところで、京子は「待って」と彼を呼ぶ。
「戦いを、見届けないと」
桃也は頷いて京子をそっと地面に下ろし、その背を支えた。
「僕もここに居させてもらうよ」
後ろから追い掛けて来た彰人がそう言って横に立つ。
明らかに不服そうに桃也が彰人を睨むが、京子が「大丈夫」と宥める。
「ありがとう、京子ちゃん。父さんを見送るには、最高のシチュエーションだよ」
浩一郎の投げた光を先攻に、三人がぶつかり合う様を彰人は静かに見つめていた。
瞼を突き刺す閃光に、京子はきつく目を細める。
身体の負担が和らいできたのか、大舎卿の動きが機敏になっていた。本領発揮、と言うところか。
その横で光を繰り出す平野は自信に満ち溢れ、実に楽しそうだ。
そんな二人を相手に、浩一郎が劣勢になる。
「どうにか、なるかもしれないね」
「そうだね」と先に答えた彰人の背中を見上げ、京子はたどたどしく彼を呼ぶ。
「彰人くんは、お父さんを助けないの?」
彼はまだ戦えるはずだ。けれど自分等と共に傍観者であろうとする姿が、京子には不思議でたまらなかった。
彰人は戦闘を見据えたまま、
「これは父さんの戦いなんだよ。もう、僕が生まれる前からのね。ここで父さんが助けを求めたり、逃げ出そうとするなら全力でフォローするけど」
僅かに振り返り、彰人は苦笑してまた視線を返す。
「僕は意固地になる父さんの考えはどうかと思うけど、信念を貫こうとする姿を尊敬してる。この戦いはね、最初から負けることが目に見えてた。いくら父さんや僕がバスクでも、大舎卿の底力には敵わないって父さんはいつも言ってたよ」
「それでも、やったんだね」
「頑固だから。本人ですら衝動を止められなかったんだよ。僕は、本当は京子ちゃんみたいになりたかったのに」
「え――?」
「なんてね」と、彰人は肩をすくめる。それは哀しい色を湛えた、彼の笑顔だった。
「姉ちゃん!」
突然の平野の声に振り返ると、彼の腕が浩一郎の胴体に絡んで動きを押さえつけようとしている。
しかし、釣り上げられた魚のように浩一郎が激しく身をよじり制止を拒んだ。抵抗して放たれた力が平野の頬をかすり血を滲ませる。
「痛ッてぇな。オラ、大人しくしろ!」
「随分柄の悪いキーダーだな」
不快に顔を歪める浩一郎。強く払った腕が平野を引き剥がす。
「姉ちゃん、手を貸せ! キーダーは日本を守るんだろ?」
叫ばれる声に、京子は桃也の手を握り締めた。
「私もまだ役に立てるかな」
意気込んだ気持ちを反して、立ち上がる力はもうなかった。
けれど、桃也が「行くぞ」とタイミングを見計らって合図する。一瞬走り抜けた全身の痛みも、気付くとどこかに抜けていた。
彼に支えられて、両足が地面の感触を捕らえる。
「絶対に……外さないから」
視界の隅で、彰人は呆れ顔だ。
京子の伸ばした右手が浩一郎を捕らえて光る。
「受け取って、平野さん!」
放った一発に全身が悲鳴を上げた。だが確実に、平野がそれを受け継ぐ。
「爺さん、いけるぞ!」
張り上げた平野の声が響いた。細くなる視界の奥で平野の手が浩一郎の背後に回ったのと同時に、浩一郎の動きが大舎卿に向いたまま、スイッチを切ったかのように静止した。
「ぐ……あ」
「やったぜ、姉ちゃん」
何か言いたげに唇を震わせるが、浩一郎はもがくことさえままならない。
気合を入れて叫ぶ大舎卿の足が地面を蹴った。
「やっぱり、賭けは京子ちゃんの勝ちだね」
「彰人くん……」
彰人は安堵するように呟き、瞼を伏せた。
「勝ったぞ」
大舎卿の歓喜する声。その光景に京子はえっと眉を上げた。
彼の手が、浩一郎の手首を強く握り締めている。光り出す色が、みるみると白から赤へ変わった。
「こんな戦い方もあるんだ」
首を傾げる桃也に、京子は「うん」と頷いて、
「爺は彼を、今ここでトールにする気だ」
説明する京子に、彰人が目を見開いた。彼にとっても予想外の展開だったらしい。
「どうして……」
今の戦闘で放出されていた能力の気配が、みるみると減っていくのが分かる。大舎卿と浩一郎を繋ぐ赤い炎は、シュウシュウと煙を吐くような音を立てた。
「おい英雄の爺さん、早くしろ。こっちは限界だ」
「だから爺さんはヤメロ。今終わらせるから、もう少し待っとれ!」
大股開きに踏ん張って叫ぶ平野の声に、大舎卿が一喝する。
平野に動きを止められながらも浩一郎は大舎卿に立ち向かおうと全身で力を吐き出していた。けれど赤の光はそれを一蹴するかのように威力を上げ、彼の抵抗を飲み込んでいく。やがて大きくなった光の渦は、低くボンと音を立てて闇へと霧散した。
衝撃に弾かれ、三人が三様に地面に尻餅をついて転げると、場は瞬時に静まり返り風の音が通り抜けていった。
安堵と共に眩暈がして、京子は桃也の肩に頬を預ける。
「大丈夫か?」
「うん……」
もう少し、と京子は腹部の包帯を擦りながら三人を見守る。
最初に動いたのは、仰向けに倒れていた平野だ。
頭をボリボリ掻きながら起き上がり、浩一郎を振り返る。
「爺さん、こいつを殺せばいいのか?」
大舎卿は「いや、いい」と否定して立ち上がり、下半身の砂を払った。
「はあっ? いいって、アルガスをこんな目に遭わせた張本人じゃねぇか」
納得いかねぇな、と手を腰に当ててのけぞる平野に、大舎卿は頭を下げる。
「お主には悪いが、受け入れてくれ」
「いや、そんな謝られても困るけどよ」
目を開いた浩一郎が、地面に仰向けに倒れたまま手足を大の字に広げた。
「いや勘ちゃん、俺を殺してくれ。そのつもりで来たんだ」
そう言って再び目を閉じるが、大舎卿は「馬鹿野郎」と吐き捨てるように言葉を投げる。
「わしにお前を殺せるわけがないだろう」
そう言って、大舎卿は肩を落とす。
「ハナはそんなこと、これっぽっちも望まん。罪を償って、もう自由になれ」
浩一郎は静かに起き上がり頭を垂れたまま押し黙っていたが、やがてぼそりと口を開く。
「俺はいつだって自由だよ」
「あぁ、そうじゃな」
答える大舎卿の背に、彰人が近付く。
「僕も、父と一緒に……」
「お主は、まず京子に謝れ」
言われて彰人は京子に振り向く。
大舎卿は「全く」と溜息を零しながら、
「嫁入り前の娘をあんなにしおって」
「それなら、僕が責任を取りますから」
「はあっ? お前、何言ってんだよ」
胸に手を当ててしゃあしゃあと語る彰人に、ふざけるなと桃也は吠える。
彰人は「冗談だよ」と笑い、改まった表情で京子の前に近付いた。何か言いたげに唇を開くが、一度それを閉じ「申し訳ありませんでした」と、深く頭を下げた。
京子はこくりと頷いて、不満に満ちた表情の桃也に「わかった」と笑んで見せる。
「終わったね。桃也、キーダーになってくれて、ありがとう」
こっそりと耳に届くように言葉を送ると、桃也は驚いた顔を見せつつ「おぉ」と答え、照れ臭そうに微笑んだ。
これで終わりだという安心感に薄れていく意識の中で、大舎卿が彰人に声を掛ける。
「わしらは人手不足での、お主をトールにさせる気は更々ないぞ」
それはまるで夢物語のようで、京子は眠るように目を閉じた。