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32話 地下

 さっきまで――いや、いつから彼を見ていないだろう。

 浩一郎と綾斗が降って来た時、視界のどこかに彰人はいただろうか。

 混乱して取り乱す京子の腕を、桃也が強く掴んだ。


「落ち着け。アイツの目的は核なんだろ? そこなんじゃないか?」


 そうあって欲しくないが、それが一番正しいと思える。

 京子は自分の銀環に触れたが、特に変化は感じない。核をいじれば、何らかの形でキーダーに影響が出るはずだ。

 「行こう」と桃也に声を掛けて建物の北側を目指すと、背後に鋭い気配を感じた。


「行かせないよ」


 意思を反した穏やかな浩一郎の声と同時に、辺りが一瞬パッと明るくなった。振り返る間もなく強い衝撃に煽られ、一瞬地面を離れた身体が、すぐに硬い土に叩きつけられる。

 痛みに歯を食いしばり急いで背後を振り返ると、追撃を構えた浩一郎に、大舎卿が蝶罵刀を向けていた。


「京子、行け!」


 声を張り上げた大舎卿の手前に、地面へ伏す桃也の姿を見つける。

 立ち上がろうとする彼の身体が、そのまま地面に崩れた。


「桃也!」

「俺は平気だから、早く!」


 顔を上げた額に血が滲むのを見て京子は咄嗟に駆け寄ろうとするが、桃也の声がその衝動を撥ね退ける。


「お前はキーダーなんだろ!」


 押し黙るようにうつむいて、京子は出し掛けた足を引いた。大舎卿が浩一郎を食い止めている今、自分の仕事を見極めなければならない。


「みんな、死なないで!」


 決心の声を張り上げ、くるりとその状況に背を向けた。

 駆け出す足が加速する。


 建物の北側。非常階段下の小さな扉から入り、緑の非常灯が緑色に照らす薄暗い廊下のほぼ中央。

 予想通りというのが正しいのだろうか。その扉の鍵は開いていた。

 重厚な錠前と鎖に電子錠まで施されたスライド式の扉はいつも物々しく閉じられていて、八年もアルガスにいる京子でさえ中に入ったことはなかった。

 細く開いた隙間に手を滑り込ませると、もう二度と戻れないかもしれないと不安がよぎる。

 桃也に忘れさせてもらった足の痛みは、とうに五分が過ぎているのにまだ歩くことができた。急げば間に合うかもしれない。


 取り巻く恐怖と葛藤しながら、京子は扉を滑らせた。

 照明はなく、人一人が通れるほどの階段がすぐ下に伸びていて、遠くに青白い光が見える。壁を頼りに一段一段をつま先で確認しながら下りていくと、徐々に足の痛みが蘇ってきて、京子は慌てて先を急いだ。


 階段の下に広がったのは、学校の教室程度の狭い部屋だった。

 壁一面にびっしりと埋め込まれた機械から煌々と光が放たれている。中央にある大きなモニターにはどこか施設の風景が映し出されていて、それを背景にアルファベットと数字が並んでいた。


 部屋の隅に背を向けて立つ彰人の姿があった。京子はそっと息を飲み込む。

 ゆっくりと振り返る彼の足元には、折り重なるように倒れた三体の影があった。


「安心して。気絶しているだけだよ」


 尋ねるより先に彰人が答える。護兵の制服を着た三人は、京子の良く見知った顔だ。

 部屋は戦闘があった様子もなく、彼等と一緒に転がる三丁の銃も使われた形跡はなかった。目を凝らして彼等の呼吸を確認し、京子は改めて彰人に向いた。


「何するつもりなの?」

「全キーダーをコントロールする中枢っていうから凄い部屋を想像していたけど、案外小さなものだね」


 ぐるりと部屋を眺めて、彰人は嘲笑うかのように鼻を鳴らす。

 確かにその通りだと思う。全国に散らばる、銀環を付けた二十人余りのキーダー。その力の均衡を、この部屋一つで図っているのだ。しかも普段は自動制御でオペレーターが常駐するわけでもなく、人が居る気配は殆どなかった。

 何だか自分の力がちっぽけなものに思えてくる。


「キーダーなんて都合の良い駒でしかないんだよ。それでも京子ちゃんはここに居たい?」

「国がキーダーを駒のように扱いたいっていうのは分かってるよ。でも、アルガスがなかったら力を悪用したいと思う人は絶対に現れる。だから取り締まらなきゃいけないし、そんな人に対抗できるのはノーマルじゃ無理なんだよ。だから、ここは必要だと思う」


 何度考えても、答えはそこに辿り着く。バスクになろうかという迷いはない。


「ここが無くなればキーダーはアルガスから解放されるのに、京子ちゃんはそれを拒むってことだね。分かったよ」


 戦いを予感して右足を引くと激しい痛みが全身に走り、京子は強く目を閉じた。いよいよ力の効果が限界を期したらしい。針で刺すような痛みに、彰人と対峙することさえままならない。


「無理しなくていいよ。話すだけなら座っててもできるよ?」


 怪我を負わせた張本人が何を言っているのだろうか。警戒心を解くように両手を上げてみせる彰人に、京子は背後の壁に体重を預けた。

 ずっと冬の外気に触れていたせいだろうか。室内の温い温度に全身の緊張が解けたのか、急に頭がグラグラしだした。視界に光がチカチカと迸るのは、貧血のサイン。京子は包帯の巻かれた脇腹に手を当て、べたつく感触に唇を強く噛んで意識を留めた。


「彰人くんは、どう……したいの?」


 限界だ。人類の盾になるどころか、敵の踏み台にしかなれないのかもしれない。


「どうしようか」


 のんびりと尋ねる彼のカードはたくさんある。京子を殺してこの部屋を破壊し、キーダーを消滅させることも今の彼には容易いことだ。

 なのに、浩一郎が望むだろうそのカードを捨て、彼は別のカードを引こうとしている。

 京子が恋した昔の彼は、難題を余裕でクリアし、クラスの中心でいつも笑っていた。


 ――「京子ちゃん!」


 蘇る過去に、地上での戦いの記憶が重なる。二本目の鉄塔が倒れた時、衝突する直前に彼の声を聞いた。

 彼が何をしたのか目にする事はできなかったが、京子の真上に落ちてきた鉄塔が、気付いた時にはバラバラに砕かれていたのだ。


「彰人くん、さっき助けてくれたよね?」


 鉄塔は正面から降って来た。直撃していたら死んでいただろう。


「僕は平和主義だし、僕にとって京子ちゃんは特別なんだよ」

「とくべつ……?」


 「うん」と短く答えて彰人は京子に近付き、そっと肩に触れた。床に座るよう誘導される。

 彼の手に抵抗する力はなく、京子は腰を落とした彰人をぼんやりと見つめた。


「約束したよね。あの時、生きててくれたら助けてあげるって」


 そんな約束しただろうか。記憶を辿る余力はない。

 彰人が片膝を立て、京子の横に手を付いた。突然縮まった距離に思わず視線を反らす。


「賭けをしようか。上で今、父さんとキーダーが戦っている。父さんが勝ったら、僕はこの部屋を消滅させる。けど、キーダーが勝ったら何もしない。どう? 京子ちゃんはもう戦えないだろうから、僕も手は出さない。これでフェアでしょ?」


 彼の提案を拒否して、ここで剣を抜いても勝率はゼロに近い。受け入れるしか方法はないのだろうか。


「京子ちゃんは、キーダーが負けると思ってる?」


 自信を持って否定することが出来ない。浩一郎の力を目の当たりにし、一抹の不安さえよぎる。

 キーダーの勝利を願うよりも先に、ただ皆が無事であって欲しいと思うばかりだ。


 顔を起こすと「行こうか」と彰人が手を差し出す。あの日と同じ笑顔だ。


「自分で、歩くよ」


 彼の手を取らずに、京子は壁を頼りに身体を立ち上げた。


「そんなに警戒しなくていいのに」


 そう言って部屋を出る彰人の後ろを、おぼつかない足取りで追いかける。傷の痛みも辛かったが、それ以上に呼吸の乱れに吐き気を覚えた。


「大丈夫? 運んであげようか? こう見えても力には自信あるんだよ」


 気遣う彰人に、京子は首だけ横に振る。

 ようやく外に出ると遠くに戦闘の音が聞こえ、京子は安堵の息を吐いて正面を目指した。普段は大して気にならなかったその距離が、数倍に長く感じる。

 建物の端から漏れる青白い光がやたら大きい。どんな戦をしているのだろう。


 壁伝いに先を急ぎ、正面が見える位置まで歩くと、突然足元から突き上げるような揺れに襲われ、京子は姿勢を崩して地面に膝を付いた。

 振動でどこかのガラス窓が割れる音がして、思わず肩をすくめる。


「あぁ――僕の勝ちかな」


 呟いた彰人の言葉に、京子は萎縮する。勝ちという言葉は何を意味するだろう。地面を睨んでその答えを求めるが、全身がその回答を拒絶するように震え出す。


「京子ちゃん、ほら、顔を上げて」


 事実を受け入れることを拒み、閉じた瞼に力を込めた。


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