31話 三十点
実戦経験のない桃也が一週間の訓練で学んだ戦いは、想像以上に様になっていた。
力任せの所はあるが、剣を振り彰人の攻撃も必死に防いでいる。
ただ、彰人が本来の半分も力を出していないのは明確だ。
大舎卿が二人を目で追いながら口角を上げる。
「こりゃあ、お主を賭けた戦いじゃな」
「変な事言わないで。彰人くんは、昔好きだっただけだよ」
「そうか? 満更でもないと思うがな……ッ」
大舎卿が小さく呻く。
あと少しで銀環が外れる効果で、身体への負担が出始めたらしい。バスクになることを身体が拒絶しているようだ。
「もう少しだよ、爺。頑張って」
京子自信こんな身体になって、アルガスが破壊されようとしているのに、彰人にも桃也にも無事で居てほしいと思ってしまう。
「男と女は難しいのぉ。わしに何を求めようというんじゃ、お主は――」
ふっと笑った大舎卿から視線を外し、京子は「だって」と唇を噛む。
「ねぇ爺、さっきの話だけど。ハナさんは爺と一緒に居て幸せだったと思うよ。少なくとも私にはそう見えてたからね?」
浩一郎に「ハナは幸せだったか?」と聞かれて、分からないと答えた大舎卿。彼女をそんな風に想って、三十年近くを共に過ごしてきたのだろうか。子供さえ居なかったが、彼といるハナはいつも笑っていたし、イカ飯を食べる彼は今も嬉しそうだ。
「ハナは浩一郎が好きだったんじゃ」
寂しそうに呟いた大舎卿の声に、京子は「えっ」と顔を上げた。
「解放前のアルガスで二人は愛し合っておった。じゃが、ここを出る事を決めた浩一郎は、ハナを連れていかんかった。結局、わしがハナを奪ったんじゃ」
二人の話を聞いて、失恋したのは浩一郎のほうだと京子は勝手に思っていた。
「けど、恋愛なんてそれぞれじゃないかな。過去に何かあってもハナさんは最後に爺を選んだんだし、愛してたと思うよ」
「そう見えたか」と嬉しそうに笑い、しかし大舎卿は痛みに顔を歪める。
徐々に高まっていく大舎卿の気配は、今まで感じたことがないほどに広がっていった。
来た、とその瞬間を感じたと同時に高い金属音が響く。
居合で斬られた竹のように、真っ二つに割れた銀環が、芝生の上に落ちた。
大舎卿は全身に走る激痛に低い悲鳴を上げ、四肢を反り返らせて目を見開く。
大きく煽るように吸い込んだ息を何度も吐き出し、呻きを漏らした。
「爺。ちょっと、大丈夫?」
予想以上に苦しむ姿に死すら垣間見て、京子は慌てて大舎卿の背中に手を当てた。
大舎卿は顎を引き、京子の手を振り払って弱々しく地面に足を立てた。
立ち上る気配は浩一郎から感じたものより大きいのかもしれない。これを銀環は押さえつけていたというのか。
京子は身震いを感じ、自分の銀環を強く抑えた。
「小僧、変われ」
細い呼吸を繰り返し、大舎卿が二人に向けて声を上げると、彰人が桃也の蝶罵刀を軽く跳ね上げた。力の差は明確だ。蝶罵刀はあっさりと桃也の手を離れ、宙を舞った。
すかさず桃也は手に力を集中させようとするが、彰人が自分の刃を彼の首の横ギリギリの位置へ滑り込ませて手を止める。
「三十点」
桃也は「ふざけるな」と吠える。けれど、それ以上何も出来ず、構えを解いた。
「本気で戦う気がないなら、わしは上へ行くぞ」
足をずるりと引きずりながら大舎卿が桃也の前へ入り込み、彰人を睨み上げた。一瞥した桃也に「行け」と促す。
桃也は蝶罵刀を拾い、草の上でへたり込む京子へ駆け寄った。
「桃也、怪我は?」
「俺は平気だ。畜生、アイツに全然歯が立たなかった。弄びやがって」
憤然として彰人を振り返る桃也に京子はそっと安堵するが、不安は晴れず屋上を見上げる。綾斗はまだ戦っている。不定期に轟く衝突音に、地面が軋んだ。
「そんなに怒らないで下さいよ。銀環を外して立っていられるなんて、尊敬してしまいます」
「鍛え方が違うんじゃよ」
肩を上下させる大舎卿。京子は彼の手を離れた銀環を祈るように両手で握り締めた。
対峙する二人の会話がギリギリ聞こえる位置で、耳をそばだてる。
「でも、そうですね。父はきっと貴方と戦いたがっています」
そう言って、彰人は屋上へ視線を仰ぐ。
「物心付いた時から僕は今日のことを聞かされてきました。時が来たら復讐するって。キーダーの存在も幼い頃から知っていて、僕にもその資質があると分かりながら、父はあえてバスクであれと力を隠すことを貫いた。その結果がこれです。僕は父の野心とこの力のせいで、人生を台無しにされたんだ」
「ほぉ。お主、父親が嫌いか?」
「嫌いじゃないですよ。バカだと思いながらも憎むことは出来ません。けど……」
大舎卿へ視線を返し、彰人は持ち前のポーカーフェイスを少しだけ濁らせる。
「ハナのことか」
「父がアルガスに居た時の話も色々聞きましたが、僕は父の恋愛話なんて全く興味ないし、どうでもいいんです。僕の母親はその人じゃない」
「やっぱり親子じゃな。アイツも昔「力のせいで人生を台無しにされた」と言っとったわ」
彰人は少し驚いた顔をし、「そうですか」と緩い溜息を漏らす。
そんな二人のやりとりを黙って見つめていた京子が、ふとその熱に気付き、負傷した右足に視線を向ける。
患部に当てられた、うっすらと光る桃也の手が温かい。
体温より少し熱いくらいだろうか。じんと痛む傷口が熱に染みて悲鳴を上げ、思わず呻き声を上げると、桃也が「シッ」と人差し指で京子の唇を押さえた。
「使えるうちに使うぞ」
痛みを忘れる記憶操作。桃也は京子の足に添えた手に集中するように目を閉じた。
「……ありがとう」
彰人が一瞬こちらを見たのが分かった。しかし、すぐに大舎卿へ戻される。彼を警戒しつつ、京子は桃也に視線を向けた。
ズキズキと刺す足の痛みが、徐々に痺れるような鈍痛に変わっていく。
痛みをとる術でないと、桃也は繰り返した。それは痛みを忘れるだけで五分持てばいい――彼の説明を頭に叩きつける。
五分で何が出来るだろう。
五分あれば戦える。しかし、五分丸々戦えるわけではない。
相手は……?
誰を相手に五分を消化するか全く定まらないまま、桃也が「よし」と右足から手を離した。あっという間の処置だった。気付くと足が軽かった。
ゆっくり足を引き寄せると、芝生と砂の感触を知ることが出来る。
「すごい。これならいけるかも」
支えられ、立ち上がる。傷を忘れてしまいそうなほどに足を動かすことが出来た。
「無理かも知れねぇけど、無茶だけはするなよ」
念を押して、桃也は京子の頬にあてがわれたガーゼにそっと手を伸ばす。光は消えていたが、ほんのり残る熱が温かい。
安堵に緩んだ口元に京子は下唇をきゆっと噛み締めて、薬指の指輪を桃也に見せた。
一人で突っ走らないように、という彼の想いを噛み締めるように頷くと、桃也が面映ゆい表情を見せる。
そんな空気を湧きあがった強い気配が引き裂いて、四人が同時に屋上を見やった。
気配の流れが一変する。綾斗の作った光の壁が弾けるように力を失う。一瞬暗くなる屋上から岩の砕けるような轟音が鳴り、同時に浩一郎の光が柵の外へ飛び出した。
視界に飛び込んだ光景に京子は声にならない叫びを上げる。
光と共に二つの黒い影が地面に向かって急降下してくるのが見えた。
「綾斗!」
同じであるはずの落下速度に、明らかな差がついた。重力のままに落下する片方の影とは違い、光をうっすらと纏ったもう一つの影は、重力に抵抗して少しずつ地面との距離を縮めている。
大舎卿は痛みを逃すように吠え、両手を伸ばした。一階の窓のすぐ上で、先に落ちた影がピタリと動きを止める。
「小僧!」
叫んだ声に反応し、桃也が落下地点の真下に走る。その後ろを京子が追い駆けた。
気絶した綾斗がゆるやかに降下し、桃也の伸ばした腕の中に収まる。途端に重力が戻り、桃也は足を踏ん張りつつ、綾斗を地面にそっと寝かせた。
大舎卿は呼吸を整え、次に浩一郎に構えた。
京子は地面に膝を付き、変わり果てた綾斗の姿に思わず口を手で覆った。彼のトレードマークでもある、きちんと着こなされていたはずの制服がボロボロで、全身がかまいたちにでも遭ったかのように傷だらけだった。
白いシャツに滲む血液が戦闘の激しさを物語る。
頬が腫れ、ひしゃげたメガネのレンズは片方が外れていた。フレームが額を押しているのが分かり、京子はそれを外して彼の胸の上に乗せた。
「綾斗、目を開けて!」
声にすぐ反応があった。震えた瞼が薄く開き、綾斗が声を絞り出す。
「京子さん、気を付けて下さい」
「わかってる」
そう答えると、綾斗の向こう側に気配を感じた。むせるほどに重苦しい、浩一郎の発する気配だ。
もう一度見上げると、ようやく彼の姿を確認できた。
直立のままの姿勢で光臨する神の様に降下する浩一郎に、京子はきつく唇を結ぶ。
光を纏い自身の重力を操れるというなら、空を飛ぶ事も可能ではという予感と同時に、銀環を付けている自分にはきっと無理だろうという、諦めのような思いが込み上げた。
二階の窓の横を過ぎ、浩一郎は突然光を解いた。
残りの距離を重力に乗せて飛び降りる。
どんと地面に着地した彼は、綾斗と対照的に傷一つない。
「やあ、びっくりしたよ。まさか外に出されるなんてね」
綾斗の苦肉の策だったというのか。しかし浩一郎は何事もなかったかのように微笑む。
そんな表情が彰人と良く似ていた。
「わしがお前を見送ってやろうか」
浩一郎は大舎卿の左手を確認し、せせら笑うように右手をひらひらと振ってみせる。
「そんな身体で? 大分無茶したな、勘ちゃん。銀環を外してすぐに戦おうだなんて馬鹿げているとしか思えないよ」
「戦ってみんとわからんだろうが」
怒号を吐いて、大舎卿は瞬時に生み出した光を浩一郎に投げつけた。
「そんなんじゃ俺に勝てないよ」
「戦闘中にベラベラ喋るのは、昔と変わらんな」
広げた右手で光を軽く受け止める浩一郎。再び戦闘が始まる中、マサが大柄の護兵一人をお供に、担架を抱えて駆け付けた。
「すみません、マサさん」
「綾斗。謝ることなんて一つもねぇぜ。ほら急ぐぞ」
地面に広げた担架に移動させると、綾斗は擦れた悲鳴を上げ左腕を押さえた。良く見ると手の位置が黒く濡れていて、掌が赤く染まっていた。京子は自分の胸元からアスコットタイを外し、幹部の上を縛り付ける。
「頑張って、綾斗。アンタはよくやったよ」
「京子さん、桃也さんに会えて良かったですね。俺、桃也さんの力のこと知ってから、なんとなくこうなる気がしてましたよ」
浩一郎と大舎卿が爆音を響かせる中、綾斗は京子と桃也にほっとした表情を見せる。
「あと俺、ビー玉三つまでバラバラに動かせるようになったんですよ」
「もういいから、休んで!」
京子の言葉に綾斗は瞼を閉じて唇だけで笑む。
建物へと入っていく姿を見送り、京子が、
「あとは私がけじめをつける」
そう決意して踵を返した時だった。
先に気付いたのは、桃也だ。京子もその状況に緊張を走らせ、自分の失態にうろたえる。
「彰人くん?」
彼の姿が消えていたのだ。