3話 メガネを掛けた彼の自負
制服に着替えて訓練用のホールに行くと、二人の先客が中央でストレッチをしていた。京子に気付いたメガネの少年が、軽く頭を下げる。
体育館ほどの広さのホールに、マサの「よぉ」という声が響き、どんな衝撃にも耐えると言う硬い床に、京子のヒールがカツカツと音を立てた。
空調が切ってあるようで、途端に京子の息が白く濁る。アルガスの北側三・四階部分に位置する施設で、夏はそこそこ涼しいが、冬はこの上なく寒さが厳しい場所だ。
「おはよ。こんな寒いトコでやってるの? 暖房あるんだし、少し温めたらいいのに」
「何ババくせぇこと言ってんだ。俺等はもう十分熱いぜ」
「ババアって何? まだ二十二なんだから」
「言われたくなかったら、俺を見習え」
どんと胸を張るマサの姿に、余計寒さを感じてしまう。黒のラフなハーフパンツに半そでTシャツの組み合わせは、彼の春夏秋冬定番スタイルだ。
その横で、きっちりと制服を着こなす、まだあどけなさの残るメガネの少年が「じゃあ、外套着てやりますか?」と、目を細めた。
「それはちょっと窮屈かなぁ。いつ何時も動けるように制服で訓練、って言うのは分からなくもないんだけど、せめてもっと楽なのがいいよね」
京子は自分の姿を見下ろし、唇を尖らせる。
アルガスの爺こと大舎卿と京子、それにメガネの少年・木崎綾斗の三人が着る濃紺の制服は、短めのテーラー襟のジャケットにシングルの銀ボタンが四つ並ぶものだ。セナ達が着る他の施設員のものと似ているが、濃い緑のアスコットタイと左肩に銀刺繍で縫われた桜の章が、三人が上位であることを示している。
そして、制服で戦闘訓練をと言っている割に、京子に支給されているものはタイトスカートで、パンストとパンプスの組み合わせとくれば、動き難いことこの上ないのだ。
本部であるこの関東を中心に全国七つの支部を持つアルガスで、京子等三人を含め、十二人のキーダーが存在する。生まれながらに能力を秘めたキーダーを中心に、管轄地区毎の安全と秩序を守るというのが表向きの仕事だ。しかし実際はキーダーを奉ることで政治的に管理し、力の誇示や反乱を未然に防ぐことが根本的な目的なのは明確だった。
「ところで、爺は?」
「もうとっくに帰ったよ。夕方から移動だからな。綾斗もあがるトコだ」
「そういえば大阪戻るって言ってたもんね。大変だなぁ」
「俺残りますよ。まだまだ動けます」
「すごい、さすが高校生」
能力を覚醒させるという17、8歳を見越して、キーダーは十五歳でアルガスに入る。けれど綾斗はその時期を前に力を覚醒させ、問題を起こしたのをきっかけに十四歳でアルガスに入った。訓練施設での2年間を経て、先々月にこの本部に着任したばかりだ。
高校三年生だが、成績とキーダーであることが考慮され、転校してきたばかりだというのに持ち上がりの大学へ進学が決まっている。
「暮れだし、お前ら早くあがっていいからな。俺もこれからセナさんとデートだから」
にんまりと嬉しそうに話すマサに、京子は思わず「はあっ?」と聞き返す。
「でえとって。アポ取れたの?」
本人はそんな事言っていなかった。ずっとフラれ続けてきたマサの激しいアタックが、やっと報われたのだろうか。
しかし京子の予測を反して自信満々の表情で返ってきたのは、
「ばぁか。今から取るんだよ」
みなぎる自信は何処から来るのだろうか。京子は綾斗と顔を見合わせ、困り顔を傾けた。
☆
能力者の出生率は数百万人に一人。出生時の検査で陽性反応が出ると、キーダーがやって来て赤子の手に銀環をはめる。そんなスタンスは日本において、もう数百年続いていることだ。
京子がいるアルガス本部の地下に『核』と呼ばれるコントロールルームがあり、銀環を通してキーダー1人1人の力を管理している。
今でこそ英雄と称されるキーダーだが、三十年前までのアルガスは今とは違い、キーダーを収容する牢獄だった。
十五歳の春に親元を離れてアルガスに入るという規則は今と変わらないが、かつての時代のキーダーはそれからの一生をずっとこの施設で送らねばならなかった。監獄とはいえ強制労働や虐待はなく、アルガスから出てはいけないという束縛の中、至極人間らしい生活を送れたという。
そしてそんな何百年と続いた理を破ったのが、大舎卿だ。
三十年前、地球に隕石が接近する。落下地点の予測が東京だった。人々がパニックに陥る中、大舎卿が名乗りを上げる。当時アルガスには他にもキーダーが居たが、彼一人が隕石を力で操り、国が指示した山へ導き落下させたのだ。
大舎卿が称えられた『英雄』という称号は後のキーダーの代名詞となり、表舞台へのきっかけとなった。
「もしまた隕石が降ってきたら、京子さんは止める自信ありますか?」
青白く光る剣を交合わせながら、綾斗が尋ねてくる。打ち合わせるごとにギンと音を立てる一打一打の重みを腕とヒールで堪え、京子は隙を見て綾斗の剣を跳ね上げた。
「どうだろうね。降ってくる隕石なんて、実際動画やシミュレーションでしか見たことないし。昨日の山梨も予想通りバスクだったよ」
潜在能力を調べる出生検査は義務だが、何らかの理由でそれを逃れる人間が稀に存在する。力を持ちながらも銀環をせず、国の管理から外れて生きる人間を『バスク』と呼んだ。
綾斗はよろめきつつも体制を建て直し、また次を打ってくる。攻撃は荒いが、余裕がある。手加減すればすぐに京子が負けるのは目に見えていた。
「やるね」と京子が剣に力を込めると、光が一瞬白い波を立てる。
「隕石か……そうだね。例えできなくても「やれ」って言われたらやらなくちゃいけない。ここに居る以上、私たちは人間を護る盾でなくちゃいけないんだよ」
そういえば、綾斗と二人きりでここに居るのは初めてだった。いつもマサか大舎卿のどちらかが一緒に居たせいか、今まで必要最低限の会話しかしたことがなかった。
「俺たちにとって、敵はやっぱり隕石なんですか?」
「隕石相手の訓練じゃないよね、これは。私は経験ないけど、バスクを相手にしなきゃいけない時もあるよ」
どう考えても対人用の戦闘シミュレーション。野放しのバスクが地方で暴れたという報告は何度も聞いているが、ここに八年居る京子が実戦で人間を相手にした事はない。
「それでも、こんな訓練を強いてまでキーダーを国が英雄として受け入れるようになったのは、何にでも適用できるようにしろってことでしょ? 隕石と一緒に宇宙人が降ってくる可能性だってないわけじゃないんだから」
「大分想像力が豊かですね」
「でも、そう言うこと。いざとなったら盾になって、最初に死ねってことだよ。私たちの今の生活は、首の皮と爺の栄光だけで繋がってる。監禁してまで恐れたキーダーの力を全部消す事だって今の技術では可能なのに、国がそれを選ばないのは、私たちを切り札として使えると思っているからだよ。バスクがいる以上、国は自分の手駒になるキーダーを確保したいのよ」
「やっぱりバスク……力を抑えるのは力でってことなんですね」
一瞬視線を外した綾斗の隙を見て、京子は刃の先端を彼の顎の下へ突き上げた。
ビクリとして綾斗は動きを止める。
「おしゃべりしてるからだよ」
「完敗です」と頭を垂れ、綾斗は剣の光を消した。蝶馬刀と呼ばれる剣で、基本は柄のみだ。刃はキーダーが自らの力で作り出す。それ故、本人の意思や体力などで形に差が出るのだ。
「でも大分強いよ。本気で来られると、結構キツイもん」
京子も光を消し、蝶馬刀を腰のベルトに下げた。
「まだまだですよ。俺、攻撃系の力が少し苦手で。今度教えてください」
「いいけど、それこそ爺の得意分野なんだから、爺に習ったら?」
「大舎卿に「京子さんから」って言われちゃいました」
苦笑する綾斗に、京子は「わかったわかった」と頷いた。京子も大舎卿に何かをきちんと教えてもらった記憶はなかった。戦闘に関しては、殆どマサに習ったものだ。
拳を握り締めて闘志に燃える綾斗は、強くなる事、キーダーである事に貪欲だ。アルガスに入った頃、自分はこんなにも純粋に、キーダーである事に誇りを持っていただろうか。
小さい頃から力があると讃えられ、何の疑問も抱かずにキーダーになった。強いられたプログラムのままに訓練をこなした8年を経て、日々を退屈だとさえ思ってしまう。
「じゃあ、これはしたことある?」
京子が制服のポケットから五つのビー玉を取り出し、床に転がした。ごくごく一般的なまだら模様のビー玉で、色はバラバラだ。
首を傾げる綾斗に、京子は「これはね」と説明しながら、自分の左手首に右手を当てる。
「念動力の練習ね。昔、別支部のキーダーに教えてもらったんだけど」
五つのビー玉がふわりと宙に浮かぶ。ゆっくりと同じ速さで二人の目線近くまで上昇し、ピタリと動きを止めたそれらは、次に一つずつ順番に訓練室の中央へと飛んだ。
「速い」
銃で放たれたように宙を走るガラス玉は弧を描いて落下し、高い音を立てて床に跳ねる。
そして再び一つずつ空中に浮かぶと、上向きに広げた京子の掌に吸い付くように飛んで来た。五個のビー玉を両手で受け止め、「こんな感じだよ」と京子は強く握り締める。
「凄いですね。五個バラバラですか」
キーダーの力は、蝶罵刀の刃を生成して戦うことと、能力者同士の気配を感じ取ること、そして物を動かす念動力の三つが主だ。個々により強さの差はあるが、潜在能力と鍛錬次第で大舎卿のしたような隕石をも動かす力になる。
「綾斗もやってみる?」
「はい」と返事してビー玉を両手に受け取り、綾斗は京子と同じように床に転がした。
五個の玉に視線を滑らせ、綾斗は胸の前で銀環を握った。ビー玉は五つ同時にゆっくりと浮上するが、中の一つがポンと飛ぶと同時に他の四つが力を失くして垂直に床へ落ちた。
遠くに飛んだそれがコンと音を弾ませ、綾斗は「あぁ」と声を漏らす。京子は床の四つのうち二つを拾い、頭上高く投げた。
「止められる?」
京子の言葉に綾斗はすかさず力を加える。重力に落ちようとする赤と黄色の玉が、空中でピタリと静止した。
「玉を目で追っちゃ駄目。一個の時もそう、動かす駒より戦ってる相手を見るほうが大事。目で玉を見るのは最初の一瞬だけだよ。位置を捉えたら、もう視線は相手に向けなきゃ」
じゃあ、と京子は中央に走り、くるりと綾斗に向き直った。
「ビー玉じゃなくて、私を敵だと思って狙ってみて」
綾斗は戸惑うが、ゆっくりと視線を京子に合わせ、緊張を走らせる。
「いいんですか? 遠慮なくいきますよ」
「どうぞ。そのくらい平気だから」
綾斗は言われるままに力を込めるが、一つは力の軌道を離れ空しく床に落ちた。もう一つが、真っ直ぐに京子を狙う。
視線は合ったままだ。
涼しい瞳。真剣な彼の瞳は少し恐い――そう見入ってしまった次の瞬間、玉は最短距離で京子の腹にドスリと音を立ててぶつかった。彼の力とビー玉の硬さを甘く見ていた。
予想外の強い痛みに京子は低く呻いてしゃがみ込む。
「きょ、京子さん?」
思わぬ事態に綾斗が慌てて京子に駆け寄る。京子はゲホゲホと咳込みつつ、「だ、大丈夫だよ。平気」と強がると、「すみません」と綾斗が頭を下げた。
「謝らないで。私がやれって言ったんだし。ビー玉ってこんなに痛いんだと思わなかったよ。でもちゃんとできたね、上出来。少しずつ増やしていけば五個も出来るようになるよ」
京子は無理矢理笑顔を作り、患部を撫でながら床に腰を下ろした。
「あ、でも数が増えると力が分散するから、大きいものを動かす時は注意してね」
「はい、ありがとうございます」
心配そうに礼を言う綾斗を、京子は「そんな顔しないで」と宥めた。
ビー玉移動の訓練は京子も最初は苦手だった。相手を直視して一発でも当てられた綾斗を器用だと感心してしまう。
「綾斗はすごいよね、頑張って」
「どうしたんですか、いきなり」
メガネの下の汗を拭い、綾斗は普段見せない裸眼を細めた。