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29話 彼の持つ力

 アルガスの中は不気味なほどに静かだった。

 全ての壁が強化された訓練室が仮設の救護室になっていて、一通り治療を受けると京子は身体中が包帯だらけになってしまった。


 訓練室には予想以上に施設員の姿があった。殆どが浩一郎の放った一発目でやられたらしいが、命に関わる重傷者が出なかったことは救いだ。


 桃也と駆け付けたマサに抱えられ、京子は自室へと運ばれた。

 手足は少しずつ動かせるようになったが、瓦礫に挟まれた右足首は、前回の負傷に追い討ちを掛ける形になってしまった。

 救護室で打った痛み止めも気休め程度にしかならず、麻痺していた痛みがビリビリと感覚を取り戻し、借りてきた松葉杖を使う事もままならない。


 解けた髪がグシャグシャで、頬には大きくガーゼが当てられている。久しぶりの再会なのに、桃也の言葉通り本当にボロボロだった。


 外はといえば、あれからぱたりと動きがやんでしまった。彰人と共に浩一郎も姿を消したようで、大舎卿と綾斗が地上と屋上に分かれて見張りをしている。


「私も、すぐ行かなきゃ」


 ソファから立ち上がろうとするが、足に力が入らなかった。よろめいた身体を桃也に受け止められ、再びソファに戻される。


「そんな足で何ができるんだよ」

「桃也の言う通りだ。けど最後までじっとしてろなんて言わないからな。今は少しでも休んどけ」


 ドアの外を警戒するマサに、桃也は「俺も連れてってくれ」と勇む。

 明かりの下で改めて見る彼は、まるで別人のようだった。桜の紋章を付けた濃紺の制服。胸元には濃緑のアスコットタイが結ばれ、左手首には銀環が嵌められている。

 制服が少し大きいのは、これがマサのものだからだそうだ。

 あの散らかった部屋のどこにあったのだろうか。十年以上着ていない筈なのにくたびれた様子もなく、腰に下げられた蝶罵刀には、手で彫られた星印が見えた。


 京子が『大晦日の白雪』の真実を知ったあの日から、桃也は北陸に行っていたらしい。綾斗が居た訓練施設で、彼はキーダーという答えを出したのだ。


「お前は京子に付いていてやれ。俺は地下に戻らにゃいかんからな。この非常事態に、ジジイたちが司令室に乗り込んできたらしい」

「ジジイって、取調室のオジサンのこと?」


 急に出した自分の高い声が傷に響き、京子は鎖骨の下を強く抑える。


「あぁ。後にしてくれればいいものを、桃也のことを聞いてきやがる」


 『大晦日の白雪』でマサが桃也の力を隠した事は、本来罰せられることだ。処分が下されるとしたら、アルガスからの排斥もあり得る。むしろそれでは軽いほうかもしれない。


「まぁ、死ねとか言われるわけじゃないだろうし、何でも聞く覚悟はしてるさ」

「だったら、俺も行ったほうが」


 焦燥に駆られる桃也に、マサは落ち着けと大きく掌を広げた。


「だからお前は京子と居ろ。他にもちゃんと戦える奴は居るんだから、犬死なんてさせねぇよ。自分の出番は見極めてくれ。ジジイ達と話すのは慣れてるから、俺の事は気にしなくていいぜ」


 拳を握り堪える桃也から、今まで一緒に居て気付くことがなかった気配を僅かに感じる。

 部屋の扉に手を掛け、マサは京子を振り返った。


「隠し事ばっかですまんな」

 

 キーダーを選んだ桃也を能登へ送り出し、自分の装備を渡したこと。

 京子は横に首を振り、「本当だよ」と彼を送り出した。マサは少しだけ笑んで部屋を出て行く。


 二人きりになって、沈黙が起きた。

 ずっと桃也に会いたいと思っていたのに、嬉しさと戸惑いで言葉が見つからない。

 顔を上げると、自分を見守る彼と目が合って、「お帰りなさい」と口が開いた。


「ただいま。勝手に出てって悪かったな。怒ってるだろ」

「怒ってるよ。けど、それよりも驚いてる。さっき助けてくれた時、どうして私があそこに居るって分かったの? 発信機も外していたのに」

「そんなのなくたって、今までずっと一緒に居たんだから分かるよ」

「私はずっと分からなかったのに」

「話は聞いた。自分のこと責めるなよ。それより横にならなくて良いのか?」


 彼がキーダーを選ぶことを予測しなかった訳じゃない。ただ、そうあって欲しくなくて、考えないようにしていた。

 「大丈夫」と強がって、京子は床に付く右足の感覚を何度も確かめ窓を見やった。装甲で遮られた外の様子は見えないが、気になって仕方がない。

 やっとこうして彼と二人になれて嬉しいと思うのに、外に戻らなければという感情が先走る。


 脇腹がしくしくと痛む。深い傷ではないが、血の滲む包帯を見ると吐き気さえ覚えた。


「その傷で行っても戦えるのか? 足だって痛いんだろ?」


 「どうにかなるよ」と前向きに。最悪、松葉杖を持っていれば立つことだけはできる。


「少し歩ける程度じゃ、一瞬で殺られるぞ」

「でも、私はキーダーなの。足がなくても、手がなくなっても、息をしているうちは最後まで戦わなきゃいけない」

「お前を好きだと思った時、こんな日が来ることは覚悟してた。でも、今は俺もキーダーなんだぜ」

「桃也は駄目だよ」


 綾斗を戦闘に出すことだって辛いと思うのに、にわかの訓練経験しかない彼を行かせたくない。京子は(すが)るように桃也の左手を握り締めた。


「今のお前よりは戦えるよ」


 桃也は横に座り、京子をやさしく抱き締める。

 「痛くないか?」と確認する彼に、京子が「うん」と頷くと、腕の力が少しだけ強くなる。研究室の煙草の匂いはしないが、懐かしい彼の匂いがした。


「お前が俺を心配してくれるように、俺がお前を心配するのも分かってくれ。お前はいつも頑張りすぎだ。なぁ、ガキの俺がアルガスを離れて、次に会った時のことを覚えているか?」


 駅で会ったのは偶然だった。懐かしさに喜んで、一緒に居酒屋でご飯を食べた。


「あん時俺、トールになる気でマサさんの所に行こうとしてたんだ」

「え?」

「自分への戒めとして。中途半端な気持ちで消さなかった力だけど、やっぱり俺は俺の力で人を殺してしまったことへの恐怖から抜けられなかったんだよ」


 桃也はたまに寝ながらうなされることがある。それはずっと『大晦日の白雪』で家族を失った事が原因だと思っていた。


「けどお前に会って。泣いて謝るお前に真実を言えなかった。お前があの場所に居なかったことなんて仕方のなかったことなのに、どうしてそんなに背負うのか不思議でたまらなくて。俺がこの人を守らないとって思った。だから」


 そうだ。あの日、いつもの調子で酒に呑まれて自分の気持ちを吐き出した。

 彼と一緒になった一年半、『大晦日の白雪』の話はしていないと思っていたが、最初のあの夜に泣いて謝った事を、今更ながらに思い出す。


「そんな……それじゃあ、私が桃也を……」


 あの夜がなければ、彼がこの服を着ることはなかったのか。


「違う! そんなことまで背負おうとするな!」


 ぴしゃり、と桃也が否定する。


「後悔なんてしてないからな。俺がお前に惚れただけだ。お前は全てから逃げようとした俺を踏み留まらせてくれた。あの日トールを選んでいたら、俺は今きっと後悔してる。だから今こうしてこの服を着て、力を国のために捧げる事で俺が殺った奴への弔いになればって思う。自分の家族全員殺されても、そう思っちまうんだよ」

「トールになって力を縛る事だって、一つの答えだと思うよ」


 弔いの形なんて人それぞれだ。桃也の選択は、一番辛い決断だと思う。


「いいんだよ。そんなことは分かってる。結局俺がお前の側に居たいだけなんだ」

「馬鹿だよ、桃也……」


 薄く笑んだ桃也の背中に手を伸ばし、京子は彼の胸に額を押し付けた。

 再び泣きそうになるのを桃也の言葉が遮る。


「泣くなよ。上に戻るんだろ?」


 そう言って桃也はソファを下り、包帯を巻いた京子の足に手を当てた。


「能登に行って訓練してくれた人に、記憶操作の力を聞かされた」

「やよいさんに?」


 能登の訓練施設は、研究施設でもあり、キーダーの可能性を引き出すことに没頭する人間が集まっている。

 やよいは場所柄検体として扱われることも日常茶飯事らしいが、本人は満更でもないようで、京子に会うとよくその事を楽しそうに話してくれた。


「あぁ。まだ未完成で誰もきちんと使えないって言ってた。俺も見様見真似で中途半端だから大して使えねぇけど、気休めくらいにはなるだろう?」

「桃也、できるの?」

「治すんじゃねぇぞ。五分持てばいいぐらいだ。少しだけ痛みを忘れさせてやる」


 京子は頷き、桃也に支えられてゆっくりと立ち上がる。体の重みに傷みが響き、京子は瞼を強く閉じる。彼から手を放したらすぐに転んでしまいそうだ。


「本当に一瞬しか効かねぇし連続では無理だから、奴が現れてから使うぞ」


 松葉杖を右腕に挟み、左を桃也に支えられて部屋を出る。

 こんな身体で戦えるはずがないと分かっている。桃也の言う通り、一瞬で殺られてしまうかもしれない。

 ただ、寄り添ってくれる桃也の死は見たくない。

 京子のそんな想いに気付いてか、階段を下りながら桃也は「ごめんな」と詫びた。


「俺がもっと早く決断してれば、ちゃんと力になれたんだよな」

「マサさんが言ってたよ。桃也の力は『大晦日の白雪』がなかったら、とっくに消してたって。でも、時期なんて関係ない。キーダーの私に言わせれば、仲間が増える事は嬉しいんだよ。ただ、桃也の彼女としては少し寂しいだけ。絶対死んで欲しくないって思う」


 強く言葉にして、そう願う。


「私もこんなだけど、最後まで頑張るから」

「やよいさんが、お前のこと褒めてたぞ。破壊力は全キーダーの一、二位を争う、関東の暴れ馬だって。女が戦力で男が回復役なんて、反対だよな」

「私ってそんな風に見られてるの? 私より強い人なんて、もっと他にも居るのにね。けど、いいよそれで。私は桃也に無事で居て欲しい」


 心の声が、そのまま口をついてしまう。


「戦う前綾斗にね、死んだら桃也に会えなくなるからって言われたんだ。だから、さっき自分が生きてて本当に良かったって思った」

「何だ、もう叶っちまったな……じゃあ、全部終わったら何かして欲しい事あるか? ちゃんと生きてたら何でも叶えてやる」

「何でも……とりあえず、布団で眠りたいかな」


 朝訓練室でマサと話して、綾斗と昼食を取った後に佐倉を訪ね、彰人の宣戦布告を受けて今に至る。今日一日の記憶が多すぎて、眠気がピークを通り越し疲労感を募らせている。


「じゃあ、家で一緒に寝るか」


 そんな事かと桃也は笑う。


「うん。あとね、桃也の淹れてくれたコーヒーが飲みたい。自分で淹れてみたけど、全然美味しくないんだもん」

「分かったよ。また毎日淹れてやる」


 一緒に過ごした一年半は、京子の中で今までのどの記憶よりも楽しかった。だから、終わらせてはいけないと自分に言い聞かせると、まだ戦える気がした。



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