28話 月明かりが照らし出す決意
「鉄塔が倒れて……」
説明する綾斗の声がイヤホンから聞こえた。塔が落ちた影響か、ノイズが酷くなり集中が乱れる。
下から振り上げられた彰人の刃に反応が遅れ、慌てて防ぐと全身に痛みが響いた。
「みんな、ごめん」
スイッチがオフのままマイクに呟き、京子は自分の右耳に向けてわずかに力を放った。
イヤホンがポロリと地面に落ちる。耳元が静かになり、改めて彰人に剣を向けた。
彼はまだ無傷なのに、自分は一つの動作ごとに全身が軋んだ。
勝算はどれくらいだろうか。おそらく彼は全力じゃない。
京子の事など本気を出せば一発で殺すことが出来るだろう。
「力みすぎだよ。京子ちゃん、生身の人間相手にちゃんと戦ったことないでしょう」
彰人からは呼吸の乱れ一つ感じない。
京子には返事する余裕さえなかった。
彰人はそんな状況を笑うように、
「大丈夫、僕もそういうのないからフィフティフィフティだよ」
今はただ遊ばれているだけなのかもしれないが、彼に勝つことが出来ないのなら浩一郎との合流まで少しでも長く時間を稼ぐ方がいい。
地下への入口は他の窓より装甲も警備も強化されているが、バスク二人には壊すことなど容易いのかもしれない。ましてや核への攻撃を防げたとしても、地下にはアルガスの施設員のほぼ全員が避難をしているのだ。
京子は趙馬刀を手にしたまま、力で上着のポケットにある鍛錬用のビー玉を手繰り寄せた。
六色のそれがポケットを飛び出して宙に一時静止すると、彰人の顔に向けて勢い良く弾けた。
「うわっ」
かわすのが一瞬遅れて怯んだ彰人に、京子はすかさず光の球を投げた。
溜めがない分大きさも威力も小さいが、それでも一メートルほどに膨れた白い攻撃は京子がその場を離れるのには十分役に立った。
しかし彼の索敵から逃れる事はできない。
毎日嫌と言うほど訓練しているのに、力を放つ訓練は殆どしていない。上の指示を無視してでも、きちんとやっておけば良かった。
足がもつれて一旦横に逸れ、身体を彰人へと回した。
肩で呼吸を繰り返し蝶罵刀を振ると、彼は「頑張るね」と嬉しそうに応戦する。
生成されたものとはいえ金属並みの硬さがあり、振動で全身が痺れた。
一振り一振りの重さで、痛みが半分麻痺している。
このままでは、力尽きて倒れるまでだ。
そして、ちょうど正門と建物の入口に挟まれた位置に来た時だった。
攻撃を逃れるように建物側に首を振り、京子は彼と目が合った。
相手はいつも睨み付けていた、長官の胸像だ。
こっちはこんな辛い目に遭っているのに、相変わらずの偽善者を装った笑みに、むしろ彰人への敵意よりも憎しみが込み上げ、迷いも起きない。
「ええい!」と力を振り絞って腹から声を上げ、微笑む胸像を睨み付けた。
ゴ、と地が唸りを上げ、次に爆音に近い弾けた音と共に長官が空を飛ぶ。
冷静沈着な彰人でさえ、思わず「えっ」と素っ頓狂な声を上げ、その方向へ視線を仰ぐ。
京子は蝶罵刀への力を緩め、地面からすっぽ抜けた胸像を操った。
彰人の斜め前方から真っ直ぐに激突するように。
防御されるのは予想の上だ。当てたことでどれだけダメージを与えられるか。
けれど彰人は防御などしなかった。衝突の寸前で長官を粉砕させたのだ。
バン! と銃声に似た音が鳴り、ブロンズ製の彼は粉々に宙へ舞った。
「これは驚いたし、大分痛いね」
髪に乗った破片を払い、彰人は額に手を当てる。サラサラと揺れる前髪の奥で、右眉の横を黒い筋が伝った。
けれど、それだけだった。致命傷へ繋がるダメージではない。
心のどこかで、ホッとしている自分がいる。彼が死ななくて良かった、と。
キーダーだからと、敵だからと割り切ることができない。
今彼に恋をしているか否かと尋ねられれば、自信を持ってノーと言える。けれど、そうではない。
過去でありながらも、一度恋した彼の倒れる姿なんて望むことができない。
そして、今自分にとって一番大事な事は、自分が死なないという強い意志だ。
鉄塔の被害を逃れた東側の外壁を目指して地面を蹴った。
すぐ背後に彰人を感じ、京子は気配を背で追いながら塀伝いの木まで走り、その陰に自分の身体を滑り込ませた。
身体を隠せるほど大きい木ではないし、気配がある以上何処に隠れても同じなのは分かっている。
少しだけの時間稼ぎに過ぎない。
深呼吸一回分休んで、今度は南を目指す。
木の間を縫うように走ると、彰人の放つ攻撃が次々と木々をなぎ倒していく。
ザザザッという葉が擦れる音に、幹が地面を叩きつける高い音が交じり合う。
木が倒れる方向は予測できず、京子は肩越しに何度も確認しながら走ると、ふと視界に彰人の姿がないことに気付く。
連続で放たれた攻撃はいつしか止んでいて、京子は滑るように足を止めた。
肩で息を繰り返し、辺りに視線を巡らせ、感覚を研ぎ澄ます。
「隠れようとすると、自分にも不利だってことさ」
すぐ後ろに彼がいる。背後を取られ身体を回すと、同時に白い光が飛び散った。
咄嗟に出した防御では全てを防ぎきれず、側にある壁に亀裂が走る。
ガラリと崩れるコンクリートの塊を避け、京子は再び塀に沿って走った。
次の光を仕掛けようとする彰人へ先に球を放つと、球同士が轟音を立ててぶつかる。
花火のように散った光の圧力に、塀がガラガラと崩れた。
どうすれば良いのか。
体力はまだあるが、身体が限界に近かった。
制服のあちこちが裂け、中から覗く白いシャツに鮮血が滲む。
彰人の攻撃をかわしながら西南へと走り、京子は自分のミスに気付いた。
生い茂る木の葉に阻まれ、視界から消えていたその存在をすっかり忘れていた。
砕かれた北東のそれと対称に聳え立つ、もう一本の鉄塔だ。
塀を隔てた向こうにあるのは三階建ての商業ビルだが、住居スペースも入っている筈だ。
避難が完了しているとはいえ、反対側の工場とは事情が異なる。
鉄塔まで二十メートル。京子はその場に留まり蝶罵刀で応戦するが、彰人の振り上げた剣に腕の傷が響き、柄が手を離れて地面に落ちた。
光を失った柄を力で手繰り寄せると、全身の神経が自分の意志を離れた。
「い……たい」
四肢を全て支配する彰人の力に、声を出すことさえままならない。
バラバラに引き千切られるような痛みに抵抗することが出来ず、京子は硬直したまま死への恐怖に脅えた。
彰人は真っ直ぐに掲げた手で京子の動きを捕らえたまま、
「ねぇ、京子ちゃん。これで力の差がハッキリしたでしょ? バスクと戦うのに銀環を付けることはマイナスでしかないし、無力さを露呈しているようなものだよ」
京子は朦朧とする意識を彼の声に集中させる。
どうして彼は話をしているのか。今なら一思いに自分を殺せるだろうに。
「京子ちゃんの彼はバスクだよね。助けに来てくれないの? バスクの力なら、僕の相手になるかもしれないよ」
こんな時に桃也の話をして欲しくない。
桃也に会うために死ねないと思うけれど、助けて欲しいとは思わない。
精一杯の力で、京子は横に首を振った。
――「お前のことは俺が守る」
例えバスクの力がキーダーの数倍だとしても、訓練なしで戦えるとは思えない。
「私だってまだ、たたかえるよ?」
「そうは見えないけど。無理しちゃ駄目だよ。もうすぐ終わらせるからね」
「ねぇ彰人君、ひとつ聞いてもいい?」
声を出すことが辛くなってきたが、彼にどうしても聞きたいことがあった。
「あの時どうして、助けに来てくれたの? 私が迷子になった時……」
林間学校のあの日、彼が現れなければ力に気付くことも恋をすることも無かった。
「京子ちゃんは僕の敵で、いつか戦う日が来るだろうと聞かされてきたけど、僕は別に憎んでなんかいなかった。あの日、先生が捜しても見つからなかった君の居場所を、僕は最初から知ってたんだ。僕はとうにバスクとして覚醒していたからね」
十八歳が平均だといわれる中、十四歳で覚醒した綾斗は逸材だと評されているのに。
あれは十歳を過ぎたばかりの、小学生の頃の記憶なのだ。
「まぁ僕の力は父さんに無理矢理引き出されたみたいなものだけどね。それで君の所に行ったんだよ。敵とか身方とか、そんな事は考えなかった。分かってたから行ったんだ」
彰人はそういう人だ。誰にでも優しい。そんな所が好きだった。
それなのに、こんな状況にあることが未だに不思議でたまらない。
「さっき捨てたイヤホン、発信機付いてたんでしょ? 捨てたこと後悔するよ」
いよいよ殺す気だろうか。
彼が何かをするなら、一瞬でもこの呪縛が解けるだろうか。
多くてもきっと数秒。そのうちに何が出来るかと自分に問い掛ける。
「じゃあね、京子ちゃん。また会えたら助けてあげる」
全身の感覚に集中して。
彼の力が放れる一瞬を狙う。彰人が狙うのは、きっと鉄塔だ。
目標へ真っ直ぐに伸ばした手の先から現れる光。
同時に京子の身体が解き放たれたように駆け出した。
鉄塔を押さえるのは多分無理だ。
一本目の時より力も体力も下がっている。
『キーダーは盾であれ』
昔、国の偉い人が言った言葉が頭をよぎった。
塀に沿って、更に高い所を狙って光の壁を生成する。ひしゃげた鉄塔が、京子の作った壁にめり込んだ。
敷地外への被害は免れたが、ズルズルと落ちる鉄の塊は京子の真上へと影を落とした。
死の文字が頭をよぎり、京子は両手で頭を覆った。
「京子ちゃん!」
彰人の叫んだ声が聞こえた気がする。
強く目を瞑った頭上で、ガンと高い音が鳴ったのを聞いたのが最後、意識が途切れた。
☆
気付いた時、京子は砕かれた瓦礫の中で仰向けに倒れていた。
生きている事を実感する。けれど生きているだけだった。
重なり合う鉄の瓦礫が身体を覆い、かろうじて空いた視界に灰色の雲が流れている。
瓦礫の重みか、怪我のせいか、身体の感覚がなくなっていた。
普段ならこれくらい余裕で動かすことが出来るのに、力を込めることが出来なかった。
助けを呼ぶ声も、うまく出すことが出来ない。
彰人の言った通り、イヤホンを捨てたことを後悔する。発信機があれば、すぐ助けに来てもらえるかもしれないのに。
迷子になったあの日と同じだ。
でもここでもう一度彰人が来たら、本当に殺されてしまうだろう。
この状況の元凶が彼だということに笑ってしまう。
皆はまだ戦っているのだろうか。
静か過ぎて全てが夢なのかと思えてしまう。
痛みは感じないのに、瓦礫の隙間を抜けてくる風は、やたらと寒かった。
もうここで終わりなのだろうか。
「会いたいよ、桃也」
最後なら、もう一度彼に会いたい。全てが終わってしまうなら、最後に声が聞きたい。
「京子」
そうだ、この声だ。
いつもの、彼の――。
「京子!」
「……え?」
本当に彼の声が聞こえた気がして耳を疑う。
こんなところに彼が居る筈がないのに。
ガラガラと剥がされていく瓦礫の奥にその姿を見つけ、京子はその名前を呟いた。
「桃也……?」
「命を放棄するなって言っただろ?」
差し出された右手を掴むことは出来なかった。
身体がもう動かない。
「ボロボロだな。でも、生きてて良かった」
安堵する桃也の笑顔に、涙が溢れた。
「会えたんだから、泣くなよ」
瓦礫を避け、桃也は京子をそっと抱き起こす。
けれど、ぼんやりとした月明かりが照らし出す光景に、京子は息を呑んだ。
「桃……也? その格好……」
彼の肩に、見慣れた桜模様がある。
そんなことがありませんように、と懇願しながら彼の左手に手を伸ばす。
桃也の小指に、もう指輪はなった。変わりに京子と同じものが手首に巻かれていて、互いのそれが触れ合いカツリと音を立てた。
「……どうして?」
「言っただろ? 俺が京子を守るって」