24話 彼の思いと彼への思い
屋上に行くと、外套姿の綾斗が一人鉄柵に寄り掛かりながら暗い夜をじっと見張っていた。
アルガスの立方体の建物は屋根が全面屋上でヘリポートを兼ねている。いつもはコージの五番機がそこに待機しているが、今日は外に出ているらしく、がらんどうとしていた。
下から建物を光で照らしつけてはいるが、屋上には僅かに届く程度で、側まで来てようやく振り向いた綾斗の表情が分かる。
京子は紙コップに入った牛乳を綾斗に渡した。
給湯室で温めてきたものだ。熱々にしすぎてしまったと後悔したが、外気に触れてみるみると温くなっていくのが分かった。
「ここだって聞いて。ずっと居たの? コーヒーのほうが良かったかな」
「こっちで良かったです。ありがとうございます。部屋に居ると緊張が途切れちゃうんで」
もう時間は十時を回っている。浩一郎の動きはなく、ただじっと待つことに皆が疲労を感じ始めていた。
何もなければと思う反面、対応が大きくなってしまった分、来るなら早く来いと祈ってしまう。
「一人でやらせてごめん。私も居るね」
綾斗が見張りを買って出たとセナに聞いてやってきたが、想像以上に夜の空気が冷たく、京子は両手にはあっと息を吹きかける。
「俺なら大丈夫ですよ。まだ何も感じ取れなくて、ぼーっとしてたトコです」
「私が来たのは分かった?」
「階段くらいで気付きました」
白い息を吐きながら、綾斗は湯気でメガネを曇らせる。
「そっか。ご飯は食べた?」
「平次さんが握ってくれたおにぎりをいただきました」
「私も食べた。平次さんの作った昆布の佃煮大好きなの」
部屋で物思いに耽っていた京子の所に、平次が届けてくれた。添えてあった串カツは、『戦に勝つ』にかけたものらしい。
普段なら当直と護兵用の夕食を出して食堂が閉められるが、今日は夜中までフル稼働だと笑っていた。
「爺が帰ってきてたよ。色々思うことがあるんだね、部屋で瞑想してた」
京子は綾斗の横で、柵の上に顔を乗せ溜息をつく。
町が闇に包まれている。風景を抜き取ったかのように真っ黒で、建物の輪郭すら分からない程だ。しかし、一定の距離を置いて海側が白く帯状に光っている。
「あの光の位置に被害は出せないよ」
海岸に沿った隣町。非避難地区だ。
本当にもうすぐ戦闘になるのだろうか。未だに信じられない。
そして自分は彰人を殺してしまうのだろうか。
可能性はゼロじゃないし、逆に殺されてしまうかもしれない。けれど、自分の死より誰かの死を考えるほうが辛い。だからきっと自分は彰人を殺すことができない――それをひしひしと感じる。
――「分別くらい付くじゃろう?」
そんな大舎卿の言葉が重くのしかかる。
「私、これでも本当に彼が好きだったんだよ」
「彼、って。さっきのヤツですか?」
明らかに、綾斗の声が不機嫌になる。
「うん。中学の時、知恵と恋愛話で盛り上がって、目が合ったとか、ちょっと話したとか、それだけなのにすっごく楽しかった」
「それって、戦えないって言ってるんですか?」
「わかんない」と曖昧に首を振る京子に、綾斗は眉間に指を押し付ける。
「私情を挟むな、なんて俺の口から言えないですけど、今もまだ好きなんですか?」
「ううん。もちろん今は桃也が好きだよ。彰人くんは思い出なの」
不安を抑えて気丈に振舞おうとするする京子に、綾斗は横に首を振った。
「ならそれでいいんじゃないですか? 京子さんは状況見ないで突っ走るところはあるけど、アイツに寝返るような人じゃないですよ。俺は京子さんのこと信じてます」
「ありがとう。何か綾斗って大人びたこと言うよね。確かに彰人くんより綾斗のほうがいい男なのかもしれないね」
「からかわないで下さい」
「綾斗が先に言ったんでしょ?」
綾斗の言葉は心地よかった。ハッとして目を逸らした彼の肩を指で突いて「ありがとね」と礼を言う。
「子ども扱いしないで下さい。俺、京子さんと五つしか違わないんですからね」
「……うん、そうだね」
「俺は全力で挑むつもりです。全てを失うくらいなら、俺が最後まで盾になります」
「それは駄目! 死んじゃダメだから! 私は綾斗に生きてて欲しいよ」
綾斗の言葉を突き返すように京子が声を張り上げる。
彼の感覚は人一倍鋭いが、戦闘力に若干欠ける。それなのに敵を目の前にしたら突っ込んでいくタイプだ。
必死に叫ぶ京子に、綾斗は「わかりました」と苦笑する。
「じゃ、京子さんも生き残ってくださいね」
うんと頷いて顔を上げると、綾斗と目が合った。何か言いたそうな表情に首を傾げると、綾斗は軽く伏せた目を開く。
「京子さんは、どうして俺に優しくしてくれるんですか? いえ、京子さんだけじゃない。ここの人たちはみんな凄く優しくて、いい人で。居心地良すぎて、ちょっと困惑してます。アルガスは厳しくて、キーダーの扱いも酷いって聞いてたから」
「噂なんて色々あるけど、私はここが好きだし、綾斗が来て嬉しいんだよ。同期の子はもう一人いたんだけど、ここではずっと爺と二人きりだったから。綾斗が事故起こしたって聞いた時は驚いたけど、キーダーを選んでくれて本当に嬉しかった。みんなもきっと同じだと思うよ」
だから綾斗が能登の訓練施設に入った二年間は、待ち遠しくて仕方がなかった。声を掛けることはなかったが、仕事ついでに現地まで覗きに行った事もある。
「そう……だったんですか」
「でも、アルガスの根底にあるものは変わらないよ。いつだってキーダーは前線に出て、盾にならなきゃいけない。これは余談だけど、三十年前に落ちた隕石は、本当はすごく小さなものだったんだって。だからあれだけ騒がれたけど、専門家や海外のメディアからは当時、大したことないって評価をされたりもしたらしいの。でも、キーダーにとっては現況を抜け出す為の大きな仕事だった。大舎卿がいるから今こうしていられるんだもん、私たちも頑張らなきゃ」
「はい」と頷いた綾斗の声に、カツカツという速い足音が重なる。
バタリと開いた扉から入ってきたのはセナだった。