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21話 その手の温もりを懐かしく感じて

 病院を出て見上げた空は雲一つなく澄み渡っていて、夕方のくすんだ青に白い月がぽっかりと浮かんでいた。


 黄昏時の静かな町を抜け、駅に戻る。

 駅舎は学校帰りの高校生で混みあっていたが、次の電車まではまだ三十分近くあり、京子と綾斗は再び外に出ると、缶コーヒー片手に隣接した公園のベンチに座った。


 キャッチボールが出来る程度の広場に幾つかの遊具が並んだ小さな公園は、静けさが漂っていた。

 パッと点いた電灯が空の暗さを強調させる。オレンジ色の光の中で、京子はコーヒーを飲んで長い息を吐き出した。


「お疲れ様です。今日あったかくて良かったですね」

「そうだね。綾斗もお疲れ様」


 一月中旬にしては夕暮れの空気が暖かい。時折顔を撫でる風は涼しいが、上に羽織った外套(がいとう)で十分寒さを防げる温度だ。

 少女に無事銀環を結び、黙ったままの美和に挨拶だけして病院を出た。後の処理には施設員が来てくれる次第だ。

 彼女に快く納得してもらえなかったことが心残りだが、京子はそれよりも、少女に銀環を結んだ時の違和感が気になって仕方なかった。


「京子さん、さっきどうしたんですか? 何かあったんですか?」


 自分でも整理が付かない。少女に触れた感触をどうして懐かしいと思ったのか。どうして彰人を思い出してしまったのか。

 薬指の指輪に視線を落とす。桃也は今何をしているのだろう。彰人を思い出すと桃也が無性に恋しくなるのは、彰人を思い出すことへの罪悪感からだろうか。


「桃也さん、そろそろ戻ってくるといいですね」


 察した綾斗に「うん」と頷いて、京子はぽつりぽつりと口を開く。


「……ねぇ、綾斗、聞いてくれる? 私ね、昔からなんだけど、初恋の人の夢を良く見るの。思い出……記憶なんだけど。小学五年生の夏で、相手は彰人くん。いつも同じ所から始まって、同じ所で終わるの」

「そんなことってあるんですか。この間知恵さんと飲んだ時に話題になってた人の事ですよね」


 眉をひそめる綾斗に、京子はこくりと顎を引いた。


「でも、本当なんだもん。彼が出てこない夢も見るけど、それだけは毎回同じ内容で」


 うまく説明ができない。

 しかし口にすることで、今まで思い出せなかった夢の続きが少しずつ解かれていく。

 あの日、自分を探し出してくれた彰人に差し伸べられた手。

 繋いだ手は温かくて。


「あやと……手、繋いでもいいかな」

「えっ? 突然どうしたんですか?」


 ぎょっとする綾斗に、京子は「変な意味じゃないから」と声を上げた。


「そうじゃないの。お願い」


 多分、それが正解だと思った。

 綾斗は躊躇(ためら)った表情を見せるが、「仕方ないですね」と立ち上がると、空のコーヒー缶を側のゴミ箱へ捨て、一瞥(いちべつ)した右手を京子の目の前に「どうぞ」と広げた。


「別に変な意味でも構いませんよ」

「冗談言わなくていいから」


 京子は照れ臭そうに眼を逸らす綾斗の手を握った。桃也より少し細い手は、ほんのりと温かい。桃也と同じで、力の気配は微塵たりとも感じなかった。


「綾斗は凄いね。こうしてても全然気配が読めないよ」

「優秀ですからね」


 覚悟しろ、と強く心に言い聞かせ、京子は手を握ったまま立ち上がる。


「少しだけ、力を出してもらってもいい?」

「力? ……気配をってことですか?」


 綾斗は首を傾げつつ、言われるままに抑えた気配を少しだけ開放させる。

 手に(にじ)む温かい感触は、昼間握った少女の手と同じだ。


 そして、あの時もそうだった。


「ありがとう。ほんと……自分が呆れるよ」


 急に(まぶた)が熱くなり、京子は慌てて綾斗の手を放し、涙を押さえた。


「京子さん、一体どうしたんですか?」


 流れ出す記憶に涙を我慢することができなかった。

 小学生のあの日、捜しに来てくれた彰人に言った言葉も、あのリビングでのことも、はっきりと蘇る。

 ただ子供のように泣きじゃくる京子の前に綾斗はしゃがみ、顔を見上げた。


「男と二人で居る時に泣くのは、良くないですよ」

「……綾斗は、平気だもん」

「子ども扱いしないで下さい。男なんて、いつ気が変わるか分かんないんですから」


 冗談だろうか。そんな事を言われると彼を直視できなくなる。いつものように自分は違うと否定して欲しいが、今日に限ってそれがない。


「そんな綾斗、嫌いだよ」

「俺が慰めても、京子さんの心には響きませんか?」

「突然そんなこと言わないで。そんなの分からないよ」

「なら、とりあえず泣き止んでください。仕事ではパートナーなんですから」


 「うん」と頷いてぐいぐいと涙を拭い、京子はベンチに腰を下ろした。


「綾斗、あのね。私、やっぱり、記憶を消されてたよ」

「思い当たる節があるんですか?」

「うん。昼間、赤ちゃんの手を握った時懐かしいって思ったの。それで、何となくそうなんじゃないかって思って。綾斗の手を握ったら、同じだった」

「同じ……だった? すみません、それはどういう……」

「消された記憶と同じなの」


 ふいに逸らされた視線に、京子は顔を上げる。背後を振り返った綾斗の視線を追うと、公園の入口に車が一台停まっていて、中から一人の影が現れた。

 真っ直ぐにこちらに歩いてくるその影に何だろうと思ったのも束の間、公園のライトが照らした顔に、京子はびっくりして腰を上げた。


 今一番会いたくない人物がそこに居る。

 突然の仕事で来た場所に現れた彼を、偶然だなどと思わない。

 二人の目の前で足を止めた彰人に、京子は心を決める。


「これって、偶然じゃないよね」

「そうだね。まさか今日に限ってこんな遠くに居るとは思わなかったよ」


 いつもの笑顔。コートを羽織った私服姿だ。

 様子を伺った綾斗が警戒して、京子の前へ出る。


「この間駅で会ったのも、偶然じゃなかったの?」

「嘘ついてごめんね。もしかして、思い出しちゃった?」

「全部、思い出したよ。思い出したばっかりで、混乱してるよ、彰人くん」

「あきひと、って。京子さんの……?」


 名前に気付いて、綾斗は眉を上げて彼を見やった。


「バスク、なんですか?」


 にっこりと笑う彰人。流石綾斗だ。京子には疑う程度にしか感じることができない。


「この間一緒だったのは京子ちゃんの恋人? 彼もバスクだったよね」


 気付いていたのか。ほんの僅かの時間だったのに。

 桃也も彰人に気付いていたのだろうか。

 どちらにしろ、自分が気付けなかったことが悔しくてたまらない。


 山で迷ったあの日、差し出された手を握り、幼い自分はその事に気付いた。

 ――「彰人くんもキーダーなの?」

 彼にとって隠すべき事実を知ってしまった。


「父さんが、今日やるなんて言うもんだから、伝えておかなきゃと思ってね」

「今日、って。まさか」

「わかる? もうちゃんと思い出したんだね」

「一つ、確認させて欲しいことがあるの。猩々寺(しょうじょうじ)浩一郎は彰人くんのお父さんだよね」

「えええっ?」


 悲鳴に近い声を上げて驚愕する綾斗に、彰人は「そうだよ」と笑った。


「父さんは婿養子だからね。元の苗字は猩々寺で、三十年前までアルガスでキーダーだったんだ」


 彼の家に呼ばれて、初めて入ったリビング。夢の通りだ。夢の最後に入ってきたのは彼の父親で、ぼやけていた風景がカメラの焦点を合わせたように鮮明に蘇る。


 ――「恐がらなくていいよ」そう言って微笑んだ顔が彰人に良く似ていた。


「父は京子ちゃんから、僕がバスクだっていう記憶を抜いた。全く、そんな中途半端な能力使ったせいで、こうして僕が告白する前に京子ちゃんが思い出しちゃったよ」

「今日、何をする気なの? お父さんは、トールになったんじゃないの?」


 隕石事件の後、浩一郎はトールとなってアルガスを出て行った筈だ。

 けれど彰人は「少し違うかな」と否定する。


「力はあるから、バスクって言った方が正しいんじゃないかな。その経緯は知らないけど、子供の僕にも力が現れて好都合だったみたいだよ」

 

 大舎卿の言葉が蘇る。『復讐する』と言い残した浩一郎が、それを実行しようというのか。


「今夜、アルガスに奇襲をかける--その言い方だと大袈裟になっちゃうかな」

「なん……だと?」

「奇襲って本当なの? まさか彰人くんも一緒なの? どうして」

「どうして、って言われたら父の復讐のためかな。もう、いいとか悪いとかじゃないんだよ。小さい頃からずっと言われて、父も僕もその為に生きてきたようなものだからね」

「そんな……」

「僕には銀環がない。それがその証だよ」


 バスクの力を恐いと思う。小学五年から中学卒業までずっと一緒のクラスだったのに、後にも先にも彼の力に気付いたのは、消された記憶の一回のみだ。


「ふざけるな! アルガス相手に二人で何をしようっていうんだ?」


 闘争心剥き出しに綾斗が彰人に詰め寄る。こんな激しい彼を初めて見た。


「キーダー相手なら二人で十分。仲間は裏切るから要らないんだって。君もキーダーなら早くアルガスへ戻ったほうがいいよ」


 銀環に並んだ腕時計を確認して、綾斗は「帰りましょう」と京子を促す。

 京子はもう一度彰人に向き直り、穏やかに笑む彼を見上げた。

 本気なのだろうか。

 いつもクラスの中心に居て、女子に問えば『優しい』が最初に出てくるような男子だった。確認しても、きっと確信は持てない。彼がバスクだと理解はできたが、彼と戦うなんて想像も出来ない。

 けれど、彼はこんな嘘をつく人でないことも自分は良く知っている。


「どうして、わざわざ教えてくれるの?」

「フェアじゃないのは嫌いだからね。父みたいなやり方は好きじゃないんだよ」

「それってもしかして、元旦の公園の事?」

「予告のつもりだったらしいけど、大した騒ぎにはならなかったね。次の日会いに行ったのは、計画実行の前に僕が京子ちゃんに会っておきたかったからだよ」

「何言ってんだよ!!」


 吠える綾斗の上着を京子はきつく掴んだ。今にも蝶罵刀(ちょうばとう)をかざして飛び掛っていきそうな勢いだが、ここは勝算が読めない戦をする場所ではない。


「賢いね、京子ちゃん。中学三年のバレンタインを覚えてる? 京子ちゃんが僕にチョコをくれたでしょ? けど、返事しないでずっとそのままにしちゃったから。これは、お返しだと思って」

「……意味わかんないよ」

「ごめんね」


 遠くから聞こえてきた電車の音に、綾斗が京子の腕を引いた。


「お前の好きになんてさせないからな!」


 綾斗は捨て台詞を吐いて、駅へと急ぐ。京子が公園を振り返ると、彰人がずっとこちらを向いていた。本当に今夜彼と戦う事になるのか。唐突過ぎて覚悟ができない。

 不安な色を見せる京子に、綾斗は不機嫌な表情を見せ、怒鳴るように声を荒げた。


「京子さん、男の趣味悪いですよ。アイツなら俺の方がいい男ですからね!」


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